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「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


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影の包囲網と、紅の女将の計略

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

源次郎工房が都の頂点を極めるなか、その成功を快く思わない者たちがついに動き出します。

今回は、職人として技術の深淵に潜る藤太を、兄・惣太郎と義姉・お里がいかにして守り抜くのかを描く、知略と商いのエピソードです。

「技術」が「商い」と「格式」に守られる、最強の家族の陣形をご堪能ください。

都の春は、その表面的な華やかさの裏側に、常にねっとりとした嫉妬と羨望の泥を隠し持っている。


源次郎工房が、左大臣・藤原様という強大な後ろ盾を得て、藤太の考案した革新的な「第三の型(規格化と分業)」によって牛車市場を独占し始めてからというもの。都の職人界隈には、得体の知れない不穏な風が吹き荒れていた。

「出る杭は打たれる」という言葉があるが、今の俺たちは出過ぎた杭どころか、都の大路を完全に塞いでそびえ立つ、巨大で堅牢な壁のような存在になっていたのだ。


「……実に、気に食わぬな。源次郎のところの小僧、異国の象革だの真鍮だの、本来車作りにはあり得ない奇抜な素材ばかりを並べ立てて、車体の本質が分からぬお貴族様たちの目を眩ませおって」


都の隅、白粉おしろいと安い酒の匂いが染み付いた、古びた茶屋の薄暗い奥座敷。

そこには、かつて都の車作りを牛耳り、今は源次郎工房に顧客を奪われて閑古鳥が鳴いている老舗工房の親方たちが、ひそひそと黒い影を落として集まっていた。彼らの目の前には、見栄を張って用意させた贅を尽くした酒肴が並んでいるが、その出所は彼ら自身の懐ではない。


「左様でござる。あれはもはや、神聖なる車作りへの冒涜だ。誰が削っても同じ寸法になる『規格化』などという薄汚いやり方は、長年培ってきた職人の勘と魂を切り売りする手抜きに他ならぬ。あのような魂のない空っぽの箱を、内裏だいりの清らかな庭に入れさせては、我ら都の大工の恥よ」


憤懣やるかたない親方たちが媚びるような視線を向けるその先に、一人の身なりの良い貴族が座っていた。

名は、中納言・伴康正とものやすまさ

藤原様の勢力とは距離を置く派閥に属し、家格こそ高いものの、遊興費の重ねすぎで懐事情は常に火の車という、吝嗇りんしょくで知られた強欲な貴族である。


「……ふむ。親方衆の言い分はよく分かった」

伴康正は、冷ややかな笑みを浮かべて高級な漆塗りの盃を弄んだ。

「あの気位ばかり高い左大臣(藤原)の殿が、あの大工の一家を丸抱えにし、独占的な卸売りで莫大な私腹を肥やしているのは、我ら公卿の間でもあまり面白い話ではないのだ。我が伴家も、あの車を所望したが、藤原の殿を通さねば買えぬという理不尽な値付けのせいで手が出せん」


伴康正は、盃をドンと床に置いた。

「……どうだ。お前たちが束になり、源次郎の工房の『規格化』とやらがいかに粗悪な手抜きであるかを暴き、その偽りの名声を地に落とすというのなら。我がその後の都の車作りの差配を、お前たちの連座ギルドに一任するよう、裏から手を回して取り計らってやってもよいぞ」


老舗の親方たちの目が、暗い欲望にギラリと光った。

彼らの計略は卑劣だった。

都の市井に「源次郎工房の車は、素人の弟子に作らせた安物であり、いずれ車輪が外れて大事故を起こす」という根も葉もない噂を流すこと。

さらに、伴康正の権力を用いて、藤原様を通さない「法外な安値での裏取引」を源次郎工房へ強要し、それを拒めば不敬罪で弾圧し、受け入れれば藤原様への「専売約定違反」として密告し、工房を破滅に追い込もうという、完全に退路を断つ罠だった。



都の裏側で、自らを破滅させるためのそんな暗雲が立ち込めていることなど、当の藤太は全く気づいていなかった。


「……ダメだ。象革の凄まじい反発力に対して、この真鍮の留め具の『噛み合わせ』がまだ甘い。あと一分いちぶだけ、受けの木の溝を深く彫り込んで、摩擦を逃がしながら完全にロックする構造にしないと……」


