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第116話 アポロンの矢、市場に落ちる

 それは、深海に一滴の血が落ちたような、極めて静かな始まりだった。


 東欧の廃工場から、一人の狂った天才物理屋によって放たれた『アーティファクト解放宣言』と、それに付随するアポロンの矢・粗悪コピー改修データ一式。

 それらは最初、闇市場の暗号化掲示板、非合法な傭兵のネットワーク、そしてアーティファクト密売フォーラムといった、インターネットの「最も深く、最も汚い層」へと投下された。


 だが、人間の持つ暴力への渇望と情報の拡散力は、それらをいつまでも地下の暗闇に留めておくことを許さなかった。


 アップロードから数時間。

 強固な暗号化が施された設計データそのものは、各国のサイバー部隊によって懸命な遮断措置が取られていた。しかし、ミロシュが添付していた試射動画と声明文の切り抜きだけが表のSNSへと漏れ出し、爆発的な速度で拡散され始めていた。


 分厚い合金板と戦車装甲の切れ端を、白金色の光が瞬時に貫通し、蒸発させる数十秒の映像。

 そして、「神の火は人類すべてのものだ。恐れるな。解放せよ」と語る、ミロシュの狂気に満ちた顔。


 一般のネットユーザーたちにとって、それは技術的な設計図でもなんでもない。ただの不気味な動画の断片に過ぎなかった。

 しかし、彼らは最近の数ヶ月間で「アーティファクトの存在」に完全に順応させられ、かつ、その恐ろしさを嫌というほど学習させられていた。


 [X(旧Twitter) / タイムライン]


 @News_Watcher_JP

 おい、なんかヤバい動画回ってきたぞ。

 鉄の板が、細い光みたいなのに一瞬で撃ち抜かれてドロドロに溶けてる。

 映画の特撮っぽく見えるけど、これマジのやつじゃないか?


 @Mil_Spec_00

 アポロンの矢って、あのアメリカ政府が『ライトセーバー(アポロン・ソード)』の元になったって言ってた技術だろ?

 それのコピー品の設計図が、ネットに流出したって噂が回ってる。

 この動画、本物の試射映像らしいぞ。


 @Corporate_Slave_00

 中国で仙人が癌を治してて感動してたのに、東欧のどっかのおっさんが光線銃をばら撒いてるの、完全に地獄だろ。

 人類、治す光と殺す光を同じ週に公開してて草も生えない。


 @Tech_Visionary

「アーティファクトは人類全体の宝だ」という思想は一見リベラルに見えますが、彼が解放しているのは医療技術でも環境保護でもなく、ただの「大量破壊兵器の作り方」です。

 これ、作れる知識と設備を持った人間が作ったら、一発で都市の治安が終わるのでは?


 @Pol_Sci_Expert

 国家が止めなければいけません。これは個人の手で作れるレベルの銃火器とは次元が違う。装甲車を抜く貫通力が、拳銃サイズに近い形で持ち歩けるようになれば、既存の警察組織の防衛力は完全に無力化されます。


 一般の大衆は、技術的な詳細など何一つ分かっていなかった。

 だが、彼らが共有していたのは、「何かとんでもなくヤバい殺傷兵器の作り方が、誰にでも見られる海に流れてしまったらしい」という、漠然とした、しかし確実な恐怖であった。


 そして、その恐怖を裏打ちするように、世界中の主要国家が、異常なほどの足並みの揃え方で【同時声明】を発表したのである。


 アメリカのホワイトハウス、EUの欧州委員会、イギリス首相官邸、中国国務院、インド政府、ロシアのクレムリン、そして日本政府。

 それらがほぼ同じタイミングで、自国民に向けて警告を発した。


『――現在、インターネット上において、アポロン系アーティファクト模造品の設計情報とみられるデータが、違法に拡散された可能性があります。

 これらは極めて危険な非合法兵器であり、いかなる理由があろうとも、製造・所持・売買・使用を固く禁じます。

 ネット上の当該設計情報を保存、再配布、翻訳、改変することは重大な犯罪行為と見なされます。すでに該当ファイルを入手した者は、直ちに各国の治安当局へ通報し、データを消去してください。

