第2話 星条旗の影と、神様のホットライン
大気圏外、高度四百キロメートル。
超弩級ステルス宇宙ステーション〈サイト・アオ〉のプライベートルームは、地上では決して味わえない、静寂と文明の極致が同居する空間だった。
ティアナ・レグリアは、人間工学の粋を集めたゲーミングチェアに深く身体を沈め、眼前に展開されたホログラフィック・ディスプレイを凝視していた。
「よし、そこだ……! ここでパリィ……からの、フルコンボ!」
彼の指先が、空中に投影された不可視のインターフェースを、目にも止まらぬ速さで叩く。
画面の中では、ドット絵の騎士が巨大なドラゴンの攻撃を紙一重で受け流し、目も眩むような連続攻撃を叩き込んでいた。
彼が今熱中しているのは、昨日地球のインディーゲーム開発者がリリースしたばかりの、超高難易度を売りにしたアクションゲームだ。
銀河皇帝のスペアとして、数兆もの情報を並列処理できる脳を持つ彼にとって、この種の「死にゲー」は、自身の処理速度を適度に浪費するための、最高のリラクゼーションだった。
「……ふぅ。第二形態も突破。やっぱり、この時代の地球のクリエイターは、限られたリソースの中で『面白さ』を捻り出すセンスが抜群だな。銀河ネットのMMOも悪くないけど、こういうストイックな作り込みは、前世の記憶を刺激されるよ」
ティアナが満足げに独り言を漏らし、次のステージへのロードを待っていた、その時だった。
「代表。娯楽の最中に失礼いたします」
背後の自動ドアが音もなく開き、副官のXT-378が入室してきた。
流体金属のボディが、室内の柔らかな照明を反射して鈍く光る。
その無機質な声には、緊急性と、そして一抹の事務的な冷徹さが含まれていた。
「セレスティアル・ウォッチのトップ、オブザーバー・アルファより、定例の通信リクエストを受信しました。暗号化プロトコルは正常。以前、代表が彼らに供与された超光速暗号通信機を通じた、ダイレクトアクセスです」
「……ああ、もうそんな時間か」
ティアナは名残惜しそうにゲーム画面を空中へとフリックし、一時停止させた。
オブザーバー・アルファ。
その名を聞くだけで、地上の権力構造の複雑さと、それに伴う面倒事が脳裏をよぎる。
セレスティアル・ウォッチとは、アメリカ合衆国の深部で活動する、超法規的な秘密組織である。
その存在は合衆国大統領にさえ全貌が明かされておらず、国家の予算案のどこにもその名は記されていない。
彼らの主な任務は、地球上に散らばる異星文明由来のテクノロジー――いわゆるオーパーツを極秘裏に回収し、研究・管理することにある。
彼らは自負している。
自分たちは地球上で最も進んだ技術を持ち、人類を未知の脅威から守る「選ばれし監視者」であると。
実際、彼らの保有する技術は現代科学の標準を百年は先取りしているが、星間文明の頂点に立つ銀河皇帝のクローンであるティアナから見れば、その光景は「ピカピカ光る珍しい石を見つけて、その美しさに狂喜乱舞している原始人」に等しかった。
かつて、彼らが不用意に起動させかけた惑星破壊級の兵器を、ティアナが「デバッグ」と称して人知れず停止させた際、その圧倒的な力の差を見せつけたことがあった。
以来、セレスティアル・ウォッチは、ティアナが代表を務めるこのステーションを「自分たちを遥かに凌駕する、巨大な星間国家の観測拠点」であると確信し、畏怖と羨望を交えた複雑な敬意を持って接してくるようになった。
彼らとの間に結ばれた「月例の情報交換セッション」は、ティアナにとっては地上の動向を把握するための、いわばニュース番組の視聴に近いものだった。
「繋いでくれ、XT-378。格好をつけるのも疲れるけど、あの『村長』さんを待たせるのも悪いしな」
ティアナは欠伸を一つ噛み殺すと、最高級のシルクガウンを羽織り、姿勢を正した。
ゲーミングチェアを無造作に回転させ、メインスクリーンに向き直る。
XT-378が操作を行うと、壁一面の巨大なホロディスプレイに、ノイズ混じりの音声波形が表示された。
相手の姿は映らない。
アルファ側が「自らの正体を秘匿する」という矜持を保つための、彼らなりの妥協案だ。
