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第115話 アポロンの矢、再点火

 夜の静寂は、今や地球上のどこにも存在しなかった。

 人々が眠りにつくべき時間であっても、手のひらの上の小さな発光するスマートフォンからは、世界を揺るがす新しい神話の断片が絶え間なく溢れ出し、人類の脳髄を興奮と恐怖で焼き続けている。


『――中国の病院で、末期癌が完治』

『指導部が自ら病室へ。これはプロパガンダか、本物の奇跡か』

『外国人の治療枠は一切なし。中国国民を最優先と発表』

『あの仙人たちは、殺せば“能力(恩恵)”が移ることを忘れるな!』

『北京は今、世界中の暗殺者と祈りが集まる史上最悪の交差点だ』


 世界の視線は今、完全に中国・北京の病室へと釘付けになっていた。

 日本の空に現れた『黒鯨』を消し去った謎の光の柱の記憶も、決して薄れたわけではない。だが、空を覆う巨大な怪物というSF的な災害よりも、「自分が、あるいは愛する家族が病で死ぬかもしれない」という人間の最も原始的で身近な恐怖を癒やしてくれる『仙人医療』のニュースの方が、遥かに生々しい欲望となって大衆の心を掴んで離さなかった。


 死にかけた人間が、文字通り息を吹き返して起き上がる映像。

 人々は、その神聖な奇跡に涙しながらも、同時に思い出していた。その奇跡を使う仙人たちが、殺害すればその恩恵を奪えるという、あまりにも邪悪なシステムを背負った存在であることを。


 世界中が、祈りと殺意をないまぜにしながら北京の光を見つめていたその夜。


 東ヨーロッパ某国。

 地図からはとうの昔に抹消された、鬱蒼とした森の奥に隠された旧国営兵器工場の廃墟。

 分厚いコンクリートの壁と、赤錆に覆われた鉄骨に囲まれた薄暗い地下の一室で。


 一人の男が、ノイズの走る古いブラウン管テレビに映し出された北京のニュース映像を、冷ややかな横目で見流していた。


 男の名は、ミロシュ・ラドヴァン。

 年齢は三十に届くか届かないかといったところだが、無精髭と落ちくぼんだ眼窩、そして狂的な光を宿した瞳が、彼を実際の年齢よりも遥かに老成した、あるいは破綻した人間に見せていた。


 ミロシュは、油と煤で黒く汚れた作業台の上で、はんだごてとピンセットを握りしめ、ひどく焼け焦げた『金属の筒状の部品』の束を弄り回していた。


「……治す光。守る光。そして、隠された光か」


 ミロシュは、テレビから流れるアナウンサーの声をBGMにしながら、自嘲気味に、しかし明確な憎悪を込めて呟いた。


「権力者どもは、自分たちに都合の良い光だけを特等席で独占している。

 ……なら、俺の手元にあるこの【焼く光】だけが、民衆に渡ってはいけない理由は何だ?」


 ミロシュの唇の端が、歪に吊り上がる。

 世界が神話の奇跡を見上げて祈っているその足元の地下深くで。人類を真の破滅へと導く『最初の火種』が、一人の危険な天才の手によって、静かに、そして確実に育とうとしていた。


 ミロシュが巣食うこの地下施設は、冷戦時代にソビエト連邦の衛星国が極秘の兵器開発を行っていた名残である。

 凍てつくような隙間風が、ひび割れたコンクリートの壁を撫でていくその無機質な空間には、常に重油と錆、そして安物のウォッカの匂いが沈殿していた。


 天井から吊るされた巨大なクレーンはとうの昔に動力を失い、赤錆の塊と化して虚空を睨んでいる。

 その直下に設けられた仮設の作業区画。

 パーテーションで囲われたその場所だけが、不気味なほど大量の電力を食い潰し、煌々と白いハロゲンランプの光を放っていた。


 かつてミロシュは、名門大学の高エネルギー物理およびプラズマ制御系の研究室に籍を置く、将来を嘱望された研究者だった。だが、軍事応用を恐れる保守的な指導教授との衝突、研究費の理不尽な削減、そして無能な政治家の息子の縁故採用に激しく反発した結果、彼は学界から永久に追放された。

