五
訓練兵達の実戦演習まで六日に迫った日。
藤和は不愉快な来客の相手をしていた。
シルファの執務室の応接ソファ。
目の前に座る男性を見据えて、内心でシルファへの罵倒を繰り返す。
表面上は一ミリも表情を動かしていない藤和とふんぞり返る男性を、少し離れたところで女性が仕事をしながら見守っていた。
現在、部屋の主であるシルファは、各部署の長が集まる定例会議で不在。補佐であるシンシアが一人で仕事を行っていた。
シンシアは、藤和の内心が嵐のように荒れ狂っているのがわかり、男性にむけて呪詛めいた苦言を繰り返す。あくまでも心の中で。彼女は、曲者な上司の恋人をしていられる藤和に好感を持っていた。
ここで藤和に好感を持たない人間は一割にも満たない。筆頭はドレイクだろう。
元より、ここは実力主義の風潮が他よりも数倍強い。だからこそ、人格者でありながら圧倒的強者である存在は無条件で尊敬の対象になる。藤和はその一人だった。
しかも、時々突き抜けた行動をとるシルファの抑止力になっているのが藤和なのだから、誰が文句を言えると言うのか。つまり、ここの平穏は藤和によって保たれている。士官以上はそれを名実ともに実感しているから、藤和を労わっても、嫌悪する者はほぼいない。藤和本人が自覚しているかどうか別として…。
(あの時は、出勤するのが断頭台に上るような心地だったわね……)
二年前のことを思い出し、シンシアは遠い目をする。
毒獣の大量発生。迅速な対応を見せた特殊機動部だが、元より人手が足りなさすぎた。
八百弱の群れに対して、部隊の投入が遅れ、近場に任務で出向していた藤和が単独で殲滅した。だが、さすがに無傷では済まず、重傷を負った藤和は半年間の療養を義務付けられた。しかも、一ヶ月は意識不明の重体だったから、シルファの精神状態が不安定になり、不穏な殺気じみた気配をまとっていた。シンシアともう一人の補佐ですら、青ざめながら仕事をこなすので精いっぱいだった。
いつも、明るくて仕事をさぼる上司が、無言無表情で真面目に仕事をする姿が恐怖だった。
ちなみに、他部署の部長達は一切立ち寄ろうとしなかった。
藤和が快方に向かうと同時に、シルファも通常に戻って行った。
少々長い回想から現実に戻ったシンシアは、いい加減にじれた藤和が口を開くのを見る。
「お話があるとのことでしたが、何でしょう?」
言いたいことを言ってさっさと出て行け、と言わんばかりに冷たい声だ。
「極東の孤児は、そんなことも分からんのか」
侮蔑を隠そうともしない声に、藤和のこめかみが波打った。シンシアの瞳も険しくなる。
極東は、空白地帯の俗称。空白地帯といえど、街が存在していないわけではない。
西岸部よりも東岸部の方が毒素は強いが、それによって変容した奇形人種や毒に対応しすぎて迫害された人が集まり、街を形成している。
空白地帯以外では迫害される人々だが、毒素に強いその体質を生かし、彼らは危険な未踏地域の探索を行い、疎まれると同時に重宝もされている。未踏地域での稀少金属や植物採集を行う探検家の多くは、極東出身者だ。
どんな国も、彼らは無視することのできない商談相手。必要不可欠な存在として重宝されながら、男性のようにあからさまな侮蔑を向ける者が多いのは事実だった。
自分の足で危険な世界を見て回ったことのない男性は、エメディアではその代表格だ。
「私は一個人ですので、知ることがかないません。お教え願います」
無心無心無心、と内心で繰り返す。本当なら、敬語を使いたくはない。
「私の息子を謹慎処分にしたと聞いたが?」
「何か御異存でもおありですか、ヴェノダ伯」
体格は良いが、鈍重にしか映らない肥えた男性、リーゼス=ヴェノダ伯爵は不愉快そうに眉を上げる。
