第52話 彼らは最初、信じなかった
中国は巨大だった。
広大な国土と十四億の民を抱え、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国として、地球上のあらゆるサプライチェーンの心臓部として君臨する帝国。
だが、現在のこの狂気めいた『地球外テクノロジー(アーティファクト)争奪戦』という新しいゲームにおいて、中国はまだ何も引いていない巨大な国家だった。
中南海の地下、国家安全委員会の極秘ブリーフィングルーム。
一切の装飾を排した無機質な空間で、古びた木製の円卓を囲むのは、中華人民共和国の最高指導部――李天明国家主席をはじめとする政治局常務委員たちと、軍、情報機関のトップたちである。
卓上には、湯気の消えた茶杯と、吸い殻が山盛りになった灰皿が置かれ、壁面の巨大なスクリーンには、アメリカのワシントンD.C.から流出したとされる『対露・対中および地球外技術関連安全保障に関する緊急大統領通達』のドラフト画像が映し出されていた。
「……いつもの米国の手口です」
党の理論的支柱を担う常務委員の一人が、スクリーンを一瞥して鼻で笑い、冷ややかに吐き捨てた。
「脅威を創作し、例外措置(制裁)を常態化する。イラクの大量破壊兵器の時と全く同じ構図です。……今回は『宇宙人兵器』という、B級映画の脚本のようなお粗末な理由づけになっただけの話です」
「同感ですね」
別の委員も、呆れたように頷いた。
「アメリカは今、国内のインフレと分断で政権の支持率が低迷している。外に巨大な敵(脅威)を作り出し、社会の不満を逸らすための古典的な情報戦でしょう。ロシアがサイボーグ兵士を量産しているなどと荒唐無稽な物語をでっち上げ、それを口実に、我が国のレアアース産業やハイテク分野を完全に封じ込めるための新しい大義名分を作った。……あまりにも雑な芝居です」
会議室の空気は、恐怖やパニックではなく、アメリカの幼稚なプロパガンダに対する『侮蔑』に満ちていた。
無理もない。彼らは徹底した唯物論と科学的社会主義を掲げる国家のエリートたちだ。魔法や宇宙人といった非科学的な概念を、国家の安全保障のテーブルに真面目に乗せること自体が、彼らのイデオロギーに対する屈辱であった。
だが。
上座に座る李天明国家主席の顔には、他の委員たちのような嘲笑は浮かんでいなかった。
彼は、机の上に組んだ両手を見つめながら、静かに、そして鋭い声で口を開いた。
「本物だとは思わない。だが、偽物だと断定するには早い」
李天明のその一言で、会議室の弛緩した空気がスッと引き締まった。
「重要なのは、この文書が本物の宇宙人の技術を記しているかどうかではない」
李天明は、スクリーンに映るキャサリン・ヘイズ大統領の顔写真と、制裁の対象となる中国企業・銀行のリストを睨み据えた。
「重要なのは……米国がこれを理由に、『何を』するつもりかだ。もし米国が本気でこの芝居を打ち、我が国の金融機関を本気で制裁する覚悟なら……それは文書の真偽に関わらず、我が国に対する直接的な経済戦争の宣戦布告(現実の脅威)となる。……検証しなさい。米国のシステムへのアクセス状況と、ロシア向けの資源流通の再点検を」
李天明の命令を受け、国家安全部(MSS)と軍の情報機関が即座に動き出した。
数時間後。
再招集された会議室に、情報機関のトップが血の気の引いた顔で戻ってきた。
「……報告します。主席」
情報トップは、手元のタブレットからメインスクリーンに新たなデータを次々と展開した。
「まず、アメリカの流出文書のフォーマット解析結果です。……偽装ではありません。これは間違いなく、米国のNSC(国家安全保障会議)の最新の内部ネットワークから直接引き抜かれた、本物の公文書ドラフトです。ハッカーによる創作の痕跡はゼロでした」
「本物だというのか?」
軍の統合作戦担当の委員が、怪訝な顔をする。
「アメリカ政府の中枢が、本気でロシアのサイボーグに怯えて公式な対応策を練っていると?」
