渇愛 ③
東京の空は頗る狭い。
聳え立つ商業施設とオフィスの複合ビル群が、無機質な額縁のように空を切り取る。
その息苦しいぐらいに窮屈な空の下、更に視界を狭くさせているグレーの日傘の下で、僕は工事中エリアの中の重機を眺めていた。
「こんな渋谷のど真ん中で工事だなんて、マジ豪快だなぁ」
隣に立つ宮っちが感心したような口ぶりで声を発する。薄い鼓膜を大きく震わせてくる彼の大声に僕は若干びくつきながら、それでもグレーの大振りな日傘の下にお邪魔していた。
「なんか渋谷ってずっと工事してんよな」
僕を挟むように立つ悟も思い出を辿るような遠い目をして呟いた。
「俺も昔から渋谷はよく来てたけど、やっぱり“いつまでも未完成”のイメージだな」
と、僕も首肯する。
渋谷には昔からデパートがあったため両親に連れられて幼い頃からよく訪れた。その頃のこの街の年齢層はもう少しだけ高かった気がする。
(あれ?この記憶は俺じゃなくてAのだっけ?)
既に高い位置に上った太陽が僕の曖昧な記憶を笑うように左腕を照らす。すでにじわりと汗が浮かんでいた。とにかく、Aの人生の中でも渋谷の街並みが幾度か登場していたことだけは確かだ。そして、そのAが見せるスライドショーの中の渋谷も相変わらずの工事中であった。
こういう工事の連続を再開発というのだろう。以前家族でよく訪れたデパートは既になくなっている。それを母は大層惜しみ『同じようなテナントばかりのビルが乱立するだけで面白味がなくて寂しい』と最近ではめっきり足が遠のいている。一方、クラシック好きの父はまだ音楽ホールが残っているために度々ここに通ってはいるが、そのホールも近々改修を控えているそうで、どうやら今後は母と同じような道を辿りそうだ。
僕が幼かった頃の渋谷の街は、大人と子ども、若者がモザイクのように上手く混ざり合っていたように見えたが、今では若者と外国人観光客が双璧を成す街になりつつある。両者が昔の老若男女のようにお互いを認め合い馴染むことができるかは分からない。それでも今となってはこの街の変遷も大いなる自然の成り行きでしかなく、もはや誰も抗うことはできないだろう。
(それが、いいんだ)
大きな波にのまれる心地よさがこの地にはある。そこには到底太刀打ちなどできないという諦観の念と、翻って自分の無力さを再認識できる歓びが綯い交ぜとなって襲ってくる一種の幸せな浮遊感があった。
僕等三人は駅前開発エリアをゆっくりと一周してスクランブル交差点を通り抜けることにした。
青信号になる直前、悟と宮っちが日傘を閉じたのを見て
(ああ、俺は間違ってない)
と素直に思う。つい頬が緩んで吐息が洩れた。
青信号に変わった。
大勢の人々が縦横無尽に行き交いながらも決してお互いに触れることがないという、この不思議な光景を撮影しようと、何人もの観光客がカメラを天に掲げて渡り始めていた。そのレンズが9月の未だ強い光を受けて、小さな太陽のように頭上で輝く。僕等とて誰ともシャツの袖すら触れさせることなく、揺蕩う波間を無意識に身体をしならせてすり抜けながら進み、ものの一分で向こう岸へと辿り着いた。
僕が首だけで振り返れば、多くの者が横断歩道を渡り終えていた。自撮り棒を掲げていた男性が小走りに渡り切ったのを合図に、自動車が続々と通り抜ける。
不思議なもので、この交差点は青信号と赤信号で劇的に印象が変わる。
今は祭りのあとのような淋しそうな顔に見えた。
(そう思えるのは………)
やはり、今朝見た前世の映像が心の片隅に引っ掛かっているのだ。
向かいのソファに座っているのがAの父親だとして、そこにあったであろう会話は分からないが、僕はAの内で徐々に高まる緊張感と恐怖心をまさに“肌で”感じていた。
もしかしたらあの男性は実際にAに手を上げたことがあるのかもしれない。
今まで集めてきたピースにそのような場面はなかったのだが、僕にはある種の直感が働く時が確かにある。それは感覚の記憶というべきだろうか。電気が走ったかのように身体全体がぴりぴりと震えて痺れと憂いが脳天まで一気に駆け上がった今朝の目覚めの記憶が、それだ。
(Aは恐らく父親とうまくいってはいなかった)
そう結論づけるのは簡単だが、それには論拠が圧倒的に薄い。
今朝から時折訪れるこの靄がかかった悲壮感にも似た感情を、何とか自分の中で整理し落とし込むにはまだまだ情報が足りていないということだけは確かだ。
(…………どうしたらいいんだろう)
交差点を渡り終えて満足気に撮った動画を確認する観光客を横目に見て、僕は先を歩く悟と宮っちに駆け寄った。
「どのへん歩くつもり?」
ワントーン高く明るい声を盛大に発して悟に話しかける。
「そうだなぁ、買い物する訳じゃないからなぁ。宮っち、どこ行きたい?」
「…………こっち側に渡ったんだから…………あれ、どっちが北でどっちが南なんだ?」
どうやら宮っちの方向感覚は頼りないらしい。
それを瞬時に察した悟が僕に決定権のボールを投げてくる。
「じゃあ、ナギ、決めてよ」
「うん……こっちに来たなら原宿まで歩いてみようか。明治神宮あるし」
再び日傘を開こうとしている宮っちに何となく近づきながら提案をする。
「オッケー!」
宮っちは原宿とは少しずれた道の先を見ながら白い歯を見せて僕に同意した。
悟も僕に振り向いて頷く。
「明治神宮って何年ぶりだろ。俺さぁ、小学校の時は毎年初詣に来てたんだよね…………って、ん?」
「どした?」
日傘を傾けて宮っちが悟の顔を前から窺う。傘の先が僕の耳に当たってそのひんやりとした感覚に咄嗟に肩を竦める。
「…………あれさぁ、三好じゃん、三好奏一郎」
悟があまりにも素っ頓狂な声を急にあげたので、驚いた宮っちの日傘が今度は僕の頭を二回叩いた。
ちょっと、痛い。




