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第48話 通常の政治が通じる領域の外

 未明の首相官邸。

 地下深くの『既存技術外事象評価セル』の極秘会議室に、けたたましいアラートに叩き起こされたコアメンバーたちが、続々と集結していた。


「……アメリカ合衆国政府から、最優先の緊急通達フラッシュ・メッセージが入っています」

 官邸秘書官が、血の気の引いた顔で、矢崎総理のデスクの上に一通の厚いファイル群を置いた。

「ホワイトハウスのNSC(国家安全保障会議)と、あのセレスティアル・ウォッチの双方のトップの承認サイン入りです。……総理、評価セルの即時会議が必要です」


「……また、世界が何か新しいジョーカー(厄災)を引いたのね」

 矢崎総理は、寝不足で鉛のように重い頭を振り払いながら、険しい顔でそのファイルを見つめた。

 最近の連続する地球規模の異変の延長線上にあることは間違いない。だが、ワシントンから直接「最優先」で叩きつけられてきたこの通達の表紙からは、これまでとは明らかに質の違う、きなくさい火薬の匂いが立ち上っていた。


 会議室には、総理の他に、官房長官、防衛大臣、外務省のトップ官僚、内閣情報調査室の幹部。

 そして、現場の指揮官である沖田室長と、先日の会議で「日本は世界から核で焼かれる」と最悪のシナリオを予言したばかりの、三神編集長の姿があった。


「揃ったわね。……始めてちょうだい」

 総理が開会を促すと、外務省の官僚が、震える手でアメリカからの通達文書を読み上げ始めた。


「アメリカ合衆国政府より、最優先危機通達。……『対露、対中、及び地球外技術関連安全保障に関する緊急事項』」

 官僚は、一つ唾を飲み込んだ。

「――ロシアが。シベリアの永久凍土の底から、『地球外テクノロジー(アーティファクト)』を発掘し、これを確保・起動させたことを、米国政府は【確定情報】として通達しています」


「……っ」

 会議室が、水を打ったように静まり返った。

 誰もが、いつかはこの日が来るのではないかと心のどこかで恐れていた「やはりロシアも来たか」という、最悪の予感の現実化。


「……中身は、何なの」

 総理が、絞り出すように問う。


「対象は、異星の『軍事医療ロボット』。……人間の兵士の四肢や器官を機械に置き換える【サイボーグ化】、および能力の最適化を可能とするシステムであると推定されています」


「……医療、じゃないな」

 沖田室長が、現場の指揮官としての研ぎ澄まされた直感で、その技術の本質を一言で刺し貫いた。

「それは、負傷兵を治すための道具ではない。……人間の限界を超えた化け物を生み出す、『兵士の生産設備プラント』だ」


 沖田のその鋭い指摘に、防衛大臣も官房長官も、一気に顔を強張らせ、会議室の空気が一段と重く引き締まった。


「……アメリカ側の試算では」

 官僚は、さらに絶望的なテキストを読み上げる。

「そのサイボーグ兵で大隊規模(数百人)の部隊が編成され、投入された場合。……『ワシントンD.C.を三時間以内に陥落させ得るレベルの脅威』であると、通達には明記されています」


「……何それ」

 総理は、思わず絶句し、額を押さえた。

 アメリカという、世界最強の軍事力を持つ覇権国家が。自らの首都の防衛網が「たった数百人の歩兵」によって数時間で食い破られるという、およそあり得ない自国の脆弱性(弱み)を、同盟国である日本にわざわざ『公式な通達』として認めてきたのだ。

 それはつまり、この情報が「単なる脅かし」などではなく、アメリカが国家の存亡をかけて本気で怯え、本気でそれを叩き潰しにかかっているという、狂気にも似た【本気度】の証明に他ならなかった。


