第四章 ランカー 弐
「獅子は兎を狩るのも全力で行きますのよ」
模擬戦開始前に、余裕の体の蒼衣が互いの力関係を示すように言い放つ。
完全に誓を格下と見た蒼衣は、この日米頂上決戦をもう勝った気でいた。
(リートリエルは確かに強いでしょう。でも、二対一にしてしまえばこちらのものですわ。悪く思わないで下さいましね。そんなパートナーを選んだあなたの落ち度でしてよ)
試合開始。
「別に構わないさ。光り導け。不知火」
誓の想いが静かに響き──
「主の栄光を謡え。アリエル」
フィリエーナがそれに続いて絆を具現する。
「守護精霊はきちんと召還出来るようですわね。しかもリンクまで出来るなんて……。どうやら、少しは楽しめそうですわ。美しく魅せなさい。舞姫!」
「勇ましく燃え盛れ。獅子王」
大きな火の蝶の守護精霊を召還した蒼衣と、火の雄獅子の守護精霊を召還した蒼衣の取り巻きの一人でもある環が、同じくリンクして戦闘態勢に入った。
早くも一部からはG線上の環さんと崇められていると噂もあり、意思の強そうな瞳と銀髪、そして巨乳が目を惹く。
昔、何処かで会った少女の面影を感じたが、かなりの美人になっている上に赤口家傘下の術士たちの目もあって、誓は未だにそのことについては話し掛けられずにいる。
(Sクラス一のG線上の旋律を奏でるムッチリ巨乳に目が行きがちだけど、女性のしなやかさを残しながらも引き締まったいいボディバランスをしている。相当考えて鍛えてるな。霊力値もSクラスではトップ下につけているし、測定では攻撃型という噂だった。少し手強いか?)
極力魅惑のGに引き寄せられないように注意しつつ、片側の耳の後ろの部分だけ三つ編みにしている、全体的にやや跳ねっ毛の長い銀髪を流す環を見遣る誓。
長い横髪が胸に寄り掛かかるように脇腹まで流れる姿は、ペタ派ではない年頃の男子にとって、精霊術などよりも余程凶器に写る。
(く、惑わされるな炎導誓。確かに環さんの戦胸力は認めよう。だが、それと戦闘力とは別の問題だ。無論、紳士な俺は試合にかこつけて変なマネはしない……、よし行ける)
「先ずは、この私になめた真似をしてくれた似非術士に格の違いを教えて差し上げますわ!」
ペタに類する蒼衣が颯爽と地を蹴り、環のGに意識を向けないよう精神を集中していた誓に向かって一気に肉薄する。
「砕けなさい!」
間を塞ぐように入った不知火を、蒼衣は一撃で粉砕した。
「赤口さんは補助型で攻撃値は低いのに、遠藤の守護精霊が一発で!」
「それだけ差があるということですわ」
外野の驚きの声に、蒼衣は意気揚々と答える。
「それに、100%の補助値を全て攻撃のサポートに回せば、総合的な攻撃力は跳ね上がる。攻撃値は低くとも補助値の高い補助型や陰陽型が食えない奴と評される所以だね」
慧が今の攻防について補足した。
「そうは言っても補助型の攻撃値が低いのは事実。基が低いものを補うことばかりに気を取られると、他が疎かになっちゃうのよね──彼女みたいに」
一方、慧の傍で見ていた希は、次の攻防について補足した。
慧が疑問の声を上げようと視線を移しかけるが──
「羽ばたけ不知火」
「なんですって!? このッ」
完全に破壊されたかに見えた守護精霊が復活して蒼衣に攻撃を行うという予想外の出来事に、視線が試合の場へと固定された。
「へぇ、確かに砕け切った筈だけど。なるほど、誓の能力値の低さはそういうことか。随分危ない橋を渡るね。でも、初見の相手なら確かに効果的かな。ちょっとリスキーに過ぎる気もするけど……」
慧が先程見たデータと目の前の出来事から、誓の特異能力を評する。
