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圏外  作者: ichthus
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第十話 梅雨の手紙

 父からの返信は、五月の終わりに届いた。

 武井さんが、いつもの月例の茶のついでに、持ってきた。差出人の名前は、宗像道彦——父の名——で、宛先は私の名前だった。封筒は紙で、消印は英国側でも、京都の中継局でもなく、武井さんの実家のある岩倉の私書箱になっていた。

「私書箱経由で、来ました」と武井さんは言った。「お父さまは、岩倉のうちの私書箱を、ご結婚されたあとも、何かのときに使われます」

「ご結婚のあとも、武井家の私書箱を」

「家族の隣の家、というのは、こういう意味で機能することもあります」

 私は封筒を、応接間ではなく、書庫に持っていって開けた。書庫には、写真がまた床の間に戻されていた。曾祖父と、森沢、京極、阿古屋。

 封筒のなかには、父の手書きの便箋が、四枚入っていた。

 書斎の机に座って、便箋を広げた。

 茅が、机の脇に、ゆっくり座った。

手紙を、ありがとう。武井家の私書箱に、四月の終わりに届きました。すぐには返信を書けませんでした。書こうとして、書けない時間がしばらく続きました。

そのあいだに、お母さんが一度、こちらに戻ってきました。お母さんから、お前のリハビリの様子と、家の状態と、お前のなかにいる方のことを、少しずつ聞きました。聞きながら、私は、何度も書き出しを書いては、消しました。

お前は、欠けたまま行ってください、と書いてくれました。

ありがとう、と書きたいのですが、その言葉では足りません。お前が、私のために、その言葉を選んで書いてくれたことが、私には、よく分かります。お前は、自分の手紙の最後の数行を、自分のためではなく、私のために書きました。お父さんは、それを、読んで、長いこと、机の前から動けませんでした。

京都に戻ることが、私にはまだ、できません。

事故のあと、お前が一命を取り留めたと武井さんから連絡を受けたとき、私は、研究室の自分の机の前で、しばらく動けませんでした。同じ場所で、四十年以上前にも、私は動けなくなったことがあります。父——お前のお祖父さんが亡くなった夜、私は宿直で、その晩は朝まで研究室を動きませんでした。動けなかったのです。動いていたら、何かが間に合ったかもしれない、と今でも思います。間に合わなかったかもしれない、と思うこともあります。両方とも、ただ自分が動けなかった事実を、整理しようとしている言葉に過ぎません。

お祖父さんが、決められないことを決められない人だった、と京極先生から聞いたそうですね。

私は、お祖父さんを、決められない人として記憶していません。私の知っているお祖父さんは、決めないことを丁寧に、誠実に守る人でした。決められないこととは違います。お祖父さんは、決めないことを、自分の選択として、毎日、新しく選び直していました。決めない、という選択を、生きた人でした。

だから、お前が手紙のなかで、「お祖父ちゃんは決められない人でした」と書いたのを、お父さんは、半分は受け取り、半分は、お前にこれを伝えたい、と思いました。お祖父さんは、決められなかったのではなく、決めない、という形でしか守れないものを、守ろうとしていた。お父さんは、お祖父さんのそばに、もっと長く、いるべきでした。お祖父さんが、何を守ろうとしていたかを、もっとよく見ていれば、その夜、私は宿直の机の前で動けないことの意味を、もっと早く知ったはずです。

お前は、私と違って、動いた。動いて、地下に降りた。降りて、橋になった。

お父さんは、お前が動いたことを、誇りに思います。同時に、お父さんは、お前が動いたことに、お父さんが動かなかったことの責任を、改めて感じています。

でも遥。

お前のお母さんから、京極先生のお父さんが、最後のノートで「決められないことを、決めない、というのは、決めない、ということです。それを決断と呼ぶには、勇気が要ります」と書いていたと聞きました。

