第2話「辺境に吹き込む新しい風」
馬車から降り立つと、王都とは明らかに異なる空気が肺を満たした。
少し冷たく、土と木々の匂いが強く混ざり合った風だ。
建物はどれも古びており、壁の漆喰が剥がれかけているものも目立つ。
行き交う人々の服も洗練されてはいないが、どこか生活の力強さを感じさせた。
アルドはカバンの紐を締め直し、街の中心へと歩き出す。
目指すのは、この街のギルドだ。
旅の資金を稼ぐため、あるいは新しい生活の足がかりを見つけるため、まずは現状を把握する必要があった。
ギルドの看板は、風雨にさらされて文字がかすれかけていた。
扉を押すと、錆びた蝶番が耳障りな音を立てる。
室内に一歩足を踏み入れた瞬間、アルドは足を止めた。
懐かしい、そしてひどく不快な「あの匂い」が漂ってきたからだ。
それは、放置された古い紙と、乾燥しきったインク、そして人間の疲労が混ざり合った匂いだった。
受付の奥にあるカウンターには、山のような羊皮紙が文字通り崩れかかっている。
その隙間から、辛うじて一人の若い女性の頭が見えた。
彼女は髪を振り乱し、羽ペンを握ったまま硬直している。
目の下に濃い隈を浮かべたその表情は、前世で徹夜を重ねたときの自分を見ているようだった。
「あの、失礼します」
アルドが声をかけると、彼女はびくりと肩を揺らし、持っていたペンを落とした。
ペンが机の上を転がり、書類の山に遮られて止まる。
「あ、はい。申し訳ありません。新規の依頼でしょうか。それとも、登録の……」
彼女の声はかすれており、言葉がうまくつながっていない。
視線は定まらず、手元にある書類のどれを見ればいいのかさえわかっていない様子だった。
「いえ、登録ではなく、少し様子を見に立ち寄っただけです。……かなり大変なようですね」
アルドはカウンターの横から、奥の執務スペースを盗み見た。
床にまで書類が散乱している。
依頼書、受領書、予算の報告書が区別なく混ざり合い、地層のようになっている。
これでは、どの依頼が現在進行形で、どれが完了しているのかを把握することさえ不可能だ。
「そう、なんです。前任のギルドマスターが急にいなくなってしまって。私が引き継いだのですが、何がどこにあるのか全くわからなくて」
彼女は頭を抱え、机に突っ伏した。
セリアと名乗ったその若きギルドマスターは、今にも泣き出しそうな声を絞り出す。
「冒険者たちからは、報酬の支払いが遅いと怒鳴られ、領主からは収支報告の提出を急かされ、もう、どうしたらいいのか」
アルドは彼女の姿を見つめる。
王都のクランで傲慢に振る舞っていたレオンたちの顔が浮かび、それから目の前の、責任感に押し潰されそうな少女の姿を見る。
自分の体に染みついた、前世と今世の「事務員の性」が、静かに疼き始めるのを止めることができなかった。
「もしよければ、少し手伝いましょうか」
「え?」
セリアが顔を上げ、信じられないものを見るような目でアルドを見つめた。
「私は以前、王都の組織で事務仕事をしていました。この手の書類の整理には、少しばかり心得があります」
「でも、あなたにそんな労働を強いるわけには……」
「ただの通りすがりのお節介ですよ。それに、このままではあなた自身が倒れてしまう」
アルドはカバンを床に置き、上着の袖を丁寧に捲り上げた。
時計はないが、外の光から見て日はまだ高い。
彼はカウンターの奥へと足を進め、床に落ちている一枚の羊皮紙を拾い上げた。
それは、三ヶ月前の日付が書かれた、すでに期限切れの薬草採取の依頼書だった。
「まずは、分類から始めましょう。セリアさん、私に大きな箱を三つ用意してください。それと、乾いた布を」
アルドの落ち着いた声に、セリアは弾かれたように立ち上がった。
その目には、微かな希望の光が宿り始めていた。
アルドはまず、机の上の書類をすべて床の広いスペースへと移動させた。
そして、用意された三つの箱に、それぞれ「未処理」「処理中」「完了」というラベルを貼っていく。
彼の指先は無駄なく動き、羊皮紙の日付と内容を瞬時に読み取って、それぞれの箱へと振り分けていく。
セリアはその様子を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
彼の動きには、迷いが一切なかった。
まるで、混沌とした世界に一本の線を引いていくかのような、確かな足取りだった。
「これは去年の予算書ですね。保管庫へ移動させます。こちらは、冒険者からの苦情ですか。後回しにしましょう。まずは、今日中に支払うべき報酬の確認から行います」
アルドの声が、静まり返ったギルド内に響く。
その声は、セリアにとって暗闇の中で聞こえる、何よりも心強い足音のように感じられた。
埃が舞う中、アルドはただ黙々とペンを走らせ、山を崩していく。
辺境の小さなギルドに、新しい管理の風が吹き込み始めた瞬間だった。




