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第69話 万象器は何をしているのか

 ホワイトハウス地下、極秘危機対応会議室。

 先ほどまで世界中を熱狂とパニックの渦に叩き込んだ、ロンドン・サザビーズ本店での「万象器」発表会見から数十分後。


 堅牢な防爆扉に守られたこの空間の空気は、完全に凍りついていた。


 会議室の壁面を覆う巨大なマルチモニターには、人類の築き上げてきた『価値』という概念が、音を立てて崩壊していくリアルタイムの光景が、無機質なデータとして並べられていた。


 中央のスクリーンには、エドワード・フェアチャイルドが万象器を発表した瞬間の映像が、リプレイで繰り返し流れている。

 その隣には、アシュワース卿の残した「無限の豊穣」と「グレイ・グー現象」を記した研究ノートの高解像度スキャン画像。


 そして、部屋の空気を最も重くしているのは、壁面の右半分を占める【世界市場のリアルタイム・チャート】であった。


 ゴールド先物、暴落。

 銀、暴落。

 プラチナ、暴落。

 レアメタル(希少金属)現物市場、パニック売りにより取引停止(サーキットブレーカー発動)。

 資源メジャーおよび巨大鉱山会社の株価、軒並み急落。

 資源国通貨、売り気配のまま値がつかず。

 ……その一方で、いかなる物質的裏付けも持たない暗号資産デジタルゴールドのチャートだけが、異常な垂直上昇(暴騰)を描いて天を突いている。


「……信じられん」

 財務長官が、血の気を失った真っ青な顔で、震える手で頭を抱えた。

「まだ、あの『万象器』なる代物が本物だという科学的証明は、何一つ為されていないんだぞ。サザビーズ自身が『真実性は保証しない』と言ったばかりじゃないか! なのに、市場は……実体経済は、完全に崩壊の第一歩を踏み出している!」


「本物かどうかなど、市場にとってはもはや関係ないのです」

 国家安全保障補佐官が、冷や汗を拭いながら言った。

「“本物かもしれない”という疑念。ただそれだけで、何千年と人類が信じてきた『希少性』という前提が消え去った。……市場は、ファンダメンタルズではなく、恐怖で動いている」


 国防長官は、経済のチャートから目を背け、別のモニターに映るロンドン周辺の衛星画像を険しい顔で睨みつけていた。

「問題はカネだけではない。……あの装置が『無限の兵站』を生み出すという一節だ。弾薬も、装甲も、軍馬も無限に複製できるとなれば、ロシアと中国が黙っているはずがない。すでに、両国の特殊部隊や非正規の民間軍事会社(PMC)が、ロンドンに向けて動き出している兆候がある」


「CIAのロンドン支局は、すでにサザビーズ周辺とアシュワース財団の監視態勢に入っていますが……」

 CIA長官が、忌々しげに舌打ちをした。

「世界中の大使館、裏社会のブローカー、さらには各国の巨大財閥の代理人たちが、一斉に招待状を求めて暗躍を始めている。……ロンドンは今、見えない第三次世界大戦の最前線です」


 キャサリン・ヘイズ大統領は、円卓の最上座で、両手を組んだまま、暴落を続ける金のチャートをじっと見つめていた。


「……最悪だわ」


 彼女の口から、地の底を這うような、重く苦い声が漏れた。

「軍事兵器なら、力で封じ込められる。不老無病の仙人なら、外交と暗殺のテーブルに乗せられる。

 ……でも、これは。すべてを創り出す機械なんてものが市場に出回れば、人類社会のルールそのものが終わる」


 ヘイズは、顔を上げ、手元の特権コンソールを操作した。


「アルファ。ケンドール博士。……繋がっているわね?」


 十一次元量子暗号通信が開き、メインモニターの中央に、セレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファと、科学主任であるドクター・ケンドールの姿が映し出された。


 アルファはいつも通り、深い影の中で一切の感情を見せない冷静な佇まいであった。

 対して、ケンドール博士の表情は、科学者としての知的好奇心と、人類としての根源的な恐怖がないまぜになった、極めて硬いものだった。


「アルファ。ケンドール博士。……説明して」

 ヘイズは、苛立ちと焦燥を隠すことなく、画面の二人に問い詰めた。

「今、世界がサザビーズで見せられたものは、一体何なの?

