窓の君
今日、ママンが死んだ。というのは嘘で。母が死んだのは1年半ほど前のことだった。
母は生前、自分と父が死んだらそのあとはどうするんだという話を二か月おきくらいに僕に言っていた。僕は「そうなったらその時に考える」と言いつつも、頭の中でいろいろな勘定を行っていた。
銀行の残高やその他資産のことはだいたい把握していた。だから、あと何年働かなくても生きていけるとか、自分が家の中でやらなくちゃいけないことはどれくらい増えるかだとか、あと生まれてからずっと一緒にいた人が死んだときに生じる心理的ダメージはどれくらいで、自分はどれくらいしたら立ち直れるだろうかとか、そういうことは考えていた。
母はただ、僕に自律した前向きな生活、つまり何を生業にして生きていくのかを考えてほしいと言いたかったのだろうが、僕はそれについてはもっと若い時に考えすぎた結果、考えただけで体が強張るようになってしまったので、誰かが僕の代わりに考えて決めてくれればいいと思いながら十数年を過ごしてきたわけだ。
それで実際、僕はこう想定していた。父は70歳を過ぎてもそれなりの収入があり、母の方はかなり短い時間のパートだったから、父が死んだら僕と母が不自由なく暮らすだけの収入がなくなってしまう恐れがあるから、その時は早いところ楽に働く方法を考えなくてはならなくなるが、もし母が死んだとしても、父が働き続けられるなら、僕のモラトリアムはもう少し伸びる。
そう考えていたのだが、実際はそううまくいかなかった。母が死んだら、父が頻繁に体調を崩すようになり、次第に仕事に行かなくなり、当然そういう年齢だから、すぐに退職することになって、我が家の収入は急に0になった。もちろん退職金は出たし、貯金もそれなりにあったから急ぐ必要はなかったのだが、僕はその状況になって不思議とすぐにハローワークに向かって、かつて自分が思ったように、自分の頭で考えるのではなく、誰かに決めてもらうという形で簡単に仕事が決まった。
もうひとつ予想外のことがあったとすると、母が死んだとき、僕が思ったように悲しめなかったことだ。そしてそのことを親族の誰かが咎めるような目で見てきたとき(あるいは僕がそう思い込んだ時)、僕はムルソーの気持ちが少しわかったような気もしたが、だからといって銃を持って気に入らない誰かを殺しにいくわけでもなかった。
いや、何の用意もせずにハローワークに向かった時は、自分自身を撃ち殺すような気持ちだったような気もする。
それで僕は40歳を目前にして、始めて働くことになって、それから1年半が経った。すぐに辞めるだろうと自分も、おそらく仕事場の人もそう思っていただろうが、休みがちではあったが意外と続き、今ではそれなりに戦力に数えられている。仕事の内容については語りたくない。
僕はこの仕事のことが全然好きじゃないし、この仕事が自分自身と結びついてしまっているという事実を考えるだけで不愉快に思うほどで、仕事をしているとき以外はできるだけ仕事のことを考えたくないし、それについての話を聞かれるのも嫌なのだ。
仕事をしていなかったころは、何をしているのか聞かれるのが嫌なのは、自分が働いていないからだと思っていたし、働き始めたら多少は楽になるだろうと思っていたのに、実際は違った。今はもっと嫌だ。僕は自分の仕事のことを話すことはおろか、そのことについて想起するだけで苦痛を感じる。人からどう思われるかとか、それ以前に、自分がそれであるということに強烈な劣等感を感じる。
理性は役に立たない。どれだけ自分を説得させただろうか。その仕事に誇りを持つよう自分を促しただろうか。
今ではすべては空しい努力だと考え、できるだけ傷を広げないように静かに息をしている。ただ生きるためにやっているだけ。でも、生きるためにやったことによって、生きる事自体の意味が消失してしまうなら、僕のこの苦しみはいったい何のためにあるのだろうか。
そんな日々が続いて、僕の心も体も摩耗していく。それは慣れという別の名前もつけられていたかもしれない。何も感じなくなっていくのだけれど、もっといえば体を動かしている分、体はより健康に、心も、深くものごとを考えないことによって、いわゆる他の人間が聞いたら問題だと思うような内容のことを考える頻度も減ってきて、僕の心は空っぽに、僕の身体は健康な動物なように変わっていった。
そしてそれが完全に自分の存在と同一化しようという日に、彼が現れた。僕がずっと暮らしてきた実家の二階の窓のベランダにそれはいた。ガラス窓に張り付いていて、目を見開いてこちらをじっと見ていた。
僕は最初にそれを見た時、ひどく恐怖した。きっと見間違いだと思ったけれど、そうじゃなかった。父を呼ぼうとしたが、ちょうど父は外出しており、僕は怖くなって、父の部屋の布団にくるまった。
僕の部屋には「あいつ」がいて、外に出たらあいつとはちあわせてしまうかもしれない。
あいつは僕を探しているのかもしれない。ただ恐ろしかった。
スマートフォンを部屋に置いて来たことを後悔した。イヤホンをつけて、くだらない動画でも見て、この恐怖をごまかせたかもしれないから。
