帝都に広がる噂
その日、帝都には1つの噂が流れていた。
城の重鎮が魔物にされてしまい、皇帝陛下はやむなくこれを排除したそうだ。魔物にさせられたのは人族のみ。獣人達には何も被害はなかった。
人族に恨みがある種族の仕業、しかも人を魔物に変えると言う聞いた事もない残虐な所業、そしてシルベスタ王国では噂になっている魔王の影。
人々はいつしかその犯行は魔王もしくはその配下の魔族の仕業ではないかと結び付けようとする噂が、新たな噂へと派生していった。
昼前、城の外の騒ぎの報告を受け、皇帝陛下、皇后、宰相の3人は皇后の執務室に集っていた。3人の表情は明るいものではなかった。
「やられたな……」
「ええ。城内で起きたのが昨夕なのに、昼前には帝都内で噂になっていたようですね。いくら何でも拡散が早すぎます」
「私に来た報告では、第3騎士団の中の数名が行方知れずだそうよ。間違いなくあれらは彼らの手先だったのでしょうね。街に探りを入れたところ、やはりあれの信者だと裏の取れた者が駆けまわっているそうよ。ご丁寧に近頃評判の悪いドルエス商会も加担していたと。分かり易過ぎるトカゲの尻尾切りねぇ」
昨日の元大臣2名の脱獄からの魔物化と排除、その事件がすでに帝都内に広まってしまっていた。ご丁寧に天人教幹部からは2名に多額の助成金を寄付していたその金の行方はどうなったのかと嘆いているなどと信者に零していた。
「これでは皇家が"奴等が着服して私腹を肥やしていた"と言っても、実際には皇家や上の者が使い込んでいたのを丁度いなくなった2人に擦り付けたと疑う者が出る……いえ、教団がそう誘導するでしょうね」
「まぁ、やってくるだろうな。めんどくせぇ」
「それでも公表しないわけにはいきません。獣人の国であるニューグロー共和国への謝罪を公表するにあたって、この2名の悪行を晒さねば私達に正義はありません」
「ベイユ、今わかるだけでいいからあの2人の悪行をまとめておけ。それが出来次第俺が帝都で直接国民に伝える。護衛の選抜と、解放された獣人らの中で同行・証人として名乗り出てもよいという者がいないか聞いておけ。件の獣人らには絶対に無理強いしないよう、担当者に徹底しておけよ?」
「はっ!」
ベイユ宰相は一礼して、すぐに部下を連れて退室した。
「ここはあなたが真正面から堂々と言うのが一番でしょうね」
「ああ。だから、国民への説明も真向からいくぜ!」
「あら……では、場所は教団建物そばの噴水広場かしら?」
ダーラ皇后はクスクスと笑っている。その答えが間違っていないと、妻として参謀として長く隣を努めてきた彼女にはすぐに分かったようだ。
「例え襲い掛かってきても全て守ってみせるさ。まぁ、奴らは狡猾だからな。そう尻尾を掴ませるような行動はしてこねぇだろうけどよ」
「あなたも、ご自身もお守りくださいね」
「心配するな。ヒバリにもらったローブも持って行くさ」
「……ヒバリさんねぇ。頼ってしまうのは心苦しいですが、同行させる獣人達の分だけでもローブを頂けたら安心なのよねぇ」
「命には代えられねぇんだ、ここは頼らせてもらおう。今から俺が頭下げてくるが、ダメだったらきっぱり諦めるさ」
「サリスも、本当はこうやって巻き込みたくなくてすぐに言わなかったのでしょうね。後であの子にも謝りに行きましょう」
本人に超人的な戦闘能力はないのに、これ以上ないほど便利な能力がありすぎて、権力者にとっては非常に危険な人物となっているヒバリのアンバランスさが扱いづらい。
それでもこうして頼ってしまう弱さに、ダーラはそっと溜息を零した。
その頃ヒバリは朝から隷属化の解放に勤しんでいた。
今日も20を超える人が順番待ちをしていた。昨日までと違うのは、今日からついに獣人以外の人族も到着していた。人族は全員女性で、案の定肉体も精神も嬲られ弱り切っていた。
解放後は即座に女性だけのスタッフに任せて別室へと運ばれ、まずは自害されないように落ち着かせるよう癒し続けた。廊下への扉が開かれると時折聞こえてくる叫び声に、ヒバリ達は今日も心を痛めていた。
「今日は一段とその……アレですね」
「こればっかりはねぇ」
「はやく、良くなるといいですね」
女性12人の解放が終わり、次は男性となるので手の空いたユウと沙里ちゃんが休んでいた俺の方に来たので、何となく部屋の外の様子を話題にしてしまった。これは失敗した。この話題は掘り下げると色んな意味で危険だ!
