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第68話 価値を壊す遺産

 イギリス・ロンドン、ニューボンドストリート。

 世界最古にして最高峰のオークションハウス、サザビーズ本店。


 磨き上げられた大理石の床、重厚なマホガニーの壁面装飾、そして天井から吊るされた豪奢なシャンデリア。本来であれば、ここはルネサンス期の巨匠の絵画や、ロマノフ王朝の宝飾品、あるいは歴史的な稀覯本を巡って、世界中の富裕層が優雅な笑みを浮かべながら天文学的な金額を提示し合う、格式高く静謐な空間である。


 だが、この日の大会見場を支配していた空気は、優雅さとは対極にある、むせ返るような『異常』と『熱気』であった。


 記者席を埋め尽くしているのは、普段この場に集う美術記者や富裕層向けメディアの顔ぶれだけではない。

 分厚い専門書を抱えた一流科学誌の記者。

 タブレットで常に市場の動向を監視している経済誌の特派員。

 鋭い目つきで周囲を警戒する軍事系専門誌の記者。

 さらには、普段なら絶対にこの敷居を跨げないはずのオカルト系媒体のライターや、カメラを回し続けるネット配信メディアのクルーまでが、肩を寄せ合うようにしてひしめき合っている。


 そして、彼らメディアのさらに後方。壁際に沿って静かに立ち尽くしている者たちの放つ気配は、さらに異様だった。

 高級スーツに身を包みながらも軍人特有の体幹を持つ男たち。

 特定の国のバッジをつけた大使館筋の外交官。

 中東やシリコンバレーの富豪から派遣された冷徹な代理人。

 企業法務関係者。私設情報ブローカー。そして、顔を伏せ、互いの存在を無視し合っている各国情報機関インテリジェンスのエージェントと思しき者たち。


 受付では、サザビーズの歴史上類を見ないほど厳重な招待状の確認と、金属探知機や生体認証を用いた身分確認が行われていた。それでもなお、この会場内には明らかに「潜り込んだ」者がいるという、ヒリヒリとした気配が充満している。


 誰もが、隣の人間を値踏みし、神経を尖らせていた。

 会場のあちこちで、数カ国語が入り混じった囁き声が交わされている。


「……アシュワース卿の遺言発表、というのは事実か?」

「ただの美術品のお披露目なら、こんな連中が集まるわけがない。ウォール・ストリート・ジャーナルからジェーンズ・ディフェンス(軍事年鑑)まで来ているぞ」

「卿は、裏ではアーティファクトの世界的コレクターだったという噂だ。まさか本当に、あの『地球外テクノロジー』を公開する気か?」

「サザビーズのような格式ある機関が、そんな詐欺まがいのSF発表をするとは思えないが……」

「だが、事前のプレスリリースには『科学的真実性は保証しない』とだけ小さく書かれていた。……それが一番怖い」


 誰も、これから発表されるものが本物であると確信しているわけではない。

 だが、現在の世界情勢――中国が仙人を名乗り、アメリカが無制限入札を公言しているこの狂った盤面においては。

 “本物かもしれない”という、たったそれだけの可能性で、世界中の国家と市場を動かすには十分すぎるほどの重力があった。


 定刻。


 ざわめきに包まれていた会場の照明が、ゆっくりと落とされた。

 演台の中央に、真っ白なスポットライトが当たる。


 ざわめきが波が引くように収まり、数百人の視線が一点に集中する中、一人の男が静かに登壇した。


 エドワード・フェアチャイルド。

 サザビーズ・ロンドン本店の広報責任者であり、自身も高名な美術史博士の学位を持つ男。

 完璧に仕立てられたサヴィル・ロウのダークスーツに身を包み、銀髪を美しく撫で付けた初老の英国紳士である。


 彼は、演台の前に立つと、会場の異様な熱気と殺気めいた視線を一身に浴びながらも、その表情を一ミリも崩さなかった。

 焦ることもなく、過剰に煽ることもなく、ただ歴史的遺産の公開を取り仕切る『管理人』としての完璧な品位を保ち続けている。

 その、あまりにも落ち着き払った態度が、逆に会場の記者たちに底知れぬ不気味さを感じさせた。


「皆様」


 フェアチャイルドの、深く、よく通るバリトンの声が、静寂の会場に響き渡った。


「本日は、ロンドン・サザビーズ本店の特別記者会見に足をお運びいただき、誠にありがとうございます。

 ……本日の発表は、先般、惜しまれつつもこの世を去られた、第十一代アシュワース伯爵、アーサー・アシュワース卿の【遺言】に基づく、極めて特殊な遺産公開の告知となります」