「理由は何だ」
「同僚に対して暴言を吐いて協調性を乱し、不真面目な業務態度、上官に対する不適切な態度など」
理由だけを簡潔に述べる藤和は、呆れ交じりのため息をそっとついた。
謹慎に処してから、一週間以上。今さら文句を言いに来たのは、気付いていなかったからだろう。大方、愛人のところにでも行っていて、戻ってきてようやく知ったのだろう。
「その程度で謹慎とは、お前はよほど私が嫌いらしい」
「妥当な判断です。公私混同は致しません」
あえて、嫌っていることは否定しない。
藤和とリーゼスがにらみ合うのはこれが初めてではない。
裕福な伯爵家の当主であるリーゼスは軍にも多くの出資をしている。発言力があるのだ。しかし、影響力は欠片もない。軍事の基礎も知らない者の意見を鵜呑みにするほど、部長達は愚かではない。
それによって募る鬱憤を、侮蔑の対象である極東出身の孤児、つまり藤和にあてるのだ。嫌味を延々と言うだけなので、藤和は黙って聞き流していたが、さすがにそろそろ我慢の限界が訪れそうになっていた。
「業務態度などは勧告で十分だ」
「一ヶ月間の観察結果です。軍において、上官に殺意敵意を向けるのは反逆行為ととられても致し方ありません。集団行動が原則の軍で和を乱す行為は、自身だけでなく周りを危険にさらします。それを考えれば、ヴェノダ訓練兵の言動は、集団行動には致命的な欠陥要因ととれます。ですから、処分いたしました」
「たかが十七の小娘が上官では、誰もが不満だろう」
嘲笑を含む声に、藤和の瞳が冷える。それに気づいて、シンシアは無意識に体をこわばらせる。
能力の特性上、前線配置されることの少ないシンシアは、藤和の戦闘を見たことはない。だが、藤和の実力が突出していることは知っているし、階級差は実力差ではないことも知っている。
階級が上なら、それだけの実力を有していることにはなるが、藤和の場合、階級が下位なのはその年若さが要因だ。シンシアは、一対一で藤和と闘っても、自分が勝てないだろうことを理解していた。
だからこそ、藤和の瞳に冷酷な殺意が浮かんだのを視界の端で認識し、戦慄した。
素人でも、少し鋭ければ気付いたかもしれない。だが、真正面から殺気を受けているリーゼスは鈍い素人だったらしい。
「しかも同僚?たかが小汚い娼婦の娘だろう。それと息子を一緒にするな」
瞬間、凍りつくほどの殺気が消えた。
藤和の殺気にこわばっていた体が弛緩したシンシアは、聞こえた言葉を必死で忘れようと瞼をきつく閉ざした。何も聞いていない、と繰り返してもなかなか消えてくれなかったが。
抑えきれずにあふれていた殺気を消し去った藤和は、一転、奥歯を噛んで恐怖と寒気に震えそうな体を必死に抑える。
(無知というのは恐ろしい…)
藤和とシンシアの心が一つになった。
小汚い娼婦、と言った女性が今、どういう地位にあるのか知らないからこその暴言。
ルシィーネは、リーゼスにとっては弟を殺した憎い女。だが、ルシィーネは機密部署を束ねる長だ。下手に怒らせれば、物質的・精神的の両方の意味で死ぬ。ついでに、生かされても社会的に抹殺される。
身の程知らず、とはこのことか。
ルシィーネの本名や素性を知っているのは、ほんの一握りしか知らない。だから、リーゼスが知らないのは当然と言えば当然だ。
藤和は、無意識に深い溜息を吐く。
たかが伯爵とあらゆる情報を掌握する女性。いざとなれば切り捨てられるのは前者であることは明白だ。
「ヴェノダ伯、軍には軍の規則がございます。軍において個人の価値を決めるのは生まれや家ではなく、その能力と実績です。現状、ヴェノダ訓練兵にエンディ訓練兵と同等の価値が見いだせません」