 また、これは極度に不安定な危険物であり、個人レベルでの再現実験は、自らの生命を確実に奪う大事故に直結します。絶対に試みないでください』


 国家が本気で焦っている。

 その強烈な危機感は、声明文の文面から痛いほど伝わってきた。

 だが、情報化社会において「見るな、保存するな、作るな」という国家からの弾圧的な警告は、皮肉なことに、最悪の逆効果をもたらす。


「国家が一斉に声明を出すってことは、これマジで『本物』だって認めたようなもんじゃん」

「ダウンロードするなと言われた瞬間、保存して裏に回す奴が絶対に出る」

「作るなと言われれば、作りたくなるのが人間のサガだろ」

「やっぱりアポロンの矢は実在したんだな。しかも、俺たちでも作れるかもしれない形で」


 表社会では「危険だから作るな」と警告が叫ばれ続ける一方で、裏社会――ディープウェブや暗号化通信の奥底では、状況が劇的に、そして凄まじい速度で変化していた。


 闇市場の価格表が、一夜にして書き換わったのである。


『アポロン系安定化データ一式:応相談』

『ミロシュ版改修マニュアル完全版:10万ドル~』

『試射動画付き検証パッケージ:5万ドル』

『粗悪コピー本体(未改修・ベース機):500万ドル~』

『ミロシュ・パッチ適用済み試作品:5000万ドル(要面談)』

『未調整品・ジャンクパーツ:1万ドル~』


 当然ながら、その大半は詐欺であった。

 適当なバッテリーとレーザーポインターを組み合わせただけの偽物や、設計図と称してマルウェアを送りつけるトラップが蔓延している。


 しかし、問題なのは、その莫大な有象無象のノイズの中に、確実に【本物】が混じり始めていることだった。


 裏社会のブローカーやテロリストたちは、熱狂に包まれていた。

「ミロシュのデータは本物か?」

「試射動画にはフェイクの痕跡がない。少なくとも、一発だけは確実に前へ飛んでいる」

「撃った後に本体が溶ける? 構わん。要人の車列を吹き飛ばす『一発限りの暗殺兵器』としてなら、これ以上ない性能だ」

「装甲車を抜けるなら、VIPの乗る防弾車輌など紙切れだ。……大統領の乗るビースト(専用装甲車)すら抜けるかもしれないぞ」

「病院の壁はどうだ? 中国の仙人が引きこもっている病室の壁を、外から撃ち抜けるか?」

「サイボーグのチタン装甲は抜けるか?」

「アステカの化けイツコアトルには効くか?」

「それは無理だろ。太陽に焼かれる」

「いや、誰か試す馬鹿が絶対に出るさ。俺たちは、そいつらに弾(完成品)を売ってやればいいだけだ」


 彼らにとって、アポロンの矢の劣化版は単なる新しい銃ではない。

 既存のあらゆるアーティファクト事案(超常)に介入し、自分たちのルールで暴力の天秤を書き換えるための、究極のジョーカーだった。


 そして、そのジョーカーを実際に作り出し、引き金を引く者たちが、世界各地で現れ始めた。


 具体的な作成手順や部品の構成は、決して表のニュースには出ない。

 だが、その【結果】だけが、残酷な現実として報道され始めた。


 東欧の某国。

 郊外の倉庫が、真夜中に突然、青白い閃光とともに内部から半壊した。

 警察が突入した時、そこには高熱でドロドロに溶けたコンクリートの残骸と、炭化した数名の遺体、そして原型を留めない金属の筒のようなものが転がっていた。組み立て中の暴発事故である。


 中東の某地域。

 過激派の武装組織が、手に入れたデータをもとに試射を試みた。

 だが、光は前ではなく横へ漏れ、発射した人間ごと周囲の建物を白熱させて消し飛ばした。


 南米のジャングルに隠された密造工房。

 何者かが撃った光が、分厚い岩壁を貫通し、奥の森の木々を数十メートルにわたって炭化させた。巨大な溶融痕だけが残り、使用者の行方は杳として知れない。


 東南アジア。

 犯罪組織がライバル組織から高値で掴まされた完成品を撃とうとしたが、ただの粗悪なバッテリー火災を引き起こし、ビルの一室を全焼させた。ただの詐欺に騙された末路だった。


