六
エメディアの北、未踏地域に程近いところに、ウェノスという街がある。
古くから龍神信仰が根付き、鉄鋼細工と金剛石の採掘が盛んな土地だ。
「…第一級の毒獣討伐、ですか」
「そう~、ものすごく危険だと思うけどね~」
エンジン音と風切り音が重く響く中、藤和とアレクシスは平然と会話をしている。
だが、アレクシスに免疫のない後部座席の面々は、思わず脱力してしまった。
藤和は、気にした風もなく手元の資料をめくる。
「新人の演習には厳しいのでは?」
「だね~。オージス達も言ったけど~、シルファとルゥが譲らなくって~」
けらけらと笑いながら言われ、藤和は思わず半目になる。
大将達ですら一歩下がるオージスを呼び捨て、誰もが警戒するルシィーネを愛称(アレクシス以外に呼ぶ者はなく、本人は嫌がっている)で呼ぶ者はアレクシスくらいだ。普通は、恐れ多くて呼べない。
外見は少年、中身は三桁突破の爺さんであれば、一般的な普通は通用しない。
改めてそれを思い、ため息をつく。手元の資料を半ばまで目を通して折りたたむ。
「全部読んだ~?」
「出発前に。今のは暇つぶしです」
突き放すように言い放つと、アレクシスは面白そうに笑う。ふと、笑いを納めて、後ろを振り返る。
「ね~、何か飲み物ちょうだい~。喉乾いた~」
「すぐに持って来ますから前を向いて下さい!」
両手で握ったハンドルをゆらゆらさせながら、アレクシスは前を向く気配がない。焦れた藤和は、無礼を承知でアレクシスの頭をつかんで前を向かせる。
このやりとりで、藤和の後方から血の引き音がいくつも聞こえた。ちなみに、藤和がアレクシスの頭をつかんだ無礼に対してではない。
「不用意なことはしないで下さい!落ちたらどうするんです!」
後部座席の新人達が青ざめたのは、自分達が今空の上にいるからだ。
藤和達を乗せているのは、航空機兵部の戦闘用輸送航空機の中で、大型のものだ。その分、操縦も難しい。
ちょっとしたハンドル操作であっけなく墜落してしまう。だから、のんびりと後ろを振り返るアレクシスに、皆の背筋が瞬間冷凍された。
余談だが、出発前、藤和より幼く見えかねないアレクシスが軍部内最年長の長老と知り、新人達は思考が停止した。
藤和の一喝にも笑ったまま、アレクシスはのんびりとした動作で高度を下げる操作を行う。
「いや~、でも運が良かったなぁ~」
「何がです?」
目を離すと危ないと悟った藤和は、今まで座っていた後部座席の最前列から、副操縦席に移動する。隣の方が見張りやすい。
「陸路が閉ざされてくれたから~、久しぶりに操縦席に座れたし~」
「さようですか………っ!?」
投げやりに返事をした直後、藤和はその言葉の不穏さに気付いた。
藤和は、最初は陸路で向かうことを検討していた。だが、ウェノスの手前にある谷間が雨のせいで地盤が緩み、土砂崩れを起こし、道をふさいでしまったのだ。復旧まで早くて半月ほどかかるため、航空機兵部の協力を得ることになったのだ。
ここまでは良い。土地柄的によくあることであるし、今は梅雨の時期だ。致し方ない災害なのだから、不満はない。だが、藤和の脳裏に、出発前の一幕が蘇る。
藤和達から離れたところで、アレクシスとゴディアが何やら言い争っていた。争う、というよりはゴディアが必死にアレクシスを諌めようとしているように、見えた。何を話していたのかは聞こえなかったが、最終的にはアレクシスが押し切ったのだろう。
ゴディアが申し訳なさそうに何度も頭を下げているのを見れば、アレクシスのわがままであることはよくわかった。
もし、あれがアレクシスのわがままにつき合わせることを、謝罪していたのではないとしたら…。
藤和は嫌な予感に、背筋を汗が伝うのを感じた。
「…ニドーリフ中将、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なに~?」
「最後に、輸送機を操縦なさったのは、いつでしょう…?」
通常、最高責任者が輸送機を操縦することはまずない。
藤和の記憶では、アレクシスが中将に就任したのは三十年ほど前の話のはずだ。
(簡単計算で、三十年弱…!)
