第4話 神の雷霆と、石器時代の泥棒たち
大気圏外、熱圏のさらに外縁に音もなく浮かぶ超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉。
その最奥に位置する広大なプライベートルームには、地球上のいかなる権力者であっても生涯味わうことのできない、完璧に調律された静寂と無上の快適さが充満していた。
絶対零度に近い宇宙空間と即死の放射線を分厚い隔壁と多層シールドで完全に遮断したこの空間の室温は、常に摂氏二十二度、湿度は五十パーセントに保たれ、合成された空気には微かな森林の香りがブレンドされている。
銀河皇帝のスペアとして培養された完全無欠のクローン体であり、同時にかつて「神谷玲」という名の平凡な地球人として生きた記憶を持つ男、ティアナ・レグリアは、最高級の形状記憶素材で覆われたゲーミングチェアに深く身体を沈めていた。
彼の眼前には、空中に直接投影された複数のホログラフィック・ディスプレイが展開されている。メインスクリーンに映し出されているのは、地球のインディーゲーム開発者がリリースしたばかりの、農業シミュレーションと超高難易度弾幕シューティングを悪魔合体させたような、奇妙極まりないジャンルのゲームだった。
ティアナの均整の取れた指先が、空間に浮かぶ不可視の触覚インターフェースを光の速さで叩く。彼は、畑にトマトの種を植える計算と同時に、画面を埋め尽くす突然変異した巨大野菜からのレーザー弾幕を、ミリ単位のドット単位で完璧に回避し続けていた。
「よし、これで秋の収穫ノルマは達成……っと、危ない。このキャベツの第三形態、弾の軌道がいやらしいな。前世で遊んだアーケードゲームのボスのオマージュか。この時代のクリエイターは本当にいい趣味をしてる」
ティアナは、合成された高級コーラを一口啜りながら、底抜けに楽しげな独り言を漏らした。
彼の魂は、かつてブラック企業で心身を磨り潰された一介のシステムエンジニアだった。
それが今や、数兆の知的生命体がひしめく銀河帝国の最高権力者の「影」として、この地球という巨大な箱庭を特等席で観測する立場にある。
地上では、大国同士が血みどろの覇権争いを繰り広げ、裏社会では見えざる富と技術の簒奪が繰り返され、セレスティアル・ウォッチのような秘密組織のトップが胃に穴を開けながら人類の存亡を背負って苦悩している。
しかし、ティアナにとってそれは、あくまで自分のお気に入りの「エンターテインメント番組」のバックグラウンドストーリーに過ぎなかった。
「代表。極上の娯楽の最中に、誠に申し訳ありません」
背後の自動ドアが摩擦音一つ立てずに滑らかに開き、副官のXT-378が入室してきた。流体金属でコーティングされた人型のボディが、室内の柔らかな照明を反射して鈍い銀色の光を放つ。
その合成音声は常にフラットで感情の起伏を感じさせないが、長年連れ添ったティアナには、その音声波形の微細な揺らぎから、報告内容が単なる定例のものではないことが読み取れた。
「ん? どうしたの、XT-378。セレスティアル・ウォッチの『村長』さんから、またヒステリックな通信でも入った?」
ティアナはゲームを一時停止させることなく、視線だけを副官に向けた。
「いえ、オブザーバー・アルファからの直接の接触はありません。しかし、地球の裏社会における特定の情報トラフィックと、それに伴う物理的な異常現象が、我々の設定した警戒閾値を大幅に突破しました」
XT-378は、ティアナの視界の端に新たなホログラムウィンドウを開いた。そこには、地球の夜の地図上に、無数の赤い警告マーカーが点滅している様子が映し出されていた。
「現在、ダークウェブの深層において『アポロンの矢』、あるいは『ヘリオスの欠片』と呼ばれる未知の指向性エネルギー兵器の模造品、及びその設計図の断片が、爆発的な速度で拡散・取引されています。そして、それに伴い……」
XT-378がウィンドウをスワイプすると、いくつかの凄惨な現場の衛星写真や、監視カメラの映像が連続して再生された。