 そして、ロシアのサンクトペテルブルク近郊。

 民間の軍事会社(PMC)が所有する非公式な演習場で、一つの映像が記録された。


 古い装甲車の側面に向け、一人の男が不恰好な装置を構える。

 白金色の光が走る。

 一瞬の後、分厚い装甲車の側面に、綺麗にくり抜かれたような丸い穴が空いた。穴の周囲は赤熱し、溶けた鉄がポタポタと滴り落ちている。

 男の手元の装置は、一発撃った直後に黒煙を吹き、部品が溶け落ちて完全に壊れていた。


 だが。

「……一発だ。一発撃てれば、十分に仕事になる」

 その映像を見た裏社会の人間たちは、狂喜した。

「警察の防弾盾も、現金輸送車の装甲も、軍のバリケードも、もう何の意味もない」


 かつては重火器、爆薬、特殊車両、そして何十人もの練度あるチームが必要だった襲撃が。

 今や、たった一人の人間が、ボストンバッグに入るサイズの筒を持ち込むだけで成立してしまう。

 暴力のバランスが、一段階、決定的に狂ってしまったのだ。


 そして、その狂気は海を越え、極東の島国・日本へも容赦なく上陸した。


 深夜。

 地方の県庁所在地にある、指定暴力団の関連施設とされる雑居ビル。

 その一階の事務所で、突如として『爆発音』が響き渡った。


 近隣の住民からの最初の通報は、混乱を極めていた。

「爆発音がしました!」

「白い光が見えて……!」

「火事じゃありません! 煙は出てないんですが、建物の一部が消えてます!」

「ガス爆発とも違います! コンクリートが……溶けてるんです!」


 消防と警察の初動部隊が現場に急行し、周囲を封鎖した。

 だが、現場に踏み込んだ機動隊員たちは、その異様な惨状を前にして完全に言葉を失った。


 事務所の正面部分、分厚い鉄製のシャッターとコンクリートの壁が、直径一メートルほどの円形に【丸ごとえぐり取られて】消失していた。

 えぐり取られた縁の鉄筋は高熱でドロドロに溶け、冷えて奇妙な形で固まっている。火災の燃え広がりではなく、極めて局所的に、一瞬で「蒸発」させられたような痕跡だった。


 内部の惨状はさらに凄惨だった。

 事務所の奥にあったはずの巨大な鋼鉄製の金庫が、背後の壁ごと綺麗に貫通されて消失していた。

 中にいた複数の暴力団関係者は、直撃を受けた者は炭化し、周囲にいた者は超高温の熱波によって致命的な火傷を負い、死亡または意識不明の重体となっていた。

 貫通した光の余波は、道路を挟んだ向かいのビルの壁にまで細い焼け跡を残していた。


 防犯カメラの映像には、襲撃の瞬間、漆黒の闇を一瞬だけ切り裂くような『白金色の光』の線が、はっきりと記録されていた。


 この異常事態は、即座にネット上に拡散された。


「おい、ヤクザの事務所が建物ごと消し飛ばされたらしいぞ」

「また黒鯨か!?」

「違う。黒くなってない。白い光が走って、コンクリートがドロドロに溶けてる写真が回ってきた」

「白い光……それって、アポロンの矢じゃね?」

「マジで!? もう日本にもあの光線銃が入ってきたのかよ!」

「暴力団の抗争が、チャカ(拳銃)じゃなくて光線銃の撃ち合いになったら、日本の治安終わりだろ」


 警察庁は直ちに厳しい情報統制を敷き、現場周辺を物理的なバリケードで完全に覆い隠したが、すでに近隣住民が撮影した動画や写真は、消しきれない速度でSNSに流出してしまっていた。