 フラッシュが、パラパラと焚かれる。


「皆様もご存知の通り、アシュワース卿は、稀代の美術品・古書収集家であり、偉大な慈善家でありました。

 ……しかし、卿は単なる骨董趣味の貴族ではありませんでした。卿は生涯を通じて、『人類にとっての、真の価値とは何か』を、極めて危険な領域にまで踏み込んで問い続けた方です」


 フェアチャイルドは、アシュワース卿を決して「オカルトマニア」や「狂人」として扱わなかった。むしろ、深い敬意と畏怖を込めて、その名を口にしている。


「晩年、卿はご自身のコレクションの中でも、最も異端にして、最も不可解な『ある一品』について。……これを秘匿して墓場まで持っていくのではなく、広く世界の前に提示し、その判断(価値)を【人類全体に委ねよ】と、固く遺言されました」


 フェアチャイルドの目が、最前列の記者たちをゆっくりと見据えた。


「これは、美術品オークションの長い歴史において、完全に前例のない遺産の公開となります。

 ……それは、単なる美しい蒐集品ではありません。人類の未来そのものに、巨大な問いを投げかける遺産です」


 会場が、微かにざわめいた。

 美術記者は「また大げさなオークションの宣伝文句か」とペンを動かす手を緩めたが。科学記者や経済記者の顔は、逆にスッと硬くなった。


「では、発表いたします」


 フェアチャイルドは、一切の間を置かず、ついに出品予定品の名を世界に向けて告げた。


「故アシュワース卿の遺言により、我がサザビーズが公開の任を預かりました、未知の装置の名は――」


 フェアチャイルドの口から、英語ともラテン語ともつかない、だが彼によって見事に意訳された、ある一つの『名称』が響き渡った。


「【万象器ばんしょうき】」


 会場に、困惑のどよめきが広がった。

 万象器。英訳するならば『Omni-Creator(すべてを創り出す器)』といったところか。古風で、どこか東洋的な哲学すら感じさせるその響きが、ロンドンの格式高いオークションハウスで発せられていること自体が、強烈な違和感を放っていた。


 フェアチャイルドは、手元の資料に視線を落とし、アシュワース卿自身が残した言葉を引用して、その装置の『機能』を説明した。


「卿は、生前、この万象器をこのように表現しておられました。

 ……『星々の坩堝るつぼより生まれ落ち、あらゆる物質を、その願いのままに創造しうる、神の指先にも似た奇跡の道具』、と」


 ピタリ、と。

 会場の空気が、真っ二つに割れた。


「……はっ」

 フランスの著名な美術批評家が、思わずといった様子で失笑を漏らした。

「あらゆる物質を創造する? 錬金術の釜でも出品する気か?」

「現代アートのコンセプチュアルなタイトルなら秀逸だがね。神の指先とは、また大げさな」

 一部の美術関係者や、保守的なメディアの記者たちからは、完全に「悪趣味なジョーク」あるいは「過大広告」として、冷笑と嘲笑の入り混じった声が上がった。


 だが。

 その一方で、真顔のまま、一言も言葉を発さずにキーボードを叩き始めた者たちがいた。


「……物質創造マター・クリエイション

 科学誌の記者が、青ざめた顔で呟く。「元素変換技術、あるいは分子レベルのレプリケーター系アーティファクトか……?」


「おい、今の表現をそのまま本国へ送れ!」

 各国の情報機関員や大使館筋の人間たちが、即座に動いた。

「『あらゆる物質を創造しうる』というフレーズを速報で打て! 出品物の分類を『美術品』から『戦略級特定アーティファクト』へ直ちに変更しろ!」


 失笑と、極度の緊張。

 会場の空気は、まだ半信半疑であった。誰も本物だとは確信していない。しかし、もしこれが本物であった場合の世界への影響力を計算し始めた者たちから順に、その顔から笑いが消え去っていた。