「それだけではありません」
情報トップは、さらに不気味な一致を示すデータを提示した。
「我が国の海関(税関)総署および金融監督機関からの裏付けデータです。……過去数日間、ロシア系のダミーファンドや国営軍需企業から、我が国のレアアース(特に高純度チタン、ネオジム等)市場に対して、相場を完全に無視した異常な買い注文が殺到しています」
スクリーンに、内モンゴルの採掘拠点から国境の満洲里へ向かう、異常な数の貨物列車の衛星画像が映し出された。
「説明のつかない一致が多すぎます」
情報トップは、額の汗を拭いながら結論づけた。
「アメリカの文書が警告している『ロシアの異常な資源需要』は、現実の市場と物流のデータと完全に合致しています。……少なくとも、ロシアがシベリアで何らかの“突破口(未知の軍事技術の試作)”を掴み、それを強引に量産しようとしている可能性は……もはや、否定しきれません」
「……もし本当なら」
軍担当の委員が、初めてその事態の軍事的な重みを理解し、顔を曇らせた。
「これは単なる戦術の革新ではない。歩兵の概念そのものを覆す、軍事革命です。……ロシアがそんなものを手に入れたとなれば、我々の極東における軍事バランスも、台湾有事のシナリオも、すべて根底から書き直さなければならなくなる」
「単なる欺瞞なら、ロシア側の動きが噛み合いすぎている」。
その嫌な認識が、会議室の全員の胸に重くのしかかり始めた。
そして、その彼らの疑念を完全に「戦慄」へと変えたのは、ワシントンD.C.の現地から送られてきたリアルタイムの映像だった。
「……ワシントンの我が国のエージェントからの報告です」
情報トップが、ホワイトハウス周辺の厳戒態勢の映像を再生した。
「米軍のストライカー装甲車が首都の主要交差点を封鎖し、州兵が対戦車兵器を構えて配備されています。政府高官の地下シェルターへの退避プロトコルも一部で発動している模様です」
「……」
その映像を見た瞬間。
中南海の長老格の一人が、深く、重い溜息をつき、決定的な言葉を口にした。
「……ワシントンは、他国を脅す演出のために、自分の喉元へナイフを当てたりはしない」
長老の言葉に、反論できる者は誰もいなかった。
アメリカが中国を制裁する口実を作るためだけに、自国の首都の経済活動を止め、市民に恐怖を与え、世界中に「アメリカは首都を防衛しなければならないほど追い詰められている」という弱み(醜態)を晒すことなど、絶対にあり得ない。
「これは芝居ではなく……純粋な【恐怖】だ」
長老は、薄暗い会議室の天井を仰いだ。
「米国は、本気かもしれない」
李天明も、低く呟いた。
アメリカの行動が芝居ではなく「本気で怯えている」のだとすれば。彼らが怯えている対象もまた、限りなく本物に近いということになる。
そして、中国指導部にとって最も恐ろしいのは、ロシアの兵器そのものではなかった。
「……問題は、ロシアの兵器ではありません」
経済担当の委員が、青ざめた顔で立ち上がった。
「米国が、自国経済と世界市場を犠牲にしてでも、それを止める【覚悟】をしたことです」
モニターに、世界中の株価が大暴落し、海運ネットワークが完全に麻痺していく様子が映し出される。
「アメリカは今、我々中国の主要な国有銀行をドル決済網から完全に締め出す準備をしています。それをやれば、アメリカのサプライチェーンも崩壊し、彼ら自身も致命的なダメージを負うはずです。……しかし、彼らは本気でその『自爆スイッチ』に手をかけている」
経済担当は、震える声で言った。
「ワシントンは狂ったのではありません。彼らは『ワシントンが物理的に陥落して国が滅びるよりは、世界経済が焼け野原になった方がマシだ』と、冷酷な損得勘定の末に、我々と刺し違える覚悟を決めたのです」
「ワシントンがここまで腹を括るとは……」
長老の一人が、唸るように言った。
「米国は追い詰められている」
李天明は、深く椅子に背中を預けたまま、アメリカという巨大な敵の本質を見透かした。