 本人は「大学が俺の才能を理解できずに捨てたのだ」と、今でも本気で信じている。


 壁一面に立てかけられたホワイトボードには、複雑な数式やプラズマ力学の計算式ではなく、世界中で起きているアーティファクト関連のニュース記事や写真が、無秩序に貼り付けられ、赤い糸で結びつけられていた。


 アメリカの『アポロン・ソード(ライトセーバー)』の実演映像の切り抜き。

 中東で暴発したとされる、初期アポロンの矢の爆発事故の不鮮明な現場写真。

 日本で『黒鯨』を消し去った、巨大な光の柱の衛星画像。

 そしてその中心には、中国の病院で撮影された『光る珠』のぼやけた写真が追加されていた。


 ミロシュの頭の中では、これら世界中に散らばる神話的な現象は、すべてが一つの【光の技術(アーティファクトの基礎原理)】として論理的に繋がっているのだ。


「国家が管理するだと? 偽善者どもめ」

 ミロシュは、作業台の上の基板にハンダを落としながら、呪詛のように呟く。

「力が危険だから隠しているのではない。自分たちだけが『神の座』に座り続けるために、火を隠しているだけだ。プロメテウスの火は、本来、すべての人類に平等に与えられるべきものだ」


 彼にとって、己の行いは犯罪ではなく、人類を解放するための『革命』であった。

 だが、その革命を支援しているスポンサーは、決して自由を愛するリベラリストなどではない。


「……ミロシュ。また徹夜か。電気代が馬鹿にならんぞ」


 背後から、低く掠れた声が響いた。

 分厚い革のコートを羽織った初老の男が、葉巻の煙を苛立たしげに吐き出しながら、作業区画へと入ってきた。

 彼らの名は『黒犬商会』。東欧一帯の旧軍需品の横流しから、偽造パスポートの製造、紛争地帯への非合法な傭兵の派遣までを牛耳る巨大な裏組織の幹部たちだ。


「進捗はどうだ、先生センセイ

 幹部のボリスが、狂った頭脳を持つ道具に対する、裏社会特有の皮肉を込めた呼び名で問う。


「順調だ。……と言いたいところだが、お前たちが持ってくるジャンク部品の精度が悪すぎる」

 ミロシュは振り返りもせず、ピンセットで微細な回路を繋ぎながら答えた。

「これほどの高エネルギーを制御しようというのに、闇市の横流しコンデンサーでは、負荷に耐えきれずに三秒で融ける」


「贅沢を言うな。アメリカの監視網をごまかして調達するだけでも、どれだけの金と血が動いていると思っている」

 ボリスは、忌々しげに葉巻の灰を床に落とした。


 ミロシュは、作業台の奥に鎮座する、厳重な鉛の箱へと視線を向けた。

 数ヶ月前、黒犬商会の男たちが血濡れの木箱に入れて彼の元へ持ち込んできたもの。それこそが、この狂気の研究の【原点】であった。


 数ヶ月前の記憶が蘇る。


『アポロンの矢のコピー品だ』

 ボリスは、焦げ臭い木箱をミロシュの前にドンと置いた。

『中東の闇市場で流れたものを、なんとか一つ確保した。……使えれば、国家を脅せるほどの代物だ。だが、これを撃とうとした我が商会のテスト要員が、すでに三人死んだ。熱暴走して自爆する』


 ボリスは、箱の中の焼け焦げた筒状の残骸を見下ろし、吐き捨てるように言った。

『完全に壊れている。ただのガラクタだ。……だが、お前の頭なら、直せるか?』


 ミロシュは、その木箱の中の「死骸」を見た瞬間。

 恐怖でも困惑でもなく……科学者としての純粋な歓喜で、全身を震わせた。


『……壊れているんじゃない』

 ミロシュは、ボリスの言葉を真っ向から否定した。

『壊れている場所を、お前たち人間が“本体”だと勘違いしているだけだ。……これは、まだ一度も、【正しく壊されていない】だけだ』


 黒犬商会の男たちは、その言葉の意味が理解できず不気味なものを見るような顔をした。

 だがミロシュには確信があった。この残骸は単なる失敗作ではない。本物の神の技術アーティファクトの圧倒的なエネルギーを、人間の粗悪な器に無理やり押し込めようとして破綻した、【本物へ近づこうとした化石】なのだと。


