第9話 デート二回目 (総合病院の中庭)
真ん中に噴水があり庭園になっている病院の中庭に着き、ゆっくり座らせてから離れる。
「飲み物、買ってきますから、何かあれば電話して下さい」
弟が産まれたとき、小学校一年生のとき入院して亡くなってしまった祖父。
この辺りの人間の生死を預かっている病院はよく知っている。
俺は、中庭から建物に入って、一番近い自販機で水を買って戻った。
十月に入ってもまだ強い夕日に照らされ、少し目を細めている。
花がない緑を見つめているのではないだろう。
その視線の先にあるものが何か、分かる前に、名前を呼んでくれた。
「ごめんなさい、もう大丈夫だから」
そばに立ち、水を渡すと笑みを返してくれる。
赤い日に照らされているけれど、顔色はよくないと分かった。
「ごめんね、今日は、もう帰ってもらって大丈夫だから」
俺は、ぎゅっと、両方の拳を握って返す。
「……帰りませんよ、そんな、つらそうな顔しているのに」
……俺は、ふだんは言えないことでも、彼女になら言える。
素直な言葉を吐いたあと、隣に座って続ける。
「お医者さんに看てもらうのが、怖い、とかですか」
隣から、とても小さい笑い声が聞こえた。
「私、いい大人だよ、怖くないよ」
その通りだけど、今は、弟が小さいときぐらい頼りなく見える。
「うちの祖父は、お医者さんに看てもらうのが怖くて、かなり末期になってからここの病院に入院して」
続きを、なぜか言えなかった俺に、お姉さんがぽつりと言う。
「ごめんね、つらいこと思い出させて」
「いえ」と言うのもおかしいと思って、黙っていると、彼女が続ける。
「私もね、思い出したの、一年前に両親が交通事故で死んだこと」
俺は隣に向き、予想とは違う笑顔を見つめた。
「私ひとりっこで、親戚も遠いの、だからそのとき一緒に居てくれたのって」
そこまで言って、彼女は口を閉じた。
「……ここに来てる、……ひとが、一緒に居てくれたんですね」
「そうなの、私落ち込んじゃって、四十九日が終わってすぐにプロポーズしてくれたのは見てられなかったからだと思う」
『恋人』や『婚約者』と言えなかった。
俺に、あまり知りたくなかった事情を教えてくれる。
「私、いい年してるのに、両親のことがすごく好きだったから」
へへっと、笑ったお姉さんに、なぜかかっと胸が熱くなる。
「そんな風に、無理して笑わないでください」
しゅっと、表情をなくした彼女に続ける。
「俺が、子供で頼りなくて、すいません」
頭を下げて言葉を続けたのは、笑われるのが怖かったからだ。
「お願いします、俺の前で、無理をしないでくれませんか」
何、偉そうなことを言ってるのだと自分が一番思っている。
ただ、初めて出会ったときから、彼女は俺の為に笑うのを知っている。
水をかけられたり、悲しいことを思い出したり。
そんなときなのに笑ってくれるのだ。
そんな笑顔を見ていると胸がとても痛いのだ。
……俺は、お姉さんには、本当に笑って欲しいと思う。
「ごめんね、私、君からすればおばちゃんなのに、しっかりしてなくて」
だから、どうして。
俺が思っていないことを言うんですかと、首をもたげて言う前。
とても驚いて、口を開くことが出来なくなった。
赤い日に照らされ、ぽとり、彼女のあごから雫が落ちる。
「あはは、ごめん、私さ、悲しいときこそ明るくしなきゃって思うの」
濡れた両目を細め、お姉さんは続ける。
「大学のとき、心理学の授業で、悲しくても笑顔でいれば楽しくなってくるって習ってからかな。私、結構、うじうじ悩んじゃうタイプで、ほかのひとが悩まないことも気にしちゃうほうだったから、実践して、なかなか効果が出るからこんな感じになっちゃったのね。大学卒業して、就職した会社がなかなか大変で、益々こういうのが強くなっちゃってたときに同じこと言ってくれたひとが居たの」
初めて聞く、早口で、お姉さん自身のこと。
その先は聞きたくないと思うけれど、言えなかった。
「いなくなった、元同僚、私の元婚約者のひとがね、思ってるのと違う表情をしてるとそのうち壊れてしまうよって……」
最後、とても小さくなった言葉のあと、お姉さんは顔を下に向けた。
「……嬉しかった、……誰にも、気づいてもらえなかったから……」
かすれた、明らかに泣きながらの声に、口の中に苦みが広がっていく。
……どうして、俺が、最初じゃなかったんだろう。
そう思い、八歳年下の高校生で、田舎暮らしの自分の現実に気づいたあと。
……ここに来たのだって、……そいつの、お陰じゃないか。
どうやっても、自分が勝てない現実が分かった。
「……ごめん、……少し、いいかな……」
「はい」と返すと、両手で顔を隠して、彼女は抑えた泣き声を上げ始めた。
ドラマやマンガなら、こういうとき抱きしめるのだろう。
でも、現実は、俺は、そんなことをすることは出来ない。
震える肩をなでることも出来ず、俺は、馬鹿みたいに見つめているしか出来なかった。




