第0話 デート七回目 (あなたと出会えて良かった)
「……おっ、お姉さん、……だっ、ダメですよ、こんなっ……」
「私、お姉さんて名前じゃないよ」
どこから香ってくるのだろう。
俺の上にある、くっついている場所全部がびっくりするぐらい柔らかい身体。
俺の顔にかかっている、さらさらの髪の毛。
彼女の全部から、とても甘くてよい香りがしてくる。
「……一条さん、……俺の上から、どいて下さい」
「それ、名字だよ」
「……桃子さん、……お願いします」
「初めて、名前呼んでくれたね」
ふふっと、クラスに居る女子や母親とは全然違う笑い声を上げる。
高校二年生十七歳の俺の八歳年上、二十五歳。
二ヶ月前、都会からこの町に越してきた理由は、突然いなくなった恋人を探すため。
出会ったときから誰かのものだった、産まれて初めて綺麗だと思った女の人。
……彼女、一条桃子さんと、俺は、水曜日の放課後にデートをしている。
今日は、七回目の水曜日。
薄暗い中、彼女の部屋のベッドの上でふたりいる。
初めてのことに頭がぐらぐらな俺は、なんとか言葉を返す。
「……悪ふざけが過ぎてますよ、……からかうのやめて、どいて下さい」
「ふざけてないし、からかってないよ」
「……じゃあ、……どうして……」
こんなことになっているか聞く前、お姉さんは俺の胸に顔をうずめた。
ぴったりとくっつかれ、甘い匂いが鼻から全身に回って、先週かかったインフルエンザの時のように俺はなっている。
頭がぐらぐらして、身体が熱くて、色んなところから汗が吹き出ているのが分かるのに動けない。
「健太郎君の、心臓の音が聞こえる」
恥ずかしくて身体を離そうとしたら、胸の顔がゆっくり上がる。
「私と、こうしてるの、嫌?」
薄い闇の中、彼女の両目がきらりと光り、両頬に水がつたった。
「……そうだよね、健太郎君も、私なんか嫌だよね」
そう言ったあと、お姉さんが見せた笑顔を、両腕で自分の胸の中に押しつけた。
「ふざけないでください」
「……ごめん、……今まで、ありがとう。もう、健太郎君に……」
「だまって」と、俺は、ぎゅっと強くしめつけられている胸に彼女を更に強く押しつける。
「俺を、誰と一緒にしてるんだよ」
両腕のなか、お姉さんが全身をびくりと震わせのに、言葉を止められない。
「俺が、こうしてるの、嫌なわけないだろ」
「どうして」と小さく聞こえ、なぜか、震えている唇で返した。
「……あなたが、好きだから」
マンガやドラマや映画で聞いたことのあるセリフを、本当に言っている。
「俺は、お姉さん、一条桃子さんが好きだ」
言葉を、自分でも確認する様に言い、
「初めて会ったときから、好きだ」
今、気づいた気持ちを言って、右目から水が垂れたのが分かった。
「好きです」
俺は、胸のなかに感じる温かさに目を閉じる。
二ヶ月前、まだ彼女に出会う前の自分に話してやりたい。
……初めての恋は、とても苦しい。けれど。
「俺は、あなたと出会えて良かった」
素直な言葉を吐くと、彼女の肩が小さく震えはじめ。
「私も」と、とても小さくて、とても嬉しい言葉をくれた。
それだけで、彼女と居た二ヶ月は意味があったと思った。
「デート、楽しかったです。桃子さんは、楽しかったですか」
返事を待つあいだ、俺は、出会った日を思い出す。
夕日に照らされ、きらきらと輝く濡れた笑顔を――――。