第四十九話 ~死者の眼球~
さて。
俺たちが持ち帰った死体の欠片の数は軽く六十を超える。
それは骨片だったり肉片だったり、或いは歯や髪、体液の一部だったりもするわけだが、それらをすべて解析し、分類するまでには寝食を惜しみ、徹夜で研究を続けていても三日は消費してしまう。
それでも、だ。地道な努力こそが俺たち命核解者の本分なればこそ、必ず結果にはたどり着く。
「師匠、ナフェリア。追跡の準備が整った。………多分、奴の喉元まで喰らい付けると思う」
「その口ぶりでは、最後の一手はまだ未完か?」
「はい。逃げに徹せられると捕まえる手段に乏しくなります」
「………現状の研究、だと………OBの計測研究しか………調べられて、いませんからね………」
ナフェリアの言葉に頷く。
そうだ、ある程度はOBの思考や研究、打ちうる手を予測はしていてもあくまでも俺たちは後手に回った状態から始まり、その中で得られる情報から展望を導き出しているに過ぎない。
つまり、依然として主導権はOB側にある。これは、覆りようのない事実なのだ。
「だからこそ、速攻です。相手が手段を選択する前に一気に制圧します」
「相手は魔術師だ。錬金術師である以上、占いを始めとした呪的手段には乏しい類ではあるだろうが、それでも私たち普通の命核解者には認識できない、別種の核心を持つ。それに対する手はあるのか、オルトルート」
「………今までの研究内容を確認したところ、OBはどうやら魂を観測し、作り出す術は手に入れていても直接魂に干渉する術は持っていないと判断できます」
これは研究の中で感じた違和感だ。
………そもそも錬金術師は魔術師と呼ばれる者どもの中でも、特に物理現象に関する事象に特化しているとされている。魔力を用いて現実に干渉することそのものが魔術師の力である訳だが、錬金術師は命核解者の直接の祖先というだけのことはあり、性根や研究のやり方は俺たちに酷似しているのだ。例えば、通常の魔術師は研究というと俺たちの言う研究ノートの代わりに魔導書を作り出し、物質に影響を与えるための術式という概念を研究、発明、魔導書に記してこれを自在に操るわけだが、錬金術師は魔力を帯びた、或いは与えた道具を作り出すことが多い。
―――そもそもだ。魔術師に属する存在がわざわざ九相図という概念を持ち出し、それを観測したという事実がこの思考を補強する。OBは俺たちの思考の外、恐ろしき魔術戦の本領を発揮することは出来ない。
「故に、相手が取りうるのは既に作り出した魂をけしかけるか、失敗作であるゾンビを持ち出すかのどちらかになるかな、と」
「あの、先生………結界の、対策は………」
「やつの根城にはあるだろうけど、都市の中心には流石に仕掛けられないだろうな。………この街の貴族たちの頂点に立つライフェンブラーは魔力を感知することが出来る、エルフの末裔だ。もしも第六外縁廃墟にあったような結界なんて張っていれば、即座に存在がバレる」
あれは本人が結界内に居なくとも自律的に起動していた。つまり、結界を生成する起点があるという証拠だろう。逆に言えば本人が何もしなくとも一度仕掛けておけば起点に充填した魔力が途切れるまで機能を発揮し続けるという事で………そして、離れているからこそ、そして直接操作していないからこそ、奴の結界は一度張ったら張りっぱなし。あとから手を加えることも解除することもできない。
これが旧第六外縁という殆ど人の立ち寄らない、街の外に向かう騎士たちも通らない場所であれば仕掛けても問題はないだろうが、ライフェンブラーを始めとした魔力にも敏感な存在の前では結界は悪手だ。隠れていたとすれば位置を知らせるに等しいし、もしも。
………もしも、貴族たちの中に隠れていたのであれば。真意を隠せなくなる。
「まあ、結局は出たとこ勝負になりそうですが………とにかく。まずは顔を見るところからですよね」
「そうだな。ふむ、ナフェリア少女、完全武装で行け。私はお前たちがどうしようもなくなる時まで手を出さない」
「は………は、い」
「気を抜くなよ」
腕を組んだままナフェリアに言い含める師匠を眺める。
………やろうと思えば今すぐにでも解決できるこの人が、それでも弟子たちに任せるのは、成長を見守ろうとする親心である。
ま、最後は尻を拭いてくれるにしてもいい年こいた大人が師匠におんぶにだっこって訳にもいかないだろう。頼る気は当然、ない!
