一、僕の日常
子供のころから、不思議な体験をしていた。
それを初めて自覚したのは、小学二年のゴールデンウィークだった。
五月二日の夜、僕は休みが始まることに浮かれていた。
いつもの金曜日みたいな、なんとなくの休みじゃない。家族で遠出することが決まっていた。
遠足の前日みたいに胸が高鳴って、布団に入ってからもしばらく眠れなかったのを覚えている。
――次に目を覚ましたとき、ゴールデンウィークは終わっていた。
枕元のデジタル時計は、五月六日を表示していた。
選んだ記憶のない服が、きちんと畳まれて置かれている。
何が起きたのかわからず呆然としている僕を、五つ上の姉が「いつまで寝てるの」と叩き起こした。
何かの間違いだと思った。
急いでリビングへ向かい、新聞の日付を確認する。
ふわふわしていた現実が、一気にはっきりとして、身体が凍りついた。
普段は番組欄しか見ない僕が新聞を凝視しているからだろう。朝ごはんを作っていた母親が、怪訝そうな顔をしていた。
「あんなにはしゃいでたんだから、疲れたんでしょ?」
的外れな言葉が、ひどく遠く聞こえた。
視線を落とすと、テーブルの上に見覚えのある箱が置かれていた。
旅行雑誌で「おすすめ」と紹介されていたクッキーだった。
たぶん、お土産だ。
僕の記憶には、ゴールデンウィークそのものが存在していなかった。
それから、同じことが何度も起きた。
最初は数日だった空白は、一週間、二週間と少しずつ長くなっていき、気づけばカレンダーの日付がまるごと抜け落ちていることもあった。
恐る恐る家族や友人に、欠けた時間のことを聞いてみた。
けれど、当時の僕は「気分屋」だと思われていて、違和感を覚える人はいなかった。
誰にも相談できないまま、恐怖だけを抱えて数年が過ぎた。
やがて僕は、欠落した時間を“誰か”が使っていることに気づいた。
ひとりじゃない。
何人かいる。
スポーツが好きなやつ。
ひたすらゲームをするやつ。
女の子とおしゃれを楽しむやつ。
読書ばかりしているやつ。
喧嘩を好むやつ。
金に執着するやつ。
――そいつらが、僕の時間を使っている。
さらに一年ほど経つと、記憶は相変わらず欠けたままだが、「何が起こったのか」だけは歴史の年表みたいにぼんやり認識できるようになった。
家族や友人との齟齬は減った。
それでも、いつ訪れるかわからない欠落に抗うことはできない。
自分をコントロールできない恐怖を抱えたまま、誰にも気づかれず、誰にも話せず。
気づけば僕は、十二歳――小学六年生になっていた。




