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彼と私のハーブな関係  作者: 水月
6/6

その6 ブーケガルニ(後)

2019/03/06公開作品

 大体こんなもんかな、と未智が予想した時間よりずいぶん早く、響一は帰ってきた。もしかして駅から走ってきたの? と思うぐらい早い。そんなに急いで帰ってきても、ご飯はまだできてないのに、と。

「ただいま」

 玄関のドアを開けて顔を合わせた途端、響一が嬉しそうな表情でそう言った。つられて未智もにこっと笑い、おかえり、と返す。危惧していたような気まずさはなかった。

「手洗いうがいしてくる」

 靴を脱いだ途端にそう言う響一の背中を見送りながら、うむうむ、ようやく教育の成果が出始めてきた、と未智は満足そうに頷いた。

 ポトフの具合はどうだろう……と思いつつ、味見をしてみる。ちょっと塩味が足りないように思ったので少し足して火にかけ、塩が溶けた頃に再び味見。なかなか味がしみているようだ。

 洗面所の方から出てくる足音がしたので、未智はコンロの方を向いたまま話しかけた。

「まだちょっと早いかなと思ったけど、いけるみたい。ポトフを入れる器を……」

 持ってきて、と言う前に、背後からふわっと抱きしめられて口をつぐんだ。

「……響くん?」

 未智の問いかけるような声には応えず、響一は未知の頭の上で大きなため息をついた。

「ああ、未智だ……」

 いや、そりゃそうでしょうよ。他の誰だっていうのよ。

 心の中でツッコミながら、だがこれを口に出すとひんしゅくを買いそうなので、黙ったままでいることにする。

「もう未智が嫌がることはしない。だから俺を締め出さないでくれ。会えなくて淋しかった……」

 淋しかったと言われて初めて、未智は自分もそうだったのだと気づいた。ふとした瞬間に、響くんどうしてるかな、ちゃんとご飯食べてるかな、と思っていたのは淋しいという感情だったのだと。なので、未智は素直にこくんと頷いた。

「……うん。ごめん」

 未知がそう言うと、響一は未知の頭頂にすりすりと額をこすりつけるようにしてから離れた。ポトフ、どれに入れる? と訊きながら。

 久しぶりににぎやかな食卓となった。二人は会わなかった間のことをあれこれ話しながら、料理に舌鼓を打った。


 未智の父の分を残して響一がきれいに食べつくした後、二人はいつものようにキッチンに並んで立って食器を洗った。二人分の食器だけなので洗い物はすぐに終わり、リビングに移動してお茶を飲むことにした。

 L字型のソファの一面ずつに離れて座り、丁寧に煎茶を淹れてゆっくりと味わう。ニュースでも見とこうかとテレビをつけると、響一も見たいと思ったのか、テレビの正面に向いている面に移動してきた。必然的に隣り合って座ることになったが、いつものことなので気にすることなくお茶をすする。

「なあ」

「んー?」

 テレビを見ながらおざなりな返事をすると、響一が不満そうに未智の髪を引っ張った。小学生か。

「結局、遠藤とはどういう話をしたんだ?」

 未智は湯呑をテーブルに置き、響一に向きなおって訊ねた。

「遠藤さんから聞いてないの?」

「おまえとバッタリ出会って、ちょっと話したってのは聞いた。あと、おまえのこと可愛いって……」

 拗ねたように言う響一が面白くて、未智はにやにやしながら答えた。

「その通りよ。話したのなんて五分くらいかな。駅に向かう途中で会ったから、着いてすぐ別れた。向こうはまだ次の営業先に向かうって言ってたし」

「じゃあなんで可愛いっていう言葉が出てくるんだよ。おかしいだろ」

「だから、それは社交辞令だって。おまえの彼女に会ったぞ、あんな平凡な女のどこがいいんだよ、なんてわざわざ言う人いる? 頭おかしいか喧嘩売ってるでしょ」

「社交辞令って感じじゃなかった」

 むすっとしたままの響一が頑なに否定する。未智が呆れたような目を向けると、ずるずると上体を倒してきて、未智の肩に頭を乗せてきた。

 なんだ、甘えてるのか、珍しい。などと思いつつ、反対側の手でよしよしと頭をポンポンしてあげる。

「ていうか、遠藤さんて響一のことしか話さなかったよ」

 安心させるために言ったのに、響一はガバッと身を起こして未智を睨みつけた。

「俺のことって何だよ。何聞いた!」

 その剣幕に驚きつつ、未智は答えた。

「何って……難攻不落とか? あと、そう、ノロケって何!? 響くん会社で何の話してるの!? めっちゃ恥ずかしいんですけど!」

「なんだその難攻不落って」

「響くんがモテモテのくせに女性に見向きもしないとか、今までの素行を考えると到底信じられないようなことを……じゃなくて! 私たちそもそも付き合ってないよね? なのになんで響くんの会社では私が彼女認定されてるの!」