「はい。誓さんは普段、自身の適正値と霊力値、共に四分の一しかありません。しかし、守護精霊である不知火が一度復活することで、その二つは二分の一になります。当然、もう一度復活すれば能力は更に上昇しますが、慧さんの言ったように、現状でも罠としては十分。意表を突かれた相手は守護精霊の破壊に力を使った状態で実質想定の四倍となった誓さんの攻撃力に後手を受けました。精神的なものまで考えれば、ダメージは小さくないでしょう」
蒼衣には聞こえないように気を配りながら、希の傍に控えた鈴木は慧の危惧に答えつつ、蒼衣の状態を分析する。
格下と思っていた相手に痛い反撃を貰い、しかもそれが何がしかの一点特化した必殺攻撃ではなくただの通常攻撃で、故に実は同格以上かもしれないという疑問も発生。
(見誤りましたね赤口家のご令嬢。ここにいるのは全員Sクラスの生徒。あなたは誓さんのデータを測定している時に考えられた真相への道筋を、個人的感情で放棄した。その慢心と油断がなければ少しは善戦も出来たでしょうに)
「これは一方的になるかもね~」
鈴木の考えを読んだかのように、その主の希が飄々と予想を口にした。
希も鈴木も誓の本気を知っており、稽古風景も知っていて、更にその性格をもかなり知っていた。
だから誓の蒼衣に対する雰囲気が、指南役とちょいムカの時の二つを纏っていることを察知することが出来た。
(ご愁傷様)
(ご愁傷様です)
「く」
(霊力値が先ほどまでのほぼ倍になっていますわ。彼はSクラスという当たり前な事を前提として順当に考えるなら、後一回同じことをすれば、霊力値は本来の四分の三か本来の値まで戻ることに。先程の攻撃力がそれを踏まえても高いことを考えると、まさか適正値もですの? これでは復活直後の反撃を受けないよう遠距離から攻撃しても相手のデメリットを払拭してしまうだけ。無闇に彼は狙えない。なら──)
「彼の守護精霊を足止めしつつ他を攻撃しますわ。火力の大きい攻撃はなるべく近距離から目標への必中を心掛けますのよ」
「はいっ」
冷静に見える蒼衣の指示に、環が疑心を挿む余地のない返事で応える。
(思惑通りね。これで、よりやり易くなった。ペアの彼女は攻撃型だった筈。攻撃型が力加減に気を回す戦術はダメでしょう。それとも──)
「まさかこの私を、リートリエルを低く見ているの?」
力を抑えて勝てる相手ではないと、フィリエーナは爆発を足の裏で起こし、反動で高速を演出して相手の守護精霊の獅子王に迫る。
迫るフィリエーナを迎え撃とうと反射的にあぎとを広げた獅子王の突進を、同じ要領で斜め横にかわし、その胴体を炎の拳でぶん殴った。
「アリエル!」
獅子王の術者である環が行動を起こす前に、アリエルの炎による攻撃で術者の機先を制するフィリエーナ。
その間に、先の攻撃で存在の軋んでいる獅子王の単調な反撃を、爆速の回し蹴りで避けながら迎え撃った。
苦悶の悲鳴を上げる獅子王に、炎の刃を放って止めの一閃。
リンクで地力を僅かに増した攻撃型の全力攻撃を短時間に二度もまともに受けた所に一撃を加えられては、霊力値でも劣る攻撃型の守護精霊が形を留められる筈もなく、砕かれた炎が急激に四散する。
「獅子王!」
「慌ててはいけませんわ! 大丈夫です。リートリエルはともかく、もう一人が現状足手纏いなのは変わりありませんわ。そちらを先に倒してしまえば──」
「倒せれば──ね」
「!? 接近戦とは正気ですの? 舞姫!」
自身の半減した適正値も顧みずに接近戦に持ち込んで来た誓を迎え撃つべく、蒼衣は守護精霊で仕掛ける。