 ゴールドを作る機械? 資源国の息の根を止める機械? それとも……地球を灰色の塵に変える機械?」


 アルファは、ヘイズの感情的な問いに対し、氷のように冷たく、短く答えた。


「最悪の予想通りです」

 アルファの瞳が、僅かに細められる。

「……ただし。まだ『断定』はできません」


「断定できないものが、もう世界の市場を壊しているのよ!」

 ヘイズが、机を強く叩いて語気を荒げた。

「分からない、で済む段階じゃないわ! あれが本物なら、アメリカ合衆国がこれまで築き上げてきたドル体制も、資本の力も、すべて紙屑になるのよ!」


 その大統領の怒号を。

 画面越しのケンドール博士が、極めて冷静な、学術的なトーンで引き取った。


「……大統領。落ち着いてください。

 『レプリケーター(物質複製・生成装置)』というものは、我々科学者から見れば……SFサイエンス・フィクションの技術としては、非常によく聞く部類の概念なのです」

 ケンドールは、眼鏡の位置を直し、淡々と言った。

「一般的に有名なのは、『スタートレック』に登場するレプリケーターでしょうか。何もない空間から、アールグレイの紅茶でも、機械の部品でも出力できる夢の機械です」


「……ふざけないで」

 ヘイズは、その場違いな単語に、即座に冷酷な声で遮った。

「ケンドール。私は今、あなたと優雅なSF談義をするために、この危機対応会議を開いているわけじゃないわよ。これは、現実に、ロンドンで起きていることなの」


 大統領の明確な怒り。

 だが、アルファが静かに、それを制止した。


「大統領。……だからこそ、SFが【お手本テキスト】になるのです」


「……なるほど?」

 ヘイズは、アルファの言葉の真意を測るように、目を細めた。


「人類は、現実の科学がそれに追いつく遥か前から……『もしこんな魔法のような技術があったら、社会はどう壊れるか』という夢と悪夢を、SFという形で想像し、シミュレーションし続けてきました」

 アルファは、静かに語る。

「レプリケーターにも、必ず【制限リミット】があります。……エネルギー、材料の保存則、情報処理能力、テンプレートの有無、認証システム、廃熱、そして制御限界。

 ……万能に見える技術アーティファクトほど、我々はまず、その『制限』を探すべきなのです」


 ヘイズは、小さく息を吐き出し、冷静さを取り戻した。

「……つまり。あの万象器が『何ができるか』に怯えるのではなく、まず『何ができないか』を分類し、探り当てるということね」


「その通りです」

 アルファが頷き、ケンドールに視線で合図を送った。


「では、説明を始めます」

 ケンドール博士は、手元の端末を操作し、会議室の巨大モニターにスライド資料を表示した。


 見出しには、こう書かれていた。

『REPLICATOR CLASSIFICATION / EXISTING TECHNOLOGY OUTSIDE FRAMEWORK』

(レプリケーター分類 / 既存技術外枠組み)


「レプリケーターと一口に言っても、魔法ではありません。物理的、あるいは超物理的なアプローチによって、少なくとも【五種類】の基本分類が存在します」

 ケンドールは、大学の講義のように、しかし世界の命運を懸けた重みを持って語り始めた。

「エネルギーを直接物質化する型。原子核を変換する型。分子を組み替える型。別位相から物質を取り出す型。情報テンプレートに従って原料を再構成する型。

 ……さらに、これらを超える上位分類として、『概念変換型』『量子確率選別型』『原本コピー型』、そして『惑星開発用の制限ツール型』も、考慮すべきモデルとして存在します」