東欧の山奥にある放棄された軍事施設が、まるで内側から太陽を飲み込んだかのように一瞬で蒸発し、クレーターと化している画像。中東の非合法な兵器工場が、不自然な紫色の閃光と共に溶解し、周囲の空間に局所的な電磁パルス障害を引き起こしている映像。
「……世界各地の武装勢力や技術ブローカーたちが、入手した不完全な情報に基づき、この『アポロンの矢』の製造と起動実験を試みています。しかし、そのすべてが致命的な暴走を引き起こしており、現時点で確認できるだけでも、三つの施設が消滅し、数百名の死傷者が出ていると推測されます。地元政府はこれを『大規模な化学工場爆発』や『違法弾薬庫の誘爆』として処理していますが、我々のセンサーが捉えた残留エネルギーパターンは、明らかに地球の技術体系から逸脱した、プラズマの臨界暴走現象を示しています」
「あー……」
ティアナは、ここでようやくゲームのポーズボタンを押し、深く息を吐き出した。
「なるほどね。また地球の連中、変なものを拾って火遊びしてるのか。しかも、オリジナルじゃなくて、見よう見まねで作った『模造品』で自爆祭り、と」
「はい。彼らは、自分たちが扱っているエネルギーの性質はおろか、その制御方法すら全く理解していないまま、盲目的に兵器としての威力を追求し、ただスイッチを押している状態です。このまま放置すれば、いずれ都市の一つや二つが、実験の失敗によって地図から消滅する事態に発展する確率が、過去最高の数値を記録しています」
ティアナはゲーミングチェアを回転させ、眼下に浮かぶ美しい青い星を見下ろした。
この星は、宇宙のゴミ捨て場であり、吹き溜まりだ。太古の昔から、様々な星間文明が何かの拍子に落としていった「忘れ物」が、文字通り山のように眠っている。そして、未熟な人類は、その忘れ物の意味も使い方も分からないまま、ただ光り輝くそれに群がり、時には自らの手を焼き切っている。
「放っておくと、僕のお気に入りの漫画の出版社ごと地球が焦げちゃうかもしれないな。それは非常に困る。宇宙的な大損失だ」
ティアナは、まるで夕食のメニューを決めるような気楽な口調で呟いた。
「XT-378。その『アポロンの矢』のオリジナル……要するに、連中が模造品を作る手本にした一番最初の出どころは特定できてる?」
「はい。多角的な情報傍受と、エネルギー痕跡の逆探知により、対象物は現在、地中海に浮かぶ私有の孤島……国際的な武器ブローカーとして指名手配されている、ヴィクトル・ゾルマンの秘密倉庫に厳重に保管されている可能性が最も高いと判断されます」
「ヴィクトル・ゾルマンね。いかにもな悪役の名前だ。よし」
ティアナは指先を弾き、ステーション内の別の区画にいるアーティファクト回収チームのリーダー、レックス・ボルコフの通信回線を開いた。
「レックス、暇してる? ちょっとお使いを頼みたいんだけど」
『こちらレックス。いつでも出撃可能です、代表。目標は?』
通信越しに、歴戦の傭兵特有の、低く落ち着いた声が響く。
「地中海のゾルマンってブローカーの島に、地球の裏社会で『アポロンの矢』って呼ばれてる大層な名前のアーティファクトがあるらしいんだ。最近、それの劣化コピーが出回ってて、あちこちで自爆騒ぎを起こしてる。ちょっと面倒なことになりそうだから、オリジナルの正体だけ確認しといてほしい」
『オリジナルの回収、及び施設の制圧ですか?』
「いやいや、そんな大げさなことはしなくていいよ。回収なんてしたら、今度はセレスティアル・ウォッチの連中が『神の兵器が消えた!』ってパニックになって、また僕の通信回線が鳴り止まなくなる。ただの偵察だ。潜入して、スキャンして、それが一体どこの星のどんなガラクタなのか、レポートだけまとめて送ってくれればいい。誰にも見つからずにね」
『……幽霊の散歩、というわけですね。了解いたしました。ただちにチームを編成し、降下します』
「よろしく。ああ、くれぐれも無理はしないでね。どうせ大した代物じゃないだろうから」
ティアナは通信をあっさりと切ると、再びゲーミングチェアに向き直り、一時停止していた農業弾幕ゲームのポーズを解除した。
彼にとって、地球の存亡を懸けた危機など、画面の中で迫り来る巨大キャベツのレーザー攻撃よりも、遥かに処理の優先順位が低い事象に過ぎなかった。