テレビを見に下の階に降りることも考えたが、僕は自分の身体を無防備にさらしたくなかったから、そのまま布団の中で恐怖に震えていることを選んだ。
結局、僕はそのまま父の布団の中で眠りにつき、帰ってきた父に起こされて、そのあと自分の部屋に戻った。
その時あいつは確かに真っ暗なベランダにまだいた。ただ、目があってもそいつは変わらずじっとこちらを見ていて、特に何もしてこなさそうだった。
「誰ですか?」
僕はそう聞いた。そいつは、指に口を当ててシーと静かにするよう示した。
「俺はお前の頭の中の存在だから、独り言は言わない方がいい」
その言葉は、部屋の中から響いていた。そいつは窓の外のベランダにいるはずなのに。
「父親を呼ぶのもやめた方がいい」
僕は部屋のドアを半開きにしたまま、ベランダには近づかず、ドアに手をかけたままじっとそいつを観察した。
「俺が誰か気になるだろう? どう呼んだっていい。俺はお前が望んだから生まれたのでも、望まなかったから生まれたのでもない。ただお前がこぼしたものが、こぼし続けたものが積み重なって生まれた亡霊のような存在だ。俺はいつか消えるだろうが、もしかするとそれより先にお前が消えるかもしれない。まぁ長い付き合いになるんだ。焦ることはないだろう。互いにな」
そんなことを言って、ベランダから姿を消した。僕は警戒しながら窓の方に近付いた。ベランダには何もいなかったし、足跡もなければ、あんなに窓にへばりついていたはずなのに、何の跡もついていなかった。
僕はカーテンをかけ、自分の布団の中に潜った。
その晩は、久々によく眠れなかった。働き始めてから、不眠はかなり改善されていたから。
僕はそれから何度か彼と言葉を交わした。彼はどこにでもいるが、いつも窓の向こう側にいた。僕は彼を「窓の君」と呼ぶようになった。彼にはどこか、気品のようなものがある。明らかに異形の存在だし、言葉は堅苦しくはなかったが、それでもこちらがかしこまりたくなるような、そんな雰囲気があった。
窓の君はいつでもどこでも僕をじっと見ていた。僕が働いていないときはどんな時も。窓の君を意識していると、僕は僕でない存在としていられるような気がしたし、僕はそういう乖離的な現象を必要とするほど追い詰められていたからこういうことをしているのかと自己分析してみたが、その自己分析に果たして意味があるだろうかという疑問もあった。
AIに相談したら精神科への受診を勧められ、父に冗談交じりに言ったら「俺もそういう時期があった」と言って笑った。父は母が死んでから半年ほどずっと落ち込んでいたが、最近はご近所づきあいに精を出し、畑とかゴルフとか何か新しいことをはじめては長続きせずすぐにやめて、貯蓄を無駄に使っていたが、もともと父も僕も贅沢をしない人だったから、僕の収入を超える程の支出を出すことはなかった。
もし客観的に見るならば、僕の症状はかなり悪いものになるし、すぐに入院するようなことはないにせよ、仕事は少し休んだ方がいいということになりそうだと思ったが、おそらく僕は一度長期間仕事を休んだら、もう二度と仕事に戻ることはないだろうとわかっていた。転職を考えないのも結局それが理由なのだ。
こんな苦痛に満ちたことを続けていくためには、一度もやめてはいけないのだ。強迫観念に近いものかもしれないが、僕はやはり20年近くニートを続けてきた人間であり、自分の中の仕事をしたくないという感情がいかに強いものか理解している。
僕は、自殺するよりも激しい苦痛と覚悟を持って今の仕事に行く習慣を作った。それが正しいことだと、誰かが言ったからだ。
僕はもはや僕自身であることなどどうでもよくなっていたし、常日頃、何かが僕を殺してくれればいいと思いながら生きてもいた。
それで、僕が自分の精神と思いを誰かに正直に言ったとして、それでもし僕の苦痛が癒されないなら、単に癒されない苦痛を、面白くもない他人の心を覗く苦痛を別のひとりが感じるだけで、誰も得せず世界は回り続けることになる。
それが僕が望むことではないことは、君もよくわかるだろうと、窓の君に尋ねるのだった。
そして彼はこう言って笑うのだ。
「そんなつまらないことで悩むな」
何がつまらないことなのかと尋ねると、窓の君は黙るのだった。答えがないから黙っているのでも、意地悪をしているから黙っているのでもない。ただ話したくないから話していないだけという、そういう空気が窓から冷気とともに伝わってくる。
人生にいいことなどない。というかいいこととされることは無数に存在するが、それが100あろうと1000あろうと、たったひとつの苦痛の前では空しい努力であろうと思っているというそれだけのことである。
僕の人生は楽しいことに満ちていたしこれからもそうだろう。きっとそれは誰にとってもそうだ。それで、楽しいことが生きるに値することになると一体誰が決めたのだろうか。ただ楽しみが、苦痛を軽減する機能を持っていることは確かだろうが、それが生きる理由にならないなら、楽しみの欠如もまた死ぬ理由にはならないはずだというのに。