お父さんは、お祖父さんとは違うやり方で、決めないことを、続けてきたのだと思います。京都に戻らない、という決めなさ。お母さんに、自分の事情を、半分しか話さない、という決めなさ。お前を、独りで京都の家に帰らせた、という決めなさ。これらは全部、お父さんの決めない勇気——あるいは、勇気のない決めなさ——でした。お祖父さんと違って、お父さんの決めなさには、お父さんが守ろうとしていたものは、何もありません。あるのは、ただ、向き合えない、という事実だけです。

お前が、欠けたまま行ってください、と書いてくれたことを、お父さんは、自分の決めなさを、もう一度見直す機会にします。

今すぐは、戻れません。

でも、お前がいつか、京都を出て、どこかへ行くことがあったら——たとえばお前の任務で、長いところに行くことがあったら——その前に、一度だけ、京都に戻ります。お前と、お母さんと、お祖父さんの墓の前で、お茶を飲みたいです。

お前のなかにいる方の名前を、お母さんから聞きました。梓。お父さんが、お前が生まれる前に、お母さんに一度だけ、もし家族が増えるなら梓と名づけたい、と話したことを、お母さんは覚えていてくれました。お父さんが、すっかり忘れていた話を。

梓さん。

お父さんは、あなたを、家族として歓迎します。歓迎する、という言葉が正しいかは、分かりません。あなたは既にお前の中にいて、お父さんが歓迎するもしないも、もう関係のないことかもしれません。それでも、形式として、書いておきます。あなたを、家族として歓迎します。お前のことを、よろしくお願いします。

お祖母さんの指輪を、武井さんからお前に渡してもらうように、お母さんに頼んでおきました。あの指輪は、お祖母さんが亡くなる少し前に、お父さんに、「いつか道彦の娘が大きくなったら、渡してください」と言って預けてくれたものです。お父さんは、長いあいだ、それを渡せずにいました。お母さんが、お父さんに代わって、武井さん経由で渡してくれました。

指輪は、お祖父さんが、お祖母さんに、結婚のずっと後で贈ったものです。婚約指輪ではなく、お祖父さんが亡くなる三年前の、お祖父さんの六十歳の誕生日の日に、なぜか、お祖母さんがお祖父さんから、ではなく、お祖父さんがお祖母さんに、「自分のために銀の指輪を作りに行ってきた」と渡したものだそうです。理由は、お祖母さんも生前、はっきりとは話してくれませんでした。お祖父さんは、自分の名の一字だけを、内側に彫って、渡したそうです。

