第一話 娘が死んだ日
娘が死んだのは、二歳の誕生日を迎えてから三日後だった。
その日の朝、莉央は熱を出した。三十八度を少し超えていた。けれど、機嫌は悪くなかった。いつものように、お気に入りのうさぎのぬいぐるみを脇に抱えて、テレビの前にぺたんと座っていた。画面の中では、色のついた動物たちが歌っていた。莉央は少し鼻声で、その歌を真似していた。
「今日は保育園、お休みしようね」
私がそう言うと、莉央は振り返った。
「やった」
まだしっかりと発音できない、たどたどしい言葉で、笑った。左の頬に、小さなえくぼができた。私は、その笑顔を今でも覚えている。最後の笑顔になるなんて思っていなかったから、写真すら撮らなかった。
毎日見ている顔だった。明日も見られる。明後日も。来週も。来年も。
そう思っていた。だから、撮らなかった。
あの日の私は、まだ知らなかった。
人は、失うと知っているものしか大切には残せないのだということを。
「おなか、いたい?」
「いたくない」
「頭は?」
「いたくない」
「じゃあ、だるい?」
「だるいってなあに?」
「うーん。しんどい?」
莉央は少し考えてから、
「ちょっと」
と言った。
それでも、テレビのお兄さんが変な踊りをすると笑った。私は安心した。子どもの熱なんて珍しくない。保育園に通い始めてからは、月に一度くらい何かしらもらって帰ってくる。
鼻水。咳。胃腸炎。熱。
そのたびに病院へ行って、薬を飲んで、数日で元気になる。今回もそうだと思った。
午前中に小児科へ連れていった。待合室には、同じように熱を出した子どもが何人かいた。莉央は私の膝の上で、うさぎのぬいぐるみの耳をいじっていた。
「次、水見莉央ちゃーん」
名前を呼ばれて診察室へ入る。喉を見てもらった。胸の音を聞いてもらった。
「風邪でしょう」
医師はそう言った。
「今のところ、特に変な音もないですし。水分をしっかり取らせてください。熱が高くなるようなら解熱剤を」
「わかりました」
「元気がなくなるとか、呼びかけても反応しにくいとか、明らかに様子がおかしかったらまた来てくださいね」
「はい」
よくある説明だった。私も、よくある風邪だと思った。薬局で薬を受け取って帰った。
昼には、莉央が「ちゅるちゅる食べる」と言ったので、うどんを作った。
いつもの半分くらいしか食べなかった。でも、自分でフォークを持っていた。
「もういらない」
「じゃあ、お薬飲もうか」
「いや」
「飲んだらゼリーあげる」
「いちご?」
「いちご」
莉央は渋々薬を飲んだ。そのあと、本当にいちごのゼリーを半分食べた。午後は、私の膝の上で眠った。熱を測ると三十七度台まで下がっていた。私はまた安心した。
夕方。
夫にメッセージを送った。
《莉央、今日はお休み。朝熱あったけど下がってきたよ》
少しして返事が来た。
《よかった。何か買って帰る?》
《プリン》
《了解》
そのやりとりさえ、私は覚えている。スマートフォンに残っていたから。後になって何度も見た。何度も。意味なんてないのに。
もしあのとき、
《早く帰ってきて》
と送っていたら。
もし夫が早く帰っていたら。
何か変わっただろうか。
もちろん、そんなことはわからない。夜になっても、莉央は少しぼんやりしていた。でも熱は朝より低かった。
晩ごはんはほとんど食べなかった。牛乳を少し飲んだ。
「おふろは?」
と聞いた。
「はいらない」
「今日はやめとこっか」
私は濡らしたタオルで身体を拭いた。パジャマに着替えさせる。黄色い小鳥の模様がついたパジャマだった。莉央はそのパジャマがお気に入りだった。
「うさちゃんもねる」
「そうだね」
私はうさぎのぬいぐるみをベッドに置いた。
「ママも」
「ママも一緒に寝る?」
「うん」
私は横になった。莉央は私のお腹に頭を乗せた。二歳児の頭は、意外と重い。少し暑かった。まだ熱が残っていたのだと思う。私は髪を撫でた。