「娼婦の産んだ泥娘より、息子が劣ると言うことか」
「お言葉を慎んでください。そのようなことを口にされるのは、ヴェノダ伯の名を貶めることになりましょう」
実際は、自らの手で貶めたいと思っても、それを抑えつける。
「どんな生まれでも、新人ならばそれにふさわしい言動があるはずです。ヴェノダ訓練兵はそれを理解しておりませんでした。それでは、評価が下がるのは必然でしょう」
「あれは私の一人息子だ。いずれは上に立つ人間。足元で動く者の行動をまねる必要はない」
「ならば、陛下に進言なされるとよろしいでしょう。私は中尉。軍の規則と法令に沿って動くしかございません。ヴェノダ訓練兵への対応は、陛下がお決めになられた軍の規則に即したものですので」
藤和にとって、これは最終手段。
法律などを定めたのは国王と司法大臣以下の司法官。文句があるのなら、作った本人に言え、といえば誰もが引き下がる。国王への下手な進言は物理的に首が飛びかねないからだ。
「たかが中尉が、陛下を持ち出すとはな。愚かしい」
低い笑いをこぼして嘲笑するリーゼスに、藤和は口元に艶やかな笑みを浮かべた。
それを見たシンシアは、今日何度目になるか分からない寒気を感じて青ざめた。
シルファと喧嘩している時、藤和はふいに微笑む。そうなると、シルファに勝ち目はなく、早々に降参している。
その時の微笑み以上の寒気を感じる。
シンシアは、本気でリーゼスの無知さを呪うと同時に憐れんだ。
藤和は、国王に気に入られている。
国王は、末息子の恋人である藤和を、息子を可愛がるのと同じように可愛がり、娘のようにすら扱っている。また、シルファの兄姉達にとっても藤和はお気に入りだった。
目に見えてひいきしたりはしないが、直系王族の全員が藤和を認め、エメディアを名乗ることを許している。
それを考えれば、愚かしい、などとは言えない。
「伯爵という地位に座ることしか能がないバカは黙れ。お前の息子は私の指揮下だ。命令を下し、処分するのは私の権限。部外者の口出しは越権行為ととられ、罰則適応対象とみなされても文句は言えない。己の分をわきまえろ」
相手への配慮をきりすて、辛辣な物言いをする藤和に、リーゼスは頬を引きつらせる。
「軍事・政治の双方においてお前は部外者で、口の過ぎる愚か者だ。いい加減に黙らないと、爵位も財産も失うことになるぞ。無能は無能らしく黙っていろ。耳障りだ」
「き、貴様っ!無礼だぞ!!」
「どっちが。私は正当な理由で判断を下し、謹慎処分にした。それに自分の爵位をかさに着て取り消せと迫ったお前の方が無礼だろう。というか、それは立派な不正行為。処罰対象だ」
「な、なめた口をききおって、後悔するぞ!」
「どう後悔するのか教えてほしいぐらいだが、その言葉そのまま返そう。後悔するのはお前だ」
悠然とした態度で微笑みを浮かべたままの藤和に、リーゼスは思わず立ち上がる。握りしめた拳が、ぶるぶると震えている。
「六日後、お前の息子を含んだ訓練兵達を実戦演習に連れて行く。我が子が可愛いなら、静かにしていろ」
「息子を殺すつもりか!」
「まさか、その逆だ」
演習にかこつけて殺す気と受け取ったリーゼスに、藤和は冷ややかに返す。
「演習は、訓練兵の卒業試験みたいなものだからな。参加できなければ、次の新人と一緒に演習を受けることになる。それまで、ずっと訓練兵のままだ」
「っ?!」
地位や身分を重視する者にとっては、ある意味死よりも重い。
不名誉極まりない。貴族には、どうあっても回避したいだろう。現に、リーゼスは黙り込んだ。
「言いたいことがそれだけなら、お引き取りを。私も仕事があるので、耄碌した愚か者の具現にばかり付き合っていられない」