「そして……追い詰められた帝国は、一番危険だ」
その直後、さらに彼らの予測を上回る凶報が、会議室に飛び込んできた。
「EU(欧州連合)が、アメリカの対中制裁に全面的に同調するとの公式声明を発表しました!」
情報トップが、信じられないというように報告した。
「さらに、彼らの背後にいる『ヘルメス協会』なる組織が、ロシアの機械化を『魂の冒涜』として断罪し……EUは、ウクライナ戦線への【直接的な軍事介入】の準備に入ったとのことです!」
「欧州まで、これに乗るのか……?」
党の理論家が、絶句した。
自国の経済的な痛みを最も嫌うはずの欧州が、自ら進んで中国との貿易を断ち切り、あまつさえロシアとの直接戦争(第三次世界大戦の引き金)に踏み込もうとしている。
「ならば、これは米国の孤独な演出ではない」
軍担当の委員が、重苦しく結論づけた。
「西側全体が、ロシアのサイボーグを【文明的な脅威(絶対悪)】と認定し、腹を括ったということです。……彼らは本気で、ロシアを焼き尽くすつもりです」
「……思ったより、盤面が悪いな」
李天明は、眉間を深く揉み込んだ。
そして、その西側の狂気的な結束に対し、当のロシアは。
「ロシアのボグダノフ大統領が、緊急演説を行いました」
情報トップが、モスクワの映像をスクリーンに映す。
「彼らはサイボーグ技術の存在を完全否定しませんでした。……むしろ、『新時代の兵士概念』や『肉体の限界を克服する進化』といった言葉を使い、核心だけをぼかして誇示しています。さらに、味方になる国にはその技術の恩恵を共有すると……公然と世界を誘惑しています」
「愚かだな、ロシアは……」
長老が、顔をしかめた。
「西側を刺激し、完全に退路を断ってしまった」
「だが、持っているのは本当か」
李天明の問いに。
「はい」
軍担当が、苦々しく頷いた。
「少なくとも、彼らは何かを掘り当て、それを兵器として運用する自信があるからこそ、あそこまで強気に出たのでしょう」
西側は世界経済を壊してでもロシアを殺す覚悟を決め、ロシアは世界の半分をサイボーグ化の恩恵で買収しようと開き直った。
その巨大なチキンレースの真ん中で、中国はどう動くべきか。
会議室は、かつてない激論の渦へと突入した。
「制裁は本気です! 我々も深手を負います!」
経済担当が、必死に訴える。
「もしアメリカが予告通り、我々の四大銀行をSWIFTから締め出せば、中国経済は数十年の後退を余儀なくされます。一帯一路の投資も焦げ付き、国内の失業率は爆発的に跳ね上がる!……ここは一時的にアメリカの要求に屈し、ロシアへのレアアース供給を止めるべきです!」
「だが、今ロシアを見捨てれば、次は間違いなく我々中国が標的にされるぞ!」
軍担当が、真っ向から反論する。
「ロシアという盾があるからこそ、我々はアメリカと正面から対峙できているのだ! ここでアメリカの恫喝に屈してロシアを切り捨てれば、西側は『中国は脅せば折れる』と学習し、台湾問題や南シナ海でも同じように経済の首を絞めてくる。……それに、ロシアのあのサイボーグ技術、もし我々が手に入れることができれば、人民解放軍の戦力は飛躍的に向上するのだぞ!」
「ロシアを支えるのではない。米国に『中国は膝をつかない』と示すのだ」
長老の一人が、軍担当の意見を支持した。
「我々がアメリカの要求に従って資源供給を止めれば、それは中国がアメリカの『属国(言いなり)』になったと世界に宣伝するようなものだ。中華民族の偉大な復興という夢が、アメリカの脅し一つで頓挫するなど、党の威信にかけて絶対に許されない」
激論が交わされる中。
李天明は、じっと黙ったまま、両陣営の意見を聞いていた。
経済の崩壊という現実的なダメージ。
国家の威信と、将来の安全保障(サイボーグ技術の獲得)。
彼の中では、すでに答えは傾きつつあった。「アメリカに屈する選択肢はない」と。
「……主席。アメリカ国務省から、水面下での『非公開の警告』が届いています」