 事態は、もはや地方警察の管轄を遥かに超えていた。


 東京、首相官邸のさらに地下深くに位置する、既存技術外事象評価セルの特別防音会議室。

 深夜の緊急招集を受けた政府首脳たちの顔は、かつてないほどに険しく、疲労困憊していた。


 円卓の最上座で、矢崎総理が、壁面のモニターに映し出された地方都市の暴力団事務所の惨状を、重く冷たい目で見つめていた。


「……これは、アポロンの矢の劣化版と見て、間違いないのね」

 総理の声は静かだったが、その奥に怒りと焦燥が混じっていた。


「現時点では最終的な断定を避けていますが……」

 沖田室長が、手元のタブレットから目を離さずに答えた。

「現場の溶融痕、熱の放射パターン、そして防犯カメラに一瞬だけ映った白金色の閃光。……アメリカ政府から極秘に共有されていた、東欧での試射映像のデータと、ほぼ完全に一致します。

 少なくとも、通常兵器、既存の爆発物、あるいは一般的な火災による被害ではありません」


 警察庁の幹部が、顔面を蒼白にしながら報告を引き継いだ。

「襲撃は、間違いなく対立する暴力団組織、あるいは半グレ集団による抗争の一環である可能性が高いです。

 しかし、問題は……その襲撃側が、この兵器を『国内で組み上げた』のか、それとも『海外から完成品を密輸した』のか、現段階では全く不明であるという点です。

 いずれにせよ、日本の裏社会が、我々の想定を遥かに超える火力を手に入れてしまったことになります」


 円卓の隅で、パイプ椅子に深く腰掛けていた月刊ムーの三神編集長が、缶コーヒーを揺らしながら、ポツリと言った。


「……表社会と裏社会のバランスが、完全に変わりましたね」


 その言葉の重みに、会議室の空気が一段と冷え込んだ。


 三神は、ゆっくりと立ち上がり、モニターに表示された被害状況の写真を指差した。

「皆さんは、この『アポロンの矢の劣化版(ミロシュ版)』を、ただの強力な銃だと思っているかもしれませんが。……本質はそこではありません」


 三神は、今回世界中にばら撒かれた兵器の性能を、極めて冷酷に整理し始めた。


「まず、誤解してはならないのは、これは『本物のアポロンの矢』ではありません。

 東欧のミロシュという男が、粗悪なコピー品を限定的に安定化させただけのものです。

 一発撃てば長い冷却と再調整が必要。連射は不可能。挙動は極めて不安定。少しの湿気や衝撃で暴発し、使用者自身の命を奪う危険性が非常に高い。……はっきり言って、軍隊が一日中戦場で使うような『標準火器アサルトライフル』としては、完全な未完成品です」


 ここまで聞いて、防衛省や警察庁の幹部たちの顔に、ほんのわずかだけ安堵の色が浮かんだ。軍隊が使うレベルのものではないなら、まだ対処のしようがある。


 だが、三神の言葉は、その安堵を無慈悲に打ち砕いた。


「ですが。……裏社会(犯罪者)にとっては、それで十分なんですよ」


 三神の目が、鋭く官僚たちを射抜く。


「軍隊は『一日戦い続ける武器』を求めます。

 ですが、暗殺者、テロリスト、暴力団は……『一発だけ、確実に壁を抜ける武器』があれば、それで仕事が終わるんです」


 防衛省の幹部が、ハッとして息を呑んだ。

「……ミサイル並みの破壊力が、拳銃サイズに近い携行兵器として実現している、ということか」


「ええ」

 三神は深く頷いた。

「極端に言えば。……これまでは、強固な施設を襲撃するためには、重火器を用意し、大量の爆薬を仕掛け、大型車両で突入し、複数人のチームで制圧する必要がありました。事前の準備が大きければ、警察や公安がそれを察知して防ぐこともできた。

