極上の革と、いざ本番
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、狂気の実験を終えた藤太の「休息」と「極上の革」の完成。そして、いよいよ国一番の牛車を組み上げる最終工程の幕開けです!
限界まで酷使した体を引きずりながら、俺は最後に残された気力を振り絞って土間の竈に火をおこした。
鉄鍋の中で、とろりと溶けた蜜蝋と獣脂が混ざり合い、深夜の工房に甘く、そして重厚な香りが立ち込める。俺はそこへ、あらかじめ重石を吊るして限界の限界まで引き伸ばしておいた強靭な牛革の紐を、束ねて静かに沈めた。
ジュゥゥ……、ふつ、ふつふつ……。
細かい気泡が湧き上がり、革の芯の芯まで、極上の油と蝋が音を立てて吸い込まれていく。
熱を持った油が繊維の奥深くまで浸透し、革を永遠に保護する強靭な鎧へと変えていくのだ。すべての気泡が消え、革が完璧に油を飲み込んだのを見届けたところで――俺の張り詰めていた糸は、プツリと切れた。
火を落とした直後、俺の意識は途切れ、冷たい土間の上に泥のように倒れ込んで深い眠りへと落ちていった。
◆
「……んっ」
次に目を覚ました時、母屋の障子越しに差し込む光は、すでに真上から力強く降り注いでいた。どうやら翌日の昼近くまで、死んだように眠りこけていたらしい。
十日間の蓄積された疲労が、鉛のように手足にまとわりつき、関節の節々が鈍く痛む。だが、限界まで深く眠ったことで、頭の中の霧はすっきりと晴れ渡り、かつてないほどに澄み切っていた。
重い体を引きずって母屋へ顔を出すと、俺の姿を認めた母さんが、安堵と心配の入り交じった顔で小走りに歩み寄ってきた。そして、手ぬぐいで手を拭いながら、囲炉裏の向こうで煙管を吹かしている親方の背中にもしっかり届くような、少し張った声でピシャリと言い放った。
「藤太! 仕事は休み休みしないと体を壊すよ。いくら若くても、一気に働いて一気に休むような無茶をすれば、毎日の休息よりずっと体に負担がかかるんだからね!」
その鋭い言葉に、囲炉裏の向こうで親方の広い肩がビクッと跳ねた。
親方として俺の狂気じみた没頭を止めず、むしろ「十日やる」と焚きつけてしまった負い目があるのだろう。親方は気まずそうに咳払いを一つすると、煙管を灰吹にポンと叩きつけて立ち上がった。
「……母さんの言う通りだ。職人は腕より何より、体が資本だ。いくら最高の仕掛けの答えを見つけたからといって、組み上げるお前が倒れちまったら、藤原様への車は幻で終わっちまうからな」
親方は誤魔化すようにそう言うと、母さんが用意した昼餉の膳を俺の前にグイと引き寄せた。
膳には、こんがりと醤油の焦げた匂いがたまらない焼き結びと、山菜や根菜がたっぷりと入って湯気を立てる熱いすまし汁。そして、少し焦げ目のついた川魚の干物が乗っている。
「いただきます」
俺は両手で椀を持ち上げ、すまし汁を一口すすった。
甘みを排し、汗を流した体に真っ直ぐに染み渡るような強めの塩気と、山菜の滋味深い香りが、空っぽの胃袋を力強く刺激する。干物の身をかじり、香ばしい焼き結びを腹に詰め込む。一口食べるごとに、血が巡り、鉛のようだった体が内側からカッと熱を取り戻していくのがわかった。
「しっかり食え。午後からは、いよいよ本番の組み上げだ」
◆
昼餉を終えて工房へ戻ると、昨晩鉄鍋に仕込んでおいたあの革紐が、完璧な状態に仕上がっていた。
俺は鍋から革を引き上げ、冷えて白く固まりかけた表面の蜜蝋を、粗い布でギュッ、ギュッと力強くしごき落としていく。
余分な蝋が落ちた後の革紐は、黒曜石のような鈍く美しい艶を放っていた。
両手で端を握り、力任せに引っ張ってみる。
「……完璧だ」
どれほど強く引っ張っても、微動だにしない。あらかじめ限界まで伸ばし、そこに蜜蝋の成分が入り込んで固まったことで、恐ろしいまでの強靭さと、摩擦を一切感じさせない滑らかな手触りを獲得していた。
これを、水で濡らした状態で槻の板に網代で編み込めば、乾く際の収縮力で木と革は完全に一体化する。
あの「女を酔わせない」究極の板バネが、ついに現実のものとなるのだ。
そして、俺が視線を上げた先。
土間の中心には、あの日俺が一日がかりで挽き切った、五百年の時を宿す極上の檜の柱が四本、静かに、しかし圧倒的な威厳を放って出番を待っていた。寸分の狂いもない、見事な四方柾の柱だ。
「よし、藤太。部材はすべて揃ったな」
親方が大工道具の入った使い込まれた木箱を静かに引き寄せ、分厚い手で鑿の柄を握った。研ぎ澄まされた刃先が、鋭く光る。
「ここからは、髪の毛一本の狂いも許されねぇ『刻み』と『組み』の作業だ。あの革で包んだ板バネの仕掛けを、この五百年檜の柱と土台にどうやって噛ませ、どう強度を保つか。……お前の頭の中にある図面通りに、俺が相方を務めてやる」
親方の目は、燃えるような職人の熱を帯びて俺を見据えていた。
俺もまた、黙って自身の道具箱から鑿と玄能を取り出す。
英気を養い、心身ともに万全の状態。思考は極限まで澄み渡っている。
さあ、いよいよあの五百年の檜に刃を入れる。
都の歴史を覆す「国一番の牛車」を創り上げるための、最終工程が幕を開けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
過酷な作業を終えた後の、母さんの作るしょっぱいご飯。職人の体と心を支えるのは、やはり家族の温かい(そして少し厳しい)日常です。
完璧に仕上がった「革」と、出番を待つ「五百年の檜」。親方と藤太の二人の職人が、いよいよこの極上の素材たちを一つに組み上げていきます!
―――
【読者の皆様へのお願い】
連載開始からここまで、お付き合いいただき本当にありがとうございます!
いよいよ物語は、世界で一台の「最強の牛車」を組み上げるクライマックスの製作編へと入っていきます。
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