はじき出した数字に戦慄しつつ、記憶をたどるように首を傾げたアレクシスからの返答を待つ。
「五十年くらい前かな~」
沈黙。
時間が止まったような錯覚を感じるほど、深い沈黙が下りた。
「五十年前?」
記憶が確かならば、アレクシスが軍に入ったばかりのころではないだろうか。
「そう~。あの時は民間輸送機だったけどね~」
「つまり…」
「軍に入る前の話~」
こともなげに告げられた言葉に反論するより早く、機体が急降下した。
後部座席からは声にならないくぐもった音が幾重にも聞こえ、藤和はアレクシスの手元や足元を反射的に見まわす。
アレクシスの笑顔に変化や焦りはなく、足元を小さく幾度か操作してハンドルを握る手が動いた。
藤和はこの急降下が操作ミスではなく意図的であると悟り、ゴディアを内心で罵倒した。
(こうなる事が分かっていたからかっ!だったら殴り倒してでも止めろ…!!)
止められなかったからこそ、幾度も頭を下げていたのだろう。
人外魔境を体現するアレクシスの副官をしているからには、さぞかし苦労が多いだろうし、その意志を止めることなどできないだろう。同情はする。だが、現状を許せるかと言ったそれは別の話だ。
ゴディアには非がない。それを藤和は分かっていたが、帰ったら説教する、と決意する。
決意の瞬間、すさまじい衝撃と轟音を伴い、機体は着陸した。
※※※
国境付近、環境や地形上孤立しやすい都市には、軍の航空施設が併設されている。
操縦士や整備士がいて、常に万全の体制で待機している。
ウェノスの施設に待機していた軍人は、王都から本部の人間が来ると知り、緊張感に包まれていた。
ふいに、計測器から顔を上げた彼らの視界に入って来たのは、ものすごい勢いで急降下する軍の輸送機だった。
操縦ミスか整備不良で墜落中では、と慌てて無線機を手に取って声をかけるよりも早く、輸送機は滑走路に激突した。と、彼らは思い、事故に伴う火災を予想する。
だが、煙も上がらず、輸送機は無傷で滑走路をゆっくりと走って止まった。
この時、施設の軍人は何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くすしかなかった。
軽く目をまわした藤和が機内から出てきて初めにしたのは、アレクシスを滑走路の上に正座させることだった。
相手が中将だろうと容赦なく説教した。
それを遠巻きに見るウェノスに赴任中の航空機兵部の兵士は、頬を引きつらせた。新人達はどうしたらいいのか分からず立ち尽くした。
説教が終わったのは、二時間後だった。
「良い体験だな~。数十年ほど説教されたことなかったから~」
「そうでしょうとも……」
誰よりも年上で腕の立つ存在に、誰が説教できるのか。今回、そんなことを考えている余裕などなかったから、藤和は怒りのままに説教したが。
「土砂崩れがどうにかなるのに二週間はかかるらしいから~、物資持ってきた~。運んでおいて~」
「は、はい!」
部下にゆるい指示を出して、アレクシスは頭を抱えている藤和に笑みを浮かべる。
実に愛らしい微笑みだが、シルファ達が見たら距離を取って一ヶ月は近寄らなくなるだろう。
「じゃあ~、いってらっしゃ~い。僕はここで仕事してから返るから~」
軽く手を振るアレクシスに、一応は礼をしてから宿舎への案内を近場にいた兵士に頼む。
新人達を宿舎で待機させ、藤和は責任者の執務室に向かう。
重厚な扉の前に立って、藤和は呼吸を整える。
ノックから一拍の間をおいて、入室許可の声がかかった。
「失礼いたします」
応接用のソファの奥、執務机に、初老の男性が座っていた。
藤和を認めた瞬間に、忌々しい物を見華のように眉間にしわを刻む。それには気付かないふりをして、藤和は敬礼をする。
「特殊機動部所属・藤和中尉、他訓練兵十五名、到着いたしました」
無感情な声での報告に、眉間のしわを深くする。
「ごくろう。航空機兵部ウェノス支部長オルガス=メディチ大佐だ。ご高名、よく耳にしている」
「光栄です」
