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第十五話 呪われた血


 病院の床に屈み込んだ俺の耳に、周囲の人間がざわめく音が聞こえる。だけどその音が耳に入っても、俺の心の混乱が収まることはなかった。

 俺は、俺は、俺は――


「あの、大丈夫ですか?」


 不審に思った看護師らしい女性の声が上から聞こえてくる。


「何でもない、騒がせてしまったが、単なる『姉弟きょうだい』喧嘩をしてしまっただけだ」

「あ、ご姉弟の方でしたか、失礼しました」

「いやいや、お仕事ご苦労様」


 町針さんが対応して、看護師をその場から追い払う。だけど俺は彼女の言葉で、現実を再確認することになった。


 『姉弟』。それが、俺とこの人の……


「大丈夫か、剣一? ……いや、それを聞くのは流石に酷か」


 どうにか顔を上げた俺を、町針さんが心配そうに見つめてくる。その顔はまさしく……


「……アンタが」

「……」

「アンタが、俺の姉だと言うのか?」

「……」


「俺が、アンタの弟だと言うのか!?」


 その事実は、到底受け入れられるものではない。だけどそれならば、全ての辻褄が合う。

 この人が、俺のために人をも殺そうとするのも。俺のためにここまで尽くそうとするのも。そして、盾二をあそこまで嫌い、『敵』として認識していることも。


 全ては、俺とこの人が血の繋がった実の姉弟だったから。


「その通りだ」


 俺の質問にはっきりと答えた町針さんは、もう一度俺を指さす。


「『説明』しよう。この私、町針楓は幼い頃にいなくなってしまった実の弟を、ずっと探し求めていた。そして高校受験の直前に両親からようやく、お前が鵠沼家に奪われたことを聞き出したのだ。多少手荒な手は使ったがな」


 ……この人のことだ。多少どころではない、手荒な手を使ったのだろう。


「だが、いきなり私が実の姉だと言ったところで、お前がそれを受け入れられるはずもない。それに、仮に受け入れられたとしても、心優しいお前のことだ。例え偽りの家族だとしても、鵠沼家に残る決断をするだろう」

「……」

「だから私は考えた。どうやってお前を鵠沼家から解放し、私の元に帰ってこさせるかを。お前を『鵠沼剣一』という偽りの姿から、『町針剣一』に戻す方法を」

「それが……今回の事件だと言うのか?」

「なに、私には『協力者』がいてな。その『協力者』が本来はお前が知らぬ間に鵠沼盾二の名声を地に落とし、お前が鵠沼家から離れやすくする予定だったのだ。だが想定外のイレギュラーのせいで、お前が真実を知るのが少し早まってしまったがな」

「イレギュラー?」


 いや、考えてみれば町針さんがそう呼ぶ人物は一人しかいない。


「勝呂さん……あの人の登場は、アンタも予期していなかったのか?」

「ああ。だが結果的にはお前も鵠沼盾二の本性を知れて、ヤツを見限る決心がついたのではないか?」

「……」


 盾二の本性。方法は間違っていたかも知れないが、自分のために動いていた枕木を罵倒し、名声こそが目的だったと語るあの姿。

 そして、俺のことを赤の他人だと言い切ったこと。


「これでわかっただろう。お前が鵠沼盾二に対抗する必要も、ヤツの陰で苦しむ必要も、初めから無いのだ。なぜなら鵠沼盾二はお前の弟でも何でもない。赤の他人なのだから」

「俺は……そもそも盾二に挑む必要が無いと言うのか?」

「そうに決まっているだろう? お前と鵠沼盾二は本来何の関係も無く生きているはずだったのだ。それがあの鵠沼武雄の身勝手な行動のせいで、お前は長きに渡って鵠沼盾二に苦しめられることになった。それが私は許せない」


 俺が、盾二に苦しめられていた?