 フェアチャイルドは、会場のその複雑なざわめきを、軽く手を挙げて制した。

 ここからが、このサザビーズという機関の、最も巧妙で、最も恐ろしい『スタンス(立ち位置)』の表明だった。


「皆様、どうか誤解なきようお願い申し上げます」


 フェアチャイルドのバリトンボイスが、再び会場を支配する。


「サザビーズは、美術品や歴史的価値を持つ品々を取り扱うオークションハウスであり……決して、科学的な研究機関ではありません。

 ゆえに、現時点において、我々はこの『万象器』なる装置が、アシュワース卿の言葉通りにあらゆる物質を創造できるのかという【科学的真実性】を、完全に保証する立場にはございません」


 その言葉に、冷笑していた記者たちは「やはりただのオカルトアイテムじゃないか」と頷いた。


「しかし」

 フェアチャイルドの目が、鋭く光る。


「我々は、アシュワース卿の遺言に込められた『真摯な問い』を重く受け止めました。卿は狂人ではありません。長年、世界最高峰の真贋を見極めてきた稀代のコレクターです。

 その卿が、全財産と名誉を懸けて、これを『本物である』と信じ、人類に託した。……我々の役割は、真偽を判定して隠蔽することではなく、遺言に従い、この品と、関連するすべての資料を世界の前に【公開する】ことです」


 フェアチャイルドは、一切の責任を回避しつつ、爆弾のピンを抜いて世界に放り投げるという、最も狡猾な手段を取った。


「本日の発表は、その存在の告知と、遺言に基づく『秘密研究ノート』の一部公開に留まります。

 ……これが神の奇跡か、ただの精巧なガラクタか。その判断(価値づけ)は、後日招かれる招待対象者、世界の専門家、そして……人類全体が行うことになります」


 本物だと断言しない。

 偽物だとも否定しない。

 ただ、「こういうものがあった」と市場の真ん中に置く。

 それが、どれほど世界経済に対して破滅的な『疑心暗鬼』を引き起こすか。アメリカのヘイズ大統領が恐れた最悪のシナリオが、まさに今、現実のものとして展開されようとしていた。


「それでは、アシュワース卿が長年の解析の末に書き残した、【秘密研究ノート】の一部を公開いたします」


 フェアチャイルドが背後のスクリーンを指し示す。

 会場の照明がさらに落ち、巨大なスクリーンに、スキャニングされた古いノートのページが鮮明に映し出された。


 そのビジュアルは、見る者を圧倒する不気味さと知性に満ちていた。

 羊皮紙のように変色した分厚い紙。

 染み付いたインクと、何か極度の熱を帯びたような焦げ跡。

 ページの端の破れと、何度もテープで貼り直された修復の痕跡。

 そこには、流麗な英語の筆記体に混じって、ラテン語、見たこともない幾何学的な記号、そして現代の量子物理学を思わせる複雑な数式が、狂気的な密度でびっしりと書き込まれていた。

 描かれている図版は、分子の構造図のようでもあり、中世の錬金術の魔法陣のようでもあり、はたまた未知の恒星系の星図のようでもあった。そしてページの余白には、アシュワース卿自身の手による、神経質な手書きの注釈が縦横無尽に走っている。


 フェアチャイルドは、演台の上のライトを点け、自らの意見を一切挟まず、ただの『朗読者』として、そのノートの記述を読み上げ始めた。


「研究ノート、第一節。……テーマは、【無限の豊穣】」


 会場の全員が、息を止めて録音機を突き出し、カメラのシャッターを切った。同時通訳のイヤホンに手を当てる海外記者たちの顔から、すでに先ほどの余裕は消え失せている。


「『万象器の根幹機能は、物質の定義の再構築、および自在なる変換にあると推測される。

 この器が正しく稼働し、善き者の手によって振るわれたならば。……路傍の卑しい鉄塊は、瞬く間に光り輝く黄金へと姿を変えるだろう。

 乾ききった砂漠の砂は、栄養に満ちた肥沃な土壌と、尽きることのない清水へと変換され、大地に無限の豊穣をもたらす。

 ……希少金属レアメタルを巡る醜い国家間の資源争奪戦は、完全に無意味な過去の遺物となる。あらゆる工業資源は必要なだけその場で生成され、飢餓は消え去り、貧困は歴史上の悪夢として語られるのみとなる。

