第56話 都合が良すぎる盤面
ワシントンD.C.。ホワイトハウスの地下に設けられた、最も堅牢な電磁シールドと物理防壁に守られたシチュエーション・ルーム(状況室)。
数十分前まで、この部屋の巨大なマルチモニターには、中国の李天明国家主席が全世界へ向けて放った、人類史を根底から覆す『重大発表』の生中継が映し出されていた。
彼らは、息を殺し、一言一句を聞き漏らすまいと、その歴史的会見を食い入るように見つめていた。
だが今、モニターの表示はすべて無機質な黒画面へと切り替わり、部屋には空調の微かな稼働音と、誰かが無意識に資料の束を弄る乾いた紙の音だけが、やけに大きく響いていた。
誰も、すぐには口を開くことができなかった。
部屋に充満しているのは、数日前にロシアのサイボーグ化計画を知った時の「焦燥」や「怒り」とは全く質の違う、もっと深く、底冷えのするような感情だった。
それは、自分たちが理解できるゲームのルール(地政学と経済のパワーバランス)から、世界が完全に逸脱してしまったという、抗いがたい『敗北感』。そして、未知の神話的領域へと置き去りにされたという『喪失感』であった。
中国は、アメリカの過酷な経済制裁に屈してロシアを切ったのではない。
彼らは、アメリカの首輪を嘲笑い、ロシアの鉄の身体を「薄汚い」と見下した上で。……自ら神仙の教えを乞い、不老無病の超人と化して、『精神的覇権』という新たな次元の玉座へと、軽々と飛び乗ってしまったのだ。
しかも、その恐るべき進化の代償(標的となること)すらも、彼らは世界中に公開し、堂々と「狩りに来い」と挑発した。
(……世界経済は、助かるかもしれない)
ここにいる全員が、頭の片隅でそう思っていた。中国がロシアへの資源供給を完全に断ち切った以上、アメリカが発動した「例外なき二次制裁」の最大の理由は消滅し、間もなく世界の市場と物流は、首の皮一枚で再起動するだろう。
その点においてのみ言えば、アメリカの目的は達せられたはずだった。
だが、彼らの心の中に「安堵」は一ミリも存在しなかった。
経済の心停止という最悪の危機を乗り越えた代償として、目の前に現れたのは、ロシアのサイボーグ大隊など比較にならないほど巨大で、得体の知れない『神話国家(仙人の帝国)』という、より絶望的で厄介な化物だったからだ。
「……悪夢だわ」
沈黙を破ったのは、キャサリン・ヘイズ大統領の、低く、しかしひどく重い声だった。
彼女は、テーブルの上で両手を組み、誰も映っていない黒いモニターを静かに見つめていた。
「助かったのかと思った。……ロシアの暴走を止めることができれば、それで最悪の事態は防げたのだと。でも、違う」
キャサリンは、疲労の色が濃く滲む顔を上げ、円卓の面々を見回した。
「世界経済は、救われるかもしれない。……でも、その代わりにもっと厄介で、もっと致命的なものが、この世界に産み落とされてしまった。
中国は、経済の圧力に耐えかねて正気を失ったんじゃない。彼らは正気のまま、完璧な計算の上で……私たちの理解の外へ行ってしまったのよ」
誰も、彼女の言葉に反論できなかった。
“悪夢”。そのたった一言が、この部屋にいるアメリカ合衆国の最高エリートたちの、現在の共通認識であった。
「……各方面からの、一次評価を」
キャサリンが、静かに促す。
最初に口を開いたのは、国家安全保障担当補佐官だった。
「対露切断は、本物でしょう。……少なくともロシアは、最大の資源供給国であり、経済の裏口であった後ろ盾を完全に失いました。彼らのサイボーグ量産計画は、これで大幅な遅滞、あるいは致命的な頓挫を余儀なくされます」
補佐官は、手元のタブレットのデータを睨みつけた。
「ですが、中国は……ロシアより遥かに扱いづらい立場へと移りました。彼らはもう、単なる『経済制裁の対象国』ではありません」
「ロシアのサイボーグ兵が、我が国の首都を脅かす最大の主脅威だと思っていた。……甘かったな」
国防長官が、忌々しげに顔を歪めた。
「今や、中国中枢を担う四十六名そのものが、個人で惑星を制圧し得るかもしれない【超常的戦略資産】と化している。しかも彼らは、無知な歩兵ではない。国家の政治意思と、圧倒的な戦闘能力が、一つの肉体で完全に一体化しているのだ。……こんな連中と、どうやって軍事的な抑止力を構築しろと言うんだ」