 会議室の全員が、その言葉の重みに圧倒されながらも、手元の端末にメモを取り始めた。

 財務長官の顔に、ほんのわずかだが「種類(制限)があるのか」という安堵の色が浮かぶ。


「では、第一の分類からいきましょう。……【分類1:エネルギー直接物質化型】」


 ケンドールがスライドを切り替える。

「通称、E=mc²型。あるいは『神の釜』型です。……これは、莫大なエネルギーを、そのままダイレクトに質量(物質)へと変換するタイプです。

 理論上は、原料となる物質は一切不要です。無から、ゴールドも、水も、食糧も、レアメタルも創り出せる。これがあれば、人類から『資源』という概念が完全に消滅します」


「素晴らしいじゃないか」と国務長官が呟く。


「……いいえ。最悪です」

 ケンドールは、冷酷に首を横に振った。

「たった1グラムの物質(質量)を創り出すだけでも、現在の地球の発電所が束になっても足りないほどの、天文学的で膨大なエネルギーが必要なのです。

 ……もし、あの卓上サイズの『万象器』が、本当にエネルギーをそのまま物質化しているのだとすれば。問題は、金価格の暴落などというチャチなレベルではありません」


 ケンドールは、国防長官を真っ直ぐに見据えた。

「人類は今、卓上サイズに【恒星の炉(あるいは反物質対消滅炉)】を押し込んだ、異常な上位文明の産物と向き合っていることになります」


 国防長官の顔色が一気に蒼白になった。

「……つまり、万象器本体の機能よりも、それを動かしている『動力源』の方が、遥かに危険だと?」


「はい」

 ケンドールが頷く。

「反物質、ゼロポイント・エネルギー、真空の相転移、あるいは我々の全く知らない高次元のエネルギー源……。どれであっても、一つ間違えば地球そのものが吹き飛びます」


「このタイプであるならば」

 アルファが、静かに補足した。

「万象器は、資源問題の解決策などではない。……いつ爆発するか分からない、【制御された恒星災害】です」


 会議室に、冷たい絶望が走る。


「次に、【分類2:原子核変換型】です」

 ケンドールは、容赦なく次のスライドへ進む。

「通称、錬金術型、あるいは核変換型。

 これは無から有を生み出すのではなく、物質の『原子核』の陽子や中性子の数を直接操作し、別の元素へと作り替えるタイプです。

 鉄を金へ。鉛を金へ。酸素をシリコンへ。安い元素を、高い元素へと直接変換します」


「まさに錬金術だな」

 財務長官が、震える声で言う。


「ええ。これなら金やプラチナ、レアメタルを自由に生成でき、市場の希少性は完全に破壊されます。

 ……しかし、この型にも強烈な【制約(副作用)】があります」

 ケンドールは、警告するように指を立てた。

「通常、原子核を操作すれば、莫大なエネルギーの放出、致死的な放射線、中性子線、そして多量の『放射性同位体』と『廃熱』が発生します。

 もし万象器が鉄を金に変える装置なら、我々がまず確認すべきは、生成された金の『同位体比率』です。それが自然界の金と全く同じ分布をしているなら、単純な核変換では説明がつかない高度な技術が使われていることになります」


