第9話「焦燥に駆られるかつての主」
王都の中心にそびえ立つ、白亜の壁を誇っていた巨大なクラン本部。
かつては栄華の象徴として周囲の羨望を集めていたその建物は、今や見る影もなく薄汚れ、沈痛な空気を漂わせていた。
磨き上げられていた大理石の床には泥の足跡がこびりつき、誰も拭き取ろうとする者はいない。
天井から吊るされた華やかなシャンデリアは、いくつかの魔石が寿命を迎えて光を失い、蜘蛛の巣が銀糸のように絡みついている。
執務室の重厚な扉の奥から、硬い木材がへし折れる鋭い音が廊下へと響き渡った。
「また依頼の取り消しだと。これで今月に入って何度目だと思っている」
レオンは赤く血走った目で、足元に散らばった書類の残骸を睨みつける。
彼の拳は赤く腫れ上がり、叩き割られた黒檀の机から木片が床へ転がり落ちた。
かつて彼を美しく飾っていた金糸の刺繍入り上着は、手入れがされずにほつれ、袖口には黒ずんだ染みがこびりついていた。
部屋の隅で身を縮めている若い事務員の男は、恐怖に顔を引きつらせながら、震える両手で新しい羊皮紙を差し出している。
「も、申し訳ありません。ですが、商業ギルドからの通達は絶対です。過去三件の護衛任務における無断放棄と、それに伴う損害賠償の支払いが滞っていることを理由に、我がクランの口座は本日をもって凍結されました」
「ふざけるな。僕たちがどれだけの魔物を狩り、この王都に貢献してきたと思っている。一時的な資金の目詰まりくらいで、掌を返すというのか」
レオンは差し出された羊皮紙をひったくり、乱暴に引き裂いて宙へ放り投げた。
破片が雪のように舞い落ち、足の踏み場もないほど散らかった床の地層の一部となる。
事務員の男は怯えたように目を伏せ、小さく後ずさりをした。
「それだけではありません。給金の支払いが止まったことで、下働きの者たちは今朝までに全員姿を消しました。残っているのは、レオン様に近しい数名の戦闘員のみです」
「出て行け。どいつもこいつも、目先の金のことしか頭にない愚か者ばかりだ」
レオンが低く唸ると、事務員の男は逃げるように執務室を後にした。
静寂が戻った部屋の中で、レオンは荒い息を吐きながら壁際の長椅子へ身を投げ出す。
喉が焼け付くように乾いているが、卓の上の水差しは昨日から空のままだ。
彼は両手で顔を覆い、指の隙間から暗い部屋の天井を見上げた。
戦闘には自信があった。
誰よりも速く剣を振り抜き、巨大な魔獣を鮮やかに討ち取る力がある。
民衆の歓声を浴び、英雄として祭り上げられる快感を知っている。
それなのに、なぜ自分の足元から音を立ててすべてが崩れ去っていくのか、彼には理解できなかった。
いや、本当は理解している。
認めたくない現実が、真っ黒な泥のように胸の奥底で渦を巻いている。
レオンはふらつく足取りで立ち上がり、部屋の奥にある古い書類棚へ向かった。
引き出しの取っ手を引き開けると、そこには埃を被った数冊の分厚い革表紙の帳簿が眠っている。
それは、アルドが在籍していた頃に書き残していた過去の業務記録だった。
レオンは震える指先でその一冊を取り出し、無作為にページをめくった。
そこには、定規で引かれたような真っ直ぐな線と、無駄のない美しい文字が規則正しく並んでいる。
いつ、誰が、どの依頼を受け、どれだけの物資を消費し、いくらの利益を生み出したのか。
さらに、武器の損耗率から次回の調達時期まで、組織の血液とも言える情報のすべてが、一枚の紙の上に完璧な秩序をもって構築されていた。
そのページを見つめていると、レオンの耳の奥で、アルドの静かな声が蘇ってきた。
『物資の調達、人員の配置、各ギルドとの交渉。それらが滞れば、どれほど強力な剣があっても錆びる』
あのとき、自分は彼を鼻で笑い、無能な裏方だと切り捨てた。
戦闘に参加できない者は、この華やかな舞台には不要だと。
「……僕が、間違っていたというのか」
かすれた声が、ひび割れた唇から漏れる。
帳簿を握る手に力がこもり、古い紙がくしゃりと音を立てて歪んだ。
その瞬間、彼の胸の中で渦巻いていた後悔と自己嫌悪が、黒い炎のような怒りへと変質した。
己の非を認めることは、レオンの肥大した自尊心が決して許さない。
すべてが崩壊したのは、自分の管理能力が欠如していたからではない。
あの男が、自分を陥れるために意図的に業務を放置して逃げ出したからだ。
組織の急所を握ったまま姿を消した卑劣な裏切り者。
そういうことにしなければ、彼の自我は今にも砕け散ってしまいそうだった。
「アルド。お前の仕業か。僕の築き上げた栄光を、お前は泥で汚した」
レオンは帳簿を床に叩きつけ、血走った目で虚空を睨みつけた。
呼吸が荒くなり、肩が大きく上下に揺れる。
彼の中で、一つの歪んだ結論が急速に形作られていく。
アルドを連れ戻さなければならない。
強制的にでも首根っこを掴み、この机の前に縛り付けて、元通りに働かせる。
彼が再び歯車として回り始めれば、このクランはかつての輝きを取り戻すはずだ。
レオンは執務室を飛び出し、足早に厩舎へと向かった。
廊下ですれ違う数少ない残党たちに、大声で出立の準備を命じる。
厩舎には、世話をされずにやせ細った軍馬が数頭繋がれているだけだった。
干し草の匂いに混じって、糞尿の不快な臭いが鼻を突く。
レオンは自らの手で愛馬に鞍を置き、革紐を乱暴に締め上げた。
馬がいななき、抗議するように前足を上げるが、彼はそれを強引に押さえつける。
集まったのは、かつて彼の取り巻きとして甘い汁を吸っていた三人の剣士だけだった。
彼らの顔にも疲労と焦りが浮かんでおり、装備の手入れも行き届いていない。
それでも、レオンは彼らを率いて王都の門を目指した。
冷たい雨が降り始め、石畳を黒く濡らしていく。
フードを深く被ったレオンの横顔は、雨水に打たれて青白く冷え切っていた。
彼らが向かう先は、数日前に情報屋から買い取ったアルドの滞在先。
王都から遠く離れた、辺境の小さな街だった。
馬の蹄が泥を跳ね上げ、街道に深い轍を刻み込んでいく。
レオンの胸の中には、アルドに対する歪んだ執着と、失われゆく栄光への焦燥感だけが燃え盛っていた。
風景が後ろへと流れていく中、彼はただひたすらに手綱を握りしめ、馬の腹を蹴り続けた。