「……本物が手に入れば、こんな廃工場のドブの底で、お前の機嫌を取る必要などなかったんだがな」

 現在のボリスが、当時の不満をぶり返すようにボヤいた。

「アメリカの出し惜しみには反吐が出る。……あの『ライトセーバー』とやら。あれが一本でもあれば、我々は中東やアフリカの裏市場で、国家予算規模のビジネスができたというのに」


 ボリスの背後に立つ、顔に深い傷跡を持つ男が、苦虫を噛み潰したような顔で同調した。

「無理な相談です、ボス。……アメリカからは、絶対に盗めない」

 傷顔の男は、思い出すだけでも背筋が凍ると言わんばかりに、声を潜めた。


「我が商会と繋がりのあった、ロシアのトップクラスのサイバーハッカー集団が、先月、ペンタゴンのサーバー群からアーティファクト保管庫のデータにアクセスを試みました。

 ……翌日の朝には、彼らのアジトはもぬけの殻でした。機材も、サーバーも、人間も。血一滴残さず、空間ごと『消去』されていた。セレスティアル・ウォッチの連中は、あの一件以来、神経質な番犬みたいに本物を抱え込んでいる。……我々裏社会の人間が本物に触れることは、物理的に不可能です」


 その会話を聞きながら、ミロシュは内心で冷笑していた。

(馬鹿どもめ。本物を盗む必要など、最初からないのだ)


 ミロシュは、ホワイトボードに貼られたアメリカの『アポロン・ソード』のデモ映像の切り抜きを見つめた。


 アメリカ政府は、アポロンの矢を安定化させ、光の剣として実戦配備の段階にまで到達した。

 それはつまり、アポロン系アーティファクトの暴虐なエネルギーは、決して不可制御な魔法ではないということだ。必ず、安定化させるための【物理的な条件】が存在する。


 ミロシュの天才的な頭脳は、アメリカの研究アプローチを逆算し始めていた。


 アメリカの科学者たちは、おそらく完璧な『安全運用』を目指したはずだ。

 使用者が死なず、エネルギーが暴走せず、何度でも安定して起動と収納を繰り返せるように、途方もない予算と素材を使って、エネルギーの出力を『抑え込み、封じ込める』ことに成功した。


 だが。

「完全制御など、不要だ」

 ミロシュは、手元の設計図に乱暴に赤ペンで線を引いた。


「安全運用も不要。……一発だけ。たった一発だけ、確実に狙った方向へ光を放つことができれば、それは【兵器】として完全に成立する」


 ミロシュの着眼点は、狂気に満ちていながらも極めて合理的だった。

 粗悪コピーが撃つ前に爆発するのは、人間の作った回路がエネルギーの奔流を『せき止めようとする』からだ。

 ならば、せき止める必要はない。

 暴発するその瞬間の、ほんのコンマ数秒の間に。崩壊していくエネルギーのベクトル(向き)を、ただ前方へと『逃がしてやる』ための通りバイパスを作ってやればいい。


 安全装置など、要らない。

 撃った後に装置がドロドロに溶け落ちても構わない。

 使用者が火傷を負おうが、知ったことではない。

 ただ、目の前の分厚い装甲を、一瞬の光で貫くことができれば。


 それから数ヶ月間。

 世界が、中国の仙人、アメリカの無制限入札、ロンドンの万象器、ドバイのミラージュ・コア、日本の謎の光と、次々と現れる神話級のアーティファクトに目を奪われ、空を見上げて大騒ぎしている間。