「そして、アメリカ政府は、このロシアの『怪物』の量産を阻止するため、極めて強硬な手段に出ることを宣言しています」

 官僚の読み上げる声が、さらに恐怖の色を帯びる。


「『今後、ロシアに対して、サイボーグの部品の材料となる貴金属やレアアースを提供するすべての国家・企業は。……ウクライナ戦線におけるロシア軍への【直接的な武力参加】とみなし、ロシアと同等の最高レベルの経済制裁の対象とする』」

「さらに……『中国が、ロシアへの資源供給を継続・隠蔽する場合。米国は、中国に対しても同様の制裁措置を取る覚悟である』と」


「……本気ね」

 官房長官が、信じられないものを見るように呻いた。


「中国まで完全に経済のシステムから切り離して、二次的制裁を発動する……? そんなことをすれば」

 外務省の官僚が、青ざめた顔で計算を弾き出す。

「グローバルなサプライチェーンは完全に死に絶えます。……ワシントンは、世界経済が一時的に【破綻】してでも……ロシアの兵站を物理的に干上がらせて、あの怪物を止めるつもりです」


 世界経済の崩壊も、辞さない。

 同盟国への配慮や、市場への影響、グローバル化の恩恵。そうした平時の理屈をすべてかなぐり捨てて、なりふり構わず「敵の息の根を止める」ことだけを最優先にした、剥き出しの暴力的な政策。


「……」


 矢崎総理は、デスクの上で固く組んだ両手を見つめたまま、長く、重い沈黙に沈んでいた。


 アメリカが、そこまで言うなら、彼らは本当にやるのだ。

 ロシアという国家が、サイボーグ兵という新たな怪物を生み出しただけではない。その怪物に対抗するため、アメリカという巨大なシステムもまた、これまでの「理性的で民主的な覇権国家」という皮を脱ぎ捨てて、世界を道連れにする怪獣へと姿を変えてしまったのだ。

 そして、日本もまた、『出雲』と『与那国』という全く別種の爆弾を抱えながら、同じように狂っていく世界という名の地獄に、首までどっぷりと浸かってしまっている。


「……通常の政治が通じる領域を、とっくに踏み越えてるわね」


 総理の口から漏れたのは、一国のリーダーとしての、極めて重く、そして絶望的な認識の更新アップデートだった。

 もう、外交の駆け引きや、市場への配慮、同盟間の調整といった「常識的な政治の枠組み」で、この世界を語る段階は終わったのだ。


 総理は、深く息を吐き出し、そして円卓の隅で、一人だけこの破滅的な通達をまるで他人事のように聞いていた男へと、視線を向けた。


「三神編集長」

 総理の呼びかけに、三神は「おや」と少しだけ首を傾げた。

「……あなた、このロシアの件について、何か知ってるんです?」


 全員の視線が、日本政府の『裏の知恵袋』であるこの男へと集中する。


「ええ、まあ……」

 三神は、少しだけ苦笑しながら、ポケットから手を出し、いつものように飄々とした態度で口を開いた。


「ロシアのウラジーミル・ボグダノフ大統領が、地中海でアメリカが『アポロンの矢』を引き当てたのを見て、異常なまでに焦燥し、シベリアの探索に予算を突っ込んでいたことまでは……私の情報網(オカルト界隈の独自のルート)でも、把握していましたよ」

 三神は、肩をすくめる。

「欧州のヘルメス協会や、日本の出雲の件も重なって、彼らはかなり追い詰められていたようですからね。……ただ、まさか本当に、あの永久凍土の底から、完全な状態のアーティファクトを引き当てるとは……。さすがの私も、そこまではまだ知りませんでしたよ」


 三神の言葉に、官僚たちは「こいつですら全知全能ではないのか」と少しだけ安堵しつつも、やはり彼が事前に「ロシアの異常な執念」を掴んでいたことに、底知れぬ恐ろしさを感じていた。


