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まま?  作者: ありんこ
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10/10

最終話 まま?

紬が十八歳になった春、高校を卒業した。


三年前、美咲と大喧嘩をしてまで選んだ高校だった。あの頃の紬は、「自分が行きたい学校なのに、どうしてお母さんが決めるの」と泣いていた。美咲が事故に遭ったのは、その少し後だった。結局、美咲は紬がこの高校の制服を着た姿を、一度も見ることがなかった。


卒業式の日は、朝からよく晴れていた。私は少し早く起きて、朝食を作った。


「紬、そろそろ起きないと間に合わないよ」


リビングから声をかけると、しばらくして、


「起きてるー」


と返事があった。二階からは何も聞こえない。


「陽向も!」


「俺、今日卒業式ちゃうし」


「紬ちゃんと写真撮るって言ったでしょ」


「行くって」


「じゃあ起きる」


「起きてる」


何年経っても、朝の会話は変わらなかった。紬は制服姿でリビングへ来ると、鏡を見ながら髪を整え始めた。


「ママ、後ろ変じゃない?」


「ちょっと待って」


私は紬の後ろへ回り、髪を整えた。十八歳。もう、自分で何でもできる。それでも、こういうときだけは昔と同じだった。


「これでいい?」


「うん」


紬が鏡の中で笑う。左の頬に、小さなえくぼができた。私は一瞬、手を止めた。


「どうしたの?」


「なんでもない」


もう何度も見てきた。二歳の頃から変わらない、左の頬のえくぼ。


「かわいいよ」


「知ってる」


「自分で言う?」


紬が笑った。少し遅れて陽向が降りてきた。


「紬、卒業おめでと」


「まだ式終わってないけど」


「じゃあ取り消す」


「うざ」


私は二人を見て笑った。二歳で出会った二人が、もう十八歳。陽向は陽向で、自分の高校を卒業し、春から大学へ進む。紬も同じだった。別々の大学。別々の道。もう毎日一緒にいる年齢ではない。それでも、二人の間には、他の友達とは違う空気があった。