***
地中海に浮かぶ、名もなき孤島。
表向きは某国の富豪が所有するプライベートなリゾート地として登録されているその島は、実態は国際武器ブローカー、ヴィクトル・ゾルマンの難攻不落の要塞であった。
島の周囲には軍事用の高感度ソナーネットが張り巡らされ、海岸線には熱源感知カメラと自動追尾式の対空機銃が隠されている。地下に広がる広大な倉庫施設は、数メートル厚の強化コンクリートと鉛のシールドで覆われ、世界中から高額な報酬で雇い入れられた百名を超える重武装の傭兵たちが、二十四時間体制で巡回を行っていた。
地球上のいかなる国家の特殊部隊であっても、この島に無傷で潜入し、最深部に到達することは不可能と言っていい。地球の基準で言えば、ここは絶対の安全が保証された、文字通りの「金庫」であった。
しかし、その「絶対の安全」は、星の海を渡る技術の前では、幼児が積み上げた砂の城ほどの意味しか持たなかった。
夜闇に紛れ、島の断崖絶壁に音もなく降り立った三つの影があった。
〈サイト・アオ〉所属、アーティファクト回収チーム。リーダーのレックス・ボルコフと、技術分析担当のジャックス、そして潜入のスペシャリストであるセーラの三人である。
彼らは全員、光の屈折率を自在に操り、周囲の風景に完全に溶け込む最新鋭の光学迷彩機能と、生体反応を極限まで遮断する知覚フィルターを搭載したステルススーツに身を包んでいた。
「……しかし、納得いきませんな」
切り立った崖に張り付きながら、ジャックスが通信機越しにくぐもった声で不満を漏らした。
彼の本来の姿は、硬質なオリーブグリーンの鱗に覆われ、強靭な尻尾と鋭い牙を持つ爬虫類型の異星種族である。しかし現在、彼が起動している知覚フィルターは、彼を「少し薄毛で小太りの、冴えない中年の地球人男性」の姿に偽装させていた。
「なぜ俺が、毎回こんな毛の薄い猿の姿に化けなきゃならんのです。せめてもう少しマッシブで、威圧感のある姿……そう、地球の伝承にある『ドラゴン』のようなホログラムを投影させてくれてもいいでしょうに」
「黙りなさい、ジャックス。あなたのその無駄口が、作戦の最大のリスクよ」
前方で、まるで重力が存在しないかのように崖を滑り登っていくセーラが、冷ややかにたしなめた。彼女の知覚フィルターは、彼女を小柄で目立たないアジア系の女性の姿に見せているが、その動きの滑らかさは地球のいかなる肉体言語をも超越していた。
「代表の指示は絶対よ。我々は『目立たない』ことが至上命題。ドラゴンなんかに化けて、この島中の傭兵を一斉にパニックに陥れたいの?」
「分かってますよ、お嬢様。ただの愚痴です。この星の低俗な重力と、むせ返るような湿気が気に食わないだけだ」
ジャックスは舌打ちをしつつ、崖の頂上付近に設置された高感度の熱源感知カメラの死角へと、正確無比な動きで滑り込んだ。
最後尾から登ってきたレックスが、ハンドサインで二人に停止を命じる。
「無駄口を叩いている暇はないぞ。これより施設内部へ侵入する。我々の技術が彼らを凌駕しているとはいえ、相手は実弾を装填した銃を握っている。恐怖に駆られた猿が引き金を引けば、我々のスーツのシールドでも弾ききれない『事故』が起こり得る。徹底的に、影に徹しろ」
レックスの静かな、しかし威厳に満ちた声に、ジャックスとセーラは無言で頷いた。
侵入は、地球の警備責任者が見れば発狂するほどにあっけなく、そして美しく行われた。
地下施設への入り口を塞ぐ、網の目のような不可視のレーザーセンサー群。セーラは、スーツの位相ジェネレーターを起動し、自身の肉体の分子振動を一時的にズラすことで、レーザーの光線を文字通り「すり抜けて」歩いた。地球の物理法則を無視したその光景は、監視カメラの映像上では、一瞬のノイズとしてしか記録されない。
続いて立ち塞がったのは、最新の量子暗号で保護された分厚いチタン合金のゲートだった。
「さて、地球の最高峰のセキュリティとやらのお手並み拝見といきますか」
ジャックスは、くたびれた中年男のホログラムのまま、腕のガントレットから極小のデータ端子を引き出し、ゲートの電子基板に直接突き刺した。
