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「最高の牛車を作る」 ~平安最強の車大工、左大臣の無茶振りから始まる技術革命~  作者: 紡木 綸


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職人の聖域と、胃痛からの解放

いつもお読みいただき、ありがとうございます!

極限の素材と技術、そして芸術が結実し、ついに完成した「帝への献上品」。

今回は、その圧倒的な威容を見送った後の、藤太の「意外な本音」と、職人としての静かな決意が描かれます。天才技術者の素顔が見えるエピソードです、お楽しみください!

俺は、ひんやりとした工房の土間に両手をつき、深く、深く頭を下げた。


気の利いた賞賛の言葉など、俺の口からは気の利いたように紡ぎ出すことはできなかった。だが、言葉を尽くして飾り立てるよりも、無言のまま額を擦りつけるその一礼に、俺の職人としてのありったけの敬意と魂のすべてが込められていた。


自ら刃を当て、木という素材の物理的な限界と反発力を知り尽くしている俺だからこそ分かるのだ。

あの鉄のように硬く、のみの刃先から火花が散るほど重い異国の黒木に、これほどまでに繊細で、今にも風に揺れそうなほど命の通った「四季の立体」を狂いなく彫り込むことが、どれほど人間の限界を超えた偉業であるかを。それは、文字通り己の寿命を削って木に注ぎ込むような、凄まじい執念の結晶だった。


「……面を上げてくだされ、若き車大工殿」


頭上から、枯れ葉が擦れ合うような老彫刻家の静かな声が降ってきた。

俺が顔を上げると、老人は深く皺の刻まれた顔に、職人同士にしか分からない、静かで深い共感の笑みを浮かべて頷き返してくれた。


「見事な手仕事であった。……お前たち親子が作り上げた、このいかなる衝撃にも微塵も揺らがぬ、強固で恐ろしいほどの枠組みがあったからこそ、私の鑿も一切の迷いなく、安心して木の芯の奥深くまで潜り込むことができたのだ。土台が歪めば、彫りも歪む。これは、我らすべての腕が重なり合って生まれた奇跡の板だ」


老彫刻家もまた、俺と親方が血反吐を吐いて組み上げたこの「究極の土台」と「無重力の板バネ」に対し、全幅の信頼と称賛を抱いてくれていたのだ。

一流と一流が、言葉ではなく「仕事の質」だけで語り合い、互いを認め合った瞬間だった。



老彫刻家と弟子たちが満足げに帰っていった後。

誰もいなくなった、深い静寂に包まれた工房の土蔵で、俺はただ一人、完成した牛車と静かに向き合っていた。


手には、微量の椿油を染み込ませた極上の柔らかい絹の布。


鉄のように重い異国の黒木に刻まれた複雑怪奇なホゾ。

絹のような光沢を放つ、純白の五百年檜の柱。

そして、それらを結びつける、ヤギとラクダの革が限界まで編み込まれた巨大な板バネ。

さらに壁面を彩る、命を宿した四季の浮き彫り(レリーフ)。


俺が絹の布で表面にそっと触れ、磨き上げるたびに、車体はふわり、ふわりと、まるで静かな呼吸をしているかのようにしなやかに沈み込み、そして内側から水気を帯びたような凄まじく深い艶を放つ。


己の頭脳で限界まで計算し尽くし、自分が持てるすべての技術と執念、そして家族の想いを注ぎ込んだ、文字通りの空前絶後の最高傑作。

それを、我が子のように慈しみ、木の香りに包まれながらただ無心に磨き上げるこの時間は、職人である俺にとって、何物にも代えがたい至福の時だった。


(……できたな。本当に、作っちまったんだな)