 万象器は、この流血にまみれた地球上に、真の地上の楽園ユートピアを物理的に現出させうる、究極の福音である』」


 朗読される言葉の響きは、どこまでも詩的で、宗教的な奇跡を謳う教典のようであった。


 だが。

 その「詩的な言葉」が意味する【経済的な破壊力】に気づいた者たちから順に、会場で音を立ててパニックが伝播していった。


「……鉄を、黄金に変える?」

 経済誌のベテラン記者が、手元のペンを落とし、震える手で口元を覆った。

「待て、待て待て。もしそれが本当なら……『ゴールド』の絶対的な希少価値は、今この瞬間に消滅するぞ! 金本位制の概念そのものが崩壊する!」


「レアメタル市場も終わりだ」

 別の経済アナリストが、顔面を蒼白にして呟く。

「資源国の地政学的な優位性カードが、完全にゼロになる。……製造業の原価構造も、為替市場も、すべてが根底から崩れ去る。お金の価値が、ただの紙切れになる……!」


 錬金術の成功。

 それは、人類が数千年かけて築き上げてきた「希少性こそが価値である」という資本主義と経済のルールを、たった一台の機械が完全に無に帰すことを意味していた。

 失笑していた者たちは、自らの財布と国家の財政が灰になる幻影を見て、完全に恐怖のどん底へと突き落とされた。


 だが。

 アシュワース卿の研究ノートがもたらす絶望は、そんな「経済の崩壊」程度で終わるほど、生易しいものではなかった。


「続けて、研究ノート、第二節」


 フェアチャイルドは、表情一つ変えずにページをめくり、究極の夢を、一瞬にして【究極の破滅】へと反転させた。


「テーマは……【黙示録の獣】」


 スクリーンに映し出された図版が切り替わる。

 先ほどまでの美しい幾何学模様とは打って変わり、何か黒い染みのようなものが、ページ全体を侵食していくような、おぞましいスケッチが映し出された。


「『万象器は、善き手にあれば豊穣をもたらすが。……邪悪なる手、あるいは愚かなる者の手に落ちた場合、それは無限の兵站を生み出す悪魔の器となる。

 鋼鉄の軍馬、死を運ぶ翼、無数の砲身、弾体、そして強固な装甲。……これらすべての戦争機械が、資源の枯渇を気にすることなく、無限に複製され続けるだろう。

 ……しかし。真の恐怖は、人間の悪意などではない』」


 フェアチャイルドの朗読する声が、初めて、ほんのわずかに低く沈んだ。


「『もし、万象器が我々の理解を超え、その制御システムそのものを喪失(暴走)させた場合。

 ……あらゆる物質は、その形態を維持する意味を失う。

 美しき森も、摩天楼の都市も。人間の血肉も、骨も、数千年をかけて描かれた至高の芸術も、我々が愛したすべての記憶も。

 ……すべては分子レベルで解体され、均質な、何の意味も持たない【灰色のダスト】へと無限に変換され続けるだろう。

 生命も、文化も、すべては静寂なるエントロピーの海へと沈む。……これぞ、世界を均一に食い尽くす、黙示録の獣。いわゆる【グレイ・グー現象】の現出である』」


 グレイ・グー(Gray Goo)。

 自己増殖を行うナノマシン、あるいは物質変換装置が制御を失い、地球上のすべてのリソースを食い尽くして、最終的に地球全体をドロドロの灰色のスライム(塵)に変えてしまうという、科学技術における最悪の終末シナリオ。


 それが、SF小説の思考実験としてではなく。

 現実に実在する(かもしれない)アーティファクトの【最悪のフェーズ】として、世界の前に突きつけられたのだ。


「…………」


 会場から、完全に笑いが消えた。

 いや、笑いだけでなく、怒号も、ざわめきも、すべてが消え失せた。


 科学誌の記者たちは、青ざめた顔でスクリーンを凝視し、絶望に打ち震えている。

 経済記者たちは、もはやメモを取ることすら放棄し、天井を見上げている。金が紙屑になることなど、地球が灰色の塵に変わることに比べれば、なんという些末な問題だったことか。