「明日、元気になったら何する?」
「こうえん」
「滑り台?」
「ぶらんこ」
「ブランコ好きだねえ」
「ママも」
「ママも乗るの?」
「いっしょ」
「じゃあ一緒に乗ろっか」
「うん」
それが、莉央と交わした最後の約束になった。莉央はすぐに眠った。私はしばらく隣にいた。寝息を聞いていた。規則正しかった。少なくとも、そのときはそう思った。三十分ほどして、私はそっとベッドを抜けた。リビングへ戻った。洗濯物が溜まっていた。翌日の保育園の準備もしなければならない。明日は休むかもしれないけれど、念のため。そう思った。
夫はまだ帰っていなかった。テレビを小さな音でつけながら、私は洗濯物を畳んだ。莉央の小さな肌着。靴下。保育園用のタオル。一つ一つ畳んだ。十一時を過ぎた頃だったと思う。
突然。
妙に静かなことに気づいた。子どもが眠っているのだから、静かなのは当たり前なのに。その夜だけは。なぜか。静かすぎる。そう感じた。テレビの音がある。冷蔵庫のモーター音もする。時計の秒針も聞こえる。それなのに。何かが足りない。私は手に持っていたタオルを置いた。
寝室へ向かった。ドアを開ける。暗い。ベッドに莉央がいる。うさぎのぬいぐるみを抱えて。
「莉央?」
返事はなかった。
眠っている。そう思った。近づいた。
「莉央」
肩に触れた。その瞬間。変だと思った。冷たい。いや。完全に冷たいわけではない。でも。私の知っている子どもの温度ではなかった。
「莉央?」
身体を揺らした。反応しない。
「莉央」
少し強く揺らした。
「ねえ」
起きない。私は莉央を抱き上げた。首が力なく傾いた。その瞬間。身体の奥で何かが破裂した。
「莉央!」
叫んだ。頬を叩いた。
「莉央、起きて」
口元に手を当てた。呼吸。わからない。息をしているのか。していないのか。私はパニックになった。スマートフォンをどこに置いたのかわからなくなった。リビングへ走った。見つからない。テーブル。ソファ。床。
「あった」
震える指で救急車を呼んだ。住所がうまく言えなかった。何度も聞き返された。
「二歳です」
「娘です」
「息してるかわかりません」
「起きないんです」
電話の向こうの人が、何か指示をしていた。胸を押してください。仰向けにしてください。呼吸を確認してください。私は言われた通りにした。でも。何をどうやったのか、ほとんど覚えていない。
「莉央」
「莉央」
「お願い」
「起きて」
救急車の音が近づいてきた。玄関のチャイム。複数の人の声。部屋へ入ってくる。私は莉央から引き離された。誰かが何かをしている。酸素。胸骨圧迫。機械。私は壁際にいた。ただ立っていた。
「お母さん」
呼ばれた。
「いつからこの状態ですか?」
「わかりません」
「最後に呼吸していたのを確認したのは?」
「寝るときは……」
「何時ですか?」
「九時……九時半くらい……」
答えながら、私は思った。二時間。私は二時間も。娘を一人で。
「莉央」
救急隊員がストレッチャーに乗せた。私はついていった。救急車の中で、誰かがずっと処置をしていた。私は端に座っていた。足元が震えていた。夫に電話した。
一度目は出なかった。
二度目。
「もしもし?」
夫の声。私は何を言ったのかわからない。
「莉央が」
それしか言えなかった。夫は何度も聞いた。
「何?」
「どうした?」
「どこの病院?」
私は泣いていなかった。泣くことすらできなかった。
病院に着いた。
白い廊下。
明るすぎる照明。
閉まった扉。
私はその前に座った。
夫が来た。走ってきた。ネクタイが曲がっていた。
「莉央は?」
私は首を振った。何を意味する首振りだったのか、自分でもわからない。しばらくして医師が出てきた。口が動いた。説明された。でも。言葉が耳に入らなかった。
ただ最後に。
「申し訳ありません」
と言われた。
私はその言葉だけ覚えている。
申し訳ありません。
なぜ医師が謝るのかわからなかった。
誰に?