明らかな侮蔑がこもった言葉に、リーゼスは何も言い返せずに、足音荒く出て行った。
「長居してしまいました。お邪魔して申し訳ありません、アミール少将」
ふいに、力の抜けた声と微笑みを向けられて、シンシアの頬も緩む。
「別に邪魔というわけではなかったわ。逆に感謝したくらいよ。ヴェノダ伯の相手は疲れるから」
「ならよかった。そういえば、情報探索部からは何か来ていませんか?」
「いいえ?どうかしたの?」
「演習に向いていそうな任務を回してもらうように頼んでおいたのですが……」
「ああ、そういうこと。今は来てないわ。明日か明後日ぐらいじゃないかしら?」
「そうですね…」
「届いたら知らせるわ」
「ありがとうございます」
仕事に戻っていく藤和をにこやかに見送って、シンシアはシルファの机に視線を向ける。
認可、と朱印で押された書類。
(わたしの独断で、告げて良いことではないわね…)
訓練兵の実戦演習の確定と、任務内容の詳細が記されている。
藤和にはああ言ったが、その内容を見たシンシアは、ひとまず黙っておくことを選んだ。
新人に与えられる任務ではない。一目でわかる。本来なら、佐官もしくは将官クラスが行くべきものだ。
藤和一人で、というのなら誰もが納得したかもしれない。
この任務を選んだのはルシィーネで、認可したのはシルファ。
自分の娘を死地へ送ろうと言うような行為。
自分の恋人を殺そうとしているかのような行為。
考えの読めない二人の行為に、シンシアはこめかみをもんで仕事を再開する。
結局、考えたところで何もできないのだと自己完結させた。
※※※
事務棟の最上階。
将官以下の立ち入りが禁止されている会議場で、八人が円卓に座っている。
「この情報は確かか、ルシィーネ」
やや猫背のオージス=セルバンテスは、向かいに座るルシィーネを呼ぶ。
「無論です、オージス老」
真剣な表情と声でルシィーネは頷く。
議長席に座るオージスは、苦い溜息を吐いた。
近衛練兵部の部長となって三十年以上、軍歴は五十年を超える。老齢といえども、その気迫は衰えていない。
「シルファよ、どのくらい出せる?」
「そうですね…」
ルシィーネの右隣に座っていたシルファは、困ったように苦笑する。
自分の祖父の代からの重鎮であるオージスを、シルファは苦手に思っていた。
「現状、中尉はほぼ不在でして…。二人ほど派遣すれば妥当だとは思いますが、実質、動けるのは三人で、一人は教育係ですし…」
「お前の嫁だったな」
「嫁じゃありません。まだ」
わずか、張り詰めていた空気が柔らかく緩んだ。が、それは一瞬で、また緊迫した空気に包まれる。
世間話のために集まったわけではないのだ。
「では、残り二人を出せばよい。不都合でもあるか?」
「負傷者に退役者も出て、オーバーワーク気味でして……」
「お前の嫁をいったん解任して、少尉以下を複数連れて行けばいい」
着崩した軍服が似合うゲイル=マードックは、その巨体を窮屈そうにして椅子に座っている。
「数日後、新人達の実戦演習が控えてるんだ。内勤の二人はまだ動けないし、他も遠地に出向中だから……。何だったら、演習、ゲイルが見てくれる?」
「冗談。能力者の監督なんかできるかよ」
すげなく断られて、シルファはさほどそうでもなさそうに、残念、と呟く。
基本、能力者が所属するのは特殊機動部と情報探索部のみとされている。ゲイルが束ねる重装機動部には一人もいない。
重装機動部は特殊機動部と同じく前線に投入される。能力者ではない兵は、最新技術によって作り出された重装鎧を身につける。能力者に引けを取らない戦闘部署なのだ。
能力者ではない者が、能力者を監督・教育などできない。格闘ならできるかもしれないが。