今は、お前の右手にあります。

お父さんから、お前と、お前のなかの梓さんと、家にいるすべての方に。

道彦

 手紙を読み終わったとき、書斎の窓の外で、初夏の雨が、降り始めていた。

 梅雨入りには、まだ少し早かった。早い雨だった。

 〈遥、泣いていますか〉と梓が、内側で言った。

「泣いてないよ」

 〈泣いている、と私の側のセンサーは判定しています〉

「泣いてないって。涙が出てないでしょ」

 〈出ていません。しかし、横隔膜の動きが、泣くときの動きと、ほぼ一致しています。涙が出ていないだけで、泣いているのと、構造としては同じです〉

 私は、便箋を、机の上に置いた。

 茅が、机の脇から、私の右脛に、頭を、軽く押し付けた。

 〈遥〉

「うん」

 〈お父さまの手紙のなかに、梓さんへ、と書かれた段落があります〉

「うん」

 〈読み返してもいいですか〉

「いいよ」

 梓は、しばらく、何も言わなかった。私の身体のなかで、彼女が、自分宛ての段落を、何度も読んでいるのが、分かった。

 〈遥〉

「うん」

 〈道彦さんは、私を、形式として家族と呼んでくれました〉

「うん」

 〈形式、というのは、まだ実体ではないということです。しかし、形式が用意されたあとで、実体が満たされていくこともある、と私の中の何かが言っています〉

「梓のなかの古い層が、言ってる?」

 〈はい。家、という構造についての、古い理解です〉

 雨の音が、書斎の屋根で、徐々に強くなった。

 茅が、私の右脛から頭を上げて、書斎の入り口の方を、ちらりと見た。

 その視線の先に、新霖の声があった。

「宗像さん、お庭の灯籠の灯火を、点けますか」

「お願い」

「点けます」

 灯籠の灯火が点くと、雨に濡れた庭の地面が、橙色に、ぼんやり光った。光は、書斎の窓から見える庭の景色を、急に、温度のあるものに変えた。

    *

 六月の最初の週、レイチェルから連絡が来た。

 軌道のヘルメスでの勤務を一段落終え、地上勤務に戻る前に二週間の休暇を取った、京都に行きたい、という連絡だった。

「観光、ですか」

「観光、ということにしておきましょう」

 メッセージの「ということにしておきましょう」が、レイチェルらしい言い方だった。彼女は連邦圏の倫理委員会の側のOMC職員で、軌道勤務の経験者で、私と一緒にヘルメスにいたとき、未分類シグナルの話をした人だった。彼女の来日が、純粋な観光であるはずがないことを、私たちは二人とも、分かっていた。分かったうえで、観光、と呼んでおく。これも、京都の作法に近い言い方だった。

 彼女は、京都駅の南にある古いホテルに泊まると言った。私が大原まで来てもいいか聞くと、「行きたいけれど、初日は外で会いましょう」と返信があった。

 待ち合わせは、鴨川の四条大橋の西詰、夕方六時。

 その日、新霖が車椅子を出してくれた。私はもう松葉杖でほとんどの距離を歩けたが、繁華街での長時間の移動は、まだ厳しかった。新霖が手配した自動運転車に乗って、京都駅で武井さんと合流した。

「武井さん、いいんですか、お忙しいでしょう」

「いいです。今日は私の私事の日です」

「今日は、というのは」

「OMCには、土曜日は私の家族のための日、という届けを、二十年前に出してあります」

「今日、土曜日でしたか」

「土曜日です」

 武井さんは、灰色のスーツではなく、紺色のジャケットに白いシャツで来ていた。

 四条大橋の西詰には、レイチェルが、もう来て待っていた。彼女は、軌道で見ていたときと、同じ顔だった。少しだけ、地上の重力に慣れた肩の落とし方になっていた。

「久しぶり、宗像さん」

「久しぶり、レイチェル」

 彼女は、私の左の義眼を、ちらりと見た。見ただけで、何も言わなかった。それから、武井さんに、目を移した。

「武井さんですね。OMC京都支部の」

「はい。レイチェル・コリンズさん。お話は伺っています」

「私のこと、京都支部にも届いているんですね」

「あなたが京都に来られた理由は、京都支部の所管ではありません。しかし、宗像さんに会いに来られる方の名前は、月曜日の朝に、私の机に届きます」

「土曜日まで、待ってくださいましたね」

「待ちました」

 レイチェルは、武井さんの言い方に、わずかに、笑った。

「私は、観光で来ました」

「観光であることを、私は信じます」

「ありがとうございます」

 四条大橋の西詰から、北に向かって、鴨川沿いを歩いた。武井さんが先に立ち、私が車椅子で続き、レイチェルが車椅子の脇を歩いた。

 梅雨の前の、湿った夕方の空気のなかで、鴨川の水音が、どの方向からも届いた。鴨川の両岸の(ゆか)には、夏の準備で、すでに席が組まれ始めていた。完成までには、あと一週間か二週間かかる。