彼の脳内に直接、ゲートの制御プログラムのソースコードが流れ込んでくる。
「……はっ。なんだこりゃ。暗号化のアルゴリズムが直線的すぎて、逆に意味が分からん。例えるなら、泥水で書かれた暗号文を解読させられているような気分だ。セキュリティというより、ただの嫌がらせだな」
ジャックスは呆れたように鼻を鳴らすと、わずか〇・二秒でシステムの中枢を掌握し、警報を鳴らすことなくゲートのロック回路を物理的に焼き切った。重厚なチタンの扉が、油を差されたように滑らかに開く。
施設内を巡回する傭兵たちは、最新の暗視ゴーグルを装備し、アサルトライフルを構えて神経を尖らせていた。彼らは、ヴィクトル・ゾルマンが最近手に入れたという「神の兵器」を狙って、世界中の殺し屋やスパイがこの島を嗅ぎ回っていることを知っている。誰もが、些細な物音にも敏感に反応する極度の緊張状態にあった。
しかし、彼らのその必死の警戒も、次元の違うステルス技術の前では何の意味も持たなかった。
レックスたちは、傭兵たちの認知の死角――人間の脳が情報を処理する際の微細なタイムラグと、視界の辺縁部における盲点――を完璧に計算し尽くしたルートで、彼らのすぐ横を、まるで散歩でもするように通り過ぎていく。
傭兵の一人が、タバコに火をつけようとしてライターを擦った瞬間、彼の背後わずか三十センチの距離をジャックスが通り抜けた。傭兵は、微かな風の揺らぎを感じて背後を振り返ったが、そこには無機質なコンクリートの壁があるだけだった。
「……まるで、赤子の手をひねるようなものだな」
迷宮のような通路を抜け、最深部の特別保管室の前に到達したレックスが、微かな溜息と共に呟いた。
「彼らの必死さが、滑稽にすら思えてくる。これが、代表が言っていた『文明のギャップ』というやつか」
最後の扉は、物理的な鍵と、三人の幹部の網膜・指紋・静脈パターンの同時認証を必要とする、偏執狂的なまでの厳重なものだった。
セーラが、あらかじめ採取して合成しておいた幹部たちの生体データを空間に投影し、センサーを欺く。同時にジャックスが物理ロックのシリンダーを電磁波で強制回転させ、重い音と共に扉が開いた。
三人は、音もなく特別保管室の内部へと足を踏み入れた。
そこは、まるで美術館の特別展示室のような空間だった。
大理石の床、完璧に調光されたスポットライト。そして、部屋の中央に置かれた防弾ガラスのショーケースの中に、黒いベルベットのクッションに鎮座する「それ」があった。
ヴィクトル・ゾルマンが世界を平伏させる力だと信じ、世界中の裏社会がその影を追って狂騒しているアーティファクト、通称「アポロンの矢」。
ショーケースに近づいた三人は、その実物を見た瞬間、揃って言葉を失った。
それは、畏怖による沈黙ではなかった。あまりの馬鹿馬鹿しさと、理解を絶する悪趣味さに対する、純粋な絶句であった。
「……リーダー。俺の視覚センサーが狂っているんでしょうか。それとも、これが地球人の言う『芸術』というやつですか?」
ジャックスが、引き攣った声で沈黙を破った。
ガラスケースの中に置かれていたのは、確かに全長五十センチほどの、未知の黒い特殊合金と透明な発振クリスタルで構成された、流線型の小型兵器だった。
しかし、その本来の機能美を台無しにするように、グリップの部分には太い純金のワイヤーが巻き付けられ、銃身の側面には大粒のダイヤモンドやルビーが、接着剤のようなもので乱雑に貼り付けられていた。さらに酷いことに、後部のエネルギーセルを装填すべきポートは物理的に破壊され、代わりに地球のどこにでもあるような太く粗悪な銅線ケーブルが、ハンダ付けで無理やり接続されている。そのケーブルの先には、車のバッテリーを巨大化させたような、不格好な手製の電源装置が繋がっていた。
「……いや、君のセンサーは正常だ、ジャックス。私の目にも、ひどく悪趣味なガラクタにしか見えない」
レックスは、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「スキャンを頼む。代表の言っていた通り、オリジナルかどうかの確認と、現状のスペックの解析だ」