「不知火!」
それに対して誓も自身の守護精霊を放ち、守護精霊同士がぶつかっている隙に更に蒼衣へと肉薄する。
不知火の劣勢は明らかだが、少しの間ならば耐えられると見ての術士本体を叩く作戦だ。
「ですが、半減している状態で私に挑むなど、愚の骨頂ですわよ!」
誓の考えを読んだ蒼衣は、この不届き者がと、烈火の如く攻め立てる。
「へぇ、なかなかいい動きだね」
その怒涛の連撃を誓は次々とかわし、いなし、時に様子見ですよと言わんばかりの反撃を試みる。
「く、このっ。何を上から」
「でも甘い。遅い。そして低い」
しかしそれも終いだと、手加減した掌底が蒼衣の顎を捉え、続いて本気の掌底が蒼衣の腹部へと突き刺さる。
いや、これでも加減はしていた。
本気なら腹部へなど入れず、顎を打ち上げた勢いを利用して倒してしまい、顔面を拳か靴底で打ち抜いている。
「かはっ」
(そんな──。どうして彼の攻撃がこんな──)
「負け、られませんわー!」
気品と根性で耐えた蒼衣が、自身の補助値を最大限に活用して多角的に屈折飛翔し、まるで反応出来ていない誓の背後を取る。
(貰いましてよ!)
飛び回りながらも徐々に溜めていた攻撃の力を一気に解放し、誓へと火を纏った拳を突き出した形で突貫する蒼衣。
だがその攻撃は、火の盾を掌に形成していた誓の想定通りに防がれた。
「そん、な──。この私の補助を受けた渾身の一撃を、真正面から受け止め……」
蒼衣は誓がまるで反応出来ていないと思っていたが、それは違う。
誓はまるで反応していなかったのだ。
蒼衣が死角を取ることを分かっていたから、惑わすような多角的屈折飛翔などには目もくれず、そちらへ意識を集中していた。
「言っただろう。低いってね」
渾身の一撃を放った直後で隙だらけの蒼衣の顔面に、誓の拳が迫る。
「っ!?」
「そこまで!」
担任の蘭華の声が響き、誓の拳はピタリと止まった。
「残念。まさかセイと同時なんてね」
同じく相手を制したフィリエーナの声に、臨戦態勢を解いて身体を向ける。
「そっちの相手は攻撃型だろ。単独戦で同時なら、状況を選ばないと単独戦闘に向かない補助型を相手にしてたこっちが遅いくらいさ」
昂った気持ちを落ち着けるように、誓もフィリエーナへ向けて労いの言葉を返した。
「そうね。あなたが今の状態じゃなければ、ね」
「この状態も含めて俺の能力さ。そこは考慮してもいいと思うよ。君だって、最高の状態で戦った訳じゃないだろう?」
互いに相手を探るように軽口を応酬する。
「まあ、そういうことにしておきましょう」
この場では最早不毛なやり取りと判断し、フィリエーナが矛を収めた。
「そんな、こんなことって。蒼衣様たちが……、赤口家が負けた?」
タイマンならともかく、ペアの勝負では赤口の勝利を確信していた取り巻きたちが驚愕の事実に慄く。
「な、納得いきませんわ!」
そんな中、蒼衣が声を荒げた。
「どうして誓さんが私の攻撃を受け止めることが出来ましたの! 私の補助も受けた渾身の一撃。私の攻撃値は確かに40%と低いですが、それでも霊力値は勿論、恐らく防御値も補助値も半減している筈の誓さんにあれ程簡単に受け止めることが出来るなんてっ」
「うむ、それはだな赤口……」
蘭華が説明しようとした所で──
「だから節穴なのよ」
フィリエーナがやれやれと割って入った。
「リートリエル。どういう意味ですの?」
