第7話「豊かな大地と温かい食卓」
ギルドの裏手には、かつて見向きもされずに放置されていた荒れ地が広がっていた。
アルドは長靴を履き、冷たい土の感触を足裏に確かめながら、丁寧に畝を作っていく。
彼が手にしているのは、街の鍛冶屋で錆を落としてもらった古びたクワだった。
一定の深さで土を掘り返し、森から運ばせた腐葉土を混ぜ込んでいく。
前世で家庭菜園すら経験のなかった彼だが、書庫に眠っていた農術の記録を読み解き、作業工程を細分化することで見事な畑を作り上げていた。
土の湿った匂いと、青々とした葉の香りが初夏の風に乗って鼻腔をくすぐる。
赤みがかった葉を持つ根菜を引き抜くと、ずっしりとした重みが手のひらに伝わってきた。
井戸へ向かい、滑車を回して冷たい地下水を汲み上げる。
木桶の中で泥を洗い落とすと、宝石のように艶やかな野菜の表面が太陽の光を反射した。
裏口の木戸が軋む音を立てて開き、ガイルが大きな麻袋を肩に担いで現れた。
彼の後ろからは、杖を杖代わりにして少し疲れた様子のリュカが続いている。
ガイルが麻袋を厨房の作業台に下ろすと、どすんという重い音が響いた。
「大物だぜ、事務員。森の奥で暴れていた牙猪を仕留めてきた」
「手際が良いですね。傷口を見る限り、一撃で急所を突いたようですが」
「リュカの魔法で足止めをしてくれたおかげさ。こいつの炎は、熱だけを集中させて肉の表面を焦がさないから、毛皮も肉も最高級品として売れる」
ガイルが分厚い手でリュカの肩を叩くと、若い魔法使いは照れくさそうに顔をほころばせた。
アルドは麻袋の紐を解き、鮮やかな赤色をした獣肉の塊を取り出す。
筋肉の繊維が細かく、適度に脂が乗っているのが一目でわかった。
「素晴らしい成果です。今日の夕食は、この肉の半分をギルドで買い取り、皆でいただきましょう」
アルドの提案に、二人の顔がパッと明るくなった。
厨房に立つアルドの手の動きは、書類を捌くときと同じように無駄がなかった。
研ぎ澄まされた包丁が、筋を避けて滑らかに肉を切り分けていく。
表面に岩塩と砕いた香草をすり込み、熱した鉄板の上へ並べた。
肉の脂が溶け出し、熱い鉄の上で細かく跳ねる音が厨房を満たす。
獣肉特有の臭みは香草の爽やかな匂いにかき消され、食欲を強く刺激する芳醇な香りが漂い始めた。
傍らでは、先ほど収穫したばかりの根菜が、澄んだ地下水と少量の塩だけで柔らかく煮込まれている。
◆ ◆ ◆
日が落ち、執務室の各所に置かれたランプに火が灯された。
大きな長机の中央には、切り分けられた厚切りの肉と、色鮮やかな野菜の煮込みが大皿に盛られている。
セリアが木の小鉢を配り終えると、全員が席についた。
王都のクランでは、食事は単なる栄養補給の作業でしかなかった。
上の者が豪華な食事を独占し、下働きは残飯のような冷たいスープをすする。
しかし、ここには階級による壁も、いがみ合いも存在しない。
「いただきます」
セリアの声を合図に、木製の食器が触れ合う音が室内に響き始めた。
ガイルが大きな肉の塊を口に運び、満足そうに深い息を吐き出す。
リュカは煮込まれた根菜の甘みに目を丸くし、何度もうなずきながら咀嚼している。
アルドは自分の席から、彼らの様子を静かに眺めていた。
前世での彼の夕食は、常に冷たいものだった。
誰もいない薄暗い部屋で、発光する画面を見つめながら、味気ない加工食品を喉の奥へ流し込むだけの日々。
誰かと食卓を囲み、美味しいという感情を共有することが、これほどまでに心を穏やかにするものだと、彼はこの世界に来て初めて知った。
「アルドさん、ご自身も食べないと冷めてしまいますよ」
セリアが微笑みながら、彼の器に温かい煮込みを取り分けた。
立ち上る湯気が、アルドの顔を優しく包み込む。
彼は礼を言い、フォークで肉を一口大に切って口へ運んだ。
噛み締めるたびに、あふれる肉汁と香草の風味が口の中を満たしていく。
それは、高級なレストランの味とは違う、大地と生命の力強さを直接取り込んでいるような深い味わいだった。
『これでいい。私は、この場所を守りたい』
アルドは心の中でそっとつぶやいた。
窓の外では夜風が静かに木々を揺らし、暖炉の火が赤々と部屋を照らし続けている。
満ち足りた食事と、仲間たちの穏やかな笑い声。
彼が長い旅の果てに見つけた、最高に贅沢で温かい居場所がそこにあった。