 ぎろっと睨んでみたが、響一は真面目な顔を向けるばかりだった。

「とりあえず付き合うことにしただろ」

「えっ、いつ?」

「いつって……俺がプロポーズした日じゃないか」

「そうよ、そのプロポーズ! この間言われたときは流したけど、あとからよく考えたらあれってプロポーズなの? と思って。ていうかそのプロポーズって、そろそろ嫁に来いって言ってたあれで合ってる?」

「いや、プロポーズ以外の何物でもないだろ、それ」

「うっそー、ないわー、その感覚なんとかした方がいいと思うわー。そもそも私、承諾してないよね?」

「それは……」

「し て な い よ ね」

 にっこりと笑顔でどすの利いた声を出すと、響一は不承不承という態で頷いた。

「まあ、そうだな……」

 ここで肯定するようになったこと自体は進歩だ、それは認めよう。だがそれで満足していてはいけないのだ。

「じゃあ今度は、世間一般の常識をきちんとリサーチした上で、日を改めて行なってください」

 厳かに宣言すると、え、何を? ととぼけた顔で訊き返してから、響一ははっとしたように目を見開いた。そのままじっと見つめられて、じわじわと顔に熱が集まるのを感じる。ぷいと視線をそらした未智の手を、響一はそっと握った。

「それはつまり、夜景の見えるレストランでとか、跪いて指輪を捧げるとか、そういうのだったらオッケーしてくれるってことなんだな?」

 知ってるんじゃないか! なぜそれを最初からやらない!

 と考えてから、そうか、そういう方向に持っていく雰囲気づくりを全て私がスルーしたからか、と思い直す。

 だが、いきなりそんなことをやられたら、絶対に引いていた。思いっきり引いてダッシュで逃げ出し、響くんが頭おかしくなっちゃった! と彼の家族に泡を食って電話していたに違いない。

 まあ、響一にはそうなることがわかっていたのだろう。何せ長い付き合いだ。悲しいかな、お互いが考えそうなことは大体わかる。

 そんなことを考えていたら、遠藤から話を聞いてぼんやりと感じていたことが、今になってようやく形になったような気がした。

 結局、未智は信じ切れていなかったのだ。幼いころからずっと未智のことをからかい続けていた響一を。学生時代、彼女をとっかえひっかえしていた響一を。いきなり、何の前触れもなく好きだと言い出した響一を。

 突然何をとち狂ったんだとしか思っていなかった。万が一ほだされて付き合ったりした日には、すぐに飽きられて他の女に走るに決まってる、と無意識に考えていたのだと今ならわかる。だから離婚という言葉が浮かんでしまったのだと。まあ、それもこれも響一の過去の素行が悪かったせいではあるのだが。

 それが、遠藤の話を聞いて、本当なのかもしれないと思い始めた。あの響一が、社内で難攻不落の男と呼ばれているなんて。他人に自分の恋人(仮)のことを惚気るなんて。未智の知っている響一ではありえないことばかりだった。しかも、未智に会えなくなって落ち込んでいると言う。ちょっと……いや、かなり驚いた。

 とどめは響一からの電話だった。遠藤から何を聞いたか知らないが、独占欲むきだしの台詞の数々は、最初は驚いたが落ち着いて考えると照れてしまうような内容だった。

 だからといって鵜呑みにはできない。できない、が……信じてみようと思ったのだ。長年の付き合いである響一を。未智が知っている、女性関係では全く信用するに値しないが、他の面では頼りになる幼馴染みを。

 そもそも、嫌悪感は皆無なのだ。抱きしめられても、キスされても。それ以上のこととなるとその時にならないとわからないが、とりあえず、今のところは身震いするほど嫌というわけでもない。万が一そういう状況になった時に、無理! となったら、その時は……。諦めてもらおう。そこで無理強いするような男ではない。それだけは断言できる。

 不安そうな表情で一心に自分を見つめる響一を見ながら、未智はつらつらとそう考え、やがてゆっくりと頷いた。途端、満面に笑みを浮かべて抱きしめてこようとした響一を両手を上げて止め、くぎを刺すように言う。

「とりあえず、まずはお付き合いから、ということで。響くんもそう言ってたでしょ? プロポーズは頃合いを見て、私が承諾しそうだと思ってからにしてください。恋愛初心者ですのでゆっくり、ゆーっくりお願いします」

