経験と未経験
初めまして。 この作品を読んでいただき、ありがとうございます。 初めての投稿ですが、楽しんでいただければ嬉しいです。 よろしくお願いします。
「ケーキのつもりだったんだけど……」
彼女はそう呟きながら、完全に惨状と化した家庭科室の真ん中に立っていた。
俺は笑いをこらえるため、頬の内側を噛んだ。
「まあ……残念だったな」
できるだけ同情しているように聞こえる声を作る。
彼女はただ首を横に振り、こめかみを押さえた。
「ところで、先輩」
俺は慎重に尋ねる。
「どうしてこんな時間に学校でケーキを作ってるんですか?」
彼女は一瞬俺を見ると、再びカウンターの方へ向き直った。
そこに寄りかかりながら、まるで何が悪かったのか教えてくれるのを待っているかのように、黒焦げの塊をじっと見つめる。
長いため息をついたあと、彼女はようやく口を開いた。
「弟の誕生日が来月なの」
視線を落とす。
「自分で誕生日ケーキを作るって約束したんだけど……」
彼女は部屋中に広がる惨状を手で示した。
「……こうなったの」
「つまり……ケーキの作り方、知らないんですね」
疑問形ではない。
ただの事実だった。
この人が。
俺の先輩が。
生徒会長が。
学校で一番憧れられている女子が。
たった一個のケーキに完膚なきまでに敗北していた。
まあ、なんというか……。
相手のケーキは、最初から戦う気すらなかったけど。
「……その通りよ」
突然、先輩の目つきが鋭くなった。
いつも彼女を包んでいる、あの静かな威圧感が声に戻ってくる。
「あなた、これからもここで寝るつもり?」
きっぱりと言い放つ。
命令というより、反論するならしてみなさい、とでも言いたげな口調だった。
いや、ちょっと待ってくれ。
教えてくれてありがとう……じゃなくて。
いつの間に俺の話になった?
さっきまで話していたのは、先輩の壊滅的な料理スキルについてだったはずなんだけど。
「そんなこと言われても困りますよ!」
思わず抗議する。
「言えるわ」
彼女は俺の方を見ることすらしなかった。
「じゃあ、俺はどこに行けばいいんですか?」
「私の知ったことじゃないわ」
そう言いながら、彼女は散らかった道具を片付け始める。
「放課後もここに残りたいなら、寝てばかりいないで、少しくらい役に立ったら?」
「豚みたいに寝転がってないで」という意味らしい。
ぐさっ。
クリティカルヒットだった。
「役に立つって……何をすればいいんですか?」
苛立ちを隠せずに尋ねる。
「そうね……」
彼女は少し考えた。
「私を手伝う、とか?」
「手伝う?」
少し意外だった。
学校一の優等生であるこの人が、一体何を手伝ってほしいというのだろう。
しかも、俺なんかに。
「ええ。ケーキ作りを」
先輩はカウンター越しに俺を見る。
「毎日、ご両親が帰ってくるまでここで時間を潰せるでしょう。それに、私の手伝いにもなる」
まあ……。
そう言われてみれば、追い出されるよりはずっとマシかもしれない。
それに、正直なところ、まだ包丁を持っている女子を相手に断る勇気はなかった。
「具体的には、何をすればいいんですか?」
何も考えずに引き受けて、一生この場所から出られなくなるのは避けたい。
「大したことじゃないわ」
彼女は即答した。
俺が渋々ながらも了承したのが嬉しかったのか、その目が少しだけ輝く。
「作るのを手伝って。それと、できたものを毎回味見してくれればいいわ」
「それくらいなら、別に難しく――」
……ん?
味見?
俺の視線が、カウンターの上に置かれた黒い塊へ向かう。
まるで俺の存在そのものを馬鹿にしているかのような姿だった。
先輩も俺の視線を追い、その意味を察したらしい。
くすりと小さく笑い、首を横に振る。
「違う違う。あれじゃないわ」
すぐに否定してくれた。
「あんなものを食べさせたりしないわ。ちゃんとしたケーキが作れるようになってから、味見してもらうの」
俺は心の底から安堵の息を吐いた。
「それなら安心しました」
まるで、たった今ケーキ一個を相手に人生を懸けた戦いを繰り広げていたかのように、俺は何事もなかったように姿勢を正した。
「分かりました。できる限り手伝います。でも、俺も別にプロの料理人ってわけじゃないんで、あまり期待しないでくださいね」
「ええ。あなたに一流の料理人みたいな腕を期待してないわ」
彼女はそう言いながら、俺にエプロンを手渡してきた。
「それで、ケーキを作ったことはあるの?」
俺は手渡された青いチェック柄のエプロンを見下ろした。
悪く言うつもりはないけど……。
どう見てもエプロンというより犬の首輪にしか見えない。
俺は渋々それを身につけ、背中で紐を結ぼうとする。
……結びにくい。
「ありますよ」
悪戦苦闘しながら答える。
「叔父がカフェをやってるんです。学校をぶらぶらしてない時は、たまに手伝ってます」
その瞬間。
先輩の目がぱっと輝いた。
まるで、探していたものをようやく見つけた人の目だった。
そして、絶対に逃がすつもりがないことまで伝わってくる。
「本当に?」
その声に込められた熱量は、俺のやる気のなさとは正反対だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価、感想をいただけると嬉しいです。 次回もよろしくお願いします!