「待て、博士」

 国防長官が、核という言葉に鋭く反応した。

「原子核を自由に変換できるということは……ウランやプルトニウムといった【核兵器の材料】も、その小さな箱一つで無限に作れるということか!?」


「はい。当然、可能です」

 ケンドールは即答した。

「……強固な【安全ロック】が、設定されていなければ、ですが」


「“なければ”、という言葉が、この状況で一番最悪ね」

 ヘイズが、忌々しげに顔をしかめた。


「はい。もしこの型であり、かつ安全ロックがないのであれば。万象器は、世界の核不拡散体制を完全に破壊し、周期表そのものを私物化する悪魔の装置です」

 アルファが、冷酷な評価を下す。


「では次。【分類3:分子再構成型】」

 ケンドールの説明は止まらない。

「通称、ナノアセンブラ型、あるいは分子プリンター型。

 これは、原子(元素)そのものは変えられませんが、既にある物質を材料インクにして、分子の結合構造だけを物理的に組み替えるタイプです。

 ……空気中の炭素、窒素、水素、酸素を集めて、食品(肉やパン)を作る。砂や岩から建材を作る。廃棄物から、高度な医薬品や樹脂を作る」


「それなら、まだ理解できる範囲だな」

 国家安全保障補佐官が、少しだけ安堵したように言った。

「既存の3Dプリンターの究極系だ。材料となる元素がなければゴールドは作れないわけだ」


「ええ。分子再構成型であれば、まだ人類の理解圏内(延長線上)の技術です」

 ケンドールも同意する。

「怖いですが、原料と、動力エネルギーと、設計図テンプレートという【制限】で縛ることができる。

 ……ただし」


 ケンドールの声が、スッと温度を下げた。


「もし、この機能が装置の内部に留まらず、外界に放たれる【自己複製機能(ナノマシンの群れ)】を持っていたならば。……話は全く別です。

 それはもはや、便利な工場ではありません。無限に増殖して世界を食い尽くす、【災害】です」


 グレイ・グー。

 会議室の全員が、先ほどのサザビーズの会見で読み上げられた、アシュワース卿の研究ノートの恐ろしい一節を思い出した。


「アシュワース卿が、“灰色の塵芥ダスト”と書き残したということは」

 アルファが、静かに指摘する。

「彼は、この型の万象器がリミッターを外して『暴走』した結果を、実際に見たか、あるいは理論的に予測した可能性があります」


「……つまり」

 ヘイズは、血の気の引いた顔で呟いた。

「砂漠に緑の楽園を作る魔法の道具と、地球を灰色の塵に変えて食い尽くす最悪の災害は。……全く同じ『分子組み替え』というメカニズムの、表と裏に過ぎないということね」


「はい。その通りです」

 ケンドールは、残酷な真理を肯定し、次のスライドへ進んだ。


「これに付随して、【分類4:原料回収・再配列型】というものがあります」

 ケンドールは説明を続ける。

「通称、完全リサイクラー型。

 廃棄物、土、海水、大気、岩石などから、必要な元素だけを広範囲から強制的に回収(吸収)し、それを再配列して目的の物質を作るタイプです。

 ……もし万象器がこのタイプなら、確かに砂漠を黒土と清水の楽園に変えることは可能です」


「だが、質量保存の法則は守られる、ということだな?」

 科学顧問が口を挟む。


「はい。1トンの建材を作るには、必ずどこかから1トン分の材料(元素)を集めなければなりません」

 ケンドールは、重大な【環境への代償】を提示した。

「つまり……万象器が楽園を作る時、その楽園の材料は、必ず『どこか他の場所』から奪われているのです。

 砂漠を肥沃にした分、そのツケとして、周囲の海や、地下の岩盤や、大気中から、致命的な量の水分や元素が強引に抜き取られているはずです」


「局地的には環境修復に見えても……広域で見れば、星そのものを破壊する異常な環境収奪になる可能性があるということか」

 科学顧問が、戦慄して言う。


「……つまり」

 ヘイズは、ため息をついた。

「神が作る楽園にも、必ず『請求書』が来るということね」


「必ず、来ます。宇宙にタダ(無)から生まれるものはありませんから」

 アルファが、冷たく言い切った。


「では、その請求書を『別の場所』に押し付けるタイプです」

 ケンドールは、【分類5:位相空間ストック型】を表示した。

「通称、異次元倉庫型。

 これは、万象器自身が物質を『作っている』ように見えますが……実際は、別の位相空間(次元のポケット)にあらかじめ保存されている莫大な物質を、ただゲートを開いて『取り出している』だけのタイプです。

 これなら、出力速度は異常に速く、見かけ上のエネルギー消費も少なくて済みます。金でも水でも、ボタン一つで無尽蔵に出てくるように見える」


「ストックが尽きれば終わり、という制限があるわけだな」

 国防長官が言う。


「最悪なのは、ストックが有限かどうかではありません」

 ケンドールが、首を横に振る。

「最悪なのは……万象器が物質を“作っている”のではなく、どこかから“持ってきている(転送している)”場合です。

 ……その場合、我々は万象器からゴールドを得るたびに。どこか別の場所から、金を【盗んでいる】可能性があります」


「……どこか別の場所?」

 ヘイズが問う。


「異星文明の巨大な資源倉庫。他の銀河の惑星。別の位相空間。未来の地球。あるいは、並行世界パラレルワールド

 ケンドールが並べ立てたスケールの大きな候補に、会議室が沈黙した。


「この型である場合」

 アルファが、外交と安全保障の観点から補足した。

「万象器は、単なる便利な道具ではありません。……持ち主である【相手(未知の超文明)】から、勝手に資源を窃盗し続ける、最悪の『外交問題(侵略行為)』を引き起こすトリガーとなります。いつか必ず、本当の持ち主が怒って回収(報復)に来るでしょう」