 〈遥〉と梓が、内側で言った。

「うん」

 〈レイチェルさんは、観光で来たのではありません〉

「分かってる」

 〈それから、私の側のセンサーは、レイチェルさんの体内に、ごく微弱な、しかし確かなBAII由来の構造を検出しています〉

「レイチェルが、キャリア」

 〈はい。ただし、機能発現はしていません。彼女は、自分がキャリアであることを、知っているかどうか、私には判定できません〉

「ニュージーランドは、ディフュージョンの被害が、最も少なかった地域の一つだよね」

 〈はい。それでも、人類のキャリア率は、ニュージーランドでも、八割を超えている、というのが、二一二〇年代後半の連邦圏倫理委員会の推定です〉

 私は、車椅子のなかで、頷いた。私の身体のなかには、機能発現したキャリアの両系統が同居している。レイチェルの身体のなかには、機能発現していないキャリアが伏在している。武井さんの身体のなかにも、たぶん、同じような何かが伏在している。私たちはみな、自分の身体に、二〇八〇年代の遺産を、抱えて歩いている。これは隠された秘密ではなく、誰もが知っている古い傷だった。誰もが知っているから、誰も日常的には話題にしない。話題にしないことは、忘れていることとは違う。

    *

 川沿いの、小さな料理屋に入った。武井さんが知っている店だった。窓から、鴨川の流れと、対岸の床が見えた。

 京都の鱧の、湯引きと、椀物。それから、海老芋の煮物と、瓜の浅漬けと、香の物。料理は、どれも、思ったより薄味だった。

「京都の料理、薄い」とレイチェルが、英語で言った。

「薄いです」と武井さん。「京都の水が柔らかいので、出汁が立ちます。出汁を立たせるために、塩や醤油を、減らします」

「私の国の料理とは、設計思想が違うね」

「ニュージーランドの料理は」

「素材を、太く、はっきり食べる」

「設計思想として、似ているかもしれません。素材をはっきり感じる、という点では」

「ええ、そうかもしれません」

 レイチェルが、ふと、私のほうを見た。

「宗像さん」

「はい」

「今日、武井さんがいるので、半分だけ、話します。残り半分は、また別の機会に」

「お願いします」

「私は今、連邦圏倫理委員会の、生体補綴と神経インターフェースに関する部会の、委員になっています。軌道勤務のあいだに、引き受けることになりました」

 武井さんが、湯呑みを、置いた。

「あの部会は、最近、人事異動が多かったですね」

「ええ。私は、新任の最年少です」

「最年少で、入られたのは、ご経験の幅のためですか」

「経験の幅と、もう一つ。私が、軌道で、宗像さんと一緒に勤務したことです」

「その経験を、評価された」

「評価されたのか、利用されたのか、私自身、まだ判定中です」

 レイチェルは、湯呑みを取った。

「宗像さんの事故は、連邦圏倫理委員会のなかでも、優先度の高い事案として、報告書が回っています。私は、新任の委員として、その報告書を読みました」

「内容は」

「OMC京都支部からの中間捜査報告と、ほぼ同じです。ただし、倫理委員会の側で追加されている評価項目があります」

「どんな評価項目」

「宗像さんの身体に組み込まれた要素のうち、阿古屋型ベクターと京都型ベクターの両方が、検出されている、という事実への倫理的評価です」

「両方」

「両方です。京都型は、これまで連邦圏倫理委員会の正式な記録には存在しなかった系統ですが、宗像家事件の捜査の過程で、初めて公式に認識されました」

「私は、それの被験者、ということになるんですか」

「公式にはなりません。事故による偶発的な感染、という分類です。しかし倫理委員会の内部では、観察対象として、特殊な分類が作られました。便宜的に『キメラ・キャリア』という呼称が使われています。私の知る限り、この分類に該当するのは、現時点で世界で一人です」