ジャックスは頷き、ガントレットから非破壊用のマルチスペクトル・スキャナーを起動した。不可視の探査波が、ガラスケースを透過して「アポロンの矢」の内部構造をミリ単位で舐め回していく。
数秒後、ジャックスの網膜ディスプレイに、膨大な解析データが滝のように流れ込んできた。彼はそのデータを読み解きながら、信じられないものを見るような表情で、呆れ果てた声を上げた。
「……確定です、リーダー。こいつの正体は、銀河帝国防衛軍の標準携行装備、歩兵用の『G7-Vブラスター』です。しかも、製造ロット番号から推測するに、少なくとも三世代は前の旧型モデルだ。母星の訓練所で、新兵が的を外して自分のブーツを焦がすのにお馴染みの、あの大量生産品のポンコツですよ」
G7-Vブラスター。
星間文明の基準からすれば、それは「神の兵器」などではなく、最もありふれた、退屈な道具の一つに過ぎない。
セーラが、冷ややかな視線をガラスケースに向けながら尋ねた。
「状態は? なぜ、彼らはこれを使って模造品を作ろうなどと考えたの? 通常、遺失した兵器は自己破壊するか、機能がロックされるはずよ」
「それが、最悪の報告になります、セーラ」
ジャックスは、スキャンデータの赤い警告部分を指差した。
「このG7-V、内部の安全装置が完全にイカれています。クォンタム・ダンパーも、生体認証ロックも、過負荷防止回路も、全て物理的に破壊されている。おそらく、海かどこかに落ちて長期間腐食していたか、あるいはこの地球のサルどもが、中身を開けようとしてハンマーとバーナーで無理やりこじ開けた結果でしょう。おかげで、自己破壊プロトコルすら起動しなかった」
ジャックスは、忌々しそうにガラスケースの中の、金と宝石で飾られた銃を睨みつけた。
「しかも、見てくださいあのケーブルを。正規の高密度エネルギーセルがないからって、地球の原始的な化学電池を無理やり直結させようとしている。G7-Vの冷却システムは、正規のセルからのフィードバックを前提に設計されているんです。こんなデタラメな電力を流し込めば、発振クリスタルが熱暴走を起こすのは火を見るより明らかだ」
「つまり……」
レックスが、重々しく結論を口にした。
「彼らが『アポロンの矢』と崇め、その構造を必死にリバースエンジニアリングして作っている模造品は、最初から『安全装置が壊れ、いつ暴発してもおかしくない欠陥品』をモデルにしているということか」
「その通りです」
ジャックスは吐き捨てるように言った。
「猿が手榴弾を拾ってきて、ピンを抜いた状態で『これは熱くて光る神の石だ』と崇め、それを真似て自分たちでもピンの抜けた爆弾を作っているようなものです。各地で模造品が自爆騒ぎを起こしている理由が、痛いほどよく分かりました。彼らは兵器を作っているんじゃない。ただの巨大な時限式漏電爆弾を作っているんです。……しかも、このオリジナル自体も、今のこの無理やりな配線の状態で誰かがうっかりスイッチを入れれば、クリスタルが臨界に達して、この島ごと半径五キロをプラズマの海に変えるでしょうね」
保管室に、冷たい沈黙が落ちた。
彼らの目の前にあるのは、人類の未来を拓くテクノロジーなどではない。無知と強欲が生み出した、極めて悪質で、そして馬鹿馬鹿しい時限爆弾であった。
地球の裏社会全体が、この壊れた懐中電灯のようなガラクタの威光に踊らされ、殺し合い、莫大な資金を投じて自らの首を絞めるための綱を編んでいるのだ。
「……全く、笑えないブラックジョークだ」
レックスは、深く溜息をつき、通信機に手を伸ばした。
「任務完了だ。代表に報告する。我々はこれ以上、この狂人たちの火遊びに付き合う必要はない」
***
『――というわけです、代表。彼らが崇めている神の雷霆の正体は、安全装置が物理的にぶっ壊れた、ただの旧型G7-Vブラスターでした。おまけに、成金趣味のデコレーションと、素人以下の配線のおまけ付きです』
〈サイト・アオ〉のプライベートルーム。
レックスからの暗号化通信を受け、ホログラムで送られてきた「アポロンの矢」の無惨な姿を一瞥したティアナは、手にしていたゲームのコントローラーを置き、腹を抱えて笑い出した。