「……頭が痛くなってきたわ」

 ヘイズはこめかみを押さえた。


「次に、【分類6:情報テンプレート出力型】です」

 ケンドールは、工業と軍事の前提を壊すタイプを提示する。

「通称、パターン複製型。

 これは、物質の『設計図データ』を元にして、用意された原料とエネルギーから、複雑な目的物を一瞬で生成するタイプです。

 金塊のような単純な元素の塊を作れることよりも……極めて精密なジェットエンジンのタービンブレードや、最新鋭の半導体チップ、高度な医薬品、あるいは兵器そのものを、『データ通りに完璧に生成できるか』の方が、この型の本質です」


「つまり、設計図のデータ(テンプレート)がなければ、何も作れないという強力な制限があるわけだな」

 CIA長官が、インテリジェンスの観点から確認する。


「はい。ですが、逆に言えば……テンプレートのデータさえ手に入れば、誰でも高度な工業製品や兵器を量産できるということです」

 ケンドールが答える。

「敵国の最新鋭の戦闘機を、何十機も盗み出す必要はありません。……部品を一つだけ万象器に読ませ(スキャンさせ)、そこから構造データを推定できれば、あとは無限に出力できる可能性があります」


「国家機密という概念が、根底から変わるな……」

 国防長官が、ロシアのサイボーグ兵の部品をスキャンされる未来を想像し、顔を強張らせた。


「もし万象器がこのテンプレート型であるならば。……これからの世界を支配するのは、資源の量ではなく、純粋な【設計図データの保有数】になります」


「ここまでが、ある程度物理学の延長で説明できるレプリケーターの分類です」

 ケンドールは、少しだけ言いにくそうに、次のスライドへ進んだ。

「……ここから先は、セレスティアル・ウォッチの分類で言えば『準物理外(オカルト領域)』に足を踏み入れます」


「【上位分類1:概念変換型】」


「……名前からして嫌ね」

 ヘイズが顔をしかめた。


「物理的に元素や分子をいじるのではなく、対象の【意味(概念)】そのものを、システム側から強制的に書き換えるタイプです」

 ケンドールは、魔法のような現象を解説する。

「鉄を金に変えるのではありません。……宇宙の法則に対して、『これは鉄ではなく、元から金である』とシステムがハッキングして認めさせるのです。

 偽物を、真実の来歴を持った本物として成立させる。

 不毛な砂漠を、『ここは肥沃な土地である』という概念で世界ごと上書きする」


「それは……経済的には、何が違うんだ?」

 財務長官が、混乱した頭で問う。


「最悪です」

 ケンドールが即答する。

「通常の物質生成(核変換など)であれば、同位体の比率や結晶構造を顕微鏡レベルで調べれば、『これは人工物(偽物)だ』と判別できる可能性があります。

 ……しかし、概念変換型の場合。対象は【来歴(歴史)ごと本物】に書き換えられるため、科学的な鑑定でも絶対に偽物だと見抜けなくなる可能性があります」


「……価値の崩壊は、もはや副作用ではありません」

 アルファが、極めて重い事実を告げた。

「この型において、価値の崩壊こそが、装置の【本質(主目的)】となります」


「つまり……サザビーズの美術品市場が最も怯えている、『本物とは何か』という前提が完全に消滅する問題ね」

 ヘイズは、人類の文化が内側から崩れる音を聞いた気がした。


「はい。さらに、これに似たものとして【上位分類2:量子確率選別型】があります」

 ケンドールは説明を急ぐ。

「通称、可能性収束型。

 万象器が物質をゼロから『作る』のではなく……『その物質が、偶然ここに存在する可能性がある世界線(確率)』を、強制的に引き寄せて選別(確定)するタイプです。

 極めて低確率な物質配置や、奇跡的な化学反応を、100%の確率で成功させます。完全に不可能なもの(魔法)は作れませんが、『あり得る範囲の最高の奇跡』を常に引き起こすことができます」


「それの、何が問題なんだ?」


「問題は、【反動】です」

 ケンドールは、恐ろしい代償について語った。

「万象器がこの型である場合、出力された物質だけを見ても、危険度は一切分かりません。

 ……問題は、選ばれなかった『負の可能性の残骸』が、どこへ行くかです。

 万象器が都合の良い確率を固定化し続ければ、世界のどこかで、確率の歪みのシワ寄せとして……あり得ないような大事故、建造物の崩壊、異常気象、遺伝子の突然変異が頻発する可能性があります」