 想像する。もし俺が盾二を知らずに生きていたら。町針さんの弟として生きていたら。俺は盾二の優秀さと自分を比べることなく、もっと自信を持った性格になっていたかもしれない。

 だけど、本当にそれだけか? 本当に俺と盾二はそれだけの関係だったのか?


「町針さん、俺は……」

「鵠沼盾二を見限りたくはない、と? ヤツが言った言葉を思い出せ。ヤツはお前に家族としての情など抱いてはいない」

「あ……」


『赤の他人なんだよ』


 盾二の言葉が、俺の淡い希望を否定した。


「だが私は違う」


 戸惑う俺に、町針さんは両手を広げて近づいてくる。


「お前は私の弟だ。私はお前のモノだ! 私だけはずっとお前のそばにいよう。私がお前を護ってやろう」

「う、あ……」

「お前のためなら地獄にも堕ちよう。お前のためなら悪魔に魂も売ってやろう。私はそうするために生きているのだ。全ては、たった一人のおまえのために」

「あああ……」


 うっとりと語る町針さん。だけどその言葉は、俺がずっと求めていたものだった。

 この人は、この人だけは俺を見てくれる。『鵠沼盾二の兄』じゃない。『町針剣一』を見てくれる。

 俺に何が残っている? 父さんは俺を必要となんてしていなかった。盾二も俺を兄だとは思っていなかった。周りの人間だって、俺なんか必要としていない。俺は『鵠沼盾二の兄』でしかない。

 

「さあ、私の元に戻っておいで剣一。これからは失われた時間を、二人きりでゆっくりと取り戻そうではないか」


 俺は……


『泣くな。お前のことは兄ちゃんが守ってやる』


 ……!!


 俺は、俺は、俺は……!


「くっ……!」

「剣一!?」


 気づけば、俺は町針さんに背を向けて逃げ出していた。何故かはわからない。さっきまで、町針さんの元に戻ろうという決意をしていたはずなのに。

 だけど、一瞬よぎってしまったのだ。


 幼い頃に、守ってやると約束した盾二の顔が。



 俺は闇雲に病院の中を走り回っていた。途中で何回か看護師らしき人に注意された気もするが、そんなことはどうでもよかった。

 この一日で、衝撃的なことが起きすぎている。俺の頭が事態の急変に追いついていない。一旦、頭を冷やす必要がある。

 そう考えた俺は立ち止まり、どこか座る場所がないか探した。しかし俺が今いる場所は、どうやら病室のエリアらしく、ロビーからは遠ざかっていた。


「あれ、この病室は……?」


 ロビーに戻ろうとした俺だったが、そこで目にしたのは『鵠沼盾二』と書かれた病室だった。どうやら手術と治療が終わって一般の病室に移されたようだ。


「そうだ……盾二の無事を確かめないと」


 俺は気力を振り絞り、盾二の病室に入った。そこにはベッドに体を横たえ、落ち着いた顔で寝息を立てる盾二がいた。


「盾二……」


 目を閉じて、まるで普通に寝ているかのようなその顔は、やはりあのような罵倒をした人間のものとは思えなかった。

 そう、やはりまだ疑問は消えない。盾二はどうしてあんな行動に出たのだろうか。町針さんの目的はわかった。しかしまだ、盾二の目的はわからないままだ。


「くそっ、なんなんだよ……」


 独り言を呟くが、そんなことで疑問は解決しない。それに俺が盾二ではないのだから、アイツの行動を読むなんて無理な話だ。

 それでも俺は兄として、盾二に勝ちたかったし、守りたかった。この間の夢のように、俺は盾二を守ると約束したはずなんだ。


 ……待てよ。


 もし、俺たちに血の繋がりがないということを先に知ったのが俺だったらどうなっていただろう。そう、今回の立場が逆だったら。俺が盾二の立場だったとしら。


 俺はどんな行動を起こす? 俺は……


 ――そんなものは、決まっている。


「……ん」


 その時、ベッドの上の盾二が小さく呻いた。そしてかすかに両目を開ける。


「……盾二!」


 俺の声に反応した盾二は、眩しそうな顔をしながらもこちらを向いた。


「にいさ……痛っ!」

「無理をするな。まだ傷は塞がってないはずだから、安静にするんだ」


 良かった。とりあえず盾二は目を覚ました。それが素直に嬉しいと感じる。

 