母屋から少し離れた、真新しい実験室。

藤太は妻と共に、狂気じみた集中力で新型サスペンションの微調整に没頭していた。

彼にとって、外の世界の政治や嫉妬など、作業台の上の木屑ほどの価値もなかった。


「藤太様、それなら金属である真鍮の裏側に、宮大工の『鎌継ぎ(かまつぎ)』の形を応用してはどうでしょう。異国の金属であっても、木と同じようにホゾとくさびの原理で抜けなくすれば、象革の暴力的な張力にも耐えられるはずです」

「なるほど……! 楔を打って内側から押し広げるように固定すれば、動くたびに逆に締まっていく。さすがだ!」


二人は木屑と真鍮の削りカスにまみれながら、和の伝統的な木組みの技術を、異国の金属と革の接合へと応用する実験に明け暮れていた。


「藤太、少しは休憩したらどうだ。飯も食わずに、顔が青白いぞ」

時折、心配そうに覗きに来る父・源次郎にさえ、藤太は「あと少しで答えが出るんです」と、うわ言のように繰り返すばかりだった。


だが、この「職人の聖域」を守る防波堤は、藤太が思っている以上に分厚く、そして強固だった。


「……お里、どう思う」

工房の主屋で、兄・惣太郎が低い声で妻に尋ねた。

彼の手には、市井で配られている「源次郎工房を誹謗する匿名の怪文書」が握られていた。


お里は、完璧な所作で茶を淹れ、静かに夫の前に置いた。

「ライバル工房の親方たちが、伴中納言様を担ぎ出したようですわね。……ふふっ、藤原様の専売制を崩し、中抜きで安く買い叩こうという算段。見え透いた浅ましいことこの上ありませんわ」


その声には、怒りよりも、獲物を追い詰める猟犬のような冷徹な響きがあった。


「惣太郎様。藤太義弟様と義妹殿は今、新たな構造の扉を開こうと、命を削って木と向き合っていらっしゃいます。あの純粋に輝く瞳を、このような泥臭い争いで曇らせ、手を止めさせるようなことがあってはなりません」

「分かっている。実務と防衛は俺たち夫婦の役目だ。……だが、相手は中納言だぞ。一歩間違えて怒りを買えば、不敬罪で工房が焼き討ちにされる」


惣太郎が懸念を示すと、お里はふわりと、恐ろしいほど美しく、そして底知れぬ自信に満ちた笑みを浮かべた。


「お忘れですか。私は海を越える大商い、筑前屋の娘。海の向こうはもちろん、この都の隅々の闇金貸しにまで、私に恩を売っている商人の眼と耳は張り巡らされております。……毒を以て、毒を制しましょう」



数日後。

伴康正の屋敷の門前に、豪華な絹織物を積んだ牛車が止まり、一人の女が「筑前屋の名代」として挨拶に訪れた。


筑前屋は、伴家にとって最大の借金先(債権者)の一つである。伴康正は、利息の督促かと思い、渋々、しかし警戒しながらお里を奥の間に招き入れた。


「筑前屋の娘、お里にござります。本日は、何かとご入用で困窮されている中納言様へ、耳寄りな『商い』のお話をお持ちいたしました」


お里は、隙のない完璧な礼法で平伏しながら、伴康正の奥底にある「強欲さ」を正確に見抜いていた。

彼女の懐には、老舗工房たちが「源次郎工房を貶めるための工作資金を作るため、顧客から預かった質の良い材木を裏で売り払い、質の悪い木材を横流しして私腹を肥やしている」という、決定的な動かぬ証拠の帳簿が忍ばされていたのだ。


「中納言様。あのような腕も落ちぶれた親方たちと組んで源次郎工房を潰したところで、中納言様の手に入るのは、いずれバレる端金はしたがねと、不確かな噂だけ。……ですが、もし中納言様が、藤原様に対し『ライバルたちの不正』を正義の使者として告発する側に回られたなら、どうでしょう?」


