第十四話 『昔話』
……俺は今、病院の手術室の前にいる。言うまでもないが、待っているのは盾二の手術が終わったという知らせだ。
あれから。学校に到着した救急車に盾二と共に乗り込んだ俺は、そのまま病院に直行した。腹から血を流した盾二は額に汗を浮かべて辛そうだったが、痛みを訴えることはなかった。それについては流石だと思うと同時に、こんな時くらいは無理をして欲しくはなかった。
俺よりも後に病院に駆けつけた中学校の教師によると、人質となっていた飯島は無事に救出されたらしい。枕木は警察に連行されたが、興奮状態でまともに話を聞ける状態ではないそうだ。
枕木による立てこもり事件はこれで一応の解決を迎えたことになるが、俺にとってはまだこの事件は終わってはいない。まだ数々の謎が残っているからだ。
この事件が起こることを盾二は予測していたような口振りだった。しかしアイツの口から出たのは、事件を起こした枕木たちへの罵倒と、自分の本性は聖人でもなんでもないということだ。確かにあんな事件を起こされたら、盾二としても