「世界経済は、一時的に延命されるかもしれません」
経済・財務担当の幹部が、溜息をついた。
「ですが、あの会見は決して“元のグローバル経済に戻る”という平和宣言ではありませんでした。あれは、世界秩序の前提条件そのものを書き換えるという、一方的な覇権宣言です。……明日から市場が再開しても、マネーの動きはこれまでとは全く違う、歪なものになるでしょう」
「“仙人”、“崑崙”、“大いなる一つ”……」
CIA長官が、不気味な単語を拾い上げる。
「あれらは、窮地に陥った国家が急造した、即席の政治的演出などではありません。発せられた言葉の裏には、明確な思想体系と、圧倒的なバックボーンが存在している。……我々が感知できなかっただけで、彼らはあの未知の上位存在と、すでに強固な『継続接触(システム接続)』を確立している可能性があります」
「つまり」
キャサリンは、彼らの報告を冷徹に整理した。
「経済崩壊のカウントダウンは、いったん止まるかもしれない。……でも、私たちは、サイボーグ以上の、全く別の種類の危機(神話の領域)に入ってしまった。
そういう理解でいいのね?」
全員が、重く、無言で頷いた。
もはや、通常兵器の数や、GDPの規模で戦える相手ではない。
だが、彼らはアメリカ合衆国政府である。未知の恐怖に怯える前に、まずは「目の前の事象を論理的に解体する」というプロセスを欠かすことはない。
「……とはいえ。まずは基本的な検証から始めましょう」
キャサリンは、感情を抑え込み、実務的な確認作業へと会議の舵を切った。
「あの中国の会見が、我々の目と耳を欺くための、国家ぐるみの巨大な【欺瞞作戦】である可能性について。……一つずつ、潰していくわよ」
論点1:ロシアの切り捨てはブラフか?
「ブラフではありません」
国務長官が、即座に断言した。
「あそこまで世界中を巻き込んだ状態で、公然と『ロシアの路線は薄汚い遺物だ』と切り捨ててみせたのです。もしこれが、アメリカの制裁を逃れるためだけの芝居だったとすれば、政治的コストが大きすぎます。……裏でロシアと結託していたとしても、あの発言でロシア側のメンツは完全に潰れました。両国の関係修復は不可能です。ロシア側の反応(情報機関の傍受ログ)も、本物の怒りと混乱に満ちていたはずです」
結論:ロシア切りは、本物。
論点2:背後の四十六人の若返り(不老無病)と、あの跳躍映像は偽装か?
「全世界同時生中継で、複数の独立した監視衛星や、各国の放送局の受信データとの整合性をリアルタイムで解析しました」
NSA(国家安全保障局)長官が、データを提示する。
「映像に、ディープフェイクやリアルタイムの大規模なCG偽装の痕跡は一切ありません。あれは、現実に人民大会堂で起きていた物理的な光景です」
「あの5メートル以上のノーモーション跳躍も、ワイヤーや隠し装置を使った特撮では絶対に誤魔化せない、純粋な身体能力の出力結果です」
国防長官が、軍事的な見地から同意した。
さらに、大統領医療顧問が付け加える。
「映像の解析によれば、背後に立っていた八十代、九十代の長老たちから、老年者特有の微細な筋肉の震え(振戦)や、骨格の歪みが完全に消え去っていました。……あれはメイクやドーピングでどうにかなるレベルの若返りではありません。少なくとも映像の中核は、間違いなく本物です」
結論:不老無病と超身体能力は、本物。
論点3:『崑崙』『仙人』『文明の査定』といったオカルト発言は、政治的演出か?
「むしろ逆です」
CIA長官が、首を横に振った。
「普通の国家であれば、あのように切羽詰まった状況で『神話の語彙』を持ち出せば、国際社会からの信用を完全に失います。……徹底した唯物論を掲げる中国共産党が、それを承知でなお、あのようなオカルト宣言を行った。それは、彼らの中に『これを公表しても絶対に崩れない』という、狂信的なまでの確信と、物理的な裏付けがあったからです」
結論:作り話なら、やり方が危険すぎる。本気の宣言。
論点4:『我々を殺せば、恩恵が移る』という挑発は嘘か?