情報トップが、一枚の書類を李天明の前に差し出した。
「『ロシアへの素材・資金の支援を直ちに止めろ。さもなくば制裁を発動する』という、最後通告の前の、最後の外交的打診です」
「脅迫だな」
李天明は、その書類を一瞥し、冷たく吐き捨てた。
「はい。しかもかなり具体的で、我々の国有企業の取引ルートを完全に把握しています」
「米国は、引き返す階段(逃げ道)を残したつもりなのだろう」
長老が、皮肉げに笑った。
「だが、こちらがその階段を降りれば……我々は永遠に、アメリカに見下されることになる」
数秒の沈黙の後。
李天明は、ゆっくりと顔を上げ、決断を下した。
「……拒否する」
その声は、驚くほど静かで、しかし絶対に揺るがない強固な意志に満ちていた。
「米国の恐怖に合わせて、中国の国家方針を変える前例は作らない。……我々は、主権国家として、ロシアとの正常な貿易を継続する」
それは、アメリカの要求を跳ね除け、世界経済の崩壊(制裁の発動)を甘受してでも、国家のプライドと将来の覇権(ロシアの技術の吸収)を選ぶという、重い覚悟の表明だった。
「……承知いたしました。ただちに外交部から、『アメリカの妄言と内政干渉を拒否する』との公式声明を発表させます」
そして、運命のタイムリミットが過ぎた。
アメリカは、一切の躊躇なく、中国の主要金融機関と物流ネットワークに対する【例外なき最上位の経済制裁】を発動した。
世界中の銀行が中国との決済を停止し、海運保険は無効化され、港湾には数千隻のコンテナ船が立ち往生した。
「……国家としては耐えられます。しかし……」
経済担当が、モニターに映し出された国内の輸出入の完全停止や、株価の暴落、そして地方政府のパニックを示す真っ赤なデータを見つめながら、震える声で言った。
「我々が過去数十年にわたって築き上げてきた、『経済成長』の時代は……これで、完全に終わります」
「終わらせるな」
李天明は、青ざめる経済担当を鋭く睨みつけ、力強く言った。
「これは短期の苦痛だ。……形を変えるだけだ。我々は、西側に依存する経済から、ユーラシア大陸を支配する『新しい自立経済圏』へと、強制的に移行するのだ。その痛みに耐えられない国家に、覇権は握れない」
だが、誰もその痛みを軽く見てはいなかった。
中国は、アメリカの狂気にドン引きしつつも、自らもまた血を流す覚悟で、退かない道を選んだのだ。
「……ロシア支援は継続する」
李天明は、会議の総括として、今後の国家方針を明確に打ち出した。
「だが……ロシアは今日の『盾』だ。我々がアメリカの矛先を逸らすための、便利な防波堤に過ぎない」
李天明の目が、冷酷な光を放つ。
「ロシアは、中国の『明日(未来)』ではない。……我々は、彼らの兵器に頼り切るつもりはない」
「では、どうなさるおつもりで?」
軍担当が問う。
「我々自身の札を掘る」
李天明の決裁は、極めて明確だった。
「中国独自の異常地点探索を、国家の【最優先事項】へと格上げする。……軍、情報機関、党の組織網、さらには宗教・民俗学の学術ルートまで、あらゆるリソースを総動員しろ」
「チベット高地、新疆、敦煌の砂漠、そして……『崑崙』をはじめとする古代道教や神話の伝承地帯を、一からすべて洗い直せ。アメリカやロシアが引いたのなら、我々の足元にも必ず、この世界を覆す何かが眠っているはずだ」
中国は、ただロシアに追従して時間を稼ぐのではなく。
その稼いだ時間を使って、自らの文明の力で『アメリカとロシアを同時に出し抜くための、最強のジョーカー』を探しに行くことを決断したのだ。
会議は、一応の結論を得て、解散の空気へと向かい始めた。
党幹部や軍のトップたちが、それぞれの持ち場へ散るために立ち上がる。
だが、その空気は決して軽くはない。ロシアを支援するという現実路線を選んだものの、それが中国の真の未来(勝利)ではないことを、彼らは全員理解していた。
「では、中国自身の札はどこにあるのか」。その重い疑問だけが、会議室に澱のように沈殿していた。
