第一話 出島
大門の前、広く空いたところに大鳥は着地する。周囲の家々から覗き見ていた人々が、おお、と感嘆の溜息を漏らした。ボールを片手に遊んでいた子どもたちが、ワッとこちらに駆けてくる。本物? 羽根だぁ、大きい! と口々に言いながら天獣を取り囲んだ。
興奮した雰囲気の中、深緑を纏った憲兵が足音を響かせてやってきた。子どもたちは大鳥の翼の先端の方に隠れる。親と思しき大人の方へ走り去る子もいた。
「――戻られたか。そちらがリディル・シュトロフィアだな」
はい、とリディルは頷く。ウツィアは緊張した様子で頭を下げた。
「あのっ、天獣を中に入れるのを許してくれて、ありがとうございました」
「構わぬ――両名ともに、出島されるのか」
「はっ、はい!」
上擦った声でウツィアは答えた。憲兵は入られよ、と扉を指し、大鳥の首輪を掴んで歩き始めた。
「あの、あのね、次の島、決めないと出られなくて」
ウツィアは懐から紙を取り出し、落とした。どうやらかなり慌てているらしい。広げてみると、以前地図屋で買った天図だ。
「ええと……」
「――どうされた」
冷ややかな声がして、ウツィアは肩を跳ねさせる。憲兵がこちらをじっと見つめていた。
「すっ、すぐに行きます!――リディル、あの、ここ!」
ウツィアはリシュルト、と書かれた島のすぐ上にある、大きな島を指す。名はーー
「ハイラ?」
「そうっ、目的は……ええと、えっと、」
「物資の補給、だと通れるかな。ほら、僕荷物ないから」
「そ、それでっ!」
了解、とリディルは頷く。大鳥の首輪を掴んだまま、ジッとこちらを見つめる憲兵の元へ急いだ。
出島審査では、はじめに持ち物検査が行われ、その後ウツィアとは別の部屋に通された。机がひとつ、向かい合うように置かれた椅子がふたつ。随分と殺風景な部屋だった。暫し待たれよ、と言われ、指し示された椅子に座って待つ。初めはまんじりともせずにいたが、やがて待つことにも飽きた。何かしたいがやることもなく、ぼんやりと壁の染みを数え始める。
どれほど経っただろうか。数えた壁の染みが百を超えた頃、ようやく憲兵が現れた。手に持った紙の束をばさりと机に起き、静かに椅子に腰掛けた。
ぱらり、と憲兵が紙を捲る音が響く。無機質な視線が、頭のてっぺんから爪先までゆっくりと下っていく。
「姓名、生年、季節、日、父母の名は」
いきなり問われ、リディルは慌てて口を開いた。間違えないよう慎重に答えていく。
「島主継承権の放棄は、していないようだが?」
「……継ぐつもりは、ありません。娼婦の息子として育ちましたから」
「そうか」
憲兵は資料に目を通し、口の端を歪める。要らぬ心配か、という呟きが聞こえた。
トン、と憲兵は指で机を叩く。
「ならば、出島に足る金があるとは思えんが」
「連れが、天獣を所有しています。暫くは、彼女の世話になるつもりです」
ほう、と言って憲兵は一枚紙を捲る。
「ウツィア・アルデバランとの関係は」
「友達、です」
「アルデバランの入島は二日前だが。随分と短い間に、交友関係が深まったようだな」
探るような眼差しに笑みを返す。
「はい、その通りです」
「ーー内縁か?」
ギョッとしてリディルは首を横に振った。ウツィアはまだ12歳、リディルだって14歳である。身売りにしたって早い。
「出島の目的は」
「旅、です」
「次の目的地は」
「物資の補給のため、ハイラへ」
憲兵はリディルをちらりと見て鼻で笑う。
「……確かに、島内で揃えるべきものも欠けているようだな」
「仰る通りです」
憲兵は沈黙した。ペン先が書類の上を走る。一瞬だけ、こちらに視線を投げた。何か問題点があったのかと、背筋に冷たいものが走る。
程なくしてペン先が止まり、憲兵は座り直して書類を捲る。一枚、一枚と捲られる音がやけに大きく響く。
どくどくと心臓が煩く音を立てた。じんわりと掌に汗が滲む。それを悟られぬよう、ぎゅっと服の裾を掴んだ。
「……では、気を付けて行かれよ」
「え」
「何か?」
「あ、いえ、何でもありませんっ!」
憲兵はいとも容易く判を押した。あまりにもあっけない手続きで、拍子抜けしてしまったくらいだ。もしかしたら島主夫人が何か圧力でもかけたのだろうか。
連れは先に外に出ている、と憲兵は部屋の奥の扉を指す。
――この扉の向こうに、空がある。
リディルは束の間躊躇ってから、勢いよく扉を開け放った。
「――あぁ」
それは朝焼けであった。淡い青の空に、橙の太陽が顔を覗かせている。一面に広がる雲は、藍のような白のような不思議な色を湛えていて、太陽に照らされたところだけが明るく染まっていた。
これが、空。
リディルは扉を開けた体勢のまま立ち尽くした。
「リディル」
遠慮がちな呼びかけを聞いて視線を下げると、不安そうに眉を寄せたウツィアと目が合った。
「ウ、ツィア」
「空、気に入らなかった?」
「そんなわけ、ないじゃないか!」