 美術記者は、自分たちが「美しい芸術品の競売」を取材しに来たはずが、人類の終末発表会に放り込まれてしまったことを理解し、ただ呆然と座り込んでいた。

 情報ブローカーたちだけが、血走った目で端末を叩き、この絶望的な情報を本国の政府へとリアルタイムで送信し続けている。


 誰かが、震える声で、小声で呟いた。


「……そんなものを。……競売オークションに、かけるというのか?」


 その一言が、この会見の異常性を、そしてサザビーズという市場の狂気を、完璧に言い表していた。

 世界を滅ぼすかもしれないスイッチに、値段をつけて売り飛ばそうというのだ。


 フェアチャイルドは、完全に沈黙した会場を見渡し、そして、アシュワース卿がノートの最後に書き残した、人類への『最終試験(問い)』を読み上げた。


「『この力は、神の玩具か。それとも、悪魔の罠か。

 ……あるいは、その両方か。

 選ぶのは、汝らだ』」


 静寂。

 圧倒的な、死のような静寂。


 アシュワース卿は、答えを出さなかった。

 この恐るべき万象器を、地下深く永遠に封印するでもなく。平和を愛する特定の国家に寄付するでもなく。

 ただ、世界中の最も強欲で、最も力を持つ者たちが集まる市場のど真ん中に、ポツンと投げ出したのだ。


 どう使うか。どう奪い合うか。あるいは、共に破滅するのか。

 選択責任を、すべて世界へと押し付けた。

 アシュワース卿は、死してなお、人類を嘲笑いながら試練を与える、最悪の『ゲームマスター』として、この会場に君臨していた。


 そして。

 限界まで引き絞られた静寂の糸が、プツン、と切れた瞬間。


「ふざけるなああああっ!!!」


 会場が、完全に【爆発】した。


「答えろ! その万象器なるものは、本当に実在するのか! 実演の予定はあるのか!」

 科学系の記者が、カメラをなぎ倒して立ち上がり、マイクに向かって絶叫した。

「物質創造とは、厳密には元素変換のことか! 質量保存の法則とエネルギー保存則をどう説明する気だ! 自己複製機能は内蔵されているのか!? グレイ・グー現象は卿の比喩表現か、それとも実際の機能的危険性として検証されたものなのか! 答えろ!!」


「サザビーズは狂ったのか!!」

 経済紙の記者が、怒号を上げる。

「もしそれが本物なら、世界の市場が大混乱に陥るぞ! 責任は誰が取る気だ! 金、レアメタル、すべての資源市場への影響をどう考えている!? そもそも、このオークション発表自体が、市場を崩壊させるための意図的な相場操作ではないのか! 出品前に各国の金融当局へ通告はしたのか!!」


「なぜ国連に預けない!!」

 政治担当の特派員が、拳を振り上げる。

「なぜ英国政府が国家として管理・封印しないんだ! もしテロ組織や独裁国家、あるいは狂信的なカルト教団に落札されたら、世界が終わるんだぞ!

