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ノエル王子と従者アランの日常 〜婚約破棄対策室異聞〜  作者: 空丘ジル


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跳ね橋を渡る音は、案外のんびりしたものだった

 父がその話を持ってきた数日後、オレは王宮の門をくぐっていた。


 十四歳のオレには、覚悟なんて高尚なものはまだない。家族総出で叩き込まれた付け焼き刃のマナーを、なんとか剥がれないように貼り付けて、ガタゴトと揺れる馬車に身を任せる。


 跳ね橋を渡る音は、案外のんびりしたものだった。

 門番の兵士は、図書室長である父の顔を見るなり、親しげに笑った。

「おや、今日は珍しいですね。もしや……息子さん?」

「ああ。こいつもここで働くことになるかもしれんから、よろしく頼むわ」

 父が愛想よくオレの肩を小突く。オレは精一杯の愛想笑いで「よろしくお願いします」と返した。


 馬車が石畳を刻む音を聞きながら、王宮の深部へと進んでいく。

 車を降りて一歩足を踏み入れた玄関ホールは、もう「圧倒的」の一言だ。

 豪華な装飾、巨大な花瓶、壁から見下ろしてくる歴代国王の肖像画。どこからか上品なバイオリンの音色まで漂ってきて、鼻をくすぐる香料もやたらと高そうである。

 ……なんだろう、この「場違い感」。オレみたいなガサツな人間が、ここでやっていけるのか。視覚と聴覚と嗅覚が、揃って「お前には無理だ」と訴えてくる。


 大階段を上った先には、見上げるほど巨大な扉が待ち構えていた。

 いよいよだ。オレは背筋を伸ばし、一度だけ深く息を吐く。

 扉が開く。父の背中を追って入室し、指示通りに跪いた。

 こうべを深く垂れ、硬い床を見つめる。

 静寂の中、かすかな衣の擦れる音が聞こえてきた。

 ――陛下の登場だ。

 そう思った瞬間、額から変な汗がツ、と伝うのを感じた。


「フラティ子爵、よく参ってくれた。おもてを上げよ」

 その声に、オレはかえって迷った。……よし、下げたままでいよう。ここは石橋を叩いて壊すくらいの慎重さが必要だ。

 不意に、横にいた父が立ち上がり、朗々と口上を述べ始めた。

「陽の光を照らし給う……」

「あ、いや、堅苦しいのはいい。息子がいるからって気張るんじゃない。いつも通りで結構だ」

 陛下に苦笑まじりで遮られた。……いつも通り? 父上、あんた陛下とそんなに親しいのかよ。


「それより、彼を紹介してくれ」

「はっ。こちらに控えておりますのは、我がフラティ家の次男、アランにございます」

「そうか、アラン。よく来てくれた。顔を上げなさい」

「はい」

 オレは素直に顔を上げ、立ち上がった。


 さて、困った。家族との特訓で叩き込まれたのは、さっき父が遮られた「陽の光なんちゃら」という長たらしい挨拶だ。これを強行すべきか、それとも空気を読むべきか。それが問題だ。

 迷った挙句、オレは腹を括って普通に言った。

「初めまして、アラン・フラティにございます。以後、お見知りおきを」

 斜め前で、父の深く重い溜息が聞こえた。


 あっちゃ、やらかしたか――そう思って陛下を盗み見ると、案外ご機嫌な様子だ。なら問題ない。

 陛下のお隣には、ポレッタ妃が控えていらした。驚いたことに、その腕にはご自身で赤ん坊を抱いている。若々しいというより、まだ少女のようなあどけなさを残した、可愛らしい方だった。


「うん、いい面構えだ。父親より余程やんちゃそうじゃないか」

「ええ、まあ……」

 父が苦笑いで応じ、二人はしばらく言葉を交わした。


「ポレッタ、君からも何かあるか?」

 陛下が話を振ると、彼女は慎重な足取りで、オレのすぐそばまで歩み寄ってきた。

「見てやってください。あなたのあるじとなる子です」

 そう言って、抱いていた赤ん坊をこちらへ差し出した。


 オレは、その子を覗き込んだ。

 あまりの愛らしさに、言葉を失って立ち尽くした。

 透き通るほど清らかな肌に、すべてを見透かすような曇りなき瞳。小さなツンとした鼻と、上品に結ばれた唇。ほんのり桜色に染まった頬を、柔らかな金髪が優しく縁取っている。


 そして、その小さな、小さな手が、オレに向かって「ばあ」と差し出された。


 オレはこの瞬間の光景と胸の震えを、一生忘れないだろうと思った。

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