「もしそれが嘘なら、彼らは自ら、全世界の暗殺リスクを無駄に跳ね上げただけの愚か者になります」
国家安全保障担当補佐官が、冷ややかに言った。
「自国を世界中のテロリストや情報機関の標的にするメリットなど、合理的に考えれば一つもありません。……むしろ、その条件(殺せば移る)が『本当だからこそ』、彼らはあの場でそれを隠し通すことができず、あえて公表して迎撃する(罠にする)道を選んだと見る方が、自然です」
結論:これも、本物である前提で考えるしかない。
すべての検証が終わった。
「……全部、本当だわ」
キャサリンは、机の上に置かれたペンを静かに下ろし、小さなため息をついた。
「嘘やブラフなら、あんな常軌を逸した会見にはならない。……彼らは本当に、不老無病の仙人になって帰ってきたのよ」
中国が会見で行ったこと。
それは単なる「制裁の回避」ではない。
ロシアという物質主義の極致を切り捨て、自らを『上位文明圏の中心』であると宣言した。
四十六人の政治中枢が、そのまま超常的な戦闘力を持つ『神の代行者』へと変貌した。
そして、「大いなる一つ」「精神的覇権」という言葉を用い、中国が新たな文明原理(宗教的覇権)を名乗ったのだ。
「あれは、外交文書の発表ではない。……新しい帝国(神話国家)の、【建国宣言】に近い」
国務長官が、震える声で呟いた言葉を、誰も否定できなかった。
「つまり中国は、私たちに『経済制裁を解いてほしい』と要求しながら、同時に……『次の時代の中心は我々だから、ひれ伏せ』と言ったわけね」
キャサリンの言葉に、会議室は再び、重く、逃げ場のない沈黙に沈んだ。
誰もが、この盤面を「良い」とは思えない。
経済担当の幹部は、世界経済が一時的に救われたことよりも、新たな覇権国家の誕生に頭を抱えている。
軍の高官たちは、サイボーグ以上に恐ろしい「生身の超人」という脅威に顔をしかめ、有効な対抗策を導き出せずにいる。
外交と情報のトップたちも、メモを持ったまま、無表情だがその目は完全に死んでいた。
皆、どうすればこの巨大な神話国家と対峙できるのか、その答えを完全に失っていた。
だが。
その、部屋の全員が絶望の淵に沈んでいる中で。
「……待って」
キャサリンは、ふと、ある『強烈な違和感』に気づき、顔を上げた。
彼女の視線は、円卓の端に座る二人の男に注がれていた。
セレスティアル・ウォッチの作戦司令官、オブザーバー・アルファ。
そして、同組織の技術解析主任である、ドクター・ケンドール。
「……どうして、あなたたち二人だけ、そんな顔をしているの?」
キャサリンのその言葉に、会議室中の視線が、一斉に彼らへと集まった。
先ほど、この部屋に入ってきた時。
アルファの顔色は土気色で、ケンドールは完全に絶望の淵に沈んだような幽鬼の顔をしていた。
だが、今はどうだ。
ケンドール博士は、依然として口を真一文字に結び沈黙を保っているが、その眼差しには先程までの絶望の色はなく、どこか神経質に思考を巡らせている様子だった。
そしてアルファは。
深い影に覆われた顔のまま、極めて静かに……いや、むしろ彼特有の『冷徹な思考の回転』を取り戻し、じっとモニターのデータを睨んでいる。
二人とも、恐怖や絶望ではなく。完全に「次の盤面(次の一手)」を読んでいる、勝負師の顔だったのだ。
「アルファ? ケンドール博士?」
キャサリンは、訝しげに彼らの名を呼んだ。
「みんな絶望しているのに……あなたたちだけ、“次”を考えている顔だわ。どういうこと?」
その大統領の問いかけに。
アルファは、ゆっくりと顔を上げ、深い影の底から、この会議室の常識を完全に一段階ズラす、驚くべき言葉を口にした。
「……これで、中国は『こちら側の陣営(味方)』と見て構いません」
ピタリ、と。
状況室の空気が、止まった。
「……味方?」
国防長官が、素っ頓狂な声を上げた。
「何を言っているんだ、アルファ! 彼らはたった今、超常的な力を手に入れて、世界に対する精神的覇権を宣言したばかりだぞ! あれが我々の味方だと!?」