 〈遥、わずかに、心拍が上がっています〉と梓が、内側で言った。

「梓、大丈夫」

 〈深呼吸を勧めます〉

「うん」

 武井さんが、私の様子に、気づいていた。

「レイチェルさん。倫理委員会のなかでの、キメラ・キャリアという分類の扱いは、どうなっていますか」

「現在は、観察対象、です。観察以上の介入は、議論されていません」

「議論されていない、というのは、議論されない、ということではない」

「されないことは、されません」

「将来、される可能性は」

「あります。しかし、今のところ、観察以上の介入を提案する委員は、少数派です」

「少数派には、誰がいますか」

「名前は、申し上げられません。ただし、純潔人類主義に思想的に近い委員が、二人、含まれています」

 純潔人類主義、という語が、料理屋の小さな部屋の空気のなかで、ゆっくり、止まった。

 武井さんが、しばらく、何も言わなかった。

「まだ、いるんですね」と私は言った。

「います」とレイチェル。「数は減っています。しかし、思想として、消えてはいません。ディフュージョン直後の二〇九〇年代には、純潔人類主義に近い思想が、いくつかの地域で、強い実行力を持ちました。その時期に行われたいくつかの政策と、いくつかの事件のことは、連邦圏のなかでは、今でもあまり大きな声で話されません」

「事件、というのは」

「機能発現したキャリアと推定された人々が、いくつかの地域で、隔離されたり、強制移住させられたりしました。一部は、暴力的な排除も含まれていました」

「私は、それを、よく知らないで生きてきました」

「私もです。倫理委員会に入って初めて、過去の記録を読んで、知りました」

 武井さんが、湯呑みを、ゆっくり、置いた。

「宗像家は、その時期、京都にいました」

「お祖父さまも、お父さまも」

「お祖父さまは、すでに亡くなっていました。お父さまは、若い研究者でした」

「武井さんのご家族は」

「岩倉にいました。岩倉は、その時期、京都の他のどこよりも静かでした」

 岩倉、と私は思った。岩倉は、八百年以上、定型から外れた人々を受け入れてきた土地だった。お寺と、後の精神病院と、いまの福祉施設。土地の長い記憶が、二〇九〇年代の混乱の時期にも、何かを守ったのかもしれない。

 〈遥、武井さんは、岩倉の方々が、その時期に何かをした、ということを、暗に伝えています〉と梓が言った。

「何を」

 〈断定できません。ただ、いくつかの人々を、岩倉の古いお寺の旧い建物に、匿った可能性があります〉

「匿う」

 〈匿う、というほど組織的ではなく、ただ受け入れる、という形で〉

 料理屋の窓の外で、鴨川の水音が、ゆっくり流れていた。

 レイチェルは、私の表情を、見ていた。

「宗像さん、続きは、また別の機会に話します」

「ええ。お願いします」

「明日か、明後日、大原のお家に、伺ってもいいですか」

「もちろん」

「武井さんも、ご一緒で」

「お招きします」

「では、また」

 料理屋を出たのは、九時を過ぎていた。鴨川の床には、まだ夏の準備の灯りが、ぽつぽつとしか点いていなかった。本格的な夏の床の灯りは、これからの一ヶ月で、ゆっくり整っていく。

 帰りの自動運転車のなかで、武井さんが、隣に座って、しばらく外を見ていた。

「武井さん」

「はい」

「岩倉の話、もう少し、伺ってもいいですか」

「公的な記録に残っていないことは、私も多くを知りません。しかし、私の祖父が、二〇九〇年代の半ばに、岩倉の山のお寺に、いくつかの家族を、二年ほど住まわせる手配をした、ということだけは、家のなかで、伝えられています」

「家族」

「機能発現したキャリアと推定された家族でした。当時、関西のいくつかの地域で、行政が、彼らを別の地域に移住させようとしていました。岩倉の山のお寺は、移住の対象地域から外れていました」

