ガルウとの話
「まあ、そんな経緯からも、その後、大神宮と新たに据え置かれた大巫女には何者も制約を加えてはならない、という誓約が、大神宮と各国の間で交わされた。そこから大神宮と神樹の地は不可侵領域となった」
エンテは、ユイカと顔を見合わせた。
「ねえ、ガルウさん。その頃の神樹の地って、現在と同じ場所にあったんですか?」
「いや。それがな、五百年前の金糸樹がどこにあったのか記録が残っていないんだ。ただ、大神宮は遷宮されていないから、金糸の森も同じ場所にあったとしか言えん。ただし、一千年前がどうだったのかは謎だ」
「そんなことがあるの? ものすごく大事な木じゃないですか」
「そうなんだよなぁ。そもそも、森の聖乙女というのがどんな人物だったのか、まったくわかっていないんだ」
「その時の森の聖乙女はどうなったんでしょう」
「それも、よくわかっていない。大地母神の声に準ずる大神宮は、遥か昔から大地母神の御遣いであるという森の聖乙女を招く場としてもあったわけだが」
エンテが人差し指を顎に当てて、難しい顔つきでガルウに訊ねた。
「大巫女という方も、それより昔からいたんですか?」
「そのあたりも、あやふやだ」
「じゃぁ、森の聖乙女が大巫女になってもおかしくない?」
「そうだなぁ。無いとは言いきれないな。いずれも金糸樹に関係している女性なんだから」
「金糸樹が最重要だから、関係する大巫女も森の聖乙女も重要人物で、だからこそ大巫女の地位を森の聖乙女が取って代わることも可能かもしれない、と神宮は考えたんですね」
「そういうことだ。繰り返すが、森の聖乙女については、よくわかっていないんだがな。ただ、何かを召喚する役目を担っているのは確かだ」
金糸樹が重要な木であることは、大陸中の誰もが承知していることだ。
だが、五百年前の大災厄について詳しい者は、それほど多くはない。
何をさておいても守らなければならないというのに、どうして金糸樹が枯れるようなことになったのか。
森の聖乙女といい、金糸の森の変容といい、伝承としてあるだけだ。
「森の聖乙女についての情報が少ないのは、時の権力者が隠蔽したせいなのか?」
突然、口を開いたユイカに、エンテもガルウもそろって彼女の顔を見た。
「どうして、そう思うの、ユイカさん?」
「権力者にとって都合の悪いことは隠される。どんな時代でも、どんな場所でも。反対に、重大な情報をつかんだ者は、敵対勢力から己が身を守るために当該情報を秘匿することもある」
「うぅむ」
唸り声をあげたガルウが、太い指で顎をこする。
「都合が悪いとなったら、ことごとく改竄し、あるいは抹消するのが力のある者達のやることだ。金糸樹というものが朽ちたことによって起こった災厄を、大巫女とか森の聖乙女とかが鎮めたのなら、それは為政者がそこまでの力を持っていないということの証左になる」
はっきりとユイカが断定する。
隠したのは、いったい、どういった理由なのか。
歴然としている。
各国の権力者が、大神宮や大巫女、あるいは森の聖乙女が力を蓄えるのを厭うたからだ、と。
「まあ、そうかもしれんが、人の世というのは常に移ろっている。誰も力を維持し続けることはできん。しかし金糸樹は、そういった人の思惑の外にある」
ガルウが目を向けたのは神樹の地の方角か。
「五百年前についての記録は多くないと言ったろう? そもそも大神宮自体に残されたものが少ないんだ。当時の森の聖乙女や召喚された龍に言及する文献となると、さっき教えた亡国と同じように、さらに限定される。だが、事実は事実として、どんな形でも残っていくもんだ」
歴代の権力者が、かつての災厄を忘却の彼方へ葬り去ることは無理だ。人口に膾炙し、どのような形にしろ記録に残されるからだ。ゆえに、災厄を収束させた大神宮と大巫女は、その存在感を確たるものとしている。