それを理解した上で軽口をたたく二人をたしなめるように、小さなため息がこぼされた。
「現実として、誰を出すのです?左官の者を動かすのですか?」
オージスの左隣に座っている、セレネス=ディオーネは探るような視線を向ける。
「左官は近衛と連動した王都・地方守備に回しているので…」
軍勢や圧倒的多数の敵相手なら、佐官クラスの部隊を向かわせるが、少数の敵や探索なら尉官クラスの少人数部隊を向かわせる方が、効率的だ。人数が増えれば、その分、動きも鈍るし連携度も下がる。
それを言外に含ませて言葉を切ると、セレネスは頷いた。彼女も、シルファの考えは理解できたのだ。
「すでに、決まっているのだろう?」
ふいに、オージスの右隣からゾルグ=ファルドッグの低い声が落とされた。
毒素に侵され、色素が抜けた髪と濁った色の瞳が、ゾルグの年齢と表情をあいまいにしていた。
「まぁ、そうですね……」
「なら~、さっさと言ってほしいですね~」
間延びした声は、可愛らしい容貌に笑みを浮かべたアレクシス=ニドーリフから発せられた。
外見は十二ほどの小柄な少年でしかない。が、ゾルグやルシィーネ以上にアレクシスは謎多き存在だった。
「申し訳ありません、ニドーリフ中将」
「まぁ~、君のところは君が決めるんだからいいんだけど~。ちょっと、いらつくかなぁ~?」
声からは感じ取れないが、アレクシスは基本的には素直だ。なら、本当にいらついたのだろう。
ちなみに、オージスですらアレクシスには丁寧な態度をとる。年長者への敬意だ。すでに年齢三桁を突破しているらしいアレクシスは、もしかしたら世界一の長寿かもしれない。
北方の未踏地域に程近い町の生まれであるアレクシスは、毒に侵された母の死後に棺の中で生まれたらしい。
人にはありえない群青の髪や老いることのない体と長命も、毒による突然変異らしい。
毒による停齢症状や長命などはアレクシスの存在以外に例がない。
アレクシスの情報が仮定形なのは、ルシィーネですら正確な情報がつかめていないために浮上した推測でしかないからだ。
稀少な存在であり、絶大な能力者でもあるアレクシスは、各国から勧誘され続けているが、五十年以上もエメディアにとどまっている。
それに不信感があったシルファは、父に理由を聞いてみた。聞いて、聞かなきゃよかった、と思ったのは後にも先にもその時だけだ。それほどに、ある意味で衝撃だった。
(まさか、先々代のガキが生意気で面白かったから、という理由だとは誰も思わないだろうな…)
先々代=シルファの曽祖父をガキということは、アレクシスの年齢は本当にいくつなのか…。
いく度目か知れない疑問を振り払い、シルファはオージスに視線を向ける。
「藤和中尉を向かわせます」
きっぱりと、言い切られた言葉に、会議室は沈黙に包まれた。
黙り込んだ一同を、ルシィーネはゆっくりと見回す。
面白がっているとわかる笑みを浮かべているアレクシスのところで、視線が止まる。
(得体のしれない若造りのジジィめ)
苦い思いを感じながら、小さく息をつく。
「教育係から外す、ということか?」
今まで沈黙を保っていた、エイジス=サイラスが沈黙と断ち切った。
「いえ、解任はしません」
「まさか、新人達の演習に…?」
「はい」
再び沈黙が落ちる。
「シルファ、やめておけ」
「なぜ?」
「藤和中尉を一人で行かせるのならば納得もしよう。だが、教育期間中の新人を連れては、いかに中尉といえども足元をすくわれかねん」
「足手まといですからね、新人は」
「わかっているのなら、やめておけ。中尉は死なすには惜しい」
オージスの苦々しい言葉に、ほぼ全員が頷く。