「あっはははは! なにこれ! G7のポンコツじゃん! しかも金ピカにされてるし! ダイヤモンドまで貼ってある! これじゃあ放熱フィンが塞がって、一発撃っただけで銃身がドロドロに溶けちゃうよ!」
ティアナの笑い声が、静かな部屋に響き渡る。
「ああ、なるほどね。ようやく腑に落ちたよ」
ティアナは、笑い涙を拭いながら、XT-378に向かって言った。
「各地で裏社会の連中が自爆してる理由がさ。彼ら、安全装置が壊れて漏電してる状態を『正常な兵器の仕様』だと勘違いして、一生懸命それを再現しようとしてたんだ。そりゃあ、そんな欠陥品を真似て作れば、スイッチを入れた瞬間にプラズマが逆流して大爆発するに決まってる」
「極めて非合理的な行動ですが、地球人類の現在の技術レベルと、情報に対する過信を考慮すれば、統計学的に起こり得る喜劇……いえ、悲劇です」
XT-378が、冷徹な分析を口にする。
『代表。いかがなさいますか』
通信の向こうで、レックスが尋ねる。
『このまま放置すれば、あのオリジナルを所有しているブローカーが、何かの拍子にスイッチを入れ、島一つを吹き飛ばす可能性があります。また、このポンコツをモデルにした模造品の製造が続けば、いずれ都市部に甚大な被害が出るのも時間の問題かと。我々で回収、あるいは破壊しますか?』
「んー……」
ティアナは、少しだけ思案する素振りを見せ、再び合成コーラを口に運んだ。
「いや、いいよ。君たちはそのまま帰還して。回収なんてしたら、ゾルマンが『俺の宝が盗まれた!』って大騒ぎして、余計に裏社会がパニックになるだけだからね」
ティアナの脳裏には、数日前の通信で、アンデスの箱を前に胃を痛めていたセレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファの姿が浮かんでいた。
あのアメリカの秘密組織は、今頃、この「アポロンの矢」の脅威に対抗すべく、血眼になって裏社会を嗅ぎ回っているはずだ。彼らが必死に探しているものが、自分たちの足元にも及ばないただの壊れたガラクタであり、それに世界中が踊らされているという事実は、ティアナにとって最高に皮肉な喜劇であった。
「セレスティアル・ウォッチの『村長』さんたちが、自分たちで見つけて回収するのが一番角が立たないシナリオだよね。彼らも、自分たちの手で世界を救ったっていう実績が欲しいだろうし」
ティアナは、意地悪な微笑みを浮かべた。
「まあ、もし彼らがモタモタしてて、本当に地球が焦げそうになったら、その時は匿名で場所を教えてあげても良いかもね。『お探しの神の雷は、地中海のあの島にありますよ』って。でも、とりあえずは放置でいいや。彼らがどれだけ必死にこのガラクタを追いかけるか、もうしばらく特等席で観測させてもらおう。焦る必要は全くない」
『……了解いたしました、代表。これより撤収し、帰還の途につきます』
レックスの声には、地球の指導者たちに対する微かな同情と、自分の上司の気まぐれに対する呆れが入り混じっていた。通信が切断される。
「さてと」
ティアナは、大きく伸びをすると、再びゲーミングチェアに深く腰掛け直した。
「世界の危機も笑い話で片付いたことだし、僕はキャベツの収穫に戻るとしようかな。XT-378、次のステージの攻略情報、地球のネットの掲示板から検索しておいて」
「承知いたしました、代表。攻略スレッドの解析を開始します」
地球の裏側では、超大国の指導者たちが冷や汗を流し、裏社会の犯罪者たちが壊れた玩具を神と崇めて自らの命を散らしている。
しかし、そのすべての狂騒を遥か高みから見下ろす絶対の観測者にとって、それはゲームのロード画面の合間に消費される、ほんの短い幕間劇に過ぎなかった。
ティアナ・レグリアは、再びコントローラーを握り、極上の退屈を埋めるための、平穏で気楽な日常へと帰還していった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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