幼なじみ。家族みたいなもの。ずっと、そう思っていた。卒業式が終わると、校門の前は写真を撮る人でいっぱいになった。


「二人、そこ並んで」


私がスマートフォンを構えると、陽向が嫌そうな顔をした。


「なんで俺まで」


「いいから」


「陽向、早く」


紬が腕を引っ張る。


「近いって」


「写真くらいいいじゃん」


二人が並ぶ。私は画面を覗いた。大きくなった。本当に。


あの頃は、二人とも私の腰にも届かなかったのに。


「撮るよ」


紬が笑う。陽向も、仕方なさそうに笑った。シャッターを押す。


「もう一枚」


「まだ撮るん?」


「記念なんだから」


「ママこういうときめっちゃ撮るよね」


「あとで撮っておけばよかったって思うよりいいでしょ」


そう言いながら、私はもう一枚撮った。撮っておけばよかった。莉央が死んだ朝、私は写真を撮らなかった。明日もいると思っていたから。


来年も、その次の年も、ずっと撮れると思っていた。だから私は、紬と陽向の写真をたくさん撮った。二度と、撮らなかったことを後悔しないように。


式のあと、三人で病院へ向かった。美咲は、まだ眠っていた。事故から三年。一度も目を覚ましていない。病室へ入ると、紬は卒業証書を美咲のベッドの横へ置いた。


「お母さん」


美咲の手を握る。


「卒業したよ」


返事はない。


「ちゃんと三年間通ったよ」


陽向が横から、


「たまに遅刻してたけどな」


と言った。


「それ言わなくていいから」


紬が笑う。


「大学も決まったよ。前に話したところ」


美咲は動かない。


「お母さん、反対してたけど、私ちゃんと頑張ったからね」


紬の声が少し震えた。


「だから、起きたら褒めてよ」


私は少し離れた場所から、その姿を見ていた。美咲は、どんな気持ちなのだろう。もし、聞こえているのなら。十八歳になった娘の声を、どう聞いているのだろう。


「ママ」


紬が振り返った。


「なあに?」


「一緒に写真撮ろ」


「私はいいよ」


「なんで?」


「今日は紬ちゃんと美咲さんで撮ったら?」


「ママも入って」


私は美咲を見た。三年前。この人は、私に言った。


――紬には、私が母親だから。


そして。


――返して。


私は少し迷ってから、美咲のベッドの横へ立った。陽向にスマートフォンを渡す。


「撮って」


「はいはい。もうちょい寄って」


紬が私の腕を引いた。私は紬の隣へ立つ。反対側には、眠ったままの美咲。


「母さん、笑って」


「笑ってるよ」


「顔固い」


「うるさい」


紬が笑った。私も笑った。シャッターの音がした。


紬。


私。


美咲。


写真を確認すると、奇妙な一枚だった。母親が二人。一人は、紬を産んだ母親。もう一人は、紬からママと呼ばれている女。そして、その間で笑っている紬。


私は写真を閉じた。


帰り道。紬と陽向は少し前を歩いていた。二人で何か話している。


「今日、何食べる?」


「陽向さっきから食べることしか言ってない」


「腹減った」


「まだ四時だよ」


「卒業祝いするんやろ」


「私の卒業祝いね」


「俺も卒業したし」


「じゃあ合同?」


「それでいいやん」


二人の声を聞きながら、私は少し後ろを歩いた。そのとき、ふと十五年前のことを思い出した。


六月。蒸し暑い午後。赤信号。ベビーカー。二歳の陽向は眠っていた。


夫から、


《牛乳ある?》


とメッセージが来た。私は、


《ある》


と返そうとした。そのとき。


――まま?


聞こえた。私は振り返った。向こう側のベビーカー。


二歳くらいの女の子。


丸い頬。


笑ったときにできる、左のえくぼ。


莉央。


そう思った。でも、あの声。本当に、紬の声だったのだろうか。


私は歩く速度を落とした。十五年前の記憶を探る。あの日、美咲は紬について何か言っていた。何だった?


――この子、まだちゃんと喋れなくて。


そんなことを、言っていなかっただろうか。いや、別の日だったかもしれない。紬が二歳の頃の記憶と、莉央が二歳だった頃の記憶。十五年も経てば、混ざる。それだけ。


なのに、胸の奥がざわついた。


あの日、私は本当に誰かに呼ばれたのだろうか。


莉央の声。紬の声。それとも。


私が、聞きたかった声。


「ママー!」


前から紬が呼んだ。私は顔を上げた。


「早く!」


「今行く」


考えるのをやめた。どうでもいい。紬はここにいる。十八歳になって、私をママと呼んでいる。それだけでいい。三人で横断歩道まで来た。信号が赤になった。


陽向はスマートフォンを見ている。紬も友達から届いたメッセージに返事をしている。私は何となく、向かい側を見た。若い母親がいた。ベビーカー。その中に、二歳くらいの女の子。女の子と目が合った。笑った。左の頬に、小さなえくぼができた。


息が止まった。


違う。えくぼのある子なんて、いくらでもいる。そう思った瞬間。


「……まま?」


声がした。世界から音が消えた。車の音。人の声。信号機の音。全部。遠くなった。


私は振り返った。紬。陽向。


向こう側には、二歳の女の子。


誰が言った?今、誰が――。


信号が青になった。


人が動き出す。ベビーカーが、こちらへ近づいてくる。私は動けなかった。


すれ違う瞬間。女の子が私を見た。そして、笑った。


私は初めて思った。もし、あの子が莉央なら。じゃあ、紬は、誰?