何を?
私は立ち上がった。莉央のところへ行った。小さな身体がベッドに横たわっていた。顔はいつもの莉央だった。眠っているだけに見えた。だから。
「起きて」
と言った。誰かが私の肩に触れた。
「莉央、起きて」
返事はない。
「ママ、ここにいるよ」
何度も。何度も。
「明日、公園行くんでしょ」
「ブランコ乗るんでしょ」
「起きてよ」
返事はなかった。二歳だった。たった二年だった。二年。八百日にも満たない。私はこの子を産んだ。初めて抱いた。夜泣きに付き合った。寝返りを喜んだ。初めて歩いた日に動画を撮った。初めて「ママ」と呼ばれた日、夫に何度も自慢した。保育園の初日は、私のほうが泣いた。二歳の誕生日には、いちごのケーキを食べた。それなのに。三日後には。いない。意味がわからなかった。
葬儀の日。棺の中に莉央がいた。私はずっと横に座っていた。花を入れてくださいと言われた。入れたくなかった。花を入れたら。本当に終わる気がした。
火葬場へ行くとき。私は何度も、
「連れて帰る」
と言った。
夫が泣いていた。義母も泣いていた。私の母も泣いていた。みんなが泣いているのが、腹立たしかった。泣かないで。莉央は私の娘なのに。あなたたちまで悲しそうな顔をしないで。
そんなことを思った。
火葬が終わった。
小さな骨。その小ささを見て、初めて現実になった。二歳だった。本当に。小さかった。家に帰ってからも。家の中には莉央がいた。玄関には十三センチの靴。まだ砂が少しついていた。洗面所にはピンクの歯ブラシ。毛先が少し開いていた。冷蔵庫には、夫があの日買って帰るはずだったプリン。夫は結局、そのプリンを病院へ持ってきていた。袋の中に入ったまま。浴室には黄色いアヒル。水に浮かべると、莉央がいつも、
「ぐわっぐわっ」
と言っていた。寝室にはうさぎのぬいぐるみ。布団にはまだ、莉央の匂いが残っている気がした。何一つ捨てられなかった。保育園から荷物を持って帰ってきた日。私は袋を開けられなかった。先生からの手紙が入っていた。
「莉央ちゃんは、お歌が大好きで」
そこまで読んで、破いた。そのあと。破いたことが怖くなって。床に落ちた紙を全部拾った。セロハンテープで貼った。ぐちゃぐちゃになった手紙を、今度は大事に箱へしまった。自分でも、何をしているのかわからなかった。夫が一度だけ言った。
「少しずつ片づけようか」
莉央が亡くなって、三か月ほど経った頃だった。
夫は悪くない。わかっている。悪気なんてなかった。でも。その言葉を聞いた瞬間。
頭の中が真っ白になった。
「何を?」
夫が黙った。
「何を片づけるの?」
「いや、だから……」
「莉央のものを?」
「全部じゃなくて」
「捨てるの?」
「捨てるっていうか……」
「莉央を?」
自分でもおかしなことを言っているのはわかった。でも止まらなかった。
「莉央が邪魔なの?」
「そんなこと言ってないだろ」
「じゃあ片づけなくていいじゃん!」
私は怒鳴った。物を投げた。何を投げたのか覚えていない。夫は何も言わなかった。それから。莉央のものを片づけようとは、二度と言わなかった。
半年ほど経った頃。
私は、もう一度子どもが欲しいと思うようになった。最初にそう思ったとき。自分を最低だと思った。
莉央が死んで。半年しか経っていないのに。もう次の子を欲しがっている。
娘の代わりを探しているみたいだった。
違う。そうじゃない。
何度も自分に言った。
娘の代わりではない。
莉央の代わりなんて、この世界のどこにもいない。
