最初の奴隷人生
ただ、平穏が欲しかった。
軒先の下で青空を見上げて、眩し気に目を細める。
そんな日々を望んでいた。
長く暗闇の中にいた。
目を落とせば、苔に包まれた石の地面が目に入る。膝下の水たまりが赤く滲んでいる。膝が切れて血が出ているのだろう。両手は天井から下がる鎖に繋がれ、顔を上げれば錆びた檻と、小袖と袴に身を包んだ看守が鍵を開けているのが見えた。
看守は玄房の枷を外して、また檻の外に出る。
「さあ出ろ。時間だ」
そう命じられ、玄房は倦怠感を押し殺して従った。下手に反発して刀で真っ二つにされるのは御免だ。牢の外には、ぞろぞろと奴隷たちが行進していた。どうやら自分は最後らしい。
看守に背中を蹴られながら、石造りの通路を歩き、まもなく広大な空間に出た。穹窿とした空間で、そこかしこに通路の入り口がある。通路を出入りする奴隷たちの服は土と炭で薄汚れ、手足は赤黒く滲んでいた。
この採掘場は古い文明の遺跡であり、過去の遺物を発掘できる場所なのだ。
他の囚人が言うには、強力な力を持った王の墓だったのではないかと考えられているそうだ。
この採掘場で働く奴隷は例外なく犯罪者である。罪の重さに関係なく、地上で罪を犯した者は採掘場へ送られてしまう。そして罪人は国の奴隷となる。それが、この国の法だ。
玄房はツルハシ一本のみを持たされて、穴の一つに蹴り入れられた。
「ぐっ!」
とっさのことで躓いてしまい、思いきり膝を切ってしまう。
すかさず看守の鞭が背中の肉を裂いた。
「あああああああっ!」
「もたもたするな! さっさと歩け! それともなんだ、お国の為に命すら差し出せないってのか? 汚れた魂一つも惜しいってのかあ!」
「なんだよ。道の整備が不十分だった所為だろ。ちくしょう」
もう二度、鞭が撃ち込まれた。
背中の肉が擦り減ったのが分かる。炎の蛇が背中を這いずり回っているようだ。
玄房は震える手足を死に物狂いで動かして立ち上がる。これ以上もたもたすれば、本当に命を国に捧げることになる。ふざけんじゃねぇ。
それから、猫に転がされる鼠のように穴の奥へ進んだ。
掘る場所は昨日の続きから。道中、奴隷たちは様々な仕打ちを受けていた。
鞭は呼吸するように振るわれ、髪をつかまれ壁に打ち付けられる者や、好色な看守に弄ばれているものもいる。土と汚物と血の匂いが湿気と混ざり、酷い臭気が鼻腔を抉った。
それら残虐な行為を玄房は見て見ぬふりして、そそくさと自分の持ち場へ向かう。
そうして持ち場に着くや、錆塗れのツルハシを振り上げ、壁面に叩きつけた。石を砕く感触がツルハシを伝って、破壊の振動は背中の傷に追い打ちをかける。その痛みを噛み締め、また振り下ろす。
この鉱山に入って、早……十年ぐらいだろうか? 時間の感覚があやふやな場所なので正確な日数は不明だ。十代の時に入ったから、自分もそろそろ二十になるのだろうか?
八百屋の果物を盗んだだけでこの有り様だ。慈悲の一つもかけちゃくれない薄情な世界である。確かに罪を犯し、その罰を受けさせるのは必要なことだ。だからといって人権を無視した刑罰は度が過ぎるだろう。
◆
育ちは郊外にある巨大な湖の漁村。父は水の事故で死んで、母は海女として働き、あとは弟と妹が一人ずつ。
貧乏ではあったけれど、貧困ではなかった……いや、やっぱり貧困でもあったのだろう。
なんせ、もっぱら食事は山菜を入れた粥か干し魚ばかり。衣類の類は母のお手製ではあったが、出来はひどいものばかり。自分や弟妹のあばらは浮き出て、腹はすこし張り出ていた。腹水と呼ばれるものだ。
幸せとも不幸とも言えない微妙な生活。子供にできる仕事など限られてるから、虫を追いかけたりして遊んでいた。特別な楽しみも無く、特別な苦痛も無い。
一度だけ、町へ出向いたことがあった。十歳を迎えたら、近場の町まで出向いて、そこにある寺院で洗礼を受ける必要がある。転生した人の子が悪に落ちないよう、寺院の僧侶が十歳の子供に洗礼を行い、あらためて身を清める。弟妹は村の知人に預け、玄房は母と二人で町にやってきた。
盗みを働いたのは、その時だ。
「一休みしましょ。遠くに行っては駄目よ」
洗礼を受ける前のことだ。町に来たばかりで母と共に一休みしていたとき、玄房は母の傍を離れて、色鮮やかな野菜が並ぶ店の前までやってきた。その中でも一際目を引いたのは、赤い果物の棚──その果物が林檎という名前の果物だと知ったのは、兵士に取り押さえられた後だった。
「愛してるのに……愛してるのに……どうして、言うことを聞いてくれないの」
母が泣き崩れ、兵士に泣いて謝っていたのを今でも覚えている。
洗礼を受ける前の子供が悪を成した場合、その罪は極めて重く見られる。輪廻転生の末に人間に転生して尚、罪を人の身に持ち込んだということは、地獄で償いきれなかった罪を現世に持ち込んでしまった、とされるため重く見られてしまうのだ。
これが、奴隷に落ちた経緯──長々と回想する必要すらない些末な悲劇である。