「ここでゴールドを出して喜んだ分、どこかの都市で、隕石が落ちるような不運の帳尻合わせが起きるかもしれない、ということか」

 CIA長官が戦慄する。


「はい。因果律に借金をして物質を引き出す機械です」

 アルファが冷たく言った。


「そして、【上位分類3:原本コピー型】」

 ケンドールは、最もシンプルな恐怖を提示する。

「通称、宇宙のコピー機型。

 これはゼロから物質を創造するのではなく、既に存在する物質や物体をスキャンし、その完璧なコピーを無限に複製するタイプです。

 ……金塊のコピー、宝石のコピー、美術品のコピー、最新兵器のコピー。

 制約としては、『原本オリジナルがなければ作れない』こと。壊れた原本をスキャンすれば、壊れたコピーしか出ません」


「もしこれが原本参照型であるなら」

 ケンドールは、重大な指摘をした。

「世界で最も価値を持つのは、万象器そのものではありません。……万象器に一度でも読ませることのできる【完璧な原本オリジナルデータ】を保有している者です」


「……なるほど」

 CIA長官が、深く腑に落ちた顔をした。

「アシュワース卿が、膨大な資金を使って、長年にわたり世界中の稀覯本や歴史的遺物コレクションを集め続けていた理由が、それで説明がつく。

 彼は美術品を集めていたのではない。万象器に読ませるための【究極のテンプレートの束】を、死ぬまで集め続けていたんだ」


「はい。彼はコレクターでありながら、万象器の『弾薬庫』を構築していた可能性があります」

 アルファが同意した。


「……これで最後です」

 ケンドールは、大きく息を吐き、最後の一枚のスライドを表示した。


「【上位分類4:惑星開発用制限ツール型】」


 ケンドールは、これまでの分類とは少し異なる、システムそのものの『目的』についての仮説を提示した。


「通称、文明支援端末。あるいは、管理者ロック付きレプリケーター。

 ……これは、超高度な異星文明が、未開の惑星や災害で荒廃した惑星を、短期間で『居住可能テロフォーミング』にするために持ち込む、実務的な道具です。

 土壌を改良し、水を作り、建材を生成し、医療資材や簡易な機械部品を出力して、コロニーの基盤を整える。アシュワース卿のノートにあった『地上の楽園を作る』という機能に完全に合致します」