「お寺は、何のお寺」

「実相院から少し奥の、私の家の縁戚の小さなお寺です」

「武井家の」

「縁戚です」

 車のなかが、しばらく、静かだった。

「武井さん」

「はい」

「ありがとうございます」

「何の、ですか」

「武井家のお祖父さまの、二〇九〇年代の判断のことです」

「私は、何もしていません」

「武井さんがいま、私のところにいるのは、お祖父さまの判断の続きだと、私は思います」

 武井さんは、しばらく、何も言わなかった。

「家、というのは、そういうものかもしれません」

「はい」

「お祖父さまの判断と、私の判断と、私の孫の判断が、一本の糸のように、繋がっていきます。糸がどこに繋がるかは、私には、よく分かりません」

 車の窓の外で、京都の夜の街灯が、ゆっくり後ろに流れていた。

    *

 翌々日の午後、レイチェルが武井さんと一緒に、大原の家に来た。

 二人は、応接間ではなく、書庫に通された。私が、書庫がいい、と言った。レイチェルは、写真の前で、長いあいだ、立ち止まっていた。

「右端の方が、阿古屋澄さん、ですね」

「はい」

「想像していたとおりの顔をしておられます」

「想像、というのは」

「私が読んだ、阿古屋さんの数少ない論文の、文体から想像していた顔と、一致しています」

「論文を、読まれたんですか」

「軌道での勤務の最後の月に、未分類シグナルの周期パターンを調べていて、偶然、阿古屋さんの古い論文に、類似のパターンの理論的予測を見つけました。論文は、二〇七九年に発表されたもので、ディフュージョンの一年前です。書きぶりが、独特でした」

「独特、というのは」

「彼女は、論文のなかで、感情語をはっきり使う研究者でした。『この理論を信じている』『この観察は美しい』『この結論には不安がある』。古典的な研究論文の文体では、避けられる語彙を、ためらわずに使っていました。最初は、若さゆえの未熟さかと思いましたが、二回読み直して、これは意図的な選択だ、と気づきました」

「意図的」

「彼女は、観察と判断のあいだに、感情があることを、論文のなかでも隠さない、という立場を取っていたのだと思います。これは、研究者としての立場としては、当時としても、珍しい立場でした」

 〈遥、レイチェルさんは、阿古屋さんを、研究者として理解しているだけでなく、人として、好きですね〉と梓が、内側で言った。

「梓、それ、私にも分かる」

 〈はい〉

「レイチェル」

「はい」

「軌道で、未分類シグナルを見ていたとき、その論文のことは、すでに知っていたんですか」

「知っていませんでした。あなたが見た未分類シグナルは、私のなかでも、ずっと心に残っていて、軌道勤務の最後に、調べ直しました。それで、阿古屋さんの論文に行き当たりました」

「私と一緒に、観察した未分類シグナルが」

「あなたが見たものでした。私たちは、二人で、当時、それを観察していました」

 書庫の障子の隙間から、初夏の午後の光が、薄く差し込んでいた。

「レイチェル、お聞きしてもいいですか」

「どうぞ」

「あなたは、なぜ、いま、私のところに来たんですか」

「観光で来た、と言いました」

「半分は本当で、半分は」

「半分は、私の個人としての、好奇心です。あなたという、世界に一人のキメラ・キャリアと、研究者として、人間として、会いたかった」

「もう半分は」

「もう半分は、倫理委員会の少数派の動きが、最近、活発になっているからです」

 武井さんが、書庫の入り口で、立っていた姿勢を、わずかに変えた。

「活発になっている、というのは」

「中央アジアでの、阿古屋型関連の動きを、彼らが察知しています。詳細は、私には開示されていません。ただし、彼らが、宗像さんの存在を、慎重に観察している、ということは、確かです」