 ……しかしこれからは、たった一人の人間が、ボストンバッグにこれを隠して持ち込むだけで、それが成立してしまう」


 警察庁幹部の額から、脂汗が流れ落ちた。

「要人(VIP)を乗せた防弾車も。警察署の防弾ガラスも。機動隊の防弾盾も。……そして、この官邸の装甲ドアすらも。

 すべて、意味がなくなるということですか」


「見直して済めばいいですがね」

 三神は、皮肉な笑みを浮かべた。


 沖田室長が、ホワイトボードの前に立ち、無表情のままマーカーを走らせた。


「これまでの裏社会の暴力の頂点は、拳銃、自動小銃、密造爆薬、せいぜい火炎瓶やドローン爆弾でした」

 沖田は、そのリストの横に、新しい項目を赤字で書き加えた。


「しかし、劣化版アポロンが追加された今。

 装甲ドアの無力化。

 金庫や保管庫の一撃突破。

 VIP車両への致命的攻撃。

 警察装備の貫通。

 護送車への襲撃。

 インフラ施設(変電所や通信拠点)の局所破壊。

 ……そして、アーティファクトを保管する研究施設への脅威。

 これらすべてが、現実的なリスクとして跳ね上がります」


「軍事的には未完成でも、治安上は完全な悪夢だ」

 防衛省の幹部が、苦々しく呻いた。


「対物ライフルやプラスチック爆弾の比ではありません」

 警察庁の幹部も、絶望的な顔で同意する。

「持ち込みの形態が小さすぎます。金属探知機で引っかかったとしても、ただの機械の部品だと言い張られれば、一見して兵器だとは分からない。発見も、事前対処も極めて困難です」