「彼らは我々アメリカを脅迫し、制裁解除を要求してきたんだぞ! どこが味方なんだ!」
他の幹部たちも、アルファの言葉の意味が全く理解できず、一斉に反発する。
だが、アルファは彼らの反論を全く意に介さず、極めて冷淡に、自らの分析を語り始めた。
「実に都合が良い展開です。……いえ、良すぎる展開です」
アルファは、テーブルの上に投影された、世界地図と地球外遺産の分布図を指差した。
「考えてもみてください。
ロシアは、シベリアの凍土から軍事医療ロボットを掘り出し、肉体を機械に置き換えるという『物質主義の極致』へと進みました。
対して、今回の中国は。崑崙という神話の地で、仙人の教えを乞い、精神と宇宙の調和を掲げる『精神主義の側』へと完全に転じました」
アルファの瞳が、鋭く光る。
「この二つのイデオロギー(物質と精神)は、宇宙的なスケールで見ても、水と油……絶対に両立しない対立概念です。
……中国がロシアを『薄汚い遺物』と切り捨てたのは、会見の派手なパフォーマンスや、単なるアメリカの制裁逃れのためだけではありません。彼らが取り込んだアーティファクトの【思想的要請】として、必然的に発生した絶対的な拒絶反応です」
「思想的な、拒絶……」
キャサリンは、息を呑んでそのロジックを咀嚼した。
「だからこそ、中国が今後、ロシア陣営に戻る(再び結託する)可能性は、ほぼゼロになりました。彼らはもう、互いに相容れない敵対文明同士です」
アルファは、淡々と結論づけた。
「我々アメリカが、血を流して世界経済を壊してまで防ごうとした『中露による最強のサイボーグ同盟』は、我々が手を下すまでもなく、彼ら自身が手に入れたアーティファクトの思想の違いによって、勝手に崩壊してくれたのです。……我々から見れば、これ以上ないほどに都合の良い【盤面の整理】と言えます」
その圧倒的な俯瞰視点からの解説に、官僚たちも一瞬言葉を失った。
確かに、中露の軍事同盟が完全に崩壊したという一点においてのみ見れば、アメリカの地政学的な負担は劇的に軽減されたのは事実だ。
だが、それでも。
「……都合が良いのは認めるわ。でも、中国がロシアより強大な怪物になった事実は変わらないじゃない」
キャサリンは、アルファの言葉に安堵することなく、鋭く切り返した。
「彼らが精神的覇権を唱え、不老無病の超人として我々の前に立ちはだかるのなら。……結局、私たちは新しい、より強力な敵に脅かされることになるだけよ。……それがなぜ、そんなに『落ち着いて』いられる理由になるの?」
キャサリンの追及はもっともだった。
敵同士が仲違いしたとはいえ、その片方が神の力を持ったのだ。普通なら、ここで絶望を深めるのが当然の反応である。
だが、アルファは、キャサリンのその「即死の恐怖」を、極めて論理的なアーティファクトの性質の分析によって、静かに押し下げてみせた。
「……大統領。精神主義のアーティファクトは、ロシアのサイボーグ兵器のような、即応的な侵略(物理的破壊)には向かないのです」
「……向かない?」
「ええ」
アルファは、深く頷いた。
「サイボーグのような物質主義の兵器は、完成した翌日に国境を越え、首都を火の海にすることができます。だからこそ、我々は時間との勝負に焦り、世界経済を道連れにしてでも今すぐ止める必要があった。
……しかし、精神主義のアーティファクトの侵略プロセスは、全く異なります」
アルファは、ヨーロッパの地図を指差した。
「ヘルメス協会を見てください。彼らもまた、中国と同じ精神主義のアーティファクト(ミノスの星円盤)を起動させました。……しかし、彼らはすぐに軍隊を動かして他国を物理的に侵略したでしょうか? いいえ。彼らがやったのは、時間をかけて民衆の脳波に干渉し、思想を広げ、社会の秩序(価値観)を内側から書き換えることでした」
アルファの言葉に、国防長官がハッと顔を上げた。
「……つまり、中国の『仙人』たちも、やり方は同じだということか?」
「その通りです」
アルファは、冷酷な目で中国の巨大な領土を見つめた。