否定の言葉が強すぎたのか、ウツィアはびくりと震えた。
「言葉が出なかったんだ—―あまりにも、綺麗だから」
「よかった」
ウツィアはほっとした様子で息を吐いた。
「扉、閉めないと」
振り返ると、無表情の監査官は、ふたりともリディルを見ていた。無言の圧力に、リディルは慌てて扉を閉める。
—―ガチャン。
その音を聞いた瞬間、島に残してきた縁が完全に切れたような気がした。遥か高く聳える大門が、リディルの再訪を拒むようだった。
「......大丈夫?」
「え—―あぁ、うん」
「すべてを置いてきても、なくなっちゃうわけじゃないから」
「......そうだね」
振り返った空は、先程よりも僅かに明るい。
「行く?」
「うん—―ウツィア、改めて、よろしくお願いします」
深々とリディルは頭を下げる。
「り、リディル、頭上げて......その、よろしくね。と、とりあえず服を着ないと。その恰好じゃ、絶対寒いから」
「え? 肌寒いけど、このくらいなら大丈夫だよ」
ウツィアは長袖の暖かそうな服を着ているが、リディルは普段の踊りで使う半袖の衣装だ。しかしウツィアは譲らず、大きめの布とウツィアがかぶっていた帽子を渡された。
「じゃあ、ハイラに行こう」
「はーい」
大鳥に乗ったリディルは、すぐさま発言を撤回することになる。
「――さっむい!」
「それじゃ足りないよね......」
体に当たる風は冷たく、確実に体温を奪っていく。壁と結界で覆われ、暑くなることも寒くなることもない島内とは大違いだ。
「たぶん、一日くらいかかるから......くっついてたら、少しはあったかいかな」
落ちないようにしっかりつかんでて、とも言われていたので、出来るだけ体重をかけないようにしつつウツィアにくっついた。自分より小さな女の子に頼りきりなのが、申し訳ない。
ウツィアは片手で大鳥の手綱を握り、もう片手で開いた天図を見ている。羅針盤で向きを確認すると、大鳥の手綱を引いて僅かに方向を修正した。
「ごめんね」
「え?」
「僕のせいで、行き先を変えたんでしょう」
ううん、とウツィアは首を振る。朝焼けに似た色の髪がリディルの頬を擽った。
「どこに行くかは決めてなかったから」
「え」
「アルカディアは、天図に乗ってないの」
アルカディア—―ウツィアの夢を叶えてくれたという人が、探していたもの。
「頑張らないとね」
「へ?」
「え?」
ウツィアは斜め後ろを見上げる。リディルはきょとんとして緋色の瞳を見返した。
「リディル、手伝ってくれるの?」
「……僕のこと、ハイラに置いてくの?」
よもや出奔早々金なし連れなし職なしかと真顔になったところで、ウツィアは勢いよく首を横に振った。
「びっくりした……え? じゃあウツィアは、僕がただウツィアの後ろにひっついて空を眺めるだけだと思ったの?」
「だって、空を翔んで他の島を見るのが夢なんでしょ?」
「働かざる者食うべからず! 天獣に乗せてもらっている以上、僕も手伝えることは手伝うよ」
「天図にない場所を探すなんて、すごく大変だよ」
「それ、人ひとり連れ出すっていう、すごく大変なことをした人の台詞?」
ウツィアは言葉に詰まった。
不思議だ。島内にいた頃より圧倒的にお金持ちだと分かっているのに、昨日よりずっと幼い子供のように見える。
「ねぇ、ウツィア。どうして僕を連れ出してくれたの?」
正直なところウツィアは謎だらけで、聞きたいことは山積みだったけれど、リディルはそれを聞こうとは思わなかった。ただ、自分を連れ出そうと思った訳は、聞きたかった。
暫く沈黙が落ちる。答えてくれないならそれでいいやと髪に頭を埋めた時、小さな声がした。
「……リディルが嘘をついたから」
どういうこと、とリディルは体を起こした。
「いい人になりたいからわたしを助けたって、リディルは言った。けど、リディルは島主さまの息子になりたくないって言ってたのに、その身分を使ってまで、わたしを助けてくれた」
リディルは位人の前で跪いていたウツィアの姿を思い出し、眉を顰める。あの時は、それ以外にいい方法を思いつかなかったのだ。
「わたしは、わたしを助けてくれた人を信じなかった。わたしがその人の役に立つから助けてくれたんだと思ってた」
違った、とウツィアは呟く。
「リディルもあのひとも、見返りを考えずにわたしを助けてくれた。きっと打算もあったと思うけど、それ以上に優しさをくれた。リディルはそれに気づかせてくれた。だからわたしも、優しくありたいと思った」
「……優しさの振り幅がおかしいよ」
「え」
なんでもない、とリディルはウツィアの髪にまたしても顔を埋める。ふふ、と変な声が漏れた。
「あ」
ウツィアが右手を手綱から放す。指先が緩慢に動いて雲の上を指した。
「鳥だ」
白い雲の上を、極彩色の鳥が舞っていた。
リディルは目を細め、鳥が戯れる様を眺めていた。