「ママ?」


今度は、はっきり聞こえた。紬だった。


「どうしたの?」


私は紬を見る。十八歳。私が、十五年間愛してきた女の子。


「……なんでもない」


「ほんと?」


「うん」


「顔色悪いよ」


陽向も私を見る。


「母さん、座る?」


「大丈夫」


私は笑った。二人と一緒に歩き出す。でも、頭の中で、何かが崩れていた。


三歳。紬の髪を見て、長いほうが似合うと言った。


四歳。黄色が似合うと教えた。黄色いコップ。黄色いヘアゴム。黄色いワンピース。


莉央が好きだった絵本。うさぎ。髪型。色。遊び。食べ物。私は、紬が莉央に似ていると思っていた。


でも、違う。この子が、似ていったのではないか。私が、似せていった。少しずつ、紬が嫌がらない程度に。紬自身が選んだと思える程度に。


――黄色、似合うよ。


――この絵本、面白いよ。


――髪、こうやって結んだらかわいいよ。


強制なんてしていない。ただ、選択肢を置いただけ。紬が、自分で選びたくなる場所に。


何度も、置いただけ。


八歳。紬が髪を短くした。私は、怖くなった。莉央に似ていなくなったから。


十歳。紬が言った。


――私のお母さんみたい。


私が答えた。


――じゃあ、私のこともママって呼んでいいのよ。


紬が自分から、ママと呼んだ。ずっと、そう思っていた。でも、最初にその呼び方を紬の前へ置いたのは、私だった。


胸が苦しくなる。そして、突然雨の音がした。


駅。


階段。


美咲。


今まで曖昧だった記憶が。


一瞬だけ。


鮮明になる。


『もう紬に会わないで』


美咲が言った。


『どうして?』


『あなた、おかしいよ』


『何がおかしいの?』


『紬は莉央ちゃんじゃない』


息が止まった。美咲は、知っていた。いつ話した?


私が、話したのだ。莉央のことを。ずっと前に。


『紬は私の娘なの』


美咲が言う。


『わかってるよ』


『わかってない』


美咲が、私から離れる。


『もう、私たちに関わらないで』


私は――。


「ママ」


紬の声で、記憶が切れた。


私は顔を上げた。


「ほんとに大丈夫?」


「うん」


私は笑った。それ以上、思い出さなかった。


思い出す必要はない。美咲は、駅の階段から落ちた。事故だった。警察も、そう判断した。だから、事故。それでいい。


その日の夜。卒業祝いに、ハンバーグを作った。


「チーズいっぱい入れて」


紬が言った。私は冷蔵庫の前で、手を止めた。


「そんなに好きだったっけ?」


「何言ってんの。昔から好きじゃん」


そうだった。紬は、チーズが好き。


莉央は?記憶が戻る。


小さな食卓。チーズを嫌がる莉央。


『や』


『おいしいよ』


『いや』


そうだった。莉央は、チーズが嫌いだった。


それだけじゃない。紬と莉央は、違う。


たくさん、違う。


私は、似ているところだけを集めた。違うところを、見なかった。私は紬を見る。十八歳。莉央ではない。この子は、紬。初めて、はっきり思えた。それなのに、悲しくなかった。


「ママ?」


「ううん。なんでもない」


私は笑った。


「いっぱい入れる?」


「うん」


「陽向はなしね」


「絶対入れんといて」


陽向が言う。


「わかってるって」


チーズ入り。チーズなし。ちゃんと、別々に作った。


もう、間違えない。この子は莉央じゃない。この子は紬。美咲の娘。そして、十五年かけて、私をママと呼ぶようになった子。


私は、それでいいと思った。


*


それから六年後。高校を卒業し、家を出ていた陽向が、二十四歳になった紬を連れてきた。二人が並んで座った時点で、なんとなくわかった。


「母さん、話ある」


陽向が言う。紬の左手に、指輪。私は二人を見る。


「結婚するの?」


陽向が目を丸くした。


「まだ何も言ってないやん」


「顔見ればわかるよ」


紬が笑った。左の頬。えくぼ。


「ママ、こういうときだけ鋭い」


二人が付き合い始めたのは、大学を卒業する少し前だったらしい。驚いた。でも、不思議ではなかった。二歳から、ずっと一緒にいる。一度は離れて、それぞれの人間関係を作って。


