拡張する陣形と、離れに棲みつく職人馬鹿夫婦
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
左大臣・藤原様の無茶振りから始まったお見合いは、まさかの「天才同士の技術論議」へと発展し、そのまま奇跡的な結実を迎えました。
今回は、見事に(?)夫婦となった藤太たちと、かつてない規模へと成長を遂げた源次郎工房の「完璧な家族の陣形」を描くエピソードです。
それぞれの得意分野で無双する最強家族の日常を、特大ボリュームでお楽しみください!
左大臣・藤原様の絶対的なお墨付きと、藤太が考案した「第三の型」――規格化された部品を分業で組み上げる画期的な生産システム。
この二つの強大な武器を手に入れた源次郎工房の快進撃は、もはや都の誰にも止めることのできない凄まじいものとなっていた。押し寄せる貴族たちからの膨大な需要を見事に捌き切り、名実ともに都の車作りにおいて絶対的な地位を確立したのである。
そして、蔵に積み上がる砂金の山と、盤石となった経営基盤は、ついに長年この貧しい車大工の家を一人で支え続けた母を、過酷な水仕事や終わりのない家事から完全に解放する日をもたらした。
新しく雇われた数人の手際の良い使用人たちが、広くなった母屋の掃除や、職人たちを含めた大所帯の炊事を担うようになると。
母は、長年の苦労を癒すために余った時間をゆっくりとした休養に当てる……どころか、持ち前の頭の回転の速さと異常なまでの仕切り能力を活かし、工房の「裏方の絶対的元締め」として君臨し始めたのである。
「おい、そこのお前さん! その檜の板はまだ芯が乾ききってないよ、陰干しの場所へ移しな! 三蔵さん、今日は少し顔色が悪いね、昼の汁物には塩気を少し多めに利かせておくから、無理せずに休むんだよ!」
木材や革の緻密な在庫管理、顔馴染みの問屋への寸分違わぬ発注、そして何十人にも膨れ上がった職人たちの給金計算から健康管理に至るまで。
母が長年握りしめていた台所のしゃもじを、商人の使う算盤と帳簿に持ち替えたことで、源次郎工房の裏方の運営は、かつてないほど正確で、温かく、そして盤石なものへと進化したのだ。
そして、その裏方のすべてを母と有能な使用人たちに安心して任せられるようになった兄・惣太郎は、まさに重しを外された水を得た魚のように、都中、いや西国などの他国へと猛烈な勢いで飛び回るようになった。
彼を支えるのは、妻となった筑前屋の娘・お里である。
完璧な礼儀作法と深い教養を持つ豪商の娘であるお里が、公家や大貴族を相手にした交渉の場を優雅で華やかに整え、相手の警戒心をふわりと解く。そして、その整立てられた盤面の上で、惣太郎が持ち前の肉食獣のような商才を発揮し、新たな若手職人を次々とスカウトし、まだ誰も見たことのない異国の極上素材の買い付けルートを強引に、かつ合法的にこじ開けていくのだ。
政治と格式の盾となる妻と、利益を抉り取る矛となる夫。
兄夫婦はまさに「日の本最強の商人タッグ」として、源次郎工房の外堀を恐ろしい速さで広げ、強固に防ぎ続けていた。
離れの狂宴:似た者夫婦の終わらない探求
一方で。
長屋を改築し、新しく購入した土地の一角に建てられた、木の香りが清々しい真新しい「離れ」。
天才車大工・藤太と、都一の宮大工の娘として迎えられた妻。新婚である二人の住まいとして、家族が気を利かせて用意したはずのその静かな場所は、あっという間に当初の目的を失い、**「第二の工房(狂気の実験室)」**と化していた。
「……藤太様、見てください。この真鍮の留め具ですが、木材と接する裏側の部分に、ほんの少しだけ『遊び』を持たせるように丸く彫り込めば、車軸が回転した時の象革の摩擦を、あと一分減らせるはずです」
「なるほど、それは気づきませんでした。なら、土台となる受けのホゾの角度もそれに合わせて微調整しましょう。宮大工の『鎌継ぎ』の技法を応用して、刃の入れ方をこう変えれば……」
「ええ! それなら、力が外へ逃げずに内側で完全に相殺されます!」
そこには、甘く囁き合うような新婚生活の気配など、微塵も存在しなかった。
真新しい畳のあちこちに、高価な異国の象革の端切れや、真鍮の削りカス、そして五百年杉の木屑が雪のように散乱している。
二人は着物の汚れなど一切気にせず、顔に煤や木屑をつけたまま、夜を徹して「構造と装飾の完璧な融合」について、時には声を荒らげ、時には図面を奪い合いながら激論を交わし続けていたのである。
妻の持つ、千年先の反発力まで計算し尽くす宮大工譲りの圧倒的な建築知識と、繊細な透かし彫りの技術。
そして、藤太の持つ、重力を殺すための天才的な力学の構造計算と、未知の素材を使いこなす発想力。
互いが互いの技術に一切の妥協を許さず、純粋に「世界で最高のモノ」だけを求め、魂を削って語り合うその空間は。二人にとって、間違いなく世界の何よりも甘美で、居心地の良い場所だった。
トントン、バンッ!!