お里は、伴康正の目の前に、筑前屋が密かにあちこちから買い集めた「伴家の借用書」の束を、音を立てて積み上げた。


「これより申し上げる条件を呑んでいただけるのであれば、この借用書、すべて筑前屋が焼き捨てて無効といたしましょう。さらに、源次郎工房の最新型の車両を、藤原様を通した上で、中納言様には『特別の対価(格安)』で優先的に配分するよう、夫・惣太郎に手配させます。……格式高い伴家が、魂を売った詐欺師の職人どもの片棒を担ぐなど、都の笑いぐさになりますわ」


伴康正の喉が、ゴクリと大きく鳴った。

目の前の、首を括るしかなかった借金の山が消える。さらに、左大臣へ「不正の告発」という恩を売ることができ、おまけに誰もが羨む最新の牛車まで手に入るのだ。

一方、老舗の親方たちが裏で資材を横流ししていたという事実は、貴族である自分にとっても「下賤の者に裏切られ、騙されていた」という格好の言い訳になる。彼にとって、天秤にかけるまでもない話だった。


「……お里、と言ったか。筑前屋の娘は、なかなかに賢明であるな」


勝負は、一瞬にして決した。


翌朝、都の職人街には激震が走った。

源次郎工房を弾圧しようとしていた老舗の親方たちが、逆に伴康正によって「資材の横流しと、いわれのない不当な誹謗中傷」の罪で一斉に告発され、検非違使けびいしに捕縛されたのである。

彼らが根回ししていた「素人が作っている」という噂は、お里が事前に放っていた「正しい情報の流布(源次郎工房の徹底した治具による品質管理と、分業の合理性の公開)」によって完全に一掃されていた。

ライバル工房たちは、自ら掘った落とし穴に真っ逆さまに落ちる形で、次々と没落していったのである。



「……あ、兄上。そういえば昨日、表の通りが少し騒がしかったようですが、何かあったんですか?」


夕暮れ時、ようやく離れから出てきた藤太が、目をこすりながら母屋の縁側へやってきた。

その髪には相変わらず鉋屑がつき、手は墨と油で真っ黒に汚れている。


惣太郎は、親父と美味い酒を酌み交わしながら、からりと明るく笑った。


「ああ、何でもないさ。ただの五月蠅い羽虫が少し騒いでいただけだ。もう綺麗に掃き捨てたよ。……それより藤太、新型の仕上がりはどうなんだ?」


「ええ。妻が宮大工の『鎌継ぎ』の構造をヒントに、真鍮を内側から楔で固定する設計を思いつきまして。あれで劇的に良くなりました。もうすぐ、これまでの『摩擦』の常識を根底から覆す『全く新しい軸受け』の形が見えそうです」


藤太が少年のように目を輝かせて語るのを、お里は優しく、どこか誇らしげに見守っていた。


外の世界で吹き荒れた嫉妬の嵐も、公卿たちの醜く泥臭い駆け引きも。

お里と惣太郎という、恐るべき知略を持った最強の「盾」がある限り、この工房の聖域に届くことは決してない。


藤太は、自分がなぜ一切の迷いなく技術の深淵に潜ることができるのか。その本当の理由を、夕餉の温かい汁物の匂いの中に、改めて肌で感じ取っていた。


知恵の母、腕の父。

共に技術を高め合う、最強の同志である妻。

そして、この泥臭い世俗の荒波を、美しく、かつ冷徹に切り裂いて進む、誇り高い兄夫婦。


この「最強の家族」という陣形がある限り。源次郎工房の澄んだ槌音は、誰にも邪魔されることなく、明日も都の空に高く響き渡るのである。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「技術の藤太」「商売の惣太郎」「格式のお里」。

三人の役割が完璧に噛み合い、ライバルたちの卑劣な計略を粉砕する痛快なエピソードとなりました。

今回は、時代錯誤にならないよう、真鍮と革を固定する機構を「木組み(楔やホゾ)」の応用へと修正し、藤太の職人としての和の技術が光る展開にしてみました!


お里さんの「毒を以て毒を制する」豪商の娘としての恐るべき手腕……彼女が味方で、藤太は本当に幸せ者ですね(笑)。


こうして外敵を完全に排除し、家族の絆をさらに深めた源次郎工房。

次回、いよいよ藤太と妻による共同研究が、歴史的ブレイクスルーを迎えます!

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