 ミロシュはずっと、この廃工場の暗く冷たい地下で、一番最初の火種である『アポロンの矢』の粗悪コピーと血みどろの格闘を続けていた。


 開発の過程は、まさに地獄だった。


 第一段階。

 初期の試射では、引き金を引くことすらできずに、エネルギーを充填した瞬間に内部の回路が爆ぜた。

 閃光とともにコンデンサーが吹き飛び、廃工場の分厚いコンクリートの壁が真っ黒に焦げ、古い鉄骨が飴のようにねじ曲がった。

 飛び散った破片で、助手の若い男が耳の鼓膜を破り、血を流してのたうち回った。


「これでは商品にならん!」

 ボリスが、粉々になった装置を見て激怒し、ミロシュの胸ぐらを掴んだ。


 だが、ミロシュは、自分の額から流れる血を拭いもせず、焦げた作業台の前にしゃがみ込み、狂ったように笑い声を上げた。

「……ハハハッ、素晴らしい! 爆発する場所が、完全に特定できたぞ! これは失敗じゃない。……極限の【測定】だ!」


 第二段階。

 度重なる部品の調達と、ミロシュの狂気的な改修の末。

 試射室の分厚い防護ガラスの向こうで、装置が唸りを上げた。

 筒の先端から、一瞬だけ、本当に瞬きする間だけ、青白い光の線が【前方】へと走った。

 だが、直後に「バシュッ」という鈍い音とともに、装置は自らの熱に耐えきれずに内部からドロドロに溶け落ちた。


「また失敗か」

 ボリスが忌々しげに吐き捨てる。「こんなガラクタにこれ以上投資するのは無駄だ。計画は凍結する」


「待て! 待ってくれ!」

 ミロシュは、防護ガラスにへばりつくようにして、溶けた残骸を食い入るように見つめながら全身を震わせていた。

「前に出た……。今、確かに前に出たんだ! 神の矢は……まだ、飛び方を覚えている!」


 そして、第三段階。


 廃工場の最下層に設けられた、分厚い鉛とコンクリートで覆われた地下射場。

 ミロシュは標的として、黒犬商会が闇ルートで調達してきた最高強度の物理障壁を並べさせた。

 旧ソ連製主力戦車の装甲の切れ端。合金板。そして最新鋭のセラミック複合材。


 ミロシュは防護バイザーを身につけ、自らその『改修済み粗悪コピー』を構えた。

 ボリスたち黒犬商会の幹部は、分厚い防護壁の後ろに隠れ、息を殺してその様子を見守っている。


「カウントダウン」

 ミロシュの声が、インターコム越しに静かに響く。


「三、二、一……」


 ミロシュが、引き金を引いた。


『――ギュゥゥゥゥンッ……!!』


 装置の内部で、莫大なエネルギーが暴走を始めようとする低い唸り声。

 地下室の照明が一瞬だけフッと暗く落ちる。


 バチィィッ!!


 筒の先端から、白金色の強烈な光の奔流が放たれた。

 それは、アメリカ政府が公開した『アポロン・ソード』のように美しく安定したものではない。光の線はわずかに震え、周囲にパチパチと制御しきれない火花を撒き散らし、耳障りで汚いノイズを響かせている。


 だが。その光は、爆発することなく。……確かに、真っ直ぐに【前】へ向かって飛んだ。


 一秒。

 戦車の装甲板の中心が、白く膨れ上がる。


 二秒。

 合金板が赤熱する間もなく、光の直撃を受けた部分だけが完全に【蒸発】して消滅する。


 三秒。

 最後のセラミック複合材を貫き、奥のコンクリートの壁に深く、黒焦げの穴を穿つ。


 その直後、光の線が激しく乱れ、装置の排熱ダクトから悲鳴のような金属音が上がり始めた。

 ミロシュは限界を悟り、即座にエネルギーの遮断スイッチを叩き込んだ。


 プツン、と。

 地下室に、耳鳴りのするような静寂が戻った。


 ミロシュの持っていた装置は、表面が真っ赤に焼け焦げ、プラスチックの部品が溶けて異臭を放っていたが……完全に崩壊(自爆)することはなく、元の形を保っていた。

 標的の装甲板にはすべて、中心に綺麗な真ん丸の穴が空き、周囲の空気が焼け焦げた熱気で揺らめいている。


 防護壁の後ろから顔を出したボリスが、その信じられない破壊の痕跡を見て、呆然と呟いた。


「……撃てた」


 ミロシュは、防護バイザーを乱暴に外し、汗とススにまみれた顔で静かに、だが狂気を孕んだ声で訂正した。


「撃てたんじゃない。

 ……飛んだんだ」


 ミロシュは、溶けかけた装置を両手で高く掲げ、地下室の天井に向かって抑えきれない歓喜の絶叫を上げた。


「ハハハ……!!