 そもそも、世界を滅ぼす兵器を競売にかけること自体が、企業として完全な無責任だ!!」


 美術記者たちも悲鳴を上げる。

「アシュワース卿は、それをどこで手に入れたんだ! 来歴の証明はあるのか! 研究ノートは本当に本人の筆跡なのか! その万象器の現物は今、どこにある!?」


 怒号、罵声、悲鳴、そしてカメラのフラッシュの嵐。

 会見場は、もはや格式ある美術品の発表会などではなく、世界会議と金融危機と軍事裁判が一つに混ざり合った、カオスの坩堝と化していた。


 だが。

 その怒涛の質問攻めを前にしても、エドワード・フェアチャイルドは、一歩も退かず、表情一つ変えなかった。

 彼は、核心を突く質問をすべて、極めて上品に、そして冷酷に【回避】し続けた。


「申し訳ありませんが、先ほど申し上げた通り、サザビーズは研究機関ではございません」

 フェアチャイルドは、マイク越しに淡々と答える。

「本日は、あくまで故人の遺言に基づく『告知』の場です。

 ……詳細な鑑定情報、および科学的な分析データにつきましては、後日招かれる【招待対象者】の皆様にのみ、順次開示される予定です。

 安全性については、すでに英国の関連機関と協議を進めておりますが、現物の保管場所等のセキュリティに関する情報につきましては、一切お答えできかねます」


「ごまかすな! 誰を招待するつもりだ!」

 記者が血走った目で叫ぶ。

「国家か!? 富豪か!? 企業か!? それとも裏社会の秘密結社か!! 誰がその悪魔のオークションに参加できるんだ!!」


 その曖昧な「招待対象」という言葉が、会場の人間、そして世界中の権力者たちをさらに焦燥させた。

 自分は招待されるのか。もし招待されなければ、他国がそれを落札するのを指をくわえて見ているしかないのか。


 フェアチャイルドは、その世界中の焦りと怒りを完全に制圧するように、一段と低く、重い声で、この狂気の会見の【最終宣言】を行った。


「故アシュワース卿の遺産、『万象器』、並びに研究ノート一式は――」


 一拍。

 会場が、息を呑む。


「来月。……ここ、ロンドン・サザビーズ本店にて開催される、【特別招待制オークション】に、正式に出品されます」


「正気かあああ!!!」

「競売にかけるな!!!」

「英国政府はこれを承認したのか!! 今すぐ中止すべきだ!!」

「それが本物なら、人類の危機だぞ!!」


 会場が、完全に崩壊した。

 記者がバリケードを乗り越えようとし、警備員がそれを力ずくで押さえ込む。怒号が飛び交い、マイクがハウリングを起こす。


 だが、フェアチャイルドは、その大混乱の光景をまるで優雅なオペラのクライマックスでも眺めるかのように見下ろし。

 最後に、極めて不敵な、そして冷酷な一言を放った。


「皆様。……人類の歴史が、その『価値』を根底から書き換えられる瞬間。

 その歴史の証人となる準備は、よろしいかな?」


 その一言を最後に、フェアチャイルドは深く一礼し、嵐のようなフラッシュと怒号を背に受けて、演台から静かに姿を消した。


 会見の終了。

 それは、オークションの告知の終わりではなく。

 世界中の国家と、富豪と、闇の勢力が、一切のルールを捨てて血みどろの争奪戦を開始する、【開戦の合図ゴング】であった。


 会場内では、記者たちが半狂乱になりながらスマートフォンを耳に押し当て、本国へと絶叫するように速報を打ち込んでいる。

「ロンドンから緊急! サザビーズが『万象器』の出品を発表! 本物かは不明だが、物質創造とグレイ・グーのリスクあり!!」


 経済記者は、市場のデスクへ向かって怒鳴り散らしている。

ゴールドの先物をすべて手仕舞いしろ! いや、違う! 資源関連の株を全部空売りだ! もしあれが本物なら、明日の朝には市場が吹き飛ぶぞ!!」


 情報ブローカーたちは、暗号化されたメッセージを各国のクライアントへ一斉に送信し始めた。

『サザビーズの内部情報を探れ』

『遺言管理人の特定を急げ』

『現物の輸送ルートと保管場所を洗い出せ。……手段は問わない。オークションの前に、強奪する』


 世界中に、電撃のような速報が駆け巡った。


 アメリカ・ホワイトハウス地下。

 ヘイズ大統領とアルファは、この最悪の「公開」をモニターで見つめ、直ちにサザビーズ周辺への特殊部隊の投入と、市場介入の準備を開始した。


 中国・北京。

 仙人となった李天明ら党中枢は、この「万象器」が自分たちの精神的覇権を脅かす物質的なチートであると判断し、仙人の教義を広める前に、まずロンドンへと刺客を放つ決断を下した。


 ロシア・クレムリン地下。

 ボグダノフ大統領とヴォストークは、この万象器が「兵站の無限化(弾薬の無限複製)」をもたらす可能性にいち早く反応し、五年計画を前倒ししてでも奪取部隊をロンドンへ送り込むよう、軍に緊急指令を下した。


 EU・ヘルメス協会。

 物質を創造する力。それは精神の修養を重んじる彼らにとって、人間を堕落させる究極の『悪魔の誘惑』であった。彼らはそれを封印するため、あるいは自らの聖遺物とするため、十字軍の如き熱狂で動き始めた。


 そして、世界中の富豪、王族、財団、マフィア。

 誰もが、「招待状」を手に入れるための代理人戦争と、裏金工作を開始した。


 ロンドン・ニューボンドストリート。

 会見場の外では、冷たい雨が降り始めていた。

 記者たちが傘もささずに外へ飛び出し、世界中へと絶望と熱狂の入り混じったニュースを叫び続けている。


 サザビーズ本店の白亜の建物は、いつも通り、歴史の重みを纏って静かにそこに佇んでいた。

 だが、世界は、もう二度と静かになることはない。


 その日、ロンドン・サザビーズ本店で発表されたのは、美しい絵画でも、歴史的な宝石でもなかった。


 それは、人類が数千年かけて築き上げてきた『価値』という概念そのものに、値段をつけて売り飛ばそうとする、最初の、そして最も恐ろしい狂気であった。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
アシュワース卿は人間に希望を持ちすぎていたのかな?こんなの絶対に悪用か封印しかされないだろう・・・。
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