「サイボーグ、ねぇ……」


 三神は、腕を組み、アメリカからの通達文書をぼんやりと眺めながら、どこか懐かしい昔話でも思い出すように、ひどく軽い感じで呟いた。


 そして。

 次の瞬間、彼がさらりと口にした一言が、この会議室の空気を、それまでの『地球規模の絶望』から、さらに何万光年も先の【宇宙規模の恐怖】へと、一気に引きずり落としたのだ。


「……私の知っているサイボーグよりは、遥かに『弱い(旧式)』みたいですね」


「……は?」

 外務省の官僚が、思わず素っ頓狂な声を上げた。


 何を、言っているんだこの男は。

 大隊でワシントンを数時間で陥落させ、世界経済を破綻させてでもアメリカが全力で止めに行こうとしている、あの悪夢のようなロシアの怪物を捕まえて。

 『弱い』だと?


「……どういうことだ、三神」

 沖田室長が、現場の人間としての鋭い危機感で、即座にその言葉の『意味(真意)』を飲み込み、低く問いただした。


「いや、ただの世間話ですよ」

 三神は、まるでおとぎ話でも語るようなトーンで、ニコリと笑った。


「私の知っている……ある『サイボーグ』なら。……大隊なんて組む必要はありません。単騎(一人)で、三時間もあれば、アメリカの首都防衛網くらい、鼻歌交じりで完全に更地にできるレベルですからね」


「……っ!」


「しかも、その気になれば……都市に致命的なダメージ(民間人の犠牲)を与えることを考慮しなければ、文字通り『核兵器並みの火力(エネルギー出力)』を、単身で叩き出すことすら可能ですよ。……それに比べたら、ロシアの掘り当てたサイボーグなんて、弾避けの案山子にもならない、随分と燃費の悪い旧式の骨董品みたいだなと、そう思っただけです」


 ピタリ、と。

 官邸地下の会議室が、文字通り、完全な【絶対零度の沈黙】に凍りついた。


 誰のことかは、彼は一切説明しなかった。

 ただ、この地球に、ロシアの悪魔すら子供の玩具に見えるほどの、本当の意味で【単騎で世界を滅ぼせるバケモノ】が存在しているという、事実の提示。

 矢崎総理も、沖田室長も、あまりのスケールの違いに完全に言葉を失い、冷たい汗を背中に流すことしかできなかった。自分たちが必死に議論していた「地球の安全保障」という枠組みが、宇宙という深淵から見下ろせば、いかに小さく、矮小な砂場の争いであるかを、強烈に突きつけられたのだ。


「……だが」

 数秒の深い沈黙の後。

 三神は、怯え切った日本政府の面々を現実に引き戻すように、少しだけ真面目な声色に切り替えて、文明の講評フォローを入れた。


「ええ、まあ……あくまで『星間文明の基準スケール』として見れば、随分と弱い骨董品だというだけです」

 三神は、机を軽く指で叩いた。

「地球という、この狭い未熟な惑星文明のルールの枠内で見れば。……ロシアのサイボーグ兵は、間違いなく世界の軍事バランスを一瞬でひっくり返す、十分すぎる【絶対的脅威】ですよ。……そこは、決して切り分けて、油断してはならない部分です」


「……ええ。分かっているわ」

 矢崎総理は、どうにか重い頭を持ち上げ、大きく深呼吸をして、意識を「日本の現実の危機」へと引き戻した。

「どれだけ宇宙のスケールが大きかろうと。今、私たちの目の前にある現実の国境線と経済を脅かしているのは、そのロシアの骨董品なのだから。……日本として、無視するわけにはいかない」


「では、日本政府として、どう動くべきか」

 沖田室長が、実務的な議論のレールを敷き直す。

「アメリカからのこの通達に対し、どう回答し、どう協力するか。……対露制裁の強化、資源市場の監視、そして中国の動向の見極め。……我々もまた、アメリカが主導する世界経済のダメージコントロールに、巻き込まれることになります」