オルガスの眉がいらだたしげに動くが、藤和はあくまで気付かないふりをし続ける。
「先程、何やら騒音と衝撃があったが、何か知っているか?」
「………さぁ、わかりかねます」
真実をそのまま言うべきか逡巡した末、返答が礼を欠く形になった。言ってから若干後悔するが、どうにもならない。
藤和の返答に、オルガスの瞳が怒気に染まる。
「今日、操縦してきたのは誰かね」
騒音などの元凶は分かっているのだろう。素直に答えてしまおうかと思って、さりげなく視線を窓の外に向ける。瞬間、藤和は言おうとした言葉を失った。
無言のままでいる藤和を不審げに見やり、オルガスは鼻を鳴らす。
「答えないのかね?」
重ねての問いかけは耳にはいらず、藤和は窓の外にいる全ての元凶を睨む。だが、その視線の先にはオルガスも当然いる。
オルガスは自分が睨まれたと思い、不満げに表情をゆがめる。
「何か文句があるのかね?何を言われる筋合いもないのだがね」
あからさま怒りと憎悪に似た思い感情を含んだ声に気付き、藤和は小さく息をついて窓の外を手のひらで指し示す。
「文句はございません。ご質問の答えですが、後ろを見ていただければ、全てご理解いただけます」
言葉とともに、窓が開いて微風が吹きこむ。
それに気付いたオルガスは、億劫そうに振り返る。
窓枠に頬づえをつくアレクシスに、オルガスは最初誰だか分からないと言いたげに片目を眇めた。だが、唐突にその顔色が蒼白になる。
「操縦してたの~、僕なんだ~。いけなかった~?」
無論、操縦自体は注意どころか処罰物だった。どの口で言えるのか、と思いつつも藤和は静観していた。
唐突なアレクシスの出現に、オルガスは軽い恐慌状態に陥った。
言葉らしい言葉を発せられずにいるオルガスを笑顔で見つつ、藤和に対して口を開く。
「もう行って良いよ~。明日には出発でしょ~?早く宿舎に行かないと、日が暮れちゃうよ~」
「お気遣い、ありがとうございます。これで失礼させていただきます」
「うん~、無事を祈ってるよ~」
「ありがとうございます」
藤和が退室した瞬間、扉の向こうで何やら必死な声と間延びした声が言い合いを始めた。
苦手な人種だったアレクシスに、今日ばかりは心から感謝したかった。
宿舎に移動すると、およそ二ヶ月ぶりの人物に出迎えられて、藤和は破顔した。
「お久しぶりです、ノルヴァ中尉」
「もう中尉じゃねぇよ」
新人達は親しげな藤和達の様子に、ただ首を傾げる。
「藤和中尉、あの……」
困惑気なアリサの問いかけに、藤和は苦笑を浮かべる。
「こちらはドレイク=ノルヴァ殿。お前達が入った日に退役し、故郷であるここに移られたんだ。まさか、会えるとは思っておりませんでした」
「中将から一報があってな」
ちら、と新人達を一瞥するドレイクに気付き、藤和は新人達に荷物を部屋に置いた後のことを指示して、ドレイクと一緒に逆方向に足を向ける。
無人の小会議室で、二人は向かい合った
「今回の任務、詳細は?」
「未踏地域で何人も行方不明になっているとか。帰ってきた数少ない者の中には、巨大な毒獣を見たと言う者がいたので、討伐を」
「それだけか?」
「いえ……。『龍』の調査を、と」
無意識に声を低めたのは、新人達には伝えていないからだ。伝えれば恐慌状態に陥りかねないため、シルファから伝達を禁じられていた。
まるで、そのことをあらかじめ知っていたかのように問いかけてきたドレイクに、藤和は不審そうな視線を向ける。
「知っていたんですか?」
「ああ。この街の連中は、近くに『龍』がいることを知ってる」
「は……?」
『龍』と呼ばれる強大な毒獣の存在は、あまり公表されていない。軍に属していれば、知っているのは必然だが。
ドレイクが知っているのならまだしも、なぜ、一般市民が知っているのか。
思い浮かんだ疑問を口にしようとした時、藤和はその答えに至った。
「龍神信仰……」
「おう。お前らが観測した『龍』、蒼くなかったか?」
言われ、『龍』の写真を思い出す。巨体の全体を映すため、少々遠めになっていたが、その色ははっきりとわかった。