「……何しに来たの?」


 しかし当の盾二は、横たわった状態のまま、俺に背を向けた。


「言ったよね。僕とあなたは血の繋がりのない、赤の他人なんだ。もう僕に構わないでくれるかな?」


 ……起きた途端に、ここまで悪態をつけるのは流石というべきか。

 だけど俺は、もう騙されない。


「盾二、もういい。もういいんだ。町針さんに全て聞いた」


 町針さんの名前を出した時、盾二の肩がピクリと動いた。


「お前は知っていたんだな? 俺がお前の兄ではなく、町針さんの弟だってことを。お前と町針さんが接触したのかどうかはわからなかったが、今の反応で確信したよ」


 もう俺の中で、全てが繋がっていた。


「お前は町針さんから、俺が実の兄ではないということを聞いたんだ」


 町針さんの『協力者』とは、他ならぬ盾二本人であることを。


「お前は考えたんだ。どうしたら俺が、鵠沼家から解放されるのかを。そして一つの結論に達した。鵠沼家の評判を地に落とし、さらに公の場で俺が鵠沼家の人間ではないことを告発することで、俺を町針家に戻りやすくすることを考えたんだ」

「……」

「そのために起こったのが、今回の事件なんだろ? お前が勝呂さんに接触したのも、俺を今回の事件に関わらせるためだったんだ。あの場に俺がいないと、お前の計画は成立しないからな」


 おそらく勝呂さんに接触したのは、盾二の独断だろう。だから彼女は、町針さんにとって、イレギュラーだったんだ。


「ずっとお前の行動の真意が読めなかった。だけど今ならわかる。なぜなら、もし俺が同じ立場だったら、同じ行動を取ったはずだから」


 そう、今こそ確信する。


「たった一人の兄弟を、救いたいと考えたはずだから」


 盾二の行動は、全て俺を救うためのものだったということに。


「……はは」


 その時、盾二が左手で両目を覆いながら微かに笑った。その笑いはどこか呆れたもののようにも聞こえた。


「やっぱり、敵わないんだな、兄さんには……」

「え?」

 

 敵わない? 俺に?


「……その通りだよ兄さん。『あの人』から兄さんの出生について聞かされたとき、僕は心の底から震え上がったさ。まさか自分の父親が、そんな人道を外れたことをしていただなんてね」

「……」


 人道に外れたこと。やはり盾二も、そう思っていたのか。


「僕は思った。兄さんはここにいてはいけないって。この呪われた鵠沼の血から、兄さんだけは解放しないとならないんだって」

「の、呪われたって、どういうことだよ?」

「僕も所詮は鵠沼の……父さんの血を引いているってことさ。僕も父さんも、心優しい兄さんのそばにいてはいけなかったんだ。兄さんは、鵠沼に来てはいけなかったんだ」

「待ってくれ盾二、何の話をしているんだ?」

「今回のことで、鵠沼家の名声は地に落ちたと思っているかい? だけど僕がどん底の更に底に落ちるのはこれからなんだ。だけど僕と血の繋がりの無い、兄さんは救われるべきなんだ。……楓さんと共に」

「お前……」


 やはり盾二は町針さんと接触していたのか。しかしまだ疑問は残っている。いくら俺を助けるためとはいえ、なぜ盾二が自分も傷つくような計画に賛同したのか。


「教えてくれ盾二。お前はまだ、何か言ってないことがあるのか?」

「ああそうさ。ここまで来たら全て教えてあげるよ。確かに僕は兄さんを助けるために動いていた。だけどそれだけじゃない」

「それだけじゃない?」


「僕は……兄さんに、勝ちたかったんだ」

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