それでも最後に、お互いを選んだ。


「おめでとう」


そう言った瞬間、涙が出た。


「母さん、早いって」


陽向が笑う。紬も泣いた。


「ママも泣いてるじゃん」


「紬もでしょ」


私は紬を抱きしめた。


「幸せになってね」


「うん」


その肩越しに、陽向が見えた。私の息子。そして、紬。陽向の妻になる。私の、義理の娘。その言葉が、胸の中に落ちた。


娘。今度は、誰にも否定できない。


紬は、本当に私の娘になる。


その瞬間、雨の音が聞こえた気がした。


――あなたは、紬の母親じゃないから。


美咲の声。私は、窓を見た。外は晴れていた。


「どうしたの?」


紬が聞く。


「なんでもない」


私は笑った。


「嬉しいだけ」


*


結婚式には、美咲もいた。事故から九年。一度も、目を覚ましていなかった。紬はウェディングドレスのまま、美咲の前にしゃがんだ。


「お母さん」


手を握る。


「結婚するよ」


返事はない。


「相手、陽向」


紬が笑う。


「びっくりした?」


美咲は、動かない。


「お母さん、陽向のこと昔から知ってるもんね」


紬の目から、涙が落ちた。


「起きてほしかったな」


私は、少し離れた場所から見ていた。その日の家族写真にも、美咲はいた。


陽向。


紬。


夫。


私。


そして。


眠っている美咲。


今度は、私も、迷わず紬の隣に立った。


*


さらに二年後。


夜。紬から電話があった。


『ママ』


「どうしたの?」


声が震えている。


一瞬、嫌な予感がした。


でも、紬は笑っていた。


『赤ちゃん、できた』


私は椅子に座った。


「……ほんと?」


『うん』


「陽向は?」


『いるよ』


向こうで、陽向の声。


『母さん、泣いてる?』


「泣いてない」


『絶対泣いてるやん』


「うるさい」


紬が笑う。私も笑った。孫。陽向と、紬の子ども。


電話を切ったあと、私は一人で莉央のアルバムを開いた。


何年ぶりだろう。


二歳。黄色い服。うさぎのぬいぐるみ。左の頬のえくぼ。


「莉央」


久しぶりに、名前を呼んだ。


もう、紬と重ならなかった。


莉央は、莉央。


私の娘。


二歳で死んだ子。私は、写真を撫でた。


「おばあちゃんになるよ」


言ってみる。胸の奥が、少し痛んだ。


でも、昔とは違った。アルバムを閉じる。


それだけ。


そのつもりだった。


*


赤ちゃんは、女の子だった。妊娠がわかってから、紬はよくうちへ来た。


「名前、どうしよう」


ある日、紬が言った。テーブルには、名前の本と、スマートフォン。


候補がいくつも並んでいた。


「陽向は?」


「何でもいいって」


「何でもいいとは言ってない」


陽向がキッチンから答える。


「俺が出したやつ全部却下したやん」


「だって微妙なんだもん」


「ひど」


私は笑った。


「まだ時間あるんだから、ゆっくり決めたら」


「ママなら何つける?」


紬が聞いた。

一瞬、莉央という名前が浮かんだ。


でも、言わなかった。


「私が決めることじゃないでしょ」


「候補だよ」


「自分たちで考えなさい」


私は、それで終わらせた。その日の夜、陽向からメッセージが来た。


《母さん》


《なに》


《りおの漢字ってどう書くんだっけ》


指が止まった。


《なんで?》


《紬が名前探してて、昔母さんが姉ちゃんの名前の由来話してたの思い出した》


私は、しばらく画面を見ていた。


陽向には、莉央の話をしていた。隠してはいない。


自分には、二歳で亡くなった姉がいたこと。名前は莉央。どんな子だったか。どうしてその名前をつけたのか。


小さい頃から、何度か話している。


《莉央》


それだけ送った。すぐに


《それ》


と返ってきた。


《いい名前やんな》


私は、画面を見ながら笑った。


《そうだね》


それ以上、何も言わなかった。


*


次に紬が来たとき、私は莉央のアルバムをリビングの棚に戻しておいた。普段は奥にしまっている。でも、その日はたまたま見える場所に置いた。


何も言わない。紬も、気づかなかった。


少なくとも、そのときは。


夕方。紬が帰ったあと、テーブルにアルバムが残っていた。少しだけ、位置が変わっていた。私は、元に戻した。


*


数日後。


陽向と紬が。また名前の話をしていた。


「『り』から始まる名前かわいくない?」


紬が言った。


「りんとか?」


陽向が答える。


「友達の子にいる」


「りこ」


「いる」


「りお」


私は、料理をしていた手を止めなかった。


紬が、黙る。


「りお」


もう一度言った。


「かわいいかも」


陽向が、私を見る。一瞬だけ目が合った。私は、何も言わない。


「莉央って漢字あるやん」


陽向が言った。


「どんな字?」


紬が聞く。陽向がスマートフォンに打つ。