 三神編集長は、ホワイトボードのリストを見つめながら、ぽつりと言った。


「昔なら、こういう事態を“銃社会化”と言って恐れたのでしょうが……今回は、銃では済みませんね」

 三神は、肩をすくめた。

「“光線銃社会化”、ですね。……実にSFチックで、最悪のディストピアだ」


 誰一人として、その冗談で笑うことはできなかった。


「……開発者である、ミロシュ・ラドヴァンの行方は?」

 矢崎総理が、諸悪の根源についての情報を求めた。


「アメリカから共有された情報によれば、彼は声明動画で堂々と顔を出していましたが……現在、東欧の廃工場からは完全に姿を消しています」

 沖田が答える。

「彼のスポンサーであった『黒犬商会』の一部拠点は、各国の情報機関や特殊部隊の追跡を受けて制圧されているようですが、ミロシュ本人は行方不明のままです。

 ……さらに、非常に厄介な問題があります」


「まだあるの?」

 総理が顔をしかめる。


「はい」

 沖田は、タブレットの画面を切り替えた。

「ミロシュ本人のものと思われる暗号鍵を使ったアカウントが……現在も、ダークウェブ上で断続的に【改良版のデータ(パッチ)】をアップロードし続けているのです」


「……生きているということね」

 矢崎総理が呟く。


「少なくとも、彼の署名鍵を使っている誰かは生きています」

 沖田が慎重に答える。


「間違いなく、本人でしょうね」

 三神が、断言した。


「なぜそう言い切れるのですか?」

 防衛省の幹部が問う。


「あの声明文から読み取れる、彼の『思想』です」

 三神は、人間の狂気を分析する編集者としての目で語った。

「あれは、ただ兵器を高く売りたい金儲けの商売人の文章ではありません。……自分を『現代のプロメテウス』だと思い込んでいる、純粋な狂信者の文章です。

 ああいう手合いは、自分が作ったものを世界が使って混乱しているのを見て、逃げて隠れるようなことはしません。

 ……むしろ、世界中の犯罪者たちが使って起こした事故や成功例のフィードバックを見て、喜んで『次の改良』に活かすはずです」


 三神の言葉通り、ミロシュのアップロードするデータは、完全ではないにせよ、確実に危険度を増していた。

 冷却時間の短縮を狙ったバージョン。

 使用時の暴発リスクを少しだけ下げたバージョン。

 照準の安定性を改善したバージョン。

 さらには、闇市場の粗悪な部品精度でも『最低一発だけは確実に撃てる』ように簡略化されたバージョン。

 逆に、「初心者用」と称して、撃った瞬間に爆発するように仕組まれた詐欺トラップデータまでが混在している。


「彼は自分の設計が使われることを、微塵も恐れていない」

 三神は、冷酷に言った。

「むしろ、使われることでデータが集まり、完成度が上がると考えているんです」


「……人命を、自分の実験データにしているということ?」

 総理が、嫌悪感に顔を歪める。


「本人はそうは思っていないでしょう」

 三神は、狂人の論理を代弁する。

「彼はそれを、“人類が神の火を使いこなすために試行錯誤している”と呼ぶはずです」


 この一言が、ミロシュという男の底知れぬ狂気と、この事態の真の恐ろしさを浮き彫りにしていた。


「他国の動向はどうなっていますか」

 矢崎総理が、国際社会の動きを確認する。


 外務省と情報機関の幹部が、集約したデータを報告する。


「表向きは、各国政府とも『アポロン系模造兵器の製造・所持・使用の全面禁止』を強く訴え、サイバー部隊を動員してデータの削除に奔走しています。

 しかし……裏の動きは全く異なります」


 情報機関の幹部が、冷や汗を流しながら報告を続ける。


「ロシアは、間違いなくこの劣化版の技術を、自国の『サイボーグ兵』と組み合わせるための研究を開始しています。重装甲の機械兵に、使い捨ての一発兵器として持たせることができれば、歩兵戦術として極めて強力だからです」


「最悪の組み合わせですね」

 防衛省幹部が呻く。


「中国は、仙人指導部が病院で治療を行っている最中ですから、これを非常に警戒しています」

 情報幹部が続ける。

「暗殺者がこれを持って病院の壁を撃ち抜きに来る事態を防ぐため、防護技術の研究に全力を挙げています。……しかし、防ぐために技術を解析すれば、当然それは『使うための技術』としても蓄積されます」


「EUは倫理と規制を強く主張していますが……舞台が東欧であり、近隣の脅威である以上、実物の回収と解析を避けられない状況です」

 外務省幹部が補足する。

「『規制するために理解する』。『理解するために研究する』。……そして、研究したものは、いずれ必ず軍事技術として使えるようになる。歴史の常です」


「アメリカは?」

 総理が、最も重要な同盟国の動向を問う。


「アメリカは本物の技術を持っていますから、この劣化版自体を兵器として欲しがってはいません。

 しかし、これがどう世界に拡散し、自国の部隊(ライトセーバー運用部隊)への脅威になるかを測るため、彼らもまた猛烈な勢いで解析とデータ収集を続けています」


 すべての国が、表では「作るな」と言いながら、裏では「自分たちだけは研究(対策)しなければならない」という恐怖のジレンマに陥り、結果として技術の理解度を深めてしまっていた。


