第5話「泥濘を抜ける足音」
ギルドの裏手に増設された簡素な厨房に、香草と獣肉を煮込む芳醇な匂いが満ちていく。
アルドは使い込まれた木杓子を握り、大鍋の底に具材が焦げ付かないよう一定のリズムで掻き混ぜていた。
石造りの暖炉では赤々と火が燃え上がり、熱を帯びた薪が時折短く爆ぜる音を立てる。
まな板の上には、辺境特有の泥を被った根菜が水で洗われ、等間隔に切り揃えられて出番を待っていた。
アルドは手際よくそれらを鍋へ滑り込ませ、小袋から取り出した岩塩を指先で丁寧に振り入れる。
煮汁の表面に浮かぶ灰汁をお玉ですくい取ると、スープは琥珀色の澄んだ輝きを放ち始めた。
前世の記憶にある孤独な自炊の経験が、ここに来て冒険者たちの胃袋を支える技術として役立っている。
彼は火加減を少し落とし、味を馴染ませるために鍋へ木蓋を被せた。
表の執務室の重い扉が開く音が聞こえ、アルドは手を拭って厨房を出る。
入り口には、土にまみれた外套を羽織ったガイルとリュカが立っていた。
二人の靴底には街道の泥がこびりつき、歩くたびに床へ乾いた土を落としている。
しかし、その足取りに以前のような重苦しい疲労の色はなかった。
「戻りました。本日の討伐依頼、すべて完了です」
リュカが胸を張り、手にした麻袋をカウンターの上へ置く。
袋の中からは、魔獣の討伐部位が互いにぶつかり合う硬い音がした。
「ご苦労様でした。怪我はないようですね」
「ああ。この坊主が後ろで的確に火を飛ばしてくれるおかげで、俺は前を向いて剣を振るうだけで済んだ。拍子抜けするくらい簡単な仕事だったぜ」
ガイルは外套の留め具を外し、乱暴に椅子へと腰を下ろした。
背中から下ろした大剣を自身の膝の上に置き、汚れた刃を大切そうに布で拭い始める。
かつて酒瓶を握りしめていたその手は、今は己の武器を手入れすることに喜びを見出しているようだった。
アルドは二人の様子を静かに観察し、うなずく。
「事前の索敵と役割分担が機能した証拠です。装備の重量バランスを調整した効果も出ているようですね」
「違いねえ。剣が腕の一部になったみたいに軽いんだ。昔の勘が、指先まで戻ってきているのがわかる」
ガイルの口角が上がり、白い歯が覗く。
リュカも自分の杖を握りしめ、安堵の息を長く吐き出した。
アルドは厨房へ戻り、温めておいた木製の深皿にスープをたっぷりと注ぐ。
硬く焼かれた黒パンを添えて、二人の座る卓へと運んだ。
器から立ち上る湯気が、冷えた冒険者たちの顔を優しく包み込んだ。
「まずは体を温めてください。報告書の処理は私がやっておきますので」
「悪いな、事務員。あんたの飯は、王都の高い酒場よりよっぽど五臓六腑に染み渡るぜ」
ガイルは木匙を使わず、器に直接口をつけてスープを喉の奥へ流し込んだ。
リュカは黒パンを小さくちぎり、煮汁に浸してゆっくりと咀嚼している。
彼らの顔に血色が戻り、強張っていた肩の線がなだらかに下りていく。
食事という最も原始的な報酬が、彼らの肉体だけでなく心までも修復していく過程を、アルドは静かに見守った。
同じ頃、王都の巨大なクラン拠点では、重苦しい空気が廊下を満たしていた。
アルドがかつて使用していた執務室の机には、処理されないまま放置された書類が雪山のように積み上がっている。
その前で、華やかな上着を着崩したレオンが、苛立たしげに羊皮紙を丸めて床へ投げ捨てた。
「なぜ、東の森の討伐報酬がまだ支払われていない。昨日までに金貨を用意しろと指示したはずだ」
「も、申し訳ありません。ですが、各ギルドからの請求書の書式がバラバラで、どれがどの案件のものか照合が追いつかず……」
新しい事務担当として引き抜かれた若い男が、震える声で弁明する。
彼の顔には脂汗が浮き、手元の書類を握る指先は小刻みに震えていた。
レオンは鋭い視線で男を射抜き、机を強く叩く。
「言い訳は聞きたくない。僕たちが命を懸けて魔物を狩っているというのに、裏方の君たちがその足を引っ張ってどうする」
「しかし、以前はアルド様が独自の分類法でこれらの帳簿を管理されており、我々にはその法則が全く読み解けないのです。どの引き出しに過去の記録があるのかすら把握できておらず……」
男の言葉に、レオンの眉間へ深いしわが寄った。
あの無能な男が、これほどまでに複雑な手順を一人で抱え込んでいたというのか。
レオンの胸の奥に、得体の知れない焦燥感が黒い染みのように広がり始める。
彼は荒々しく立ち上がり、窓の外へ目を向けた。
王都の街並みはいつもと変わらず華やかだが、自分の足元にあるはずの強固な土台が、音もなく崩れ始めているような錯覚に陥る。
『たかが事務作業だ。誰にでも代わりは務まるはずだ』
レオンは唇を噛み、自分自身へ言い聞かせるように息を吐いた。
しかし、足元に散らばった丸まった羊皮紙たちは、彼の思い通りには動いてくれない。
歯車から潤滑油が失われ、金属同士が削れ合いながら無理やり回っている不快な摩擦音が、彼の耳の奥で鳴りやまなかった。