俺も俺で完全武装をすると、小瓶を四つほど取り出した。そして、もう一つ。透明な液体に満たされた丸底フラスコも取り出す。
―――その中には、深い赤色の眼球が浮かんでいた。
「………先生、それ、は?」
「あの研究室で眠っていた死者たちの思いの結晶ってやつだ。………ま、命核解者風に言えば情報の結晶体だな」
製法そのものは簡単だ。生み出したエリクシールを基に、原材料である肉体を逆生成。幾つもの肉片を万物融解剤で溶かし込み、煮込んで固めれば原型は完成する。
後は、そうして作り出された道具………この”死者の眼球”にどのような効能を与えるべきかだけだ。今回は、やはり眼球という事で視覚効果を備え付けた。勿論特殊な視覚だけどな。
「それで、だ。これを………」
丸底フラスコの蓋を開け、慎重にその”死者の眼球”を取り出すと、俺はまず自分の右目を抉り取った。
ナフェリアが目を見開くのが見えたが、そりゃそうだよな。急に目の前で人間が目玉を取り出せば大抵の人は驚く。師匠は何にも動じてないけど、こっちがおかしいんだよなぁ。
抉り取った右目は蒸気を上げて消えていく。俺の肉体は本体から切り離されればこうやって消すこともできる。敢えて残しておくメリットはないし、還ってもらおう。
右目の再生を停止させ、その代わりに眼球を眼孔にはめ込む。
ぐるりと眼球が一回転して、失われた右側の視界が変質しつつも復活した。
「用法的には俺がいつも付けてる片眼鏡に近い道具だ。だけど、これは搔き集めてきた死者たちの情報が詰まってる―――その情報だけで、構成されている。どういうことか分かるか、ナフェリア?」
「………その眼球が認識できる情報は死者が見た光景だけに限られる………です、か?」
「そうだ。今の俺の右目には」
そこでいったん言葉を切る。
本来の眼球である左目を閉じれば、残った右目から得られる情報はぐにゃりと歪んだ光景でしかなかった。通常の光を捕らえる眼球構造ではないのだから当然なんだが。
その代わりに、歪な光景の中に薄らと視覚だけでは捉えられない音や匂いといった情報が混じっているのが認識できる。それらの情報は生前の肉体の持ち主たちが知っていたものだけであり、死に近くなればなるほどに鮮明に俺の身体に伝えられる。
「彼らが死ぬまでに見た光景だけが、意味ある情報として取り込むことが出来る」
そしてこの死人の瞳は、数十からなる人間の視覚をつなぎ合わせたものであり、一つの視界に概念と認識を複合している。一度に数十人から深く見分されているようなものなので、この目の前では薬品を始めとした簡素な部類の認識阻害は効果を発揮できない。勿論、見られたくないものを隠すための複雑な認識阻害も効力を薄れさせる。
「肉体の死亡時期に比例する情報の鮮明さ。それを利用して死に近い情報、即ちOBに最も近い情報を確保する仕掛け、という事か」
「はい、その通りです師匠」
「ではその小瓶の中身は眼球が捉える情報の精度を上げるためのドーピング剤だな?」
「………はい、当たりです」
俺の話だけでなんでそこまで理解できるのか、本当に謎です。
まあいいや。そもそも師匠相手に秘密自体持つことが難しいのだから。
「ナフェリア。前に俺が渡した道具は持ったな?」
「はい………大丈夫、です………!」
「師匠も、まあ聞く必要なさそうだけど………準備いいですよね?」
「誰に言っている」
ですよねー。
ま、みんな準備終わってるならそれでいい。戦闘用のブーツの踵を鳴らすと、右目に手を当てて家の扉を開ける。朝は早い、太陽が顔を舐め、一瞬目を細めさせた。
狩り本番、今日は随分な荒事になりそうだ。そんな予感を感じつつ、俺たちはOB探しに出立した。




