ドナルドさんは、少し照れくさそうに人差し指で頬を掻いた
王宮での仕事は、不慣れな「主への奉仕」で、最初こそ戸惑ったものの、持ち前の器用さを発揮して、俺はわりとすんなり業務を覚えていった。
なにより、教育係である陛下の従者――ドナルド・ドナーさんが、一つひとつ丁寧に教えてくれたのが大きかった。
「ドナルドさんは、どうして従者になろうと思ったんですか?」
ある日の休憩中、何気なく訊ねてみた。
ドナルドさんは、どこか懐かしむような苦笑いを浮かべる。
「ああ、私はね、陛下の乳兄弟なんだよ。だから小さい頃から、お世話をするのが当たり前でね。もう仕事か私生活か分からないまま育って、気づけば先代の従者の手伝いもこなすようになっていたんだ」
納得だった。ドナルドさんの心遣いはいつも細やかで優しい。陛下のわずかな息づかいだけで、何を欲しているかを察して動く。まさに従者の鏡だ。
「それである日、先代から『お前、次期従者にならないか』って言われてね。自分の将来に悩んでいた時期だったし、陛下のお側を離れたくもなかったから、二つ返事で引き受けたんだよ」
「……天職、ですね」
感動のあまり、少し声が震えてしまった。
するとドナルドさんは、はにかむように笑った。
「そう思ってもらえると嬉しいね」
「ちなみに……その前の従者の方は、辞めてどうされたんですか?」
「ああ、当時の執事が引退したタイミングで、新しい執事になったんだ」
「……あ、じゃあ、もしかしてコルトさんが?」
ドナルドさんは、少し照れくさそうに人差し指で頬を掻いた。
「うん、そう。彼は私の父なんだ」
「はえ?」
我ながら、もの凄くアホな声が出たと思う。
フリーズした俺を見て、ドナルドさんは困ったように微笑んだ。
「父は執事、母は元乳母、そして息子が従者。我が家は完全に、王宮に骨を埋めるスタイルの家系なんだよね」
*
目の前に「国王陛下」がいらっしゃる日常というのは、なかなかに刺激的すぎた。
何しろこっちは、ついこの間学校を出たばかりの十五歳。右も左も分からない正真正銘のガキンチョだ。
もし何かやらかして、友人のガブが言っていた通り、打ち首にでもなったら……と思うと、背筋が凍るような緊張感がある。
しかし、人間そう一日中緊張し続けられるわけもない。
というわけで、俺は時々、ノエル王子に癒やされに会いに行っていた。
誤解しないでほしいが、決してサボりではない。近い将来お仕えすることになる次期主君に、今のうちから顔を繋いでおくという、極めて立派な業務の一環なのだ。
「んばんばんばばばばばばばば……!」
王子殿下は、今日も絶好調のようだった。
乳兄弟のラルフくんを遥か後方に置き去りにし、猛スピードのハイハイをぶちかましていらっしゃる。
ラルフくんは、すでに廊下の突き当たりまで到達した王子を追いかけ、テトテトテト、とオムツで膨らんだお尻を揺らしながらハイハイしていた。
実に和む風景だ。うん、普通のハイハイってあっちだよな。
「どう? 仕事には慣れた?」
不意に背後から声をかけられた。
王子の乳母であるメアリさんだ。
「はあ、まあ、ぼちぼち……」
「あ、戻ってきたわ」
メアリさんの視線の先で、王子がまた凄まじい速度でお引き返しになってくる。
大人が普通に歩くより断然速い。いや、なんならちょっとした駆け足レベルだ。
「すごいでしょ」とメアリさん。
「すごいです」と俺。
「ノエル殿下をお世話させていただいているとね、よく思うのよ。もしかして、この子は人間じゃないんじゃないかって」
俺は内心、(さすがにそんな訳ねーだろ)とツッコんだ。
「そんな訳ねーだろ、って顔をしてるわね?」
「ひっ」
秒で心を見透かされ、俺は思わず両手で顔を隠した。
「いいのよ、普通はそう思うもの。でもね、身近にいると、なんて言うのかしら……」
メアリさんは少し斜め上に視線を彷徨わせ、言葉を紡ぐ。
「人間と神様の間の存在、っていうのかしら。とにかく身体能力が神がかっているのよ。例えばね……」
そう言って、メアリさんは自分の息子であるラルフくんを見つめた。
「普通の子が『十』進む間に、殿下は『七十』くらい行っちゃうのよね」
「……へ?」
我ながら、これ以上ないほどマヌケな返声が出たと思う。
メアリさんは思わず吹き出して、楽しそうに言葉を続けた。
「ラルフはね、殿下より三ヶ月年上なの。この時期の三ヶ月って本当に大きくて、普通なら成長度合いが全然違うはずなのよ。ラルフは普通のスピードで健やかに育っているけれど、殿下は……」
メアリさんは、爆速で足元に戻ってきた王子をひょいと抱き上げた。
「あ、またズボンの膝のところが擦り切れてる。殿下、お着替えしましょうね」
そう言って、メアリさんは王子を連れて奥へと消えていった。
残された俺は、テトテトと可愛らしく揺れるラルフくんのお尻を眺めながら、ふわぁ、と大きなあくびを一つ噛み殺した。
――そんな平和で、どこか規格外な日々を過ごすうちに、あっという間に二年の歳月が過ぎ去っていった。