うち、頷かなかったルシィーネに、セレネスが非難をこめて見つめる。
「ルシィーネ、情報をまとめたのは貴女でしょう?どれだけ危険か分かっているのではなくて?」
「無論、承知しております。ですが、演習に推挙したのは私ですので」
「何ですって?!」
セレネスはひきつった叫びをあげて、絶句した。オージス達もシルファとルシィーネを呆然として見ている。
「底上げのためかなぁ~」
頷かなかったもう一人、アレクシスの空気を読んでいない声が上がる。
シルファの瞳が光り、口角がつり上がる。
「確か~、去年の毒獣討伐で~、少佐が三人死亡してるんだよね~。昇格するなら~、底辺からしなきゃ後々困るからねぇ~。せめて少尉までは経験者で埋めたいんだよね~?」
「そうです。新人には厳しいことは承知の上ですが、一気に経験を積んでほしいんです。下手すれば、藤和を含めた全員が死にます。けど、その危険を冒してでも、士官を埋めておきたいんです」
「…毒獣達の動きが、活発化しているせいか」
「はい。ここ二年間、発生・襲撃が増えています。それによる負傷者・死者・退役者が相次いでいて、近年まれに見る人手不足の状態なんです。手荒でも、能のある人員を得たいんですよ」
特殊機動部は、少数精鋭を地で行くが、エメディアの最大戦力だ。それを不安定な状態のままにしてはおけない。
手荒で危険な行動に出ざるを得ないとシルファが判断するほど、深刻な人手不足であると言うのなら、誰も何も言えない。
「致し方あるまい。この件に動くのは特殊機動部と決まっている以上、シルファの決定が絶対じゃ」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
立ち上がって一礼するシルファに、ため息があちらこちらから漏れる。
「シ~ル~ファ~」
一段と間延びした声で呼ばれて振り向けば、アレクシスが良い笑顔を浮かべていた。
「何でしょう」
「生きて帰ってくるといいね~。君のお嫁さん~」
「不吉な言い方はしないで頂けないでしょうか…」
「だって~、コレは~、ちょっとヤバいかな~」
アレクシスの発言に、皆の動きが止まる。
「知っているのですか?コレ…」
ルシィーネの問う声は、普段の彼女からは考えられないほど弱弱しく、かすれていた。
「長生きしてるからね~。昔と違って今は滅多に出てこないのにね~」
懐かしい友人と遭遇したかのような言い方に、ひきつった呼吸音が響いた。
「コレに、会ったことが?」
「さぁ~?この子かは会ってみないと分かんないねぇ~。ただ~、とっても強くて凶暴で頭が良いから~、気をつけるようにね~」
シルファの問いかけにどうでも良さそうに答えながら、会ったことに関して否定しないまま、指先でつまんだ一枚の写真を見つめる。
左右で色の違う瞳を細めて、懐かしげな笑みを浮かべる。
「……見るのは何十年振りだろう。古から語り継がれる最も偉大にして最も強大な魔物、『龍』……」
声に、間延びしたところも無邪気さもなかった。
ただ、老成した厳しく重く響く声だった。
それを受けて、皆が沈黙する。
自分の前に置かれた写真へと視線を注ぐ。
巨体があり、長大な尾があり、背には一対の翼があり、額と思しき位置には三本のねじれた角があり、突き出した口からは牙がのぞいて地に伏せている。
その姿は寝ているようで、両の瞳は閉じられていた。
隠密機動部に所属する数少ない能力者が、能力と技術力を駆使して撮影したもの。
その写真の中の存在に、誰もが同じ言葉を言うだろう。それ以上にふさわしい言葉を知らないから。
アレクシスが言うように、その存在を呼ぶ。
樹氷の中で眠っている巨大な存在は、まさしく『龍』だった……。