「彼らの目的は、他国を物理的に破壊することではありません。自らの思想(大いなる一つ)を広げ、世界を精神的に同化・支配することです。……それには、膨大な『時間』がかかる。ヘルメス協会しかり、仙人しかり、アプローチの本質は同じです」
アルファは、ここで初めて、安堵に近い言葉を口にした。
「ゆえに。……中国が、今日明日にでも軍事侵攻へ転じ、アメリカ本土を物理的に呑み込んでくる可能性は……極めて低い。
彼らは間違いなく絶対的な脅威ですが、我々には、ロシアのサイボーグに怯えていた時のような『数時間の猶予』ではなく、彼らの思想侵略に対抗するための【時間】が与えられたのです」
“即死ではない”。
その事実が確認された瞬間、会議室の空気が、少しだけ変わった。
絶望という名の泥沼から、冷たい『戦術の再構築』のフェーズへと、彼らの思考が引き戻されたのだ。
「……なるほど。確かに、性質が違うわね」
キャサリンも、深く息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を少しだけ抜いた。
「ロシアは即物的な破壊力。中国は文明の上書き型。……どちらも脅威だけれど、対処の猶予と方法が全く異なる。……あなたの落ち着きの理由は分かったわ」
「ええ」
アルファは、静かに頷き、そして、さらにこの盤面を上空から見下ろすような、極めて冷酷な『順位付け』を口にした。
「中国が、今回の一件で他国から飛び抜けたように見えるのは事実です」
アルファは、テーブルの上のホログラムで、各国の戦力を相対化するグラフを展開した。
「ですが、誤解してはならない。……まだ、レースは【序盤も序盤】です」
「序盤……?」
国務長官が、眉をひそめる。
「これだけ世界がめちゃくちゃになっているのに、まだ序盤だと言うのか?」
「そうです。……選手が、ようやく出揃った程度にすぎません」
アルファは、一切の感情を交えずに、現在の地球上のプレイヤーたちを格付けした。
「……順位を付けるなら。
現時点では、中国。ロシア。ヘルメス協会(EU)。そして我々アメリカ、最後に日本。……その程度でしょう」
中国、ロシア、ヘルメス協会、アメリカ、日本。
アルファの口から出たその『順位』は、現在の世界情勢において、アメリカがトップではなく「四番手」に甘んじているという、屈辱的な事実の宣言でもあった。
「その程度……だと?」
統合参謀議長が、不快感を露わにする。
「我々アメリカが、彼らよりも下だと認めるのか?」
「事実を受け入れることです、議長」
アルファは、冷たく一蹴した。
「ですが、悲観することはありません。……なぜなら、ここにいるプレイヤーの全員が、【自力】でその地位に立ったわけではないからです」
アルファの鋭い視線が、円卓の全員を貫く。
「彼らは、自らの科学力や文明の成熟度で神になったわけではない。……たまたま、シベリアの氷の下で。地中海の遺跡で。出雲の森で。崑崙の山奥で。……地球外のアーティファクトに選ばれ、あるいは拾われただけです」
その言葉は、中国の「仙人宣言」の神聖さを根底から剥ぎ取る、残酷な事実の突きつけだった。
「中国も、ロシアも、日本も、ヘルメス協会も、そして我々セレスティアル・ウォッチも同じです。……まだ誰も、自前の文明力で勝ったわけではない。全員が、拾った武器の力で背伸びをしているだけに過ぎないのです」
中国だけが絶対的な神になったわけではない。
彼らもまた、アーティファクトの力でゲタを履かせてもらったプレイヤーの一人に過ぎない。
その認識の転換が、アメリカの首脳陣に、失いかけていた「闘争心」を取り戻させた。
「……だが、盤面が中国に大きく傾いているのは事実だろう」
国防長官が、食い下がる。
「彼らのアーティファクト(仙人の教え)は、ロシアのサイボーグよりも明らかに上位のものだ。……このまま彼らが力を盤石にすれば、我々は遅かれ早かれ、精神的に飲み込まれる」
「だからこそ、ここで【もう一つの可能性】を頭に入れておく必要があります」
アルファは、ここで初めて、確信を持った推測から、さらに一歩踏み込んだ『仮説』を提示した。