 未智の台詞に呆気にとられたような表情を浮かべた後、響一は仕方がないなあと言うように苦笑いを浮かべた。

「わかったよ。また熱出して倒れられても事だしな。ゆっくり、じわじわと進めていくか」

 その、じわじわっていうのはなんだか不穏な響きですね、と視線で訴えている未智の思考を理解しているのかいないのか、響一はにやりと笑った。

「じゃ、まずはキスからいくか。恋人になった記念に」

 あっけらかんと言い放たれたそれに一瞬絶句してから、未智は

「響くん、わかってない! 絶対わかってないー!」

 といつもの叫びをあげた。だが響一は全く相手にせず、暴れる未智を易々と抑え込むと、

「わかってないのは未智だよ」

 と耳元で囁いた。

「外堀はほぼ埋められてるんだ、もうそんな段階じゃない。あとはゴーサインを出すだけなんだぜ」

 言うなり未智の唇を優しく奪う。大きな掌で後頭部をがっちりと掴まれ、反対の手で隙間なく抱きしめられながら、未智は頭の中で『早まったー!』と叫んだ。さっきまでのしおらしさはどこ行った!

「きょ、響くん!」

 響一の唇が角度を変えるためにほんの少し離れた隙を逃さず、未智は必死に訴えかけた。

「なんだよ」

 そう答えつつ、響一は再び未智の唇を我が物顔で塞ぐ。未智はなんとか両手を上にあげて、響一の顎をぐーんと押しやった。

「だから何なんだよ、察せよ空気を!」

 響一が苛立たしげに言葉を吐き出す。

「いや、いやいやいや、察するのは響くんの方だよね! 私、嫌がってるよね!」

「おまえが納得するのを待ってたらジジババになっちまう。俺はさっさと結婚して、おまえの何もかも全部、俺のものにしたいんだよ!」

「さ、さっきと言ってることが違う!」

「さっき?」

「ゆっくりじわじわって!」

「だからゆっくりやってるだろうが」

「ゆっくりでなんでいきなりキスなのよ!」

「アホか! ゆっくりじゃなかったらセックスしてるわ!」

「ぎゃあ! その言葉はもっとオブラートに包んで!」

「オブラートに包もうが何だろうが、セックスはセックスなんだよ! おまえ、長年禁欲生活を送ってきた男の性欲、舐めんなよ!」

「性欲関係はオブラートに包んでください! お願いします! 恋愛初心者には刺激が強すぎるんで!」

「……何をやっとるんだ、お前たちは」

 呆れたような声が唐突に割って入って、二人は口をつぐんだ。申し合わせたように同時にそちらを向くと、そこにはいつの間に帰ってきたのか、未智の父が立っていた。

「お父さん! 響くんが、響くんが!」

「おじさん、おかえりなさい。ようやく未智が結婚する気になってくれました」

「なってない! さっきの話のどこを切り取ったらそうなるの!?」

「きちんとプロポーズしたら受けるって言っただろうが!」

「その気になったらって! まずはお付き合いからって言ったじゃない!」

 二人の言い争いがエンドレスになりそうなことに気付いたのか、未智の父は、あー、と声を上げた。

「お前たち、子供じゃないんだから……。そういう小学生レベルの言い合いはやめなさい。それと、見てないんだったらテレビは消しなさい」

 言い争いですらないと言外ににおわせながら、父は隣の和室に入っていった。

 二人はどちらからともなく顔を見合わせ、気まずそうに目をそらすと、響一は自宅へ、未智はテレビを消して父の夕食の準備を始めた。

 服を着替えて出てきた父は、表立っては何も言わなかったが、食卓の用意を整えた未智を見て微かなため息をつき、小さく首を振って箸を持った。非常にいたたまれなかった。

 いただきます、という言葉を合図に、お風呂洗いを口実に未智はその場から逃げ出した。


 その後、完膚なきまでに外堀を埋めまくり、未智の様子を見ながらじわじわと包囲網を狭めていった響一が改めてプロポーズする頃には、未智はもう逃げられないということを思い知らされていた。が、こっくりと頷いた未智を見た響一が、本当に嬉しそうに笑う顔を見ていると、まあいいか、とも思う。結局、私はこの幼馴染みを本気で拒否することなんてできないんだな、と。

「浮気したら即離婚だからね」

 エンゲージリングを薬指にはめられながら、未智はぽつりとつぶやいた。響一は一瞬手を止めた後、ふっと笑ってリングを定位置に収めた。

「おまえを逃がすようなこと、するわけないだろ」

 高級ホテルの一室で抱きしめられ、耳元でそっと囁かれて、未智はもう一度思った。まあいいか、と。

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