「あ、そうそう。なんか城内の人達もバタバタしてるよね。何かあったのかな?昨日の騒ぎの続きならちょっと気になるな」
人を魔物に変えるなんて尋常じゃないから、何か分かったら教えて貰えるといいんだけど。人肉が腐ったように落ちていく……しゃべるどころか完全に意識もなかったみたいだし、どういう仕組みだったのか、どういう経緯でそうなったのか、発動キーは何だったのか、分からない事だらけだ。
……しまった。今度は別な意味で暗い話題を引っ張り出しちゃってた。あの光景はあまり思い出したくないし、食事時には言わないように気を付けなきゃなぁ。
「あ、ほら。次の男性陣の準備が終わったみたいだ。さぁ、一気に終わらせちゃおうか!ちょっと遅くなったけど、終わったら昼ご飯にしよう!」
丁度騎士さんが次の人を連れて来てくれたので、変な話題を出しておいて自分からそれを打ち切って次へと行かせてもらった。ちょっと狡いとは思うけど勘弁してもらおう!
今日連れて来られていた全員を解放し、今日は人数がちょっと多かったので無理せず部屋に戻って休んでいた俺達の部屋に皇帝陛下が待ち受けていた。話は姫様が承ると言って、俺達は先に昼ご飯を食べる為に居住袋の中へと入って行った。
「陛下、御用があるのでしたら使いを送って頂ければこちらから伺いますのに。あまり私達を上に置く扱いはよろしくないのでは?」
「それくらいで幻滅されるなら、俺がそいつ等に敬われる魅力がなかったってだけだ。それに俺自身が頼み事をするのに上から脅すような真似が嫌いなだけだ」
「おじ様が信念に基づいての行動でしたらこれ以上は申しませんが……頼み事とは、どういった内容でしょうか?」
ノーザリスの体面に座っていた陛下が、部屋の壁に立て掛けられた布…いや、居住袋に視線を送る。その視線だけでノーザリスは察し、こうなってしまう事態に割り切れない表情を隠せなかった。
「ヒバリさん、ですか?」
「ヒバリと、ユウとベラと言ったか?2人にも頼みがあって来た」
予想外の2人の名が挙がった事で怪訝な面持ちへと変化してしまった自分に気付き、内心慌てて取り繕うノーザリスを見て陛下は少し間を置いてから事情を話しだした。
「今日の朝から街ではある噂が流れていた。それが昨日のあの2人の事だ」
城内で起きた事件が何故こうも早く広まったのか、その噂が事実に嘘を織り交ぜて流されているので、皇帝陛下自らが説明に赴き、そこで実際に隷属化された獣人らに証人として同行してもらうという。
すでに幾人かの獣人が証人として立つのを受けてくれたのだが、そこで天人教の奴等がまた何か仕掛けてくる可能性も考えて、ヒバリに人数分のローブを作ってもらえないか、というものだった。
「魔物にされたあの2人だが、水面下で天人教を国教として認可されるよう他の文官をかなり取り込んでいたようでな、そいつ等を解任・処罰したら人員不足でダーラが怖い…っと、今はそれは関係ないな。
帝国として宗教の自由はあっても天人教を国教にするつもりはない、どの宗教だろうと酷い勧誘や他者を害する行為は厳罰を処す、と改めて宣言したい。その為に手を貸してくれる者に少しでも危害が及ばぬように出来る限りをしておきたい。頼む」
がばっと勢いよく頭を下げて、その姿勢のまま動かない。
「いえ、私に頭を下げられましても。それと、まだユウさんとベラさんの件をお話頂いてませんが……」
「姫様、ここはもう3人をお呼びした方がよろしいかと存じます」
「そうね。トニア、お願い」
「少々お待ちください」
一礼して居住袋の中に入って行くトニアを見送り、そこで未だに頭を下げたまま動かない陛下に気付き、慌ててやめてもらえるようにと懇願するノーザリスがいた。
「お待たせしました。俺達をお呼びだそうで、簡単な事情はトニアさんに説明して貰いました」
「ボクとベラは別件だって聞いたんですけど?」
「……」
昼ご飯を慌ててかき込んで出て来たため、ベラはまだ口をもごもごと動かしていたが、不敬には取られないからとそのままユウの座る椅子の後ろに立っていた。
「食事中すまんな。ヒバリにはこれから人数を確定したのちにローブを用意してもらえるか?先の契約破壊で魔力消費がきついだろうしな、出来る限りの数を揃えてもらえると助かる」
「急ぎなんですよね?予備があるので、20人以下ならすぐ用意出来るから大丈夫ですよ」
「そうか!済まない、恩に着る。あれが有る無いとでは護衛の難度が桁違いだから助かる。報酬は……済まんがまた今までの上乗せにさせてくれ」
「それならいっそ、自分も付いて行きましょうか?レーダーマップを使って警戒すれば、どこかに潜んでても分かりますからね」
「む!そうしてもらえるなら護衛の穴をほぼ潰せるが……いいのか?」
ちらっと姫様を見た陛下が、溜息で返されて苦笑する。
「では、改めて頼む!ヒバリは俺の馬車の中にいるだけでいい。襲撃されても決して外には出ないでくれ」
「分かりました。では次はユウとベラの件ですかね」
俺への話は終わったとばかりに隣の椅子に座るユウへの説明を促す。
自分への話になるとあって、急に背筋を伸ばす2人。
「ユウとベラに依頼したいのはこの後の話だ。現状、お前達の働きによって多くの者が隷属化を解かれ、その体を癒している。だが、連れ去られた獣人は多くが帝国で暮らしていたわけではない。
そこで、彼らの体力が戻り次第すぐに彼らの故郷ニューグロー共和国へ送り届けてやりたいんだ。すでに親書は送っているのだが、送る時に何かあってはまた新たな火種になりかねん。
その護衛として2人に依頼したいのだ。召喚勇者としての高い戦闘力を誇るユウ、ニューグロー共和国の狼人族でも高い地位にある氏族長の娘であるベラトリス。2人の力を貸してほしい」
え?ベラって偉い所の族長の娘だったの!?