「……一つ、確認したい」

 防衛大臣が、ここで極めて重要な、そしてこの会議室にいる誰もが抱えていた疑念を口にした。


「今回、ロシアという極めて危険な『別種の脅威』が出現したことで。アメリカは、我々日本に対して、この情報をいち早く共有し、共同歩調(協力)を求めてきた。……これはつまり、アメリカは我々のことを、再び信頼できる【味方(同盟国)】として扱い始めたと、そう考えて良いのでしょうか?」


 つい先日まで、魂の庭を巡って日本を「仮想敵」として見て、占領計画すら立てていたアメリカが。ロシアの脅威を前にして、再び日本と手を取り合う「正義の味方」に戻ってくれたのではないか、という淡い期待。


 総理も、他の閣僚たちも、その希望的観測を込めて、三神へと視線を向けた。


「……いえ。それは、全く違います」


 だが。

 三神は、その日本政府の甘すぎる期待を、一片の容赦もなく、あっさりと斬り捨てた。


「味方になったわけではありません。……ただ、ロシアのサイボーグ化という『今すぐに対処しなければならない別の致命的な脅威』が出現したから。……日本の『出雲』と『与那国』の問題が、アメリカのスケジュール帳の中で、一時的に【脇に置かれた(後回しにされた)】だけですよ」


「……脇に、置かれただけ」

 総理が、絶望的な響きを反復する。


「ええ。アメリカの覇権主義の本質は、何も変わっていません」

 三神は、冷酷な真理を突きつける。

「彼らは、ロシアの怪物を片付けた後、あるいはその混乱に乗じて、必ず再び、我々の足元に眠る魂のアーカイブと環境調律システムを奪いに来ます。……絶対に、油断は禁物です。彼らが『今は別件で忙しいだけ』だという前提を忘れて、彼らに背中を預ければ……日本は確実に寝首を掻かれますよ」


「……そうね」

 矢崎総理は、深く、深い息を吐き出し、日本という国家が置かれている、あまりにも過酷な『三重苦の綱渡り』の現実を、完全に受け入れた。


「日本政府としての、当面の暫定方針を決定するわ」

 総理は、円卓の全員に向かって、静かに、しかし力強く宣言した。


「ロシアのサイボーグ兵問題、および対中資源制裁の件に関しては。……我々はアメリカと歩調を合わせ、情報の共有を図り、これまで通りの『従順な同盟国』として、完璧に振る舞う」

 総理の目が、鋭く光る。

「ただし。……『出雲』と『与那国』の件については、絶対に尻尾を掴ませない。アメリカに対しても、完全な警戒態勢(ブラックボックス化)を維持し続けるわ。……彼らが味方に戻ったなどと、一瞬たりとも勘違いしないことね」


「了解しました」

 官房長官、外務、防衛、内調のトップたちが、一斉に首を垂れた。


 ロシアは鉄の兵士を手に入れ、アメリカは世界経済を燃やしてでもそれを止める覚悟を決め、欧州もまた、狂気の色を帯び始めている。

 世界中の大国が、それぞれに地球外テクノロジーという名の「悪魔の力」を手に入れ、常軌を逸した殺し合いの準備を進める中で。

 日本だけが、『出雲』と『与那国』という、使えば世界を書き換えてしまう別種の核兵器をひっそりと抱え込んだまま、誰にも頼れず、同盟という名の鎖と警戒の狭間で、果てしない綱渡りを続けなければならないのだ。


「……今は、脇に置かれただけ」


 会議が終わり、静寂を取り戻した地下室で。矢崎総理は、誰にともなくポツリと呟いた。

 新たな脅威が増えたからといって、古い脅威(アメリカの野心)が消えたわけではない。世界が忙しくなっただけで、日本の『詰み筋』は、まだどこにも消えてはいないのだ。


 その一言が、その夜の日本政府にとって、最も重く、最も冷たい現実の突きつけであった。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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