他人の目が恐ろしい。人からどう思われるのかが怖いんじゃない。人からどう扱われるかが怖いのだ。
年をとってもそれは変わらなかった。意味もない憂鬱と不快感に悩まされた二十代だった。三十代になってから、感覚はどんどん鈍くなっていき、いやなことをいやだと思うことの強さが小さくなっていった。
それでも恐怖は何も変わらず僕に生の実感をくれていた。他者が僕を評価し、僕を何らかの形で自分自身に結びつけようとしたとき、僕はひどくとまどい、恐怖し、なされるがままになる。そしてそういうとき、僕は最も自分自身であると同時に、最も何も考えない自分でいられた。
でもそんな経験は二度としたくないと、その経験を振り返るたびにそう思うのだ。
だから僕の人生は絶え間ない苦痛で満たされていて、その苦痛と苦痛のわずかな隙間に、君がたまたま入り込んだといいたいのだろう? と僕は窓の君に尋ねた。
窓の君はこう言った。文脈を無視して。
「人はお前に考えすぎだと言うかもしれないが、俺からしてみれば、お前は考えるのを怖がり過ぎている。お前の苦痛は車輪のようだが、お前という車を動かしているのは2輪でもないし4輪でもない。もっと多くの苦痛の輪がお前を駆動させているから、お前はいつだってどんな苦痛もその気になれば簡単に手放してしまえるだろうが、何にしてもお前が生きている限り、何らかの苦痛がその地面を掴み、お前という存在を前に押し進めていくだろうから、苦痛それ自体を意識しすぎないことを俺はお前に言いたいな」
「つまり、意識しなければ、苦痛は和らぐと?」
「いや? 苦痛は意識されることによって軽減されることもあるし、お前の場合は特にそうだ。お前は考えることによって苦痛を軽減してきた。今もそうしているが、それが常にお前の苦痛にとってもっともよいことではないかもしれない。お前はもっと苦痛を育てなくてはいけないかもしれない。だってそうだろう? 世の人は今でもお前をお気楽な人間だと思っている。お前を幸せそうな人間だと思っている。お前がもっと苦痛に対して無防備になれば、きっと新しい苦痛がお前に訪れて、もしかすれば今度のそれは他者にも理解可能な苦痛かもしれない。もしそうなれば、お前は他者に示すことのできるお前自身の立て札をひとつ手に入れることを意味するだろう?」
「新しい苦痛……」
「その余裕はないと言うのであれば、そのまま生きていればいい。だがお前はお前自身がどこまでいっても苦痛の通り道でしかないことを知っているなら、もとよりお前が求める意味の所在がどこにあるかといえば、その答えは自明ではないか」
「苦痛を追っていけ。苦痛に追いついて、追い越して、そして置き去りにして、新たな苦痛を見出すまで。それが生の本質であるというのならば」
「そんな深刻な顔をするな。どうせお前が何をやったって、世界は笑うし、幸福は幸福であり続けるだろうから。お前は幸福に呪われていて、お前がどれだけ苦痛を味わい続けたとしても、お前はどうしようもなく幸せな人間であり、恵まれた人間であり、己の生を肯定するであろうから、お前の顔は笑顔が似合うのだ。そうしてお前は人に愛され、誤解され続ける。どう誤解されるか。それを選ばないにしろ、今の誤解に嫌になったのなら、新たな像に向かってゆくしかあるまい。そうしてまたお前の苦痛が、お前の幸福を何よりも固く約束し、いつか平和裏にその存在を終わらせるのであろう」
「この世界で最大の不幸とされる死をお前が幸福と定義するのであれば、その死を喜べる人間は、その生はどれだけ幸福であったのだろうということではないだろうか。であればすべての苦痛は祝福であり、生を肯定するものであろう」
夜、眠る前は、決まって自分が話しているのか、窓の君が話しているのかわからなくなる。
でも思う。彼の言葉が自分の口から出てきたとしたら、そんな笑うべきことはないだろうと。もし誰かが聞けば、きっとすぐにでも鏡を持ってきたくなることだろう。
どの口で。どんな立場で。どんな精神で。
そんな大仰なことを言って抜かすのか。
「お前はお前のまま、お前の心を、魂を、語ることができないわけではあるまい。ただお前は品性を保つことをお前自身に許さなかった。あるいは他者が定めた序列に従い、それに反抗する権利を手放した。きっとそうすることで、お前を締め付けてきた鎖のひとつを解こうとしたのだろう。そして実際にそれによって解かれたのだろう。誰もお前を否定しなくなった。代わりにお前は何も言えなくなった。そして何も言えなくなった代わりに、お前の叫びを独り言に変える貴人が現れた」
それが、窓の君。永遠に、他者にとっては何の意味もない、僕のための、僕だけの言葉を話す怪物。
ずっと君の声を聞いていたいと思って、いつか自分の喉から君の言葉が漏れることはあるのだろうかと想像し、そしてそれを聞いた他の人の困惑と視線が、その突き刺すような痛みが、いつか僕にとって新しい立て札たる苦痛と化すことを、僕は果たして望むのだろうかと、窓の君に尋ねてみたが、またいつかのように、返事はなかったのだった。