 ケンドールの声に、科学者としての熱がこもる。


「ですが、この型の最大の特徴は……【制限(安全ロック)】です。

 文明を支援するための道具である以上、本来であれば、自滅を招くような危険物は作れないようにハードコードされているはずです。

 核物質は作れない。自己複製機械グレイ・グーの作成は禁止。強力な兵器の出力は不可。一定以上の質量の一括生成には制限がかかる。

 ……そして何より、正規の【使用者認証ライセンス】と、強固な倫理プロトコルが存在するはずです」


「つまり……本来の万象器は、神の玩具などではなく、宇宙の開拓民が使う【安全な工具箱】だった可能性があるということか」

 ヘイズが、その現実的な仮説に食いついた。


「はい。……問題は、その工具箱から、すでに【安全ロックが外れてしまっている】かどうかです」

 ケンドールが、絶望的な可能性を口にする。


「最悪なのは、万象器が最初から『破壊兵器』として作られていた場合ではありません」

 アルファが、極めて重い言葉を会議室に響かせた。

「兵器として設計されたものなら、我々も兵器として扱い、封じ込めればいい。

 ……最悪なのは。万象器が、本来は飢餓を救うための『善意の惑星開発装置』であるにもかかわらず。

 未熟な人類が、安全ロックを破壊し、それを『無限に兵器を複製する機械』や『経済を破壊して他国を出し抜く道具』としてしか運用できない場合です」


 ヘイズは、押し黙った。

 その言葉は、アーティファクトの恐ろしさ以上に、人間の持つ果てしない強欲さと愚かさの限界を、鋭く抉り出していたからだ。


「……博士。それらを踏まえた上で」

 ヘイズは、重い沈黙を破り、核心を問うた。

「サザビーズで発表された『万象器』は、今あなたが挙げた分類のうち、一体【どれ】に該当すると見ているの?」


 ケンドールは、手元の端末でアシュワース卿の研究ノートの断片を再度スクリーンに展開した。


「記述を整理しましょう。

 ……鉄塊を黄金へ。砂漠を黒土と清水へ。空気中の塵からレアメタルを生成。無限の兵站。グレイ・グー。そして地上の楽園」


 ケンドールは、ノートの記述と自らの分類を重ね合わせた。

「これらすべてを同時に満たすとなれば……単純な『一種類』のメカニズムでは説明がつきません。

 分子再構成型ナノマシンだけでは、鉄の原子を金に変えることはできない。

 原子核変換型だけでは、砂漠に生態系を再構築するような繊細な調整は不可能に近い。

 情報テンプレート型だけでは、不足している元素をどこから持ってくるのかが分からない。

 位相ストック型だけでは、グレイ・グー(自己増殖の暴走)の説明が弱い」


「つまり?」

 ヘイズが身を乗り出す。


「……【複合型】です」

 ケンドールは、科学的結論を口にした。


「おそらく万象器は、単なる分子プリンターや錬金術の釜ではありません。

 低レベルの出力では、周辺の物質を分解・再構成し。

 中レベルの出力では、原子核の変換を行い。

 さらに高レベルの要求に対しては、位相外ストック、あるいは我々の未知の質量供給源から不足元素を強引に補い。……それらをすべて、内部の高度なテンプレートに従って完璧に構造化して出力する。


 ……つまり、これは単なる魔法の箱(工場)ではありません。

 星一つを丸ごと作り変えるための、【惑星規模の複合型物質編集端末】である可能性が極めて高いと、私は結論づけます」


「……惑星規模の、物質編集端末」

 財務長官が、その言葉のスケールに完全に打ちのめされ、顔を両手で覆った。


「工場ではなく、惑星規模の兵站装置、か……」

 国防長官が、恐れと欲望の入り混じった声で呟く。


「兵站にも使えます。……ですが、先ほども申し上げた通り、本来の目的は戦争(兵站)ではない可能性が高い」

 ケンドールは、あえて念を押した。

「本来なら、飢餓と貧困を終わらせ、人類を次のステージへと引き上げるための、善意の道具だったのでしょう」


「……でも、地球では。人類はそれを、サザビーズのオークションで『カネ』で売り飛ばそうとしている」

 ヘイズが、自嘲気味に笑った。


「はい」

 ケンドールが頷く。


「だからこそ、これは神の玩具ではありません」

 アルファが、静かに、そして残酷に断言した。

「この万象器が突きつけているのは、物質の価値ではありません。……この強大すぎる力に直面した時の、人類の【未熟さを映す鏡】です」


 会議室に、深い、そして重い理解が浸透していった。

 彼らは今、万象器が単なる「打ち出の小槌」ではなく、使い方を一つ間違えれば文明全体を自死に追い込む、極めて複雑で制約の多い『システム』であることを正確に認識したのだ。


「……制約を探すわ」


 ヘイズ大統領は、顔を上げ、冷徹な為政者としての瞳で宣言した。

「万象器が『何ができるか』に怯えるのはもう終わり。……問題は、それが『何をできないか(限界)』よ」


 ヘイズの決意を受け、ケンドールが即座に調査すべき【制約のチェックリスト】を整理して表示する。


「調査すべき項目は多岐にわたります」

 ケンドールが読み上げる。

「創造される『質量』はどこから来るのか。稼働するための『エネルギー源』は何か。莫大な『廃熱』はどこへ逃げているのか。生成された金の『同位体比』は自然か人工か。

 稼働には『テンプレート(原本)』が必要か。最悪の『自己複製機能』は備わっているか。

 ……そして何より、大量破壊兵器の生成を防ぐ『安全ロック』は存在するか。正規の『使用者認証ライセンス』はどうなっているか。グレイ・グーが発生した場合の【緊急停止キルスイッチ手段】は残されているか」


「サザビーズが公開した、あの黒焦げの研究ノートの断片だけでは、これらの答えには絶対に辿り着けません」

 CIA長官が、インテリジェンスの限界を指摘する。


「はい。正確な分類と制約を解明するためには……どうしても、【現物】を見る必要があります」

 アルファが、結論を述べた。


「だから、世界中の連中が、ロンドンへ行くのね」

 ヘイズは、深く息を吐いた。


「では、アメリカ合衆国の対応方針を決定するわ」

 大統領の号令のもと、各省庁が即座に政治・軍事・経済の行動プランへと落とし込んでいく。


「CIAは、サザビーズ関係者の秘密裏の保護と監視、アシュワース財団の徹底調査、および研究ノートの『完全版』の入手を最優先事項として動いて。オークションの招待リストの確認と、他国工作員の動向把握も急務よ」