 やったぞ……! ついに……神の火を盗めたぞ!!!」


 完成したこの武器の性能は、アメリカの本物のアポロンの矢には遠く及ばない。

 連射はできない。数秒照射しただけでオーバーヒートを起こす。射程も限定的だ。少しでも雨や粉塵が入り込めば、挙動が乱れて使用者の命を奪う。軍の正式装備として量産するなど到底不可能なシロモノだ。


 神の兵器には、届かない。

 だが……防弾チョッキも、軍用車両の装甲も、VIPを乗せた防弾車もすべてを一瞬で貫通し、中にいる人間を確実に【殺す道具】としては。

 十分に、完成してしまったのだ。


「素晴らしい……! 本当にやりおったぞ、この男は!」

 ボリスたち黒犬商会の幹部は歓喜に満ちた下品な笑い声を上げながら、ミロシュの周りに集まってきた。

「一丁十億ドルでも売れるぞ、これは!」

「中国の病院(仙人)を狙っている連中なら、百億ドルでも買う! どんな厳重な警備の壁でも、これ一発で風穴を開けられるんだからな!」

「設計図は、我々黒犬商会だけで厳重に管理する。お前には十分な報酬を出してやるぞ、先生」


 ミロシュは、歓喜の笑いを収め、彼らの欲にまみれた顔を冷ややかに見下ろした。


「……管理?」

 ミロシュは、低く、静かな声で反問した。


「当然だ。これは我々の最高の商品だからな」

 ボリスが不審そうに眉を寄せる。


 ミロシュは首を横に振った。

「違う。これは人類のものだ」


 その静かな一言に。

 黒犬商会の男たちの動きがピタリと止まった。


「……おい、先生。冗談はよせよ」

 ボリスの顔が冷酷な裏社会のボスのそれに戻る。「お前、まさか……その設計図を、他の組織に『売る』気か?」


 ミロシュは、作業台の上のノートパソコンを開き、あらかじめ準備していたプログラムの実行キーに指を置いた。

 画面には、すでに高度に暗号化された大量のデータパッケージと、世界中に散らばる無数の送信先のリストが展開されている。


「売らない」

 ミロシュは、ボリスの目を真っ直ぐに見据えて、はっきりと宣告した。


「……【公開(解放)】する」


 ミロシュの指が、エンターキーを叩いた。

 プログレスバーが一気に進行し、彼が数ヶ月かけて組み上げた【粗悪コピー改修マニュアル】と【安定化理論】、そして【試射動画】のデータが、光ファイバーを通じて世界の暗部へと放たれた。


 アップロード先は、闇市場の暗号掲示板、傭兵のネットワークフォーラム、アーティファクト売買の違法コミュニティ、さらには国家機関のハニーポット(囮サーバー)にまで意図的にばら撒かれた。