それってつまり、お嬢様って事か!
「うわー、もうそこまで調べがついてるんだ!さすが皇帝陛下ですね!」
「ユウは知ってたんだ?」
「うん。でも、それが知られちゃうと色々まずい事になりそうでしょ?だから内緒にしてたんだよー」
姫様もだけど、要人がいるなんて知られたら碌な事にはならいか。確かにそれが賢明だよな。
「ボクは構いませんよ。だって元からベラを故郷まで送るためにここまで付いてきたんだもん。ね、ベラ」
「はい。ベラは、国に戻るために、今ここにいます。同胞と一緒に、帰りたいです」
「そうか、これで彼らも心強いだろう。護衛としての依頼料は払うから遠慮なく受け取ってくれ。予定だと2日後になるだろうな。これ以上は一度に移動するには多すぎる。まずは第1陣が無事に送られるのが重要だから、残りはまた次の便を用意する
ああ、賠償の品も乗せるが、それらの監視はこっちが付けた騎士に任せればいい。2人は襲ってくるモノがいたら排除してくれ」
「了解!」 「(コクッ)」
この後、すぐに演説の準備へと戻る陛下におにぎりを持たせ、
準備が出来たら呼びに来ると言って慌ただしく部屋を出て行った。
「では、私達も出る準備をしましょう」
「え?俺が出掛けるだけですよね?」
「ヒバリさん1人に行かせるわけにはいかないでしょう?」
「ピィリもいくよ!」
いつの間にか居住袋から出て来たピーリィが、いつものように俺の背中に飛び付いた。片付けをしていた沙里ちゃんも、ピーリィと一緒に畑仕事をしていた美李ちゃんも一緒だ。
「お話の邪魔をしちゃ悪いと思って、出口前でこっそり聞いてたんですよ」
「美李たちは空気が読めるイイオンナだからね!」
美李ちゃんが変な言葉を覚えてるぞ?
教えたのは誰だ?……あれ?姫様が目を逸らした。まさか!?
「い、いえ!私ではありませんよ!?その、ニングが……」
あーニングさんかぁ。前に食事した時少し酔ってたから、きっとその時何か話してたんだろうなぁ。あまり変な言葉は教えないでほしいなぁ。
「って、そうじゃなくて。陛下について行くのは俺だけですよね?陛下の馬車に乗るんだから人数だってそうは乗れませんよ?」
俺以外がきょとんとするメンバー。
あれ?俺、何か変な事言った?
「ヒバリさん、人数制限なんてそこに入っていればいいじゃないですか」
姫様の指差す先には、さっき皆が出て来た居住袋が立て掛けられていた。
ほかの皆もだよねーと言わんばかりに見ている。
「それもそうか。人数なんていくらでも……じゃなくて!俺が受けたのに勝手に人数増やすのはまずいんじゃないんですか?危険があるかもしれないから俺だけに依頼したんだし、相手は皇帝陛下なんだから、せめて断わりを入れておかないとでしょ」
「危険があるかもしれないからこそ同行するのです。それに、出発前に言うので心配いりませんよ。おじ様の首を縦に振らせる自信があります!」
それって、出発前のどさくさに紛れて有無を言わせず乗り込むって作戦ですよね?その時の陛下を想像して、今から同情しちゃうよホント。
「とにかく、だ。今は予備のローブを出して、ついでに色違いをいくつも作って統一感を出さないようにしてみるか。時間もないからさっさと始めないと!」
ベラの実家やこれから出掛ける為の話できゃあきゃあ騒ぐ女性陣からそっと抜け出して、居住袋の室内でせっせとローブ作りを始めるヒバリだった。