「はい。蒼い鱗の『龍』でした」
「だったら、うちの龍神様だ」
深く頷くドレイクに、藤和は視線で説明を求める。
「ウェノスの街は、結構歴史が古い。エメディアの一部になる前、八百年くらい前は、一応独立都市だったからな。その頃、毒獣の襲撃にあってな。地形的な問題もあって、絶体絶命のところまで追い込まれた時、空から降って来たんだよ。その蒼い『龍』が」
「降って、来た……?」
「おう。御先祖様達は、ああ終わった、て思ったそうだ。どうやっても勝ち目なんざねぇのは分かってるからな。だが、『龍』が襲ったのは人じゃなくて毒獣の方だった」
「同族を、ですか?」
「もしかしたら、『龍』はそれだけで一種族で、毒獣とは関係がないのかもな。でも、御先祖達は安心しなかった。毒獣を食うとはいえ、その後は自分達かもしれんからな」
なるほど、と頷いて続きを待つ。
「だが、『龍』は相当な変わり者だったらしくてな。毒獣を食うだけ食って、逃げるのは追わず、御先祖達の方を見ると、しゃべったらしい」
「しゃべったんですか?『龍』が?!」
「おう」
人の声(叫び声や泣き声)を真似る毒獣はいるが、言葉を話すのはどんなに知能が高いものでもいない。
その時点で、確かに、『龍』は他の毒獣達とは一線を画する存在かもしれない。
「一言、眠い、つったらしい」
歴史的に見ても、『龍』の発見は片手でも余るほど。その強大さゆえに、軍部が市民に話すことをためらい、隠したほどだ。
知能が高いと誰もが思っていただろうが、しゃべる事はどんな研究者も学者も予想できなかったはずだ。
だから、おそらく、貴重な『龍』の言語録を聞いている。そのはずだ、と藤和は自分に言い聞かせる。
当惑している藤和に、ドレイクも苦笑する。
まさか、伝説上の存在でしかないと思っていた『龍』が、間の抜けた言葉を発するとは誰も思わないだろう。しかも、その直前に同族(『龍』にとっては違うかもしれない)に対して残虐な行動をとっていただけに、脱力感は半端ないだろう。
「まぁ、爺さんから聞いた話だがな。本当かはしらねぇ。でも、御大層な説教を垂れるよか、現実味はある」
「そうですね……」
「…『龍』いわく、自分が眠っているところを、あの獣どもに邪魔された。だから食った。腹も減っていた。今はもう食う気はない。自分の眠りを妨げれば、お前達も食ってやる。と言って未踏地域の奥に消えて行ったらしい。
「ずいぶん、あっさりしてますね」
「だよなぁ。その後、結果的には助かったわけだから、感謝を示そうと神殿が建てられた。見えなかったか?この街で一番でかいもん」
「ああ、大きな屋根が見えましたね。神殿か何かかと思ってたんですが、本当にそうだったんですね」
「その数十年後、街の代表者の末息子が、神殿を見上げる全身真っ青な少年に会った。神殿に饅頭を供えに行く途中で、座り込んで腹を空かせているらしい少年に、一個、わけてやったんだ。それを食いながら、何の神殿だ、と少年に聞かれ、末息子は、蒼様の神殿だ、と答えた」
「蒼様?」
「蒼い『龍』だから、蒼様。単純だが、親しみを込めてそう呼んでる。少年も、お前と同じ質問をして、答えを聞いた後大笑いした。腹を抱えて笑った後、末息子に伝言を頼んだ」
「……何と?」
「この街の長に、前言を撤回する、と。その代わり、月に一度、この饅頭を神殿に供えろ。それを怠らなければ、お前達に降りかかるあの獣どもの脅威を払ってやる」
昔語りのセリフをなぞるようなドレイクに、藤和は眉間にしわを寄せて、しばし黙考する。
「…つまり、その少年は、『龍』だった、と?」
「らしい。それを末息子から伝えられ、御先祖達は困惑した。中でも、当時の長老達は直に『龍』の言葉を聞いている。自分達しか知らず、末息子の世代の者は誰一人として知らない。だが、真っ青な少年に心当たりもねぇ。まさか、少年が『龍』だとはおもわねぇだろう?」
「まぁ、そうですね…」
「饅頭の礼を言うと未踏地域の奥に消えて行ったという少年の言葉を疑いきれず、毎月、饅頭を供えるようになった」