 同時に、ミロシュがあらかじめ録画していた『声明文』の動画が、各所に一斉にポップアップした。


 画面の中のミロシュは、顔を隠していなかった。貫通した合金板を背に、堂々と語りかける。


『――アメリカはアポロンの矢を隠した。

 日本は黒鯨を消した謎の光を隠している。

 中国は人を治す光る珠を独占している。

 イギリスは魔女との契約を王室と政府のものにした。

 インドはソーマを国家の手に置いた。


 彼らは言う。危険だから管理するのだと。

 だが、それはいつの時代も支配者の言葉だった。

 火を独占した者は、火を持たぬ者を支配する。

 神の遺物を独占した国家は、神を持たぬ民を支配する。


 アーティファクトは人類全体の宝だ。

 一国が保持してよいものではない。

 私は、神の矢を人類へ返す。

 恐れるな。解放せよ』


 一見、民主的で高尚な言葉に聞こえる。

 しかし、彼がその“人類の宝”を最初に送信した先は、大学でも国際機関でもない。兵器商人やテロリストが集う、人類の中でも【最悪の場所】であった。


 アップロードから数分後。

 地球の裏側、アメリカ合衆国。


 セレスティアル・ウォッチの深部にある自動監視AIが、けたたましいアラートを鳴らした。


『APOLLO-DERIVED PATTERN DETECTED』

『UNAUTHORIZED STABILIZATION ARCHIVE』

『SOURCE:UNKNOWN EASTERN EUROPEAN NODE』


 緊急で叩き起こされたケンドール博士は、パジャマ姿のまま管制室に飛び込み、モニターに映し出された【合金板を貫く粗悪コピーの試射映像】を見た。


「……これは、本物ではありません」

 ケンドールが言い切ると、周囲のスタッフが少しだけ安堵の息を漏らした。


 だが、ケンドールは血の気の引いた顔で、絶望的に言葉を続けた。

「だからこそ、最悪なのです」


 即座に、ホワイトハウス地下で待機していたキャサリン・ヘイズ大統領へと報告が上げられた。


「我々の保管物が盗まれたの?」

 ヘイズは、険しい顔で確認する。


『いいえ、大統領』

 画面越しのアルファが答える。

『セレスティアル・ウォッチおよび米軍管理下のアポロン系アーティファクトに流出はありません。……これは初期騒動時に闇市場へ散った、粗悪コピーの一つです』


 ヘイズは少しだけ息を吐き出したが、次のケンドールの言葉で表情を完全に硬直させた。


『誰かが、それを安定化させました。

 完全ではありません。……しかし、人を殺し、施設を破壊し、国家を脅迫するには十分です。

 彼は、暴発の方向を前方へ逃がすことに成功しています』


「つまり、天才か」

 アルファが、無感情に評価する。


「ええ」

 ケンドールが苦々しく答える。

「最悪の場所に生まれた、最悪の種類の天才です」


 ヘイズ大統領は、事態の深刻さを完璧に理解し、即座に優先順位を決定した。


「本体の回収より先に、設計データを止めなさい」

 大統領の冷徹な号令が飛ぶ。

「これは一丁の銃の問題ではないわ。……銃の作り方を、世界中の地下室にばら撒く話よ。

 ダークウェブ上のアーカイブを全力で潰しなさい。関係国への限定的な警告を発出。ミロシュ本人の特定と、黒犬商会の資金経路を追跡して」


 そのアメリカからの限定警告は、すぐさま同盟国である日本の首相官邸地下、既存技術外事象評価セルにも到達した。


「……アポロンの矢。最初の案件が、戻ってきたか」

 防衛省の幹部が、忌々しげに資料を机に叩きつける。


「戻ってきたのではありません」

 三神編集長は、苦い顔で首を横に振った。

「放置された火種が、地下で育っていただけです」


「厄介なのは、この技術が【光】の形態をとっていることです」

 沖田室長が、インテリジェンスの観点から最大の懸念を指摘する。

「日本の光、中国の光る珠、アメリカのライトセーバー。……世間はこれらをすべて“光の技術”として雑に結びつけるでしょう」


 三神は、深くため息をついた。

「人間は、救いの光と殺しの光を、同じ単語で呼ぶんです。そこが厄介なのですよ」


 同じ頃、中国・中南海。

 李天明国家主席のもとにも、この情報はもたらされていた。


「アポロンの矢の粗悪コピーが、限定的に安定化された可能性があります」


 その報告に、中国指導部の仙人たちは顔色を変えた。

 彼らは今、病院で一般市民を治癒するという「徳を積む」行為を行っている。だが同時に、彼らは「殺せば恩恵が移る」という絶対の標的でもあるのだ。


「病院周辺の防護を即座に強化せよ」

 李天明が、鋭く命じる。

「仙人の移動経路を変更しろ。……これからは、外国人医療ブローカーの暗躍だけではない。アーティファクト兵器を保持した暗殺者が、壁を撃ち抜いて現れる事態を想定せよ」


 治す仙人を狙うために、焼く光が使われるかもしれない。

 世界が北京の病室に見出していたかすかな希望は、再び血生臭い暴撃の予感に塗り潰されようとしていた。


 そして、EUの首脳陣もまた、絶望に頭を抱えていた。

「我々が倫理基準を議論している間に……廃工場の地下で、神の矢が再点火されたというのか」

 EU官僚の嘆きに、ヘルメス協会の導師が静かに言い放つ。

「だから申し上げているのです。神秘は、人間が管理するのを待ってはくれません」


 大気圏外、サイト・アオ。


 巨大なホログラムスクリーンで事態の推移を眺めていたKAMIが、面白そうに笑い声を上げた。


「初期武器の粗悪コピーを、野良エンジニアがデバッグしたわけ?

