50、初恋の人
「アーシーさんがそこまで怒られるとは、驚きましたね」
アルベルトに怒りをぶちまけてしまったアーシーは、頭が真っ白になっていた。
「す、すみません。失礼なことを……」
「いえ、構いません。私の言い方も悪かった。ただ、アーシーさんには話せない事情もあります。そこはご理解ください」
「は、はい……」
素直に返事をしたアーシーだったが、どうにもならない感情に戸惑っていた。また、ポロッと涙がこぼれる。この涙の意味もわからず、アーシーは戸惑っていた。
だがアルベルトは、そんな主人思いの薬師の心を、正確に理解しているようだ。小さなため息をついた後、覚悟を決めたように口を開く。
「アーシーさん、私に尋ねたいことがあるのですね。とある方との約束で、レイラ様との婚約の件については話せません。それ以外なら、可能な範囲でお答えしますよ」
アルベルトは、アーシーの母であるシャーベットから、婚約破棄の成立条件の口止めをされている。さらに、レイラから少し離れるようにとも言われていた。だから彼は、なるべくレイラの前に姿を見せないようにしている。
その密談の場には、コルス・スノウもいた。彼も、他言しないことを約束している。
しばらく無言で歩いていたアーシーは、涙を拭いて口を開く。
「アルベルトさんは、レイラ様のことをどう思っているのですか」
純粋なアーシーの質問は、あまりにもストレートだった。警戒心の強いアルベルトは返答を拒否しようと思ったが、すぐにその考えを振り払う。
「レイラ様には、内緒にしていただけますか?」
「は、はい。もちろんです」
アーシーは緊張した表情で頷いた。
「私は、レイラ様が4歳の頃から、ずっと尊敬しています。私より10も若いのに、たまに私の方が子供だと感じる。だから、彼女の側にいて恥ずかしくないようにと、これまで努めてきました」
「じゃあなぜ、婚約……の話は、ダメでしたね。すみません」
「いえ。私は、レイラ様の伴侶になるか否かにかかわらず、ハワルド家に仕える身です。彼女を守ることが私の役割であることに変わりはありません」
アーシーは、アルベルトがさらりと語った言葉から彼の本心を読み取ろうと、必死なようだ。
「でも、えっと、レイラ様を助けに来られたんですよね? あの集落に……」
「近いうちに兵を率いて、あの集落を調べに行く予定でした。だから、日時を合わせただけです」
「どういうことですか? まるでレイラ様が、あの集落に行くことを知っていたかのような……」
「あの日に、未開拓の森林にサーフローズを採りに行くことは、コルスさんから聞いていました。だから、レイラ様の行動を予測したのですよ」
アルベルトが楽しそうに話していることに、アーシーは気づいた。
「アルベルトさんは、レイラ様の行動が予測できるのですか?」
「ええ。単純ですからね。アーシーさんも、すぐにわかるようになりますよ。レイラ様は、薬師の息子を捜している。襲撃してきた盗賊の集落に彼女が乗り込むことは、火を見るより明らかです」
「あっ、でも、あんな店に……」
アーシーは、悲惨な光景を思い出し、顔色が悪くなっていく。
「あれは、私も驚きました。あの悲劇は、誰も予想できなかったでしょう。しかもレイラ様は、床下の穴から、女性達を自らの手で救出された」
「えっ、あ、3人の生存者を……」
「すべての被害者を、です。床下の穴に躊躇なく飛び込まれたときは、心底驚きました。ですが、あれがレイラ様なんですよね。彼女は、自分の信念を持っておられる。例え死体であったとしても、引き離された家族の元に帰すべきだと思われたのでしょう」
「あっ、死臭や腐敗臭で、変装の薬が消えてしまいましたね。私は、あんな死に方をした人を見たのが初めてで……」
アーシーは、死体が怖いというより、あの時、自分が怯えてしまったことが、トラウマになっているようだ。
「それは、仕方ないですよ。レイラ様は、生まれたときからずっと訓練をされています。私も、彼女には敵わない」
「そう、なんですか」
「ええ、だから、そんなに落ち込まないでください。それに、あの状況で平気な人なんて、逆にレイラ様に信用されないと思いますよ」
アルベルトの言葉で、アーシーは肩の力が抜けていくのを感じた。
「レイラ様が、アルベルトさんのことを気に入っている理由がわかりました。アルベルトさんはレイラ様のことを……」
「先程もお話した通り……いや、アーシーさんが望む答えとは、違いますね」
「はい。レイラ様のことが、好きですか? 嫌いですか?」
アルベルトは、真っ直ぐに尋ねるアーシーの瞳が不安で揺れていることに、気づいた。敵わないなとフーッと息を吐く。
「レイラ様には内緒にしてくれますか?」
「はい、もちろんです」
「ふっ、こんなことをご本人じゃない人に伝えるのも恥ずかしいですが……」
「気にせず、どうぞ!」
「レイラ様は、私の初恋の人ですよ」
「ふぇっ!? はっ、す、すみません」
「なぜ、アーシーさんが真っ赤になるのですか。貴女にも初恋の人がいるでしょう?」
アルベルトは治療院の扉を開けた。そして、意味深な笑みを浮かべる。
「な、なぜ、アルベルトさんまでが、知って……じゃなくて、えっと、何のことでしょう?」
「レイラ様の様子を見ていたら、アーシーさんのこともわかりますからね。レイラ様は、貴女と彼をくっつけようとしてるでしょう? 今日も、ほら」
「な、なな……」
アーシーは、より一層、真っ赤になっていく。
「お戻りですか。おや? そちらの女性は? 迷子の引き取りなら、礼拝堂の方へ移しましたよ」
変装の香水で、サーフにはアーシーがわからない。
「アーシーさんですよ。認識阻害系の不思議な薬を使われてます。レイラ様からお借りしてきました」
「おお! すごい! 見知らぬ冒険者に見えるよ。それで、なぜ、アーシーさんを借りてきたのですか?」
アルベルトは、一瞬、言葉につまった。だが、平然と口を開く。
「お二人がチカラを合わせれば、判別不能な女性の修復ができるかと思いましてね」
「確かに! アーシーさん、力を貸してくれますか?」
「は、はい」
サーフに手招きされ、アーシーはぎこちない足取りで、近寄って行った。