「財務省は、貴金属市場のパニックに対する安定化措置。各国中央銀行との緊急協議。デジタルゴールド暴騰への監視強化、および資源国通貨の暴落危機への対応。……最悪の場合、主要市場の【一時閉鎖(凍結)】の可能性も検討しておきなさい」

「国防省は、ロンドン周辺における軍事リスクの評価。ロシア、中国、および民間軍事会社の特殊部隊の動向を人工衛星で完全監視。万が一、サザビーズから万象器が強奪された場合のシミュレーションと、それが兵器化された場合の迎撃想定ルートを構築して」


 閣僚たちが、一斉に立ち上がり、それぞれの部署へと指令を飛ばす準備を始める。


「アルファ。セレスティアル・ウォッチは、独自のエージェントをロンドンへ投入して」

 ヘイズは、最も信頼する影の長官に命じる。

「アシュワース卿の関連資料の再調査。万象器のタイプ分類モデルのリアルタイム更新。……そして、万が一オークションの場で暴走の兆候が見られた場合の、【物理的な封印手段】の検討を急いでちょうだい」


「了解した」


 ヘイズは、最後に、アメリカ合衆国としての【究極の方針プライオリティ】を宣言した。


「これより、我が国は……オークションでの【落札】を、最終手段おまけと位置付ける」


 その言葉に、財務長官が驚いたように顔を上げた。

「大統領! 無制限入札の宣言を撤回するのですか!?」


「撤回はしない。だが、優先順位を変えるのよ」

 ヘイズは、毅然として言った。

「あの万能の機械を、アメリカが独占して金儲けをするために動くのではない。


 まず、【分類】。

 次に、【制約の確認】。

 そして、【停止方法キルスイッチの確保】。

 ……所有権(落札)の話は、すべてを完全にコントロールできると確信した、その後よ」


 万能に見えるなら、制約を探す。

 神の奇跡に見えるなら、安全ロックを探す。

 楽園に見えるなら、請求書の送り先を探す。


「万象器を『買う』ために動くのではない。……万象器で、世界が『壊れないように』動くのよ」


 ヘイズのその力強い決意表明に。

 アルファは、画面越しに深く、敬意を込めて頷いた。


「それが、現在のアメリカ合衆国が取れる……最もまともで、最も賢明な選択です」


 会議が終了し、慌ただしく閣僚たちが退出していく中。

 ケンドール博士が、最後に一枚のスライドをメインモニターに表示した。


 そこには、太い赤字でこう書かれていた。


『UNKNOWN LIMITATION = PRIMARY TARGET』

(未知の制約こそ、最重要目標)


「大統領」

 ケンドールが、眼鏡を押し上げながら静かに言った。

「万象器は、まだ一度も、我々の目の前で物理的に【起動】してはいません。

 ……それにもかかわらず、世界市場はすでに、音を立てて壊れ始めました」


 現物が動いていないのに、世界が壊れる。

 それは、人類の経済と価値観がいかに脆い幻想の上に成り立っているかを証明していた。


「つまり、現物が起動する物理的な危険性と同じくらい……『何でもできるかもしれない』という【情報の危険性パニック】が、極めて高いということです」

 ケンドールは、科学者としての冷徹な分析を告げる。


「そして。……もし、その現物が、ロンドンのオークション会場で、本当に【起動】してしまったなら」


 アルファが、ケンドールの言葉を引き取り、この危機対応会議の最後の、そして最も絶望的な警告を口にした。


「次に壊れるのは……市場ではありません。

 【国家】です」


 一週間後。

 ロンドンで競売にかけられるのは、ただの便利な万象器ではなかった。


 それは、人類が自らの果てしない欲望と未熟さを、自分たちの手で制御できるかどうかを問う……文明そのものの、最終試験テストであった。




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― 新着の感想 ―
手に入らないなら壊そうとする馬鹿は、流石に今回はいないか・・・?
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