閑話 破滅の前
「どういうことだ!」
島主は声を荒げていた。彼が長年連れ添ってきた夫人は、至極落ち着いた表情でお茶を啜っている。
「あら、何かございましたの?」
「素知らぬ顔をするでない! リディルを迎えに行かせるのを邪魔したというではないか! しかも、分家から男子を連れてきたと!」
「あぁ、確かに、行く必要性があるのか、とはお尋ねしましたわ」
くすり、と夫人は笑う。
「リディルはわしの子だ! だから迎えをやったのではないか!」
「わたくしはその方の身元に確たる証拠があるのか不安なだけですわ。まさか、娼館で働く方があなた以外に客を取らずに生きていけるとは思えませんもの。ねぇ?」
さっと島主の顔に朱がのぼった。
「間違いなどあるものか! わしと同じ緑の瞳、これで十分だろう!」
「確かに、あなたの子かもしれません。ですがそうでなかったら? わたくしたちは血筋を途絶えさせてしまうことになるのですよ」
「それほど心配ならば、分家の娘と娶せればいいだろう! 養子を取る必要などない!」
「まぁ、そんなにお怒りにならないで。わたくしは分家から男子を連れて参りましたけれど、養子にせよなんて言っておりませんわ。あなたが連れ帰ると言い張っている子は、もう十四になるのでしょう? 今から教育をしても間に合わないでしょうから、補佐役に必要だろうと思ったのです」
もっとも、と夫人は笑う。
「その子がほんとうにあなたの子であれば、ですけれど。そうでなければ養子を取るしかありませんものね?」
「どこまで疑えば気が済むのだ! なぜわしの言を信じられない!」
「まぁ! あなたの言葉を信じろなんて、無茶を仰るのね」
ティーカップを持った夫人の手は震えている。口調は平静と一切変わらないのに、瞳だけがいつもより爛々としていた。
「……は? し、信じられないと言うのか?」
「当たり前でしょう? わたくしは、わたくしたちの息子を唯一の子として育ててきました。次期島主たれ、と厳しく当たることもありました。時にはあの子は泣いて耐えたのです。死の直前まで........だというのに――娼館で育った芸者が、あの子の代わりですって?」
不意に夫人の声が高くなった。
「わたくしは、わたくしとあの子だけが、何も知らずに!」
夫人は声を荒げ、ハッとしたように口を噤んだ。ごめん遊ばせ、と優雅な笑みを浮かべるが、ほとんど初めて妻の怒声を聞いた島主は驚きの表情で固まっている。
「す、すまなんだ。お前が、それほど思い詰めているとは思わなかった。お前が体を壊して二人目を望めなくなったから、ありえはしないだろうが、一応もうひとりくらい、予備でいた方がいいかと……」
島主の声はどんどん尻すぼみになっていく。夫人は慈愛のこもった笑みを夫に向けた。
「分かっております、あなた。ですから、もし、その子が無事に生きてここに来られたら、息子と同じように接すると誓いますわ」
ありがとう、と言いかけて島主は引っかかるものを感じた。今、無事に生きて、と言わなかったか。
思考を遮るように、ばたばたと足音が聞こえる。夫人が微かに口角を上げたのを見て、島主の顔から血の気が引いた。
まさか、まさかまさかまさか。
侍従がノックもなしに駆け込んできた。
「島主さま! 大変です」
「何事です。ノックもなしに、無礼な」
「な、何があったのだ」
夫人からの厳しい視線と島主の上擦った声を受けて、侍従は狼狽えたそぶりを一瞬見せたが、すぐさま姿勢を正した。
「急くあまり、礼を失してしまいました。おゆるし、」
「いいから、何事なのだ!」
「は、はい! リディルさまが出島しました!」
「憲兵に出頭したのか!? 命に別状は!?」
「まぁ、何か罪を犯してしまわれたの?」
「いえ、その出頭ではなく、島を出る方の出島です」
「「は?」」
そう言われても、二人とも上手く飲み込めない。
リシュルトは小さな島。空を旅する者が訪れることは少なく、天翔芸団が数年に一度やってくる程度である。
「ど、どういうことだ。天獣など、持っておらんだろう」
「その、昨日入島したトゥイラヌ島の女と共に島を出たようで」
「あら。あらあら、まぁまぁ。残念ですわね、あなた。折角迎え入れようとなさったのに」
呆然とした後で、晴れやかな顔で夫人は笑う。侍従は夫人を気まずそうな顔で一瞥し、島主に紙切れを差し出した。呆然としたままの島主は文字を読もうとするが、目が上滑りして中身が何も頭に入ってこない。三度読んでようやく文章を理解し、島主は青褪めた。ころころと笑い続ける妻の手首を握る。
「お、おい、お前」
「なんですか、あなた。青ざめてどうなさ」
言いかけたところで、扉が再び勢いよく開かれた。使用人と護衛が留めようとする声が微かに聞こえる。
「島主夫人はこちらにおいでか」
現れたのは深緑の制服を纏った憲兵である。その数およそ十。さっと夫人は青ざめた。島主は無意識のうちに夫人を背に庇う。
「な、何事だね。許しも得ずに部屋に入るなど」
「これは失礼を。島主夫人、あなたにはとある暗殺計画に関与した疑いがかかっております。ご同行願います」
「や、やめないか! わしの妻ぞ!」
「なっ、何をするの、無礼者!」
憲兵は慇懃に礼をして、島主を押し退け夫人の腕を掴む。
「残念でしたな、夫人。あなたの忠実な配下は、拷問にも耐えたのですが。外部で雇った一流の暗殺者とやらは、随分口が軽かったようだ」
嘲るような声音を聞いて、夫人は目を見開いた。
「ご、拷問ですって!? わたくしの侍女に何をしたと言うのです!」
「それよりも、あなたの御身を案じられたら如何かね。殺害教唆の刑罰はご存じであろう」
「そ、れは」
憲兵はあくまで無表情だ。夫人はやや怯んだ様子で辺りを見回す。しかし、島主とは別個に警察・防衛・審理を司る権利を与えられている憲兵を止めることは、島主にも難しい。
あなた、と夫人は夫に救いを求める。島主は憲兵の制止を振り切って妻に手を伸ばすが、その眼前で扉が閉められた。
この後、島主夫人には終身刑が言い渡され、島主は心身の衰弱を理由に位を退く。分家による継承権争いを制した新たな島主がいの一番にしたことは、前島主の次男・リディルの継承権の剥奪であった。
されど、これはまた別のお話。
島を飛び出したふたりは、預かり知らぬことである。