『……定刻通りの応答に感謝する、代表。今月も、我々の「神々のホットライン」が正常に機能していることを、喜ばしく思う』
スピーカーから流れてきたのは、機械的に変調された、冷徹で威厳に満ちた男の声だった。
オブザーバー・アルファ。
その声音には、常に相手の腹を探るような、ヒリついた緊張感が張り付いている。
彼は人類の代表として「神」と対峙しているつもりなのだろう。
「挨拶はいいよ、アルファ。君たちの時間は貴重だろうし、僕も今、ちょっとした『宇宙的な計算』の最中でね。手短に済ませよう」
ティアナは、ゲームの続きが気になっていることを「宇宙的な計算」と言い換え、あえて傲岸不遜な態度を演じる。
これが、彼らに対して「圧倒的な上位存在」として振る舞うための、いつものルーチンだった。
『承知した。……では、単刀直入に報告させてもらおう。我が組織は先日、南米アンデス山脈の標高五千メートルを超える未踏査領域において、極めて特異な人工物を回収した』
「アンデス、か。あそこは昔から、いろいろと『忘れ物』が多い場所だからね」
『今回のものは、過去に回収したどのサンプルとも異なる。一辺が五十センチメートルほどの、完全な立方体の小箱だ。材質は既知のいかなる元素とも一致せず、表面には太陽を思わせる幾何学的な紋様が刻まれている。現地の伝承では「インティ神より授かりし、世界の真実が眠る箱」と呼ばれていたものだ』
アルファの声に、隠しきれない興奮が混じる。
『我が組織の技術陣が、合衆国の誇る最新鋭のスーパーコンピュータを動員し、二週間にわたってハッキングを試みたが、外壁の防御層を突破することすら叶わなかった。物理的な切断も、分子レベルの分解も不可能。……我々は現在、地下実験施設にて、高出力のレーザー照射による強引なこじ開けを検討している段階だ。だがその前に、貴殿の見解を伺いたい』
(アンデスの小箱……太陽の紋様ね)
ティアナは傍らに控えるXT-378に、視線だけで指示を送る。
XT-378の光学センサーが微かに明滅し、セレスティアル・ウォッチが密かに送信してきたスキャンデータを、銀河帝国の膨大なデータベースと瞬時に照合した。
数秒後、ティアナの網膜に直接、解析結果が表示される。
「……あー、それね」
ティアナは、思わず拍子抜けした声を出しそうになったのを堪え、呆れたような溜息をついた。
「アルファ。君たちが躍起になってこじ開けようとしているその『知識の箱』だが……我々の基準で言えば、それは『ファーストコンタクト準備パッケージ・タイプGAMMA』に分類されるものだ」
『ファーストコンタクト……準備パッケージ?』
「そう。簡単に言えば、銀河のあちこちにばら撒かれている、未熟な文明向けの『教科書』みたいなものだよ。いつか自力で星の海へ出てくることを期待して、親切な先人たちが置いていってくれた、ささやかなギフトだ。中には、数学の基礎定数や、近隣星系の正確な座標、それから平和利用を目的とした基本的な物理学のデータが詰め込まれている。爆弾でもなければ、究極の兵器でもない。ただの情報ストレージだ」
通信の向こう側で、アルファが息を呑む気配が伝わってきた。
彼らにとって、国家の命運を賭けて回収した「世界の真実」が、ティアナの口からは「初心者向けの教科書」程度に片付けられてしまったのだ。
そのショックは想像に難くない。
『……ギフト、だと? だが、我々の技術では、その「教科書」を開くことすらできない。我々のスーパーコンピュータによる解析は、論理の迷宮に迷い込んだままだ。これを解析すれば、我が国の、いや、人類の文明は飛躍的な進化を遂げるはずだ。それを「ささやか」と断じるのか』
「悪いけど、客観的な事実だよ。それに、アルファ」
ティアナは、椅子の上で足を組み替え、少しだけ声を低くした。
「君たちが検討している『強引なこじ開け』は、今すぐ中止することを勧めるね。そのパッケージには、未熟な文明が内容を歪めて解釈したり、悪用したりするのを防ぐために、極めて厳格なプロテクトがかけられているんだ。乱暴にレーザーを当てたり、無理な負荷をかけたりすれば、防衛機構が作動する。……ああ、爆発するわけじゃないから安心して。ただ、中身のデータが分子レベルで自己崩壊して、二度と復元できないゴミに変わるだけだ。五十センチ四方の、非常に高価で重たい『ただの鉄屑』をアメリカ政府のコレクションに加えたいのなら、止めはしないけど?」