「先ほど私は、この都合が良すぎる盤面の背後に、『黒幕X』が存在する可能性があると申し上げました」
アルファの瞳が、深く沈む。
「もし、その黒幕Xが本当に存在し、意図的にアーティファクトをばら撒いて、この地球の覇権ゲームをコントロール(あるいは観察)しているのだとしたら。……彼らが、中国だけを特別扱いして『上がり(ゴール)』にさせたとは限りません」
「……どういうことよ?」
キャサリンが、身を乗り出す。
「まだ、成果を出していない国。まだレースに乗れていない組織。……黒幕Xは、これから先、そういった連中にも新たな札を配って、盤面へ強引に押し上げてくる可能性がある、ということです」
アルファの言葉は、この地球という盤面が、まだどれほど混沌とした無限の広がりを持っているかを示唆していた。
「つまり、中国の独走に見える現状すら……あくまで『暫定』に過ぎない。……明日、どこかの名もなき小国やカルト教団が、中国を凌駕するアーティファクトを引き当てて、一気にトップに躍り出る可能性すら、十分にあり得るのです」
まだ、ゲームは終わっていない。
誰も、上がりには到達していない。
その混沌とした予測は、恐怖でもあったが、同時に、アメリカが再び覇権を取り戻すための【希望】でもあった。
「良いですか、大統領」
アルファは、キャサリンを真っ直ぐに見据え、この長い分析の【結論】を口にした。
「盤面は、中国が飛び抜けたように見えます。……だが、地球上の国すべてに、まだ勝機はあります」
アルファの声には、一切の諦めがなかった。
「必要なのは、単純なことです」
アルファは、ゆっくりと、そして極めて冷酷に、国家の生存戦略を告げた。
「我々もまた……新しいアーティファクトを、手に入れればいい。……それだけのことです」
ピタリ、と。
会議室の空気が、完全に静止した。
中国の仙人に対抗するために、我々もまた、新たな神の力を手に入れる。
それは、アメリカ合衆国が、自らの科学力と民主主義という矜持を完全に捨て去り、「地球外テクノロジーの奪い合い」という狂気のレースに、泥塗れになって本格参戦するという、恐るべき宣言だった。
「……」
キャサリン・ヘイズ大統領は、目を閉じ、深く、長く息を吸い込んだ。
約2週間前。
彼女は、ロシアのサイボーグを止めるために世界経済を破壊するという、血を吐くような決断を下した。
そして今度は。
中国の仙人に対抗するために、自国もまた、未知のアーティファクトにすがり、血眼になってそれを探し求めるという、さらに深い狂気の泥沼へと足を踏み入れようとしている。
もう、戻れない。
「人間の国」としての理性あるアメリカは、今日この日をもって、完全に死んだのだ。
「……つまり」
キャサリンは、目を開き、その冷たく透き通った灰色の瞳で、アルファを見つめ返した。
もはや彼女の顔に、絶望はなかった。あるのは、冷え切った理解と、終わりのない戦争への覚悟だけだった。
「まだ終わっていない、ということね」
キャサリンの声は、静かに、会議室の壁に響き渡った。
「中国に、すべてを持っていかれたわけでもない。
……でも、もう、元の世界(人間だけのルール)には、絶対に二度と戻れない。
そして次は……。私たちが、『何を』掴むかの話になるのね」
キャサリンのその冷たい理解に。
アルファは、深い影の底で、微かに、満足げに頷いた。
「ええ」
アルファは、静かに、そして絶対的な事実として、それを肯定した。
「ようやく……レースが始まったのです」
中国が先頭を走っている。それだけだ。
まだ誰も、勝ってはいない。
アメリカは、絶望の底から這い上がり、再び狂気の盤面へとその鋭い爪を立てた。
世界は今、本当の意味での「地球外テクノロジー争奪戦」という、終わりなき地獄のレースのスタートラインに、全員が強制的に並ばされたのである。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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