その時だった。
「……お待ちください」
会議室の扉が開き、国家安全部(MSS)の古参の実務者が、明らかに通常の諜報報告とは違う、異様な緊張感を帯びた顔で入室してきた。
彼は、李天明国家主席ではなく……円卓の奥に座る【長老たち】に向かって、真っ直ぐに歩み寄り、一礼した。
「……何事だ」
長老の一人が、訝しげに問う。
「中国国内の古いオカルトネットワーク……文化大革命の嵐を生き延びた、山岳修験や道教残党の地下回線から」
実務者は、ゴクリと唾を飲み、声を落として言った。
「……長老の皆様だけに宛てた、極秘の『持ち込み案件』が届いております」
「我々に、だと?」
長老たちが、顔を見合わせる。
国家主席(政権)ではなく、長老(中国文明の継承者)に向けた呼びかけ。それは、単なるスパイからの情報提供ではない。古い中国の“深層”が、直接動いたということを意味していた。
実務者は、恭しく、一つの小さな木箱をテーブルの上に置いた。
そして、その中から取り出されたのは……データでも地図でもなく。
一枚の【札】だった。
紙とも木とも金属ともつかない、異質な質感を持った古い札。
経年劣化しているはずなのに、異様なほどに保存状態が良い。表面には墨で書かれたような文字列があるが、漢字の原型のようでもあり、現代人には読めない。いや、見ているだけで目が滑り、意味を認識しようとすると頭の奥が微かに痺れるような、圧倒的な『拒絶』の波動を放っていた。
「……これは?」
李天明が、眉をひそめてその札を見つめた。
「古くから、仙人が漢民族を弟子にする時……弟子入りを申し出る側が使う『通行証』だと、裏のネットワークでは伝わっているものです」
実務者は、震える声で説明した。
「この札を持つことで、【崑崙】への道が開く……正確には、崑崙へ辿り着くための『資格の判定』が始まる、と」
崑崙。
中国神話における、西の果てにあるとされる神々や仙人の住まう理想郷。
それが、単なる探査候補地ではなく、「向こう側から呼ばれる場所(査定される場所)」として、突如として彼らの目の前に実体を持って現れたのだ。
長老たちは、その札の異様な存在感を前にして、完全に言葉を失っていた。
「ついに来たか」というオカルト的な興奮と、「来てしまったか」という国家の存亡を揺るがす恐怖が、半々に混ざり合っている。
「……また、古い迷信ではないのか。国家の最高意思決定に、こんなものを持ち込むつもりか」
党の理論家が、不快感を露わにして実務者を睨んだ。
「迷信ではありません」
実務者は、真顔で否定した。
「これまでの中国国内の異常点探査データと照合した結果……この札が示す山域には、説明不能な重力異常や電磁波の乱れが、複数重なって観測されています。……完全に否定することは、もはや不可能です」
「……」
実務者は、さらに、その札を持ち込んだ接触者からの【口伝の警告】を、一つ一つ、重く読み上げた。
「警告は、三つです」
「一つ。崑崙への道は、単に行けば辿り着けるものではない。行く側の覚悟、国家の覚悟、文明の覚悟が問われる。『力をもらいに行く』つもりなら、失敗する可能性が高い。……仙人は力を配る存在ではなく、我々の価値を【測る】存在である、と」
「二つ。仙人は『今の中国』を知らないわけではない。むしろ、ずっと見続けている。漢民族の長い歴史、王朝の交代、民の苦しみ、傲慢、虐殺、革命、文化破壊、権力闘争……。我々の行いのすべてを。
……つまり、中国政府が崑崙に行くということは、新しい技術を拾いに行くことではありません。中国文明全体の【査定(審判)】を受けに行くということです」
その言葉の重みに、軍のトップも、情報機関の長も、完全に顔色を変えた。
「三つ。……もし、仙人が今の漢民族を見捨てたら。もし、我々が怒りを買っていたら。もし『お前たちは弟子に値しない』と断じられたら。
……その場合。中国という国家は、一夜にして【滅びる】可能性がある、と」
滅びる。