 矢崎総理は、重苦しい沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。


「……日本としては」

 総理の目が、沖田を真っ直ぐに見据える。

「この技術を、一切作成も研究もしない……という選択肢は、あるの?」


 沖田室長は、数秒間沈黙し、そして、極めて無表情のまま、冷酷な事実を告げた。


「……ありません」


 総理が、目を伏せる。


「国内で、すでに事件が起きてしまいました」

 沖田は、理由を並べ立てた。

「仕組みが分からなければ、空港や港湾で探知するセンサーを作れません。

 探知できなければ、現場の警察官の命を守れません。

 無力化の方法も分からない。安全に証拠品を保管する方法も分からない。

 ……他国が研究を進めている以上、情報格差を放置すれば、我が国だけが一方的に狙われる的になります」


 三神編集長も、深く頷いて同意した。

「予防するために、研究するしかないでしょうね。

 使わないために、使える仕組みを理解しなければならない。

 ……毒の仕組みを知らなければ、解毒剤は作れないのと同じです」


「……最悪ね」

 矢崎総理は、深く、深くため息をついた。


「アーティファクト時代では、だいたい最悪の選択肢が、唯一の現実的な選択肢になりますからね」

 三神が、肩をすくめて言った。


 日本政府は、方針を決定した。


【表向き】には、アポロン系模造兵器の製造・所持・使用の全面禁止。

 設計図の保存や再配布を重罪とし、ネット上の拡散阻止にサイバー警察を総動員する。

 国内の工場、密輸ルート、暴力団、半グレ、過激派への監視を最高レベルに引き上げ、詐欺や偽物販売にも厳しく注意喚起を行う。


 しかし【裏向き】には。

 防衛省、警察庁、そして既存技術外事象評価セルによる『合同解析チーム』を極秘裏に設置する。

 アメリカから提供された安全情報をもとに、検知・保管・無力化方法を徹底的に研究。

 実物が押収された場合の処理手順の策定。

 アポロン系エネルギーの痕跡検出センサーの開発。

 要人警護ルートの再検討と、防弾装備・重要施設(原発、空港、官邸、自衛隊基地)の防護基準の根本的な見直し。


「作らせない。

 使わせない。

 ……でも、知っていなければ止められない」

 矢崎総理は、苦渋の表情でその矛盾を受け入れた。

「その矛盾を抱えて、進むしかないわね」


「承知しました」

 沖田が、力強く頷いた。


 会議が一段落し、重苦しい疲労感が部屋を包む中。

 三神編集長が、残ったコーヒーを飲み干し、ポツリと言った。


「……光線銃が、軍や犯罪組織の標準装備になる時代ですか」


 防衛省の幹部が、その言葉に苦い顔をして即座に否定した。

「標準装備にはさせません。我々が必ず阻止します」


「もちろん、そう努力するべきです」

 三神は、珍しく茶化すことなく、真剣な目で防衛省の幹部を見た。

「ですが。……銃も火薬も、最初は国家と軍だけの特権的なものでした。

 やがてそれが民間へ、犯罪組織へ、革命家へ、すべて流れていった。それが歴史です。

 ……アーティファクトだけが、その歴史の法則から逃げられると考える方が、不自然でしょう」


 矢崎総理は、その歴史の冷酷な真理を受け止めながらも、毅然と言い切った。

「それでも、我々は止める努力をする。……国家として、最後まで足掻くわ」


「ええ」

 三神は、深く頷いた。

「それが、国家の仕事です」


 ***


 日本の地方都市。

 深夜の暴力団事務所跡地。

 警察の規制線が張られた中、鑑識の捜査員が、ドロドロに溶けて奇妙な形に固まった鉄筋の切断面の前に立ち尽くしていた。


「これが……拳銃サイズで撃てるっていうのか……」

 彼は、自分の腰にある回転式の拳銃に触れ、その無力さに絶望的なため息をついた。


 アメリカ、セレスティアル・ウォッチの地下研究室。

 ケンドール博士は、ミロシュがアップロードした新たな試射映像のデータを、何度も、何度も見返していた。


「彼は、まだ完成させてはいない」

 ケンドールは、焼け焦げた装置の映像を睨みつける。

「だが。……世界中の人間に、『完成させるための方向』を示してしまった」


 中国、北京の総合病院。

 仙人による治療を待つ患者家族の列。

 その外側では、昨日までとは比べ物にならないほど重武装の公安部隊と特殊車両が、病院の周囲を何重にも取り囲んでいた。

 治す光を守るために、遠くから壁を撃ち抜いてくる『焼く光』への、異常なまでの警戒が必要になったのだ。


 EU、ブリュッセル。

 会議室で、実務官僚たちが頭を抱えている。


「禁止するために、まず我々が構造を理解しなければならない」

 一人の官僚が、皮肉な笑いを浮かべた。

「だが、理解した時点で、我々もまた『その気になれば作れる知識』を持ってしまうのだ。……悪魔のサイクルだな」


 そして。

 東欧のどこかの、暗い地下室。


 ミロシュ・ラドヴァンか、あるいは彼の意志を継いだ何者かの影が、モニターの光に照らされている。


 画面には、新たなデータパッケージのアップロード画面。

 ファイル名は、『Apollo Arrow Stabilization Patch 1.2』。


 その人物は、世界中から届く悲鳴と欲望のメッセージを見つめ、満足げに呟いた。


「……フィードバックは、十分だ」


 アポロンの矢は、神話級の怪物ではなかった。


 イギリスの魔女のように空間を捻じ曲げるわけでもなく。

 中国の仙人のように病を癒やすわけでもなく。

 インドのソーマの雫のように死の川を蘇らせるわけでもない。


 それは、ただ引き金を引けば、光が飛び出し、人を焼き、物を壊すだけの、極めて単純な機械だった。


 だからこそ。人間にとって最も理解しやすく、扱いやすく、最も速く広がりやすい毒だったのだ。


 世界はこの日、絶望とともに知ってしまった。

 神の奇跡は、美しい救いとしてだけ拡散するのではない。


 ただ純粋な『暴力』としても、全く同じ速度で拡散していくのだということを。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
各国で暗殺部隊を作ればミロシュ消せるんじゃないの?所詮は後ろ盾もいない犯罪者でしょ。
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