四、十年後の八月はあるのだろうか?
あの夏のことだけは、不思議なくらい鮮明に覚えている。
リビングのエアコンが壊れて、家族みんなで扇風機を奪い合ったこと。
成長痛がひどくて歩けない日が続き、そのせいか最終的には身長が百七十センチまで伸びたこと。
荷造りをしている横で、妹が夢中になって昼ドラを見ていたこと。
主題歌の歌詞に当時の自分を重ねて共感していた。
今でもふとした拍子に頭の中で流れる。
それでも共感するだけで、六年間片思いをしていた女の子に話しかける勇気は最後まで持てなかった。
思い返せば、あの夏には忘れられない出来事がいくつもあった。
けれど、その中でも一番強く記憶に残っているのは、このノートを見つけたことだ。
『私を知らない大切な友人に捧ぐ』
ノートを開いて最初に目に飛び込んできたその一文を、当時の僕は不思議に思った。
とはいえ、小学生だった僕に深く考える力なんてない。
クラスの女子が「外国では日記を『Dear Diary』って書き始めるらしいよ」と話していたのを思い出して、そんなものなのだろうと勝手に納得した。
今思えば、ずいぶん素直だったと思う。
次のページを開く。
『私の名前は、葵と言います。
長い間、あなたの身体を借りて生きてきました。
突然こんなことを書かれても、信じられないですよね。
でも安心してください。私はあなたを傷つけるつもりはありません。
むしろ、あなたに謝らなければならない立場です。
あなたから大切な時間を奪ってしまったのですから。
まず最初に、一つだけ伝えます。
あなたは病気ではありません。
そして、狂ってもいません。
今から書くことを最後まで読んでもらえれば、その理由が少しだけ分かると思います。』
そこで文章は一度途切れていた。
僕は何度もページの上から下まで読み返した。
意味が分からない。
けれど、不思議と丸文字から悪意は感じられなかった。