各国には大神宮の意思を伝える神宮が置かれ、さらには大巫女を選定するための候補として、白色の気の強い娘を選び大神宮へ送る役目も担うようになった。
送られた娘らの中から、老いて隠棲する大巫女の次代が選ばれる。選ばれなかった娘らは、巫女として大巫女に仕える者もあれば、巫女に選ばれた栄誉とともに国元へ帰る者もいる。
少なくとも今回は、それら巫女とは違う方法で森の聖乙女は選ばれようとしているわけだ。
「昔、大神宮の文書庫にこもって調べた内容からは、俺に言えることは限られてはいるんだが」
「やっぱりガルウさんって、該博な知識に通じているんですね」
「いやいや、師匠にはかなわないって」
ガルウは誤魔化すように、微苦笑を浮かべた。照れているのだ。
「ありがとうございます、ガルウさん。ちょっと、すっきりしました」
「あんまり参考にはならなかったがな……。そうそう、エンテちゃん。帰りに裏通りの金糸の森の木を見てくるといい。もしかしたら、エンテちゃんには何か見えるかもしれん」
「何か……ですか?」
「そうさ。あのな、今回、五百年前と違うのは、災厄が起こるよりも前に大巫女が森の聖乙女に関しての託宣を授けられたことだ」
エンテは目を見開く。確かに、森の聖乙女の選定が始まったこと以外は、いまだ不吉の予兆はない。……いや、金糸の森が黒く見えた、という話があった。
「もしかしたら、五百年前よりもひどい状況になるのを避けるためなのかもしれないが……」
ガルウが、今しがたとは違う、困惑したような表情になった。
「これは確かなことではないんだが、もしかしたら五百年前の災厄よりも一千年前に起こった事態の方が、より深刻だったかもしれないんだ。その時の金糸の森は、灰色ではなく、真っ黒に染まった。まあ、大陸全体に累が及ばなかったので、それだけで済んだとも言えるんだが……」
一度言葉を切ると、ガルウは声を低めた。
「森を黒く染めたのは昏黒の魔法じゃないかと考えられるんだ」
「こんこくの、魔法……?」
「すべてを黒一色に変えてしまうという、伝説でしかない魔法だ。この恐ろしい意味はわかるな、エンテちゃん」
「あらゆる魔法は、7つの色が基本となっているから? あらゆる魔法が無効となる?」
エンテが、不安そうに眉をひそめた。
※※
エンテとユイカはガルウの魔法具屋を出て、金糸の森の木に向かった。
金糸の森の木は、裏通りのちょうど中間地点にあたる四つ辻に立っている。どちらかと言えば、裏通りが金糸の森の木を中心に伸びているかのように見える。
そこには一本の、晧月のように光る、のびやかな白い幹の樹が立っている。金糸の森の木の苗木が植樹されたものと伝えられており、同じような木が国内ばかりか各国いたるところに植えられているらしい。
「これが、金糸の森の木なのか。確かに、かすかに光って見えるな」
ユイカが、巨大な傘のような天に向かって枝を伸ばす、金糸の森の木を見上げた。裏通りのシンボルのようになっているが、王都の発展とともに育ったと言われている。
広がる枝葉の下にはベンチが置かれ、人々の憩いの場ともなっている。ここに立っているのが、あまりにも当たり前の風景なのだ。
金色の葉が風になびき、ざわめいている。
同じように表通りにも金糸の森の木は根付いており、裏通りに立つ木よりも大きく、その威容を誇っている。
「今のところ、異常はなさそう……うん?」
「どうした」
エンテの視線が木の根元に注がれた。
「なんだろう、違和感があるんだけど。なんだか木が、ざわざわしているような……。脅えている?」
ユイカもまた、エンテと同じ場所に目を向けた。
「自分には、わからないな」
「そっか。……気のせいかな?」
地下に張り巡らされた木の根を見透かすように、エンテはしばらく根元に目を落としたまま動かなかった。