「毒獣の襲撃は、無くなったのですか?」
「全く、な。だが、たまたまかもしれん。だから、末息子の長兄が後を継ぐと、周りの制止も聞かず、やめさせた。自分が聞いたわけでも会ったわけでもねぇから、信じられなかったんだろう。だが、やめてから二ヶ月後、三回連続で襲撃にあった。間をおいて四回目があった時、末息子は独断で供え物をした。結果、襲撃はぴたりとなくなった。それで、長兄も納得した。大して珍しくもないありふれた饅頭の一山だけで守ってくれるのなら、こんないいことはない。饅頭を供えることを再開し、それは今でも続いている」
「……本当に、龍神ですね」
神というのは、意外にもシビアだ。神話も慈悲深いエピソードよりも残酷なエピソードの方が、実際は多い。
ささやかな供物で街を守るが、それがなくなれば宣言通りに守らなくなるあたり、傍若無人な神そのものだ。
心動かされたわけではないだろう。ただ、身勝手極まりない自分を崇めて感謝する人間の心が、面白かったのだろう。
藤和の率直な感想に、ドレイクは柔らかな笑みを浮かべる。
「ここじゃ、まさに守り神だ。『龍』が守ってくれる。恩を忘れねぇ限り、な。だから、藤和」
「はい」
「むやみに手出しはするな。出したら、お前らだけじゃねぇ。この街が、文字通り食われる」
『龍』の逆鱗に触れる行為でもしようものなら、ウェノスを中心とした一帯が焦土と化すだろう。それが容易に予想できて、藤和は短い息を吐く。
「精一杯、努力します」
そうとしか言えなかった。
何が『龍』の怒りに触れるのかからない以上、確約はできない。
生真面目な答えに、ドレイクは藤和の肩を励ますようにたたく。
「それでいい。変に緊張してると、墓穴を掘りかねん。頑張れ」
「はい」
力強く叩かれた肩が少々痛い。だが、変わらないドレイクの態度は嬉しかったので、甘んじて受け入れる。
「そうだ、藤和。とっておきの昔話をもう一つしてやろう」
「…?」
「三十数年前、市長の孫が、供物を持って行くように頼まれた。その時、父親が鉄鋼細工師でその真似事をして作った腕輪を、一緒に持って行き、供物の隣に置いてきた。『龍』がどうやってきているのか興味があったそいつは、柱の陰に隠れていた。待ってるうちに、日が暮れて寝ちまった。物音に気付いて目が覚めると、供物を置いた祭壇の前に、真っ青な少年がいた。饅頭が盛られた皿を脇に抱えながら、腕輪を不思議そうに見ていた。何かが気に入ったのか、少年は自分の腕に通すと柱の方を振り返った。顔は見えなかったが、空気で笑ったのは分かった。腕輪を付けた手を挙げて、そのまま闇の中に消えて行った。不思議だろう?」
箇条書きのような簡潔な言葉の羅列に、藤和は少し考えた後、意地悪げな笑みを浮かべる。
「その子は、貴重な体験をしたのですね。でも、何故腕輪を?」
「守ってくれてることに、感謝を示したかったんじゃねぇか?」
「なるほど。いい話をありがとうございました。貴方と同じ腕輪をしている少年を見つけたら、お伝えしましょう」
ドレイクの左手首には、軍にいた頃には見たことのない古い腕輪があった。
苦笑して背を向けるドレイクは何も言わなかったから、藤和も何も言わなかった。
肯定がなかった代わりに、否定もなかった。それが答えだ。
遠ざかる背中に頭を下げ、息をつく。
貴重な話が聞けた喜びと同時に、厄介事が増えたという憂鬱を感じた。
(逆鱗に触れる行為、か…。何がそうなのか分からないんじゃ、対処のしようがないない)
数百年前、『龍』は眠りを妨げられただけで、毒獣を襲った。
つまり、今も眠っているだろう『龍』が起きるような騒動を起こすな、と言う事。
「いや、無理だろう…」
無音の戦闘が、獣の群れ相手にできるはずがない。
数秒、立ち尽くしたまま思考にふけり、諦めたように溜息をつく。
指示通りに動いているなら、新人達が鍛錬にいそしんでいるはずの道場へ、足を向ける。
「運に頼るしか無い、か…。一番嫌いなんだが……」
自嘲気味につぶやく影が、誰もいない廊下に長く延び、声が反響して消えて行った…。




