第1話 ハズレスキル「管理盤」
本作は全70話で完結予定です。
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「鑑定の結果が出たぞ、流れ者。――おい、聞いてんのか」
兵の声で、意識が浮かび上がった。
冷たい石の床。黴と、乾いた麦の匂い。鼻の奥にこびりつくその匂いで、ここが厨房でも宿でもなく、倉庫の隅だと知れた。最後の記憶は、深夜のオフィスで椅子の背に倒れ込んだところで途切れている。物流の管理職。在庫と補給線を十五年睨み続けた末の、安いくたばり方だった。誰にも見送られず、机の上で。
それが、目を開けたら石壁と松明と、革鎧の男が三人。剣と魔法の世界。状況は呑み込めないのに、頭のどこかは妙に冷めていた。死んだのなら、ここからは拾った余生だ。
「神殿の石板が言ってる。お前のスキルは『管理盤』」若い兵が石板を覗き込み、口の端を歪めた。「戦闘補正なし。魔法適性なし。攻撃にも、防御にも使えん。要するに、ハズレだ」
どっと笑いが起きた。
「畑でも耕すんだな、おっさん」
言い返す気力もない。三十九で異世界に放り出されて、授かったのが「ハズレ」。前世と何ひとつ変わらない。報われない裏方。そういう役回りで生きて、そういう役回りで死んだ。レンは膝に手をついて立ち上がろうとした。その視界の端で、数字が灯った。
積み上がった麻袋の一つひとつに、薄い光の文字が重なっている。
〈塩漬け肉/樽・四十二/鮮度・残九日/出庫記録との差異・あり〉
息が、止まった。
数えなくても、見ただけで、わかる。樽の数も、中身があと何日で傷むかも、帳簿とどれだけずれているかも。床に転がる麦袋も、梁から吊るされた干し肉も、触れずして所在と量が頭に流れ込んでくる。まるで、倉庫の上に見慣れた管理画面が浮かんでいるみたいに。前世で毎日睨んでいた、あの在庫のフロー図と、そっくりそのまま。
物の流れが、目に見える。
笑いそうになった。これのどこがハズレだ。経営ゲームのHUDが、現実に貼りついている。前世の自分が見たら、泣いて喜んだだろう。
試しに、目の前の若い兵へ視線を向けてみた。すると、その肩のあたりに、また別の文字がよぎる。
〈疲労・高/負荷・偏り〉
なるほど。物だけではない。人の疲れ具合まで、数字になって見えるらしい。この兵は、見張りに立たされすぎている。誰か特定の者に仕事が偏っている。盤面は、そんなことまで律儀に告げてきた。
物の数。鮮度。流れ。人の疲れ。
前世で、毎日エクセルに打ち込んでいた項目が、そっくりそのまま宙に浮いている。剣が振れるより、よほど自分向きの力だった。
「おい、聞いてんのか」
「……すみません」掠れた声で返す。喉の奥が、からからに乾いていた。「この倉庫、塩漬け肉が四十二樽ありますね」
兵の笑いが、少し引いた。
「は?」
「帳簿には、何樽と書いてあります?」
若い兵が壁の木札をちらと見て、鼻で笑った。「五十だよ。だから何だ。数え間違いだろ」
五十と、四十二。八樽の差。それだけなら、確かに数え間違いで済む。だが、レンの目に灯る数字は、もっと不穏なことを告げていた。
〈出庫記録との差異・あり〉
入った量。出た量。残った量。この三つは、本来きれいに繋がっていなければならない。前にあった量に、入ってきた量を足し、出ていった量を引く。答えが、今ある量と一致する。それだけのことだ。在庫管理の、いちばん最初の基本。小学生でも引き算ができればわかる理屈。
なのに、その三つが噛み合っていない。出庫の印を足しても、四十二樽にはならない。記録のどこにも書かれていない出口から、物が漏れている。一度きりの間違いなら、こうはならない。同じ場所から、繰り返し、こぼれ続けている流れの形だった。
物が、帳簿の外で動いている。
「違いますよ」レンは樽に手を置いた。木肌は湿り気を帯び、指先に塩の粒の冷たいざらつきが残る。「数え間違いじゃない。これは、誰かが帳簿に載せずに、持ち出してる」
松明の火が、ぱちりと爆ぜた。
兵たちが顔を見合わせる。笑いはもう、どこにもなかった。
「おっさん、あんた……何者だ」
何者か。いい質問だった。剣も魔法も使えず、後ろ盾もなく、名前のほかに持っているものは何もない。あるのはただ、物の流れを数字で読む、それだけの目。
「ただの、流れ者ですよ」
そう答えながら、レンはこめかみに走った鈍い痛みに気づいた。数字を見つめすぎると、頭の芯が軋む。長く視れば視るほど、痛みが増す。この力は、どうやらタダではないらしい。便利な目には、ちゃんと代償がついている。
それでも、目の前の八樽の差が、頭から離れなかった。
「なあ」レンは若い兵に尋ねた。「この砦、食い物は足りてるのか」
兵の顔が、わずかに曇った。
「……足りてねえよ」吐き捨てるように言う。「街道の物資は減る一方だ。配給は遅れる。下の集落じゃ、痩せて動けねえ年寄りも出てる。だからって、おっさんに何ができる」
何ができる、か。
飢えた砦で、誰かが食い物をくすねている。配給を待つ腹の音が、この石壁の向こうにあるのに。八樽の塩漬け肉があれば、何人の腹が満ちる。見えてしまった以上、見なかったことにはできなかった。それは前世から変わらない、たちの悪い性分だった。非効率と不正を、放っておけない。それで上司に煙たがられ、身体を壊し、机の上で死んだ男が、また同じことをしようとしている。
学習しない、と自分でも思う。だが、できることが、これしかなかった。
レンは痛む頭を片手で押さえ、ゆっくりと立ち上がった。床の冷たさが、足の裏から這い上がってくる。
「あの」顔を上げる。「この倉庫の中身、全部、数えさせてもらえませんか」
兵たちは、また顔を見合わせた。今度は、誰も笑わなかった。