物理的な破壊か、統治中枢の喪失か、天変地異か。接触者はそこをぼかしていたが、逆にその曖昧さが、途方もない恐怖として会議室を支配した。
「……」
李天明は、すぐには飛びつかなかった。
「偽装の可能性は? 外部勢力、アメリカやロシアによる心理的な誘導工作ではないのか?」
彼がそう問うのも当然だった。だが、実務者が示す観測データと、古い宗教ネットワークの完璧な整合性の前に、彼もまた、これを完全否定することができなくなっていた。
李天明は、深い沈黙に入った。
これは、単なる安全保障の話ではない。中国文明そのものが、宇宙の上位存在によって審判されるという、全く次元の違う話なのだ。
長老たちは、真っ二つに割れていた。
「行くべきではない」
一人の長老が、恐怖に震えながら言った。
「見捨てられて国が滅びる可能性があるなら、そんな箱は開けない方がいい。我々は今のままで十分に強国だ」
「今のまま流される方が、確実な死だ」
別の長老が、机を叩いて反論した。
「アメリカにもロシアにも盤面を握られたまま、何も引けていない中国の方が危険だ。ここで賭けに出なければ、我々は永遠に彼らの後塵を拝することになる」
軍のトップも、最初はオカルト案件として嫌悪感を示していたが、「国家が滅ぶ可能性がある」と聞いて真顔になっていた。
「もし本当にアーティファクトへ到達できるなら、国家戦略上無視できない。……だが、失敗時の損失評価(国家の滅亡)が重すぎる。軍としては、安易な推奨はできない」
情報機関のトップは、これがスパイを送り込めば済む話ではないと直感していた。
「これは情報収集ではなく、参加した時点で試される案件です。……国家主席、あるいはそれに準ずる存在が、直接その『覚悟』を示さなければ、門は開かないでしょう」
理論家や党官僚たちは、中国共産党の無神論のイデオロギーと真っ向から衝突するこの案件に嫌悪感を示していたが、もはや「迷信だから却下」と言うだけの権威は崩れ去っていた。アメリカもEUもロシアも、すでに異星の技術という“魔法”を手に入れているのだ。中国だけが無神論の顔で取り残されるのは、最も危険な選択であると、彼らも理解し始めていた。
「……」
李天明は、机の上に置かれた不可解な札を、じっと見つめていた。
「このまま流されれば、中国はロシアの盾として、アメリカとの消耗戦で時間を稼ぐだけの国家になる」
李天明は、低く、重い声で、現在の中国が直面している究極の選択を言語化した。
「だが、崑崙へ向かえば……中国は、中国自身を『審判』にかけることになる」
彼は、円卓の面々を見回した。
「どちらも、安全ではない。……問題は、生き残れるかではなく、『どちらの死に方を選ぶか』だ」
会議室に、息の詰まるような沈黙が降りた。
長老の一人が、苦しげに呟く。
「流されるか、賭けるかです」
「いや、賭けではない」
最長老が、静かに、しかし深い畏怖を込めて訂正した。
「……裁きを受けに行くのだ」
李天明は、ゆっくりと手を伸ばし、その札の数センチ手前で、指先を止めた。
中国はその夜、アメリカに屈せず、ロシアを支えるという現実路線の決断を下していた。
だが、その決定よりもはるかに重く、恐ろしいものが、机の上に置かれていた。
崑崙へ至る札。
それは、道が開く魔法の鍵などではない。中国という巨大な国家が、その生存の資格を問われるための、冷酷な審判の招待状だった。
アメリカに屈しない。ロシアも使う。だが、それだけでは中国の未来にはならない。
そのことを、中南海の地下に集った老人たちは、誰よりも深く理解していた。
流されるか、賭けるか。
いや――裁かれる覚悟で、崑崙へ向かうか。
中国政府は、その一枚の小さな札の前で、初めて、深く、恐ろしい沈黙へと沈んでいったのである。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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