 いいじゃない。人類、ちゃんと最悪の方向にも成長してるわね」


 エミリー・カーターが、胃薬の小瓶を握りしめながら青ざめる。

「褒めるところですか、それ……」


 賢者・猫が、クッションの上で尻尾を揺らす。

「市場に出回った不良品が、誰かの手で商品になる。商売としては自然な流れじゃ。……迷惑極まりないがな」


 ティアナは、コーヒーカップを口に運びながら、ぼそっと呟いた。

「……地球、アップデートのたびに治安が悪くなるな」


 東欧の廃工場。


 ミロシュの端末には、彼が放った「神の火」に対する、世界中の裏社会からのダイレクトメッセージが、滝のような勢いで殺到していた。


『買いたい』

『量産したい』

『人に撃ったらどうなる?』

『中国の仙人に効くか?』

『病院の警備を抜けるか?』

『戦車を抜けるか?』

『安全装置を外せるか?』


 ミロシュは、そのメッセージの群れを見て、一瞬だけ沈黙した。

 彼が「人類の解放」を語って放った技術に対する返答は、平和や自由への称賛ではなく、純粋な【殺意と商売の問い合わせ】だけだったのだ。


 だが、彼は引き返さなかった。

「……最初の火は、いつだって怖がられるものだ」

 ミロシュは、自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「だが、火がなければ、人類は夜を越えられない」


 背後で、激しい足音と怒号が響いた。

 黒犬商会の幹部たちが、銃を抜いて作業区画になだれ込んできたのだ。


「お前、ふざけるな!!」

 ボリスが顔を真っ赤にして銃口をミロシュに向ける。

「設計をタダで公開しただと!? 我々の利益をドブに捨てやがって! 殺してでもその完成品は置いていってもらうぞ!」


 ミロシュは、技術者であって戦士ではない。

 だが、彼はこの廃工場の防衛装置と試験設備を誰よりも熟知していた。


 ミロシュは、手元の端末のキーを一つ叩き、工場の古い防火シャッターを強制的に落下させ、ボリスたちとの間に壁を作った。

 シャッターが完全に閉まる直前。

 ミロシュは、手にしたアポロンの矢改修機を構え、引き金を引いた。


『ギュゥゥンッ!』


 白金色の光が、シャッターの脇のコンクリートの壁を掠めるように走り、巨大な爆炎と熱風を巻き起こした。

「うわあっ!?」

 黒犬商会の男たちが、その圧倒的な熱量に怯んで後ずさる。


 ミロシュは、人を殺さなかった。

 倫理観からではない。ただ、苦労して直したこの装置を、無駄な戦闘で壊したくなかっただけだ。


 夜明けの光が、廃工場の屋上を照らし始めていた。


 非常階段を駆け上がり、屋上に出たミロシュは、冷たい朝の空気を深く吸い込んだ。

 彼の手元の端末では、設計図のダウンロード数が、異常な速度で増え続けている。


 100。

 1000。

 10000。


 ミロシュは、その数字を見て、満足げに笑った。


「見ろ。……火は、もう人類のものだ」


 だが。

 彼は、神の火を盗んだつもりだったが。

 実際に彼がしたことは、乾ききった火薬庫のようなこの世界に、ただ無責任に火の粉をばら撒いたことにすぎなかった。


 世界が、北京の病室に灯る『治癒の光』を見上げて祈っていた、その夜。


 東欧の地下では、一番最初の『殺戮の光』が。……もう一度、人間の手によって点火されていたのである。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
ただのアナーキストが勘違いして最悪の行動をしやがった・・・。
これ…ある程度の天才達と国家レベルの工業と無理を押し通す指導者がこの設計図を手に入れたら、初期火縄銃の様な単発装填式レーザーガン作れるのでは? 意外と使い勝手が悪かったサイボーグに使い捨てカートリッジ…
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