「これ」


紬が、画面を見る。


「あ」


小さな声。


「この名前……」


私は、振り返った。


「どうしたの?」


紬が私を見る。


「ママの娘さんの名前だよね」


「うん」


私は、それだけ答えた。


「陽向のお姉ちゃん」


「そう」


紬は、画面を見る。


「莉央ちゃん」


初めて紬の口からその名前を聞いた。胸の奥で、何かがゆっくり開いた。でも私は笑わなかった。


「同じ名前はやめたほうがいい?」


紬が聞く。私は、すぐに答えなかった。


「それは、紬ちゃんと陽向が決めることでしょ」


「ママは嫌?」


「どうして?」


「思い出すかなって」


私は少し考えるふりをした。


「もう昔のことだから」


嘘ではない。昔のこと。ずっと、昔。


「でも」


私は続けた。


「いい名前だとは思うよ」


それだけ。本当に、それだけ。紬が、また画面を見る。


「莉央かあ」


お腹を撫でる。


「かわいいね」


陽向が言う。


「俺も好き」


私は、二人を見た。


何も勧めていない。


私は、名前を出していない。


莉央にしなさいとも、言っていない。


アルバムを少し見えるところに置いただけ。


陽向に昔、姉の話をしていただけ。


いい名前だと、言っただけ。


選んだのは二人。


私は、何もしていない。


*


出産の日。


病院の廊下で私は夫と待っていた。


陽向から連絡が来る。


《生まれた》


写真。


小さな、女の子。


赤い顔。目を閉じている。私は、画面を拡大した。


頬を見る。まだ、えくぼなんて。


わからない。当たり前。


《母子ともに元気》


夫が。


「よかったな」


と言った。私は頷いた。


「うん」


少しして、陽向から、もう一通届いた。


《名前決めた》


心臓が、ゆっくり大きく鳴った。画面を開く。


《莉央にする》


私はしばらく動けなかった。


夫が


「どうした?」


と聞く。私は、スマートフォンを見せた。夫も黙った。


「……そうか」


それだけ言った。私は、笑った。


「いい名前でしょう?」


夫は、私を見た。何かを言いかけた。でも、言わなかった。


*


初めて、莉央に会った。

陽向が小さな赤ちゃんを私の腕に乗せる。


「はい、ばあば」


「やめてよ」


「ばあばやん」


紬がベッドの上で笑っている。


「ママ、抱っこして」


私は赤ちゃんを見る。


温かい。


小さい。


軽い。


二十年以上前。


同じように。


私は、莉央を抱いた。


そして、失った。


今、もう一度、莉央が腕の中にいる。


違う。


この子は、あの莉央じゃない。


わかっている。同じ名前の、別の子。


陽向と紬の娘。私の、孫。


「莉央」


呼んでみる。赤ちゃんがわずかに動いた。


「かわいいね」


紬が言う。


「うん」


私は、赤ちゃんの頬に指を触れた。柔らかい。


「ママ」


紬が私を見る。


「名前、莉央にしてよかった」


「どうして?」


「なんかね」


紬は、少し考えた。


「ずっと前から、この名前だった気がする」


私は、紬を見る。


「変だよね。私が決めたのに」


「変じゃないよ」


私は笑った。


「きっと、この子の名前だったのよ」


紬も笑った。左の頬に、えくぼ。私は、腕の中の莉央を見る。まだ、何も知らない。


好きな色も。


好きな本も。


好きな食べ物も。


何も、決まっていない。


私は、もう、間違えない。


紬は、莉央じゃなかった。


あの横断歩道で、私を呼んだのが誰だったのかも、もう、どうでもいい。


私は、十五年かけて紬を娘にした。


そして、紬は陽向を選んだ。


二人は、私に孫をくれた。


その子の名前を莉央と、自分たちで決めた。


私は、何もしていない。


ただ、少しだけ、選びやすい場所に置いてあげただけ。


昔と同じように、私は赤ちゃんの小さな手を握った。


指が、私の指を掴む。


「莉央」


もう一度、呼ぶ。


今度は、生まれたときから知っている。


今度は、髪が伸びる前から。


好きな色を決める前から。


言葉を覚える前から。


ずっと、そばにいられる。




私は、赤ちゃんを抱いたまま紬に聞いた。


「退院したら、しばらくうちに来るでしょう?」


「うん。ママ、手伝ってね」


「もちろん」


「助かる」


私は、莉央の顔を見る。眠っている。


小さな口が、わずかに動いた。


私は、そっと顔を近づけた。


声なんて、聞こえるはずがない。


まだ、生まれたばかりなのだから。


それでも、確かに聞こえた気がした。


――まま?


私は笑った。


「なあに、莉央」


今度こそ。


最初から、私が育ててあげる。

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