22.迫りくる魔の手
何が起こったのか、すぐには理解できなかった。男性に続いて道を歩いていたら、彼が振り向いて、すぐ横を風が吹き抜けて……。
次の瞬間、私の目の前にはレミュエルの背中があった。彼はがっしりとした腕を振り上げ、男性に殴りかかる。男性はろくにうめき声を上げることすらできず、その場にゆっくりと崩れ落ちていった。
「レミュエル!? どうしてあなたが、ここに!?」
混乱したまま、声を張り上げる。彼は振り返りざま、静かに尋ねてきた。
「無事か、ベリンダ」
「え、ええ……」
呆然としている私に、彼は足音もなく歩み寄ってくる。
「そいつは、君に害を加えようとした。君めがけて、小刀を投げたんだ」
彼の視線の先には、石畳に落ちた金属の棒のようなものがあった。何だろう、と手を伸ばしかけたら、レミュエルが私の腕をつかんで止めてきた。
「触るな。それには毒が塗られている。あの臭い、間違いない」
「えっ……?」
さっきから訳の分からないことばかりで、ただうろたえることしかできない。そのとき、彼の腕に薄く傷がついていることに気がついた。
「ね、ねえ、その傷って、もしかして……」
「少しかすった」
おそるおそる問いかけると、彼はこともなげに答えた。
「大丈夫だ。……俺は人ではない分、毒や病には強いんだ。それにこの毒なら、家に解毒剤がある。帰ってから手当てすれば十分に間に合う」
「だ、だったらすぐに戻りましょう!」
さっきの男性がなぜか物騒な小刀を投げてきたらしいことも、彼が床に倒れていることも、突然レミュエルが現れたことも、どうでもよかった。今はとにかく、レミュエルの傷の手当てをしなくては。そのことで、頭がいっぱいだった。
「そうしたいところだが……ああ、来たな」
傷の少し上のところで腕を縛りながら、レミュエルが遠くに目をやる。そちらから、ばたばたという足音が近づいてきた。
「ふう、やっと追いついた……って、えっ!?」
うろたえた顔のファリアが、私たちを見て目を丸くしている。
「ファリア、後始末を頼む。俺はベリンダを送っていくから」
「私のことはいいから、急いで家に戻って! 早く、傷の手当てを!」
そのやり取りである程度状況を察したらしいファリアが、さっと顔を引き締めた。
「落ち着いて、ベリンダさん。兄さんなら、本当に大丈夫だから、ね? ほら兄さん、さっさとベリンダさんを安心させてあげてよ」
こくんとうなずいた私の肩を抱いて、レミュエルが歩き出す。彼に支えられながら、懸命に足を動かした。
ガイアス商店に戻るとすぐに、彼は私を連れて自室に戻ってきた。そうして、あっという間に傷の手当てを済ませてしまった。私は彼に指示されるまま、薬瓶や包帯を取ってくることしかできなかった。
「植物の研究が、こんな形で活きるとはな……」
腕に包帯を巻き終えたところで、レミュエルが深々とため息をつく。安堵が半分、いらだちが半分といった様子だ。
まだ震える手で後片付けをしながら、小声で尋ねた。
「ねえ、あなたはどうして、あの場に来ていたの……?」
「君に頼み忘れたものがあって、あとを追いかけていたんだ。そうしたら、君があの男に呼び止められるのを見かけた」
そこで彼は、ぐっと鼻にしわを寄せてしまう。ちょうど、怒った犬のような表情だ。
「遠くからでも分かるくらいに、よくない臭いがした。あわてて追いかけたら、あいつが小刀を投げるのが見えた。とっさに割って入って、あいつを殴って気絶させた。そういうことだ」
一気に語っていた彼が、切なげに眉を下げた。
「だが、間に合ってよかった。君に小刀が当たっていたら、今ごろ大変なことになっていただろうから」
そこでようやく、彼の顔が緩む。優しい視線を、こちらに向けてきた。
「……本当に、なんともないの?」
「問題ない。だからもう泣くな」
言われて初めて、自分が泣いていることに気づいた。あわてて袖で目元をぬぐい、言葉を返す。
「だって、あの人、なぜか私を狙ってたんでしょう? それをかばって、あなたが怪我をするなんて……」
