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Episode 出会い④


 その夜、ジェラードは細い火を頼りにお昼の続きの勉強していた。ちょうど、インクが足りなくなり、継ぎ足そうとしたとき、堅い木の扉が大きくノックされた。


「婆、出てくれ」


 そう何気なく言って、ただ一人の付き人がかなりの年だということを思い出す。外に出るぐらい自分で出来る。


「はぁい、待ってくれ!」


 朦朧としてきている頭を抱え、開こうとしたその時、バーンと音を立てて扉が向こうから大きく開いた。ジェラードは鼻に強烈な一撃を食らいよろよろとよろめいた。


「痛ぁ…」


 これはかなりの痛さだ。共和国民と比べて低い鼻が更に低くなったと思いながら、顔を上げる。


「お、おまえは…」


「――やっと見つけた」


 扉の向こうに立っていたのは、先ほどの黒衣の美女であった。上から黒いベールを被っていて顔はよく見えないが、確かに彼女だ。女の方もジェラードを認めて底光りする瞳で舐め回すように見る。


「さっきは、どうもお世話になりましたわ」


 その低めの声はぞくっとするほど甘い。まるで砂糖菓子のようだ。けれども、その下に隠されたのはどす黒い殺気。黒衣と相まって本当に魔女のようであった。

 本能で危険を察知できる者はその言葉を囁かれると土下座をして謝りたくなるだろう。けれども、そのような事には全く疎いジェラードは眠い目を擦りながら応答した。


「なんだ。それはどうも」


 それだけ言って、早速戻って続きをしようと思ったとき、話はまだ終わってないとばかりにくいっと服が引っ張られた。

 ジェラードが振り向くと、その繊細な顔立ちが間近にあった。


「よくも先ほど私の取り立てを邪魔したわね」

「人の家の前で邪魔だっただろう」

「――私の邪魔をしたって事はそれなりの覚悟があるって事でしょうね」


 そういうなり、美女は持っていた荷物をどんとドアの間に立てかけた。その尋常ではない荷物の量にジェラードは美女を睨む。


「どういうことだ?」

「金がないから家を追い出されたの! あんたの所で世話になるわ」

「はあ? 断る。出て行け」


「あんた、私を知らないの? ここら辺で有名な魔術師と言ったら私のことなのよ」


 女はジェラードを睨みつけた。


「だからどうしたっていうんだ」

「ここに住まわせてくれないっていうんだったら、あんたを魔法で、えっと、カエルにでも何でも変えてやるんだから」

「カエル?」


 はて、とカエルとはどんな生き物だっただろうかとしばし考えていると、女はその思考をうち消すような勢いで言った。


「ええ、…そうよ! そうなりたくなかったら私を泊めなさい! そもそもあんたが悪いのよ。あの女、人のすねをかじって、それでいて逃げ回るだけの能しかないんだから。話し合いに口を出したんだから最後まで責任取りなさいよ!」


 ジェラードはため息を付いた。本当に面倒な女に捕まってしまったようだ。彼女が兵に連れられた後、先ほど知り合ったばかりの男から、二つの大きい彼女の果物について熱い講義を受けたが、ジェラードの目にはどこが魅力なのかさっぱり分からない。


「ご近所様の迷惑だと思ったからだ。そうでなければ、私だって放っておきたかったよ」

「私を泊めなさい」


 ジェラードの呟きを無視して黒衣の女は詰め寄った。同時に柔らかな二つの果実が押しつけられる。


「断る。早く失せろ。勉強の邪魔だ」

「そんなこと言ってもいいの?」


「何が、だ」


 鼻を鳴らしたジェラードに美女は言う。


「私って娼妓としてもこの町で有名なのよ」


「それがどうしたって言うんだ。娼妓だからと言って他に宿を借りてもいいだろう」

「危ないじゃないの」


 女は一瞬、本当に呆れたように言った。


「あなたも分かるでしょう。この国の人ったら、美女、美少年とか、綺麗な者を見かけたら、見境なく襲ってくるんだから」


 女のあまりにあけすけな口振りに思わず閉口してしまったが、完全に否定することは出来なかった。


 陽気であると同時に、惚れっぽい共和国民がこの美女を見たら菓子に群がる蟻のように集まってくるだろう。


「あなたがもし駄目だと言って追い出したら、私はすぐに男達に襲われるわ…。そして私は翌朝、ぼろぼろになった状態で見つかるの」


 女はそう言って睫をふせて、それからそっと上目遣いでジェラードを見た。それを見たとき、思わず背筋が泡立つような感覚に襲われた。女であるジェラードでも息を飲んでしまう色気だ。その姿は男を悩殺するに足りないことはないだろう。


「ねえ、お願いよ…。どうか、情けを」


 女のか細い声は朦朧としたジェラードの頭に染みこんでくる。女の細い指が首筋にかけられる。相手に呑み込まれ、頷きかける。しかし、彼女の指がそのまま下に降りようとして、かろうじて美女の手を引き離した。


「――わ、私だって男だろう。意味がないだろう」

「うっそ。あんた女でしょ」


 美女はあっさりと言う。


「な、どうしてそれを…!」


 もしかして自分の身分がばれたのかと焦る。美女はしたり顔をして笑った。


「だって、同居しているお婆さんが私からよく女の子のための薬を買っていたもの。この家には二人しか住んでいないようだし、年頃の娘だと考えればあんたしかいないわ。それでいて、男のふりをしている。何か、男装でもして事情でもあるの?」


 ジェラードは思わず胸をなで下ろした。彼女は本当の性別は知っていても、身分までは知らないようだ。


「よかった…」

「何が良かったなのよ?」


 ジェラードはふうと息を吐いて美女を見た。


「おまえ、このことは誰にも言っていないよな」

「言っていないわよ」


 そこでジェラードは思いつく。


 ここは妥協するとしよう。一夜ベッドを提供し、飯を食わせるという恩を売り、自分が王宮を抜け出し性別を隠していることを口を割らせない。


 ジェラードは指を立てた。


「分かった。一晩だ。朝には出ていくと約束するなら泊めてやる。後、私が女だと言うことは誰にも明かさないこと。これも条件だ」


 美女の顔がパアッと明るくなっていく。


「本当に? それじゃあ失礼するわね。あ、言い忘れていたわ。私の名前はカーンよ。よろしくね!」

「ああ」


 どうせ、明日には出ていくのだからと覚える気のないジェラードは適当に頷いた。


 一晩だけ。それなら何の問題もない。



 しかし、ジェラードはこの後、ジャスミンが香るこの爽やかな夜に、安易に癖のある謎の美女を招き入れたことを後悔するのであった。


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