そんなことをしたら莉央に失礼だ。
ただ。もう一度。
誰かに「ママ」と呼ばれたかった。
赤ちゃんを抱きたかった。
小さな服を洗いたかった。
離乳食を作りたかった。
夜泣きで眠れなくてもいい。
抱っこしても泣き止まなくてもいい。
イヤイヤ期でもいい。
スーパーで寝転がって泣かれてもいい。
保育園から何度呼び出されてもいい。
何でもいい。
もう一度。
母親になりたかった。
夫にその気持ちを話した。夫はすぐには答えなかった。
長い沈黙のあと、
「そうだね」
と言った。でも。子どもは、なかなかできなかった。
一か月。
二か月。
半年。
一年。
生理が来るたびに泣いた。
排卵日を計算した。
基礎体温をつけた。
病院にも行った。
検査。
薬。
また検査。
待合室には、同じような女性が何人もいた。誰も目を合わせなかった。私は毎月期待した。今回は違うかもしれない。身体が熱い気がする。眠い。胸が張っている。もしかして。
そう思って検査薬を使う。一本。
その繰り返しだった。
二年。
三年。
友人の出産報告が届いた。
《生まれました!》
写真。
赤ちゃん。
「おめでとう」
と返した。
そのあとスマートフォンを伏せた。
泣いた。自分が嫌だった。他人の幸せを喜べない。赤ちゃんを見ると苦しい。莉央を思い出す。子どもが欲しい。でもできない。そんな自分がどんどん醜くなっていく気がした。
四年目。
夫が言った。
「もう、二人でもいいんじゃないか」
夕飯のあとだった。私は食器を洗っていた。蛇口から水が流れていた。夫は優しく言った。
「無理しなくてもいいんじゃないかな」
私は何も言えなかった。
「俺は」
夫は続けた。
「君と二人でもいいと思ってる」
優しい言葉だった。だから。余計につらかった。私は水を止めた。
「私は嫌」
それだけ言った。夫は黙った。私は振り返らなかった。もし振り返ったら。その顔を見たら。諦めてしまう気がした。
五年目。
ようやく妊娠した。妊娠検査薬の二本線を見たとき。私は何度も説明書を読み直した。間違っているかもしれない。線が薄い。蒸発線かもしれない。そう思った。
でも。
二本だった。
私は洗面所の床に座り込んだ。泣いた。声を殺して。震えながら。
「莉央」
なぜか。
最初に娘の名前を呼んだ。
「莉央」
もう一度。
「お姉ちゃんになるよ」
その言葉を言ってから。私はまた泣いた。病院で妊娠を確認しても。心拍を確認しても。私はずっと怖かった。またいなくなるのではないか。昨日まで元気でも。明日はいなくなるかもしれない。
私は知ってしまった。
子どもは。簡単に死ぬ。
妊娠中。
少しお腹が痛いだけで病院へ電話した。
胎動が少ない気がすると不安になった。
夜中に何度も目を覚ました。
「動いて」
とお腹を触った。
ぽこ。
動く。
そのたびに息を吐いた。
夫は、
「大丈夫だよ」
と言った。
私は、
「大丈夫って言わないで」
と怒った。大丈夫だと思った日に。莉央は死んだから。
性別がわかる日。私は診察台に横になっていた。モニターを見ながら。
医師が言った。
「男の子かな」
その瞬間。ほんの少し。胸の中で何かが沈んだ。
男の子。
そうなんだ。
自分でも驚いた。
女の子を期待していたつもりなんてなかった。莉央の代わりが欲しいわけじゃない。何度もそう思っていた。なのに。男の子だと聞いた瞬間。
違うんだ。
という言葉が頭に浮かんだ。私はその言葉をすぐに消した。何を考えているの。この子は莉央じゃない。この子はこの子だ。男でも女でも関係ない。無事なら。生きていてくれるなら。それだけでいい。