『……データが、完全に消滅する、と言うのか』
「そういう仕様なんだよ。子供が乱暴に百科事典を破こうとしたら、本が勝手に燃えて灰になるようなものだ。君たちがその箱に記された『真実』とやらを本当に知りたいのなら、強引な手段ではなく、まずはその幾何学模様に隠された、宇宙共通の論理パズルを解き明かすことだね。今の君たちのスーパーコンピュータなら……まあ、あと三百年くらい回し続ければ、最初のディレクトリくらいは見つかるんじゃないかな」
ティアナの言葉は、アルファのプライドを粉々に砕くのに十分なものだった。
沈黙が支配する。
アメリカ合衆国の深部で、おそらくは数十人の高官や科学者たちが、この通信を息を殺して聞いているはずだ。
自分たちの誇る最高峰の知性が「三百年かかる」と宣告された絶望感は、どのようなものだろうか。
『……貴重な助言に、感謝する、代表。強引な解析計画は……直ちに凍結し、方針を転換させる。我々は、自らの傲慢さを恥じねばならんようだ』
「分かってくれればいいんだよ。君たちがその『鉄屑』を抱えて途方に暮れる姿を見るのも、エンターテインメントとしては悪くないけど、せっかくの先人の好意が台無しになるのは、僕も少し忍びないからね」
ティアナは、アルファの心中を察して、わざと軽くあしらうような言葉を投げた。
彼が今回の忠告を行った真の理由は、博愛精神などではない。
もし、セレスティアル・ウォッチが箱を壊し、その影響で周辺にアノマリーが発生したり、あるいは逆に過剰なエネルギーが漏れ出したりすれば、それを処理するためにティアナ自身がステーションから地上へ降りる、という面倒な任務が発生するからだ。
せっかくの自由時間を、そんな「デバッグ作業」に費やすのは御免だった。
『……今回の情報提供、並びに警告の重み、我々セレスティアル・ウォッチは深く胸に刻もう。今後、アンデスの遺産については、貴殿の示唆に基づき、慎重な非破壊調査に切り替えることを約束する。……他に、我々に伝えるべき「啓示」はあるだろうか』
「いや、今月はこれくらいだ。僕も忙しいんでね。じゃあ、また来月」
『……感謝する。通信を終了する』
プツリ、という音と共に、ホロディスプレイの波形が消えた。
室内に、再び心地よい静寂が戻ってくる。
「……ふぅ。やれやれ、相変わらずあの組織は肩肘張ってて疲れるな。XT-378、今回の通信ログのエンコードは任せたよ。それから、アンデスの『パッケージ』の様子は、衛星経由で引き続き監視しておいて。あいつらが、僕の忠告を無視してこっそりレーザーを照射し始めないか、チェックを忘れないでね」
「承知いたしました、代表。彼らが自滅のリスクを犯してまで、代表の言葉を疑う可能性は統計学的に見て低いと考えられますが、万全を期します。……代表、ゲームの続きを再開されますか?」
「ああ、もちろん。やっとボス戦のいいところだったんだ」
ティアナは再びゲーミングチェアを回転させ、一時停止していたホログラムを呼び戻した。
ドット絵の騎士が、再び剣を構えて画面の中で躍動し始める。
「よし、これでしばらくは面倒な地上への降下任務もなさそうだな。アンデスの箱の中身が、あの『村長』さんたちに理解できるのは、僕がこのステーションの隠居生活に飽きたずっと後だろうし」
ティアナ・レグリアは、画面の中の強敵に再び意識を集中させ、指先を滑らせた。
地球上で最も強大な力を持つ秘密組織が、一晩中会議を重ねて絶望の底に沈んでいることなど、今の彼にとっては、これから倒すべきゲームのボスの攻撃パターンよりも、ずっと些細な問題に過ぎなかった。
静かなステーションの中、コントローラーを叩く音だけが軽やかに響く。
神様のホットラインは切断され、観測者は再び、自分だけの贅沢な「日常」へと帰還した。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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