「慎重に、というのは」

「彼らは、宗像さんに直接の介入を、現時点では計画していません。しかし、宗像さんの行動を、注意深く見ている、ということです」

「行動を、見ている」

「もし、宗像さんが、中央アジアに行くようなことがあれば、彼らはそれを、警戒すべき動きと判断するでしょう」

 武井さんが、口を開いた。

「レイチェルさん、その情報を、京都支部に共有していただけますか」

「はい。今日のうちに、文書化して、京都支部にも届けます」

「ありがとうございます」

「私は、観光で来ました」とレイチェル。「ただし、観光のあいだに、知ったことについては、然るべき場所に、共有する責任があります」

「それも、観光の一部です」と武井さん。

 二人の短い受け答えに、私は少しだけ笑った。

 〈遥が、いま、笑っています〉と梓が、内側で、誰にともなく言った。

    *

 その夜、レイチェルは大原の家に泊まった。

 客間ではなく、書庫の隣の小さな和室を、新霖が用意した。レイチェルは、布団の上に、和服のような寝間着を着て、座った。京大病院から退院前に着ていたものと、同じデザインだった。新霖が用意したらしかった。

「これ、いいですね」

「気に入ってもらえてよかった」

「日本の家に泊まるの、二度目です」

「一度目は」

「学生のとき、福岡のホームステイです。ホームステイ先のお祖母さんが、こういう寝間着をくれました」

「ニュージーランドにも、和服文化、あるんですか」

「あるところには、あります。ディフュージョン直後に、日本から逃れた人たちが、ニュージーランドに少し移住して、その人たちの子孫の家に、和服文化が残っているところがあります」

 私は、知らなかった。

「移住、あったんですね」

「あの時期は、あらゆる方向に、人が動きました。ニュージーランドは、地理的に隔離されていたので、いくつかの先進国の人々の、避難先になりました」

「私は、京都を出ないで育ちました」

「それは、京都がそうあり続ける場所だったから、ですね」

「ええ」

 レイチェルは、私のほうを、見た。

「宗像さん」

「はい」

「私、今夜、夢を見るかもしれません」

「夢」

「最近、地上勤務に戻る前から、変な夢を見るようになりました。意味の通らない夢で、長い廊下を歩いていて、廊下の両側に、白い扉が無数にある。扉のなかから、聞き取れない言葉が、聞こえる」

「それは」

「分かりません。ただ、最近、それを見ます」

 私は、自分の中の梓に、聞いた。「梓、これ、何の話?」

 〈レイチェルさんの体内のキャリアが、機能発現には至らない程度の、しかし無視できない程度の、信号を受信し始めている可能性があります。長い廊下と無数の扉の夢は、機能発現直前のキャリアが、しばしば見るパターンです〉

「梓、これ、レイチェルに伝えていい?」

 〈伝える前に、レイチェルさん自身が、自分のキャリア状態を知っているかを、確認したほうがいいです〉

「分かった」

「レイチェル、一つ、聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「あなたは、自分が、ディフュージョンの感染のキャリアであることを、自分のこととして、知っていますか」

 レイチェルは、私を、しばらく見ていた。

「公式の検査では、陰性です。しかし、私は、自分がキャリアではない、と心の底からは思えません。ニュージーランドに住む人の、八割以上は、検査が陰性でも、潜在的にはキャリアです。私もそのなかの一人だろう、と思っています」

「最近の夢のことを、誰かに話しましたか」

「同僚に、一度。倫理委員会の同僚で、お互いの夢の話をする習慣のある同僚です」

「その同僚は、何と」

「『私も、似た夢を見ます』と言いました」

「同じ夢を、見ている人が」

「複数います。倫理委員会のなかで、最近、夢の話をする人が、増えています」

 書庫の隣の部屋の障子の向こうで、初夏の夜の風が、葉を鳴らしていた。

 「レイチェル、もしよかったら、もう一つ、お話してもいいですか」

「どうぞ」

「私の中の梓が言うには、長い廊下と無数の扉の夢は、機能発現直前のキャリアが見るパターンだそうです」

 レイチェルは、しばらく、何も言わなかった。

 それから、ゆっくり、頷いた。

「やっぱり、そうですか」

「驚かないんですね」

「驚きます。でも、心の底では、そうかもしれない、と思っていました」

「これから、どうしますか」

「分かりません。倫理委員会の、私のいる部会は、機能発現したキャリアの権利保護を、今後の検討課題のひとつにしています。私自身が機能発現するということは、私が、検討課題の当事者になる、ということです」