「ちょっと、そこの職人馬鹿の二人! いい加減に手を止めなさいってば!」
昼下がり、離れの戸を壊れんばかりの勢いで開け放ったのは、呆れ果てて眉間に皺を寄せた母と、大きな漆塗りのお盆を持った義姉・お里だった。
「お義母様から伺ってはおりましたが、本当に食事のことも、時間の経過すらも忘れて、一日中木ばかり削っていらっしゃるのですね。……さあ藤太義弟様、義妹殿。お義母様特製の、出汁の利いた温かいすいとんをお持ちしましたから、今すぐ道具を置いてそこにお座りなさい」
普段はどんな時でも優雅で完璧なお嬢様である義姉にピシャリと冷たく叱られ、藤太と妻はビクッと大きく肩を揺らし、慌てて手にしていた鑿と鉋を畳の上に置いた。
「す、すみません……。ちょうど、象革の反発力を受け止めるための、新しい組み上がりの閃きがあったもので……」
藤太が言い訳がましく頭を掻きながら縮こまると、顔に真っ黒な墨をつけた木屑だらけの妻も、藤太の横でウンウンと力強く、激しく頷いている。
そのあまりにも似た者同士で、反省の色が全く見えない職人馬鹿な二人の姿に、母は天を仰いで、肺の底から深い深い溜め息をついた。
「まったく……。惣太郎とお里は商売ばかりで家に寄り付かないし、お前たち二人は工房の離れに棲みついた座敷童みたいになっているじゃないか。さあ、冷めないうちに母屋の囲炉裏へ行くよ! 今日は親方も惣太郎も揃ってるんだから!」
美味い酒と、賑やかな食卓
母と義姉に両腕を左右から引っ張られるようにして、半ば引きずられながら母屋の大きな囲炉裏へと連行されると。
そこにはすでに、上機嫌で茹でダコのように顔を赤くした父・源次郎が、どっかりと胡座をかいて座っていた。
父の節くれだった分厚い手には、藤原様からの莫大な褒美の砂金で買い占めたという、伏見の極上の銘酒がなみなみと注がれた朱塗りの盃が握られている。
「おっ、やっと出てきたな、我が源次郎工房が誇る若き大棟梁たち。お前たちなぁ、いくら新しい車作りが楽しくて仕方ないからって、飯を食うのも忘れるってのは感心しねぇな」
源次郎は、酒の甘い香りをたっぷりと楽しむように深く息を吸い込み、ぐいっと一気に盃を干した。そして、プハァと満足げな息を吐き出す。
「いいか藤太、そして嫁御前。職人ってのはなぁ、この一日の終わりの『とびきり美味い酒』を飲むために、汗水垂らして働いてるようなもんだぞ。暗い蔵の中で木屑ばかり食ってたって、本当の『生きた良い仕事』はできねぇんだからな!」
「親父殿の言う通りです! 俺なんて、デカい商談をまとめた後に、美味い酒と飯を食うためだけに全国を駆け回っているようなもんですからね!」
ちょうど庭先から帰ってきたばかりの惣太郎も、豪奢な着物のままドカッと縁側に腰を下ろし、親父と盃を合わせながら豪快に笑い声を上げた。
お里もクスリと笑いながら、手際よく惣太郎の前に温かいすいとんの椀を並べていく。
藤太は、隣に座る同じように木屑だらけの妻と顔を見合わせ、苦笑いしながらも、母屋の出汁の匂いが立ち込める温かい食事にそっと手を伸ばした。
親父の言う通りかもしれない、と藤太は思う。
確かに、自分たち二人だけでは、息をするのも忘れて技術の深淵という暗闇にどこまでも沈み込んでいってしまう。
こうして、無理やりにでも日の当たる現実の世界へ引き戻し、「腹が減る」という当たり前の感覚や、「飯が美味い」という生きる喜びを教えてくれる、底抜けに明るく賑やかな家族がいるからこそ。
藤太と妻は、また明日も、極限の集中力で最高の手仕事に向き合うことができるのだ。
「……ええ、そうですね。父上の言う通りです。今日はこの美味しいすいとんをいただいて、少し頭を休めることにします」
藤太が素直に頷いて熱い汁を啜ると、妻もパァッと花が咲くような笑顔を見せた。
「お酒の味は私にはまだよく分かりませんが、お義母様のお料理は、世界で一番美味しいです!」
そう言って、彼女は武士のような見事な食べっぷりで椀を平らげ始めた。
「ほほほ、そうかいそうかい。なら、お代わりはいくらでもあるからね。たくさんお食べ」
母が嬉しそうに目を細め、鍋の底からたっぷりとすいとんをすくい上げる。
家族が増え、それぞれの才能が花開き、工房の規模がどれほど巨大になろうとも。
この囲炉裏を囲む、木屑と出汁の匂いが入り混じった賑やかで温かい食卓の風景だけは、源次郎一家の絶対に変わらない「心臓部」として、脈々と、力強く時を刻み続けていたのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
それぞれの得意分野で覚醒した家族たち。
裏方の支配者となった母、最強の商人夫婦となった兄とお里、そして離れで変態的(褒め言葉)な技術論議を繰り広げる藤太と妻! 誰一人として凡人がいない、まさに最強の陣形が完成しました。
お見合いから一転、新婚の甘さゼロで設計に没頭する二人ですが、この「同士」としての絆こそが、彼らなりの最高の愛の形なのでしょうね。
そして、そんな職人馬鹿たちを現実に引き戻してくれる親父の「美味い酒を飲むために働くんだ」という名言。どんなに凄くなっても、家族の温かさは変わりません。