俺は柱に額を当て、その冷たく滑らかな感触を確かめながら、静かに目を閉じた。



そして翌日、運命の納品の朝。

冬の都の空が、まだ薄暗い群青色から白々と明け始めた頃。


「行ってくるぞ、藤太! 吉報を寝て待っていろ!!」


工房の表で、兄の惣太郎が、これまでにないほど華やかで高価な絹の狩衣かりぎぬをまとい、意気揚々と声を張り上げた。

その顔には、これから都の最高権力者たちを相手に大立ち回りを演じるという、生粋の商人としての野心と興奮がギラギラと燃え盛っている。


父・源次郎もまた、親方としての威厳に満ちた藍染めの深い晴れ着姿で深く頷いた。いつもの木屑まみれの姿とは違う、都一の車大工の棟梁としての堂々たる風格だ。


「留守は頼んだぞ、藤太。……この車の産声、とくと内裏だいりに響かせてくるぜ」


合流した老彫刻家と共に、彼らは、黒く艶やかな毛並みの巨大な牛に引かれた「帝への献上品」の後ろに静かに付き従い、左大臣・藤原様の屋敷へと向かって、朝霞の中を出立していった。

車輪が石畳を叩く音すらも、異様なほどに静かで、滑らかだった。


俺は、その頼もしくも威厳に満ちた巨大な後ろ姿を、工房の門口で最後まで見送った。

一行の姿が完全に朝靄あさもやの向こうへと消え去った、その瞬間。


「…………はぁぁぁぁぁぁっ」


俺は、ホッと、心の底からの、それこそ肺の中の空気をすべて出し切るような、特大の安堵の溜め息を漏らした。


(ああ、よかった……! 本当に、行かなくて済んでよかった……!!)


俺は思わず、自分のお腹のあたりを両手でさすり、深く撫で下ろした。

前回の納品時の、あの恐ろしい記憶が鮮明に蘇ってくる。


白砂の上に額を擦りつけんばかりに平伏し、頭上から降り注ぐ藤原様の冷たい威圧感と、逆らえば一族の首が飛ぶという絶対的な権力の重みに、完全に押しつぶされそうになったあの恐怖。

息をするのも恐ろしく、一言でも口を滑らせれば命がないというあの極度の緊張感。胃がキリキリと、まるで鋭いきりで内側から激しく揉みくちゃにされるようなあの凄まじい痛みは、泥臭く木と向き合うことしか知らない根っからの職人気質である俺にとって、寿命が十年は縮むほどの耐え難い苦痛だったのだ。


「あんな息の詰まるようなお歴々の前に出て、寿命と胃をすり減らす役目は、口の達者で度胸のある兄上や、肝の据わった親父にお任せするのが一番だ……」


ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いた俺の顔には、帝への献上品という死の重圧から完全に解放された、ひどく間の抜けた、しかしとても穏やかで平和な笑みが浮かんでいた。


大きく伸びをして、俺は工房の中へと戻る。


空になった土間を見渡せば、そこにはすでに、次なる商機を見据えた「第三の型(量産型)」のための、正確に寸法が切り揃えられた何十枚もの薄板の束や、狂いなく裁断された羊革の束が、整然と山のように積まれている。


権力者たちの思惑が交差する政治の駆け引きや、身分の高い貴族たちとのヒリヒリとするような命懸けの交渉は、それが得意な家族に任せればいい。

俺は政治家でも商人でもない。一介の技術者だ。

俺には、俺にしかできない「最高のモノづくり」と「終わりのない技術の探求」という、誰にも邪魔されない不可侵の聖域があるのだから。


「さて。みんなが帰ってくる前に、散らかった道具の手入れと、新しいバネの積層の計算をしておこうか」


むせ返るような木屑の匂いと、獣の脂の匂い。そして、冷たくも心地よい静寂だけが残る、この居心地の良い工房。


歴史を変える巨大な偉業を成し遂げた若き車大工は、胃の痛みとは無縁のその穏やかな空間で、愛用の小刀とのみを手に取った。

そして、次なる時代の「量産される無重力の牛車」の未来へ向けて、静かに、そして確かな足取りで、また新たな技術の階段を登り始めたのである。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


歴史的な偉業を成し遂げた直後だというのに、藤太の一番の本音は「お偉いさんの前に行って胃を痛めなくて済んでよかったー!」でした(笑)。

天才的な技術者でありながら、政治や社交はからっきしで、工房に引きこもってモノづくりをしている時が一番幸せという、非常に親近感の湧く(?)藤太の素顔が見えた回でした。


それぞれの得意分野を活かして戦う最強の家族。

次回、いよいよ場面は左大臣家、そして帝の御前へ! 果たして「化け物」の牛車は、宮中にどのような衝撃をもたらすのでしょうか?

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