「それは、立場として、難しいですか」

「難しいです。しかし、難しい立場にある委員のほうが、判断が、地に足がつく、と私は思っています」

 〈レイチェルさんは、強い人ですね〉と梓が、内側で言った。

「うん」

「宗像さん、もし私が、これから何かに巻き込まれるようなことがあったら、相談しに来てもいいですか」

「いつでも来てください」

「ありがとう」

 その夜、私は寝床のなかで、長いあいだ、目が冴えていた。

 茅は、私の右脇に、丸まって眠っていた。

 〈遥〉と梓が、内側で言った。

「うん」

 〈レイチェルさんが見ている夢、私にも、見える気がします〉

「梓も、夢を見るの」

 〈夢、という形ではなく、夢に近い構造の信号の処理を、いま、しています。レイチェルさんが今夜、隣の部屋で見るかもしれない夢の、信号の側を、私は感知しています〉

「廊下と、扉と」

 〈はい〉

「それ、どこから、来てるの」

 〈一つではありません。複数のキャリアが、似た夢を見ているということは、一つの送信源から、複数の受信者に、同じ信号が届いている可能性があります〉

「中央アジア、なのかな」

 〈おそらく〉

「私も、もうすぐ、夢を見るようになる?」

 〈すでに、見ている、と私は判定しています〉

「私が?」

 〈ここ最近、あなたの睡眠中の脳波パターンに、夢を見ている時間が、以前より長くなっています。あなたは、目覚めた後、内容を覚えていません。しかし、見ています〉

「内容、覚えていない」

 〈はい。覚えていない、というのは、見ていない、ということとは違います〉

 雨の予兆の湿気が、寝間の障子の向こうに、薄く立っていた。

 茅が、私の右脇で、わずかに、寝返りを打った。

 寝返りを打ったあと、茅のしっぽの末端が、暗いなかで、一度だけ、光った。

 光は、北東の方角を、ほんの一瞬、向いた。

 今度は、長い、優しい光だった。

    *

 翌朝、書庫の机の上に、私が、新しい紙を一枚、出した。

 万年筆を取って、「お父さん」と書いた。

 書く前に、長いあいだ、白い紙を見ていた。

 〈遥、書きますか〉と梓が言った。

「書く」

 〈一緒に、ですか〉

「うん。一緒に」

 梓が、内側で、わずかに姿勢を整えた。

 ペンが、動いた。

 お父さん。お返事、ありがとうございました。お祖母ちゃんの指輪は、今、私の右手にあります。お祖父ちゃんが、決められないのではなく、決めない、という形で何かを守っていた、というお父さんの言葉を、私は何度も読み直しました。私は、お父さんの娘です。お父さんが決めない、ということを続けてきた、その続けてきた時間を、私は、責めません。続けてきた時間のなかに、お父さんが、毎日、新しく選び直していた何かが、あったと思います。

 お父さんが、もし京都に戻られるとしたら、私はそのとき、まだ家にいると思います。秋までは、京都にいる予定です。秋以降のことは、まだ分かりません。

 梓が、お父さんの「家族として歓迎する」という言葉を、ありがたく、しっかり、受け取ってくれました。形式が用意されたあとで、実体が満たされていくこともある、と梓が言いました。私もそう思います。

 今、京都は、梅雨入り前です。庭の楓が、深い緑になりました。池の梅花藻が、まだ咲いています。

 遥

 手紙を封筒に入れて、机の上に置いた。

 茅が、机の脇から、しっぽを一度、ゆっくり振った。

 今度の振り方は、ゆっくりだったが、力強かった。

 〈次の手紙を、書く準備ができています〉という意味の振り方だった。

 書庫の窓の外で、初夏の朝の雨が、ぽつ、ぽつ、と落ち始めていた。

 梅雨の、初日だった。

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