「二時限目の授業にもあったでしょう。霊質の密度が高ければ高い程、下位次元の影響は受けない。つまりはそういうことよ。あなたの炎の霊質の密度より、セイの炎の霊質の密度の方が高く、しかも驚くくらい安定している。水や土使いに比べて、風や炎使いは密度を一定に保つ技術において不安定な傾向に強くある。それはあなたも私も、勿論セイだって例外じゃない。簡単に受け止めることが出来たですって? あの一連の流れを簡単な技巧と捉えたあなたの目が節穴でなくて、なんだって言うの?」
フィリエーナと蒼衣の間で、見えない氷点下の火花が散った。
「凄い会話だね。ボクたちの歳ならまだ霊力値の最大を高めるのに躍起になるのが普通だ。霊質の密度なんて、従来なら霊力値の成長が落ち着く二十代に入ってから考え始めて、三十代でやっと訓練に見合った成果が現れる事柄だよ。十代じゃとてもじゃないけど密度の成長が霊力値の成長に追いつかない。密度に関しては訓練をしなくてもある程度の低ラインを割ることはないけど、鍛えた筈の密度が、霊力値の成長と共に殆ど前と同じになることなんてザラだからね」
「とは言っても、AクラスやSクラスにいない人たちの成長速度なら、二十代から始めた方が効果的でしょうけど」
その様子を外野として観ていた慧と希が言葉を交わす。
「補助型のあなたなら他の特性と比べてまだ安定し易い筈だけど、それでも一朝一夕で高められる技術じゃないのは私たちの祖先も証明しているわ」
補助値100%なら、霊質十なら十一に、二十なら二十二まで上げられる。
そうは言っても、あくまで自身の現状の霊質が基本となるため、特異能力やリンクで補助値だけ上げればいいという簡単な話にはならない。
「全く、本当に残念ね。せめてあなたが頑張って二度復活させてくれれば、私で三度目を見れたかもしれないのに」
本当にやれやれ困ったものねという風に、フィリエーナが視線だけを誓に移す。
「……おい待て」
「あら何かしら?」
疚しいことなど何もないわよという風で、フィリエーナが身体ごと誓へ向いた。
「アリエルの意識が妙にこっちを向いてるからまさかとは思っていたけど……、もしかしなくても、やる気満々だったのか?」
「当然でしょ。セイと敵の立場で模擬戦したら二度はともかく、三度なんてまず破壊させて貰えないでしょうし。かと言って、あなたと本気の勝負や本気の助け合いなんて立場上難しいもの。となれば、あなたの本気を見れる機会なんて限られるじゃない」
本当に残念そうに、心の熱さを火消しするフィリエーナ。
(意外と逞しいなコイツ)
先日は割合感情的な面を多く見たせいか、フィリエーナはやや精神的な脆さを抱えていると感じていた誓だったが、ここに来て考えを改める。
「ふぅ、全く何言ってんだよ。そんな心配しなくても、友人がピンチの時は本気で助けに行くさ」
そしてとりあえず、友人として本気で助けることに厭はないと正直な気持ちを伝えた。
「な……。あ、ああ、あなたいきなり何言って」
「え? おかしなことは言ってないだろ? 友人を助けに行くんだ。家とか関係ないと言えない立場なのが辛い所だけど」
途端に赤くなって挙動不審になったフィリエーナに疑問を抱きながら、現状の心苦しい気持ちをも伝える。
「へ? そ、そう友人としてね。友人として……、ふふ、はぁ」
(びっくりさせないでよ、もぅ)
勝手に勘違いして慌てて疲れたフィリエーナは、力なく笑って肩を落とした。
「いいでしょう。今回は負けを認めて差し上げます。ですがいい気にならないことですわ。これが模擬戦でなかったなら──」
「蒼衣様。その先は言っても負け犬の遠吠えにしかなりませんよ。模擬戦なんですから次頑張りましょう」
環が蒼衣をなだめ、授業は滞りなく進むこととなった。