どうして私が狙われたのか。ひとつだけ、心当たりがあるにはあった。ただそれを口にするのが怖かった。
彼も私のそんな思いをくみとってくれているらしく、それ以上何も言わなかった。
居心地の悪い沈黙が、部屋に満ちる。まるでそれを見計らったかのように、扉の向こうからファリアの声がした。
「そろそろ、いいかな?」
ああ、とレミュエルが声をかけると、ファリアが音もなく部屋に入ってきた。彼もまた、やけに深刻な顔をしていた。
「あのさ……理由は分からないけれど、ちょっとまずいことになってるかもしれない」
口を開くなり、彼はそう言った。
「さっきのあの男だけど、間違いなく戦闘の訓練を受けている。それもただ体を鍛えてるってだけじゃない。戦いに慣れてる」
どうやらそのことには気づいていたらしく、レミュエルが黙ってうなずいている。
「でもこのへんじゃ見ない顔だし、この町の衛兵でもない。傭兵かなとも思ったけれど、懐を探ったら物騒なものが出てきた」
そうしてファリアは、布の包みを机の上に置き、慎重に広げた。
「あの小刀の他にも、毒針とか、毒の小瓶とか……そういうのを体のあちこちに隠し持ってたんだ。少し悩んだけど、そのまま奪ってきた」
机の上に並んだ品々を、レミュエルがひとつひとつ確かめている。その眉間のしわが、どんどん深くなっていった。
「ついでに、身ぐるみはいで町の外に転がしてきたから、しばらく時間は稼げると思うけど……一応、用心したほうがいいと思う。それじゃあ僕は、父さんと母さんにこの話をしてくるから」
ひととおり話し終えると、ファリアはまたばたばたと立ち去ってしまった。彼の足音が聞こえなくなってから、レミュエルが重い口を開く。
「まるで、暗殺者だな。そういえば、君はどうやってあの男に連れ出されたんだ?」
「ああ、それは……」
あの男性が話していたことをそのまま伝えると、またしてもレミュエルが難しい顔になってしまった。
「……こちらの内情に、詳しすぎるな。やはりあの男は、入念に下準備をしたうえで、君を確実に始末しようとしたのだろう。……どうにも、嫌な予感がする」
「……私の正体が、ばれてしまった……のかしら」
ずっと恐れていたことを、そっとつぶやいた。彼は表情を変えずに、かすかにうなずいた。
「あの獅子の騒動のときに、君が笛で獅子をなだめたところを見た者がいたのかもしれないな。……こんなことなら、あの獅子を一刻も早くよそに移しておくべきだったか」
いきどおりもあらわに、レミュエルは語る。
「この国では男女問わず、王の子たちの中で最も年長の者が王位を継ぐことになっている。今王宮にいるのは、十三歳のアデル王子だ。彼らにとって、君は邪魔でしかないのだろう」
田舎暮らしの私にとって、そういった権力争いは無縁だった。遠い世界の、物語の中でしか知らない世界だった。
でもそれが、すぐそばまで迫っている。
「……私がここにいたら、あなたたちに迷惑がかかってしまうわね」
事の真相は、まだはっきりしていない。けれどのんびりしていたら、次の暗殺者が現れないとも限らない。
今回は、レミュエルが守ってくれた。でも次も、同じようにいくとは思えない。次は、レミュエルを危険にさらしてしまうかもしれない。
「ハンナと獅子がいてくれれば、野山を逃げ回ることもできると思うの」
それに野山であれば、獣たちの力を借りることもできる。人の多い町中より、ずっと安全だ。
「そうと決まれば、急いで出ていくわ。今まで、本当にありがとう」
立ち上がったとたん、腕をつかまれた。
「待ってくれ」
「でも、このままだと危ないし」
「だから、俺もついていく」
「今までのような、平和な旅にはならないのよ?」
「ならばなおさら、俺の力が必要だろう」
「ねえ、どうして私のためにそこまでしてくれるの?」
熱っぽい声で主張してくるレミュエルにとまどいながら、揺れる声で尋ねる。するとひときわ力強く、彼は答えた。
「……好いた女の力になりたいというのは、ごく当たり前のことだと思うが」