十か月後。
元気な赤ちゃんが生まれた。
産声を聞いた瞬間。私は泣いた。大きな声だった。
生きている。
それだけで涙が出た。
「男の子ですよ」
助産師さんが言った。胸の上に赤ちゃんを乗せてもらう。重い。温かい。泣いている。
私は恐る恐る頬に触れた。柔らかかった。指を握らせる。小さな手が、私の指を握った。
「来てくれて、ありがとう」
何度も言った。
「ありがとう」
名前は陽向とつけた。明るい場所で育ってほしいと思った。
もう。
暗いところへ行かないでほしかった。
私は陽向を愛した。本当に愛した。夜泣きで眠れない夜も。離乳食を投げられた日も。高熱を出した日も。全部怖くて。全部愛しかった。
陽向が熱を出した最初の夜。私は一睡もできなかった。
何度も胸に手を当てた。
呼吸しているか確認した。
夫に、
「寝なよ」
と言われても寝なかった。陽向が眠るたび。私は怖かった。
朝になるまで。ずっと。
でも。少しずつ。私は普通の母親になった。
陽向が一歳になった。
歩いた。
二歳になった。
よく喋るようになった。
莉央とは違う。
顔も。
性格も。
好きなものも。
陽向は車が好きだった。
恐竜が好きだった。
バナナが好きだった。
莉央は車に興味なんてなかった。
恐竜を見ると怖がった。
バナナは嫌いだった。
違う。
だからよかった。
私はそう思った。
この子は莉央じゃない。
陽向だ。
私は陽向を愛している。
莉央の代わりだと思ったことは、一度もない。
少なくとも。そのときまでは。
陽向が二歳になった、六月のある日。
私はベビーカーを押して、駅前の商店街へ買い物に出た。
蒸し暑い午後だった。梅雨の晴れ間。雲の隙間から強い日差しが落ちていた。
陽向はスーパーで散々騒いだあと。
ベビーカーの中で眠ってしまった。
片手に買い物袋。もう片方でベビーカーを押す。信号が赤になった。私は横断歩道の前で立ち止まった。何気なくスマートフォンを取り出した。夫からメッセージが来ていた。
《牛乳ある?》
私は、
《ある》
と打とうとした。そのときだった。
「……まま?」
小さな声がした。
私は動かなかった。
一瞬。
時間が止まったような気がした。
二歳くらいの。
女の子の声。ありふれた声だった。
街中なら。
どこにでもある。
母親を呼ぶ声。
でも。
私は。
その声を知っていた。
そんなはずがないのに。
身体が勝手に動いた。
振り返った。
横断歩道の向こう側。
道路を挟んだ反対側に。
一台のベビーカーが止まっていた。
若い女性が押している。
ベビーカーには。
女の子が乗っていた。
二歳くらい。
肩に触れるくらいの髪。
丸い頬。
少しだけ上を向いた鼻。
小さな口。
私は動けなかった。
女の子がこちらを見ていた。
私を。
まっすぐ。
そして。
笑った。
左の頬に。
小さなえくぼができた。
息が止まった。
指からスマートフォンが滑りそうになった。
私は、その顔を知っていた。
世界で一番よく知っていた。
毎朝見ていた。毎晩見ていた。
泣いた顔も。
怒った顔も。
笑った顔も。
全部知っていた。
夢の中で。
何度も探した。
もう一度見たいと願った。
その顔だった。
唇が勝手に動いた。
「……莉央?」
車が通り過ぎた。
音が聞こえなかった。
世界の全部が。
遠くへ行った。
女の子だけが見えた。
その子は。
私を見て。
もう一度笑った。
左の頬に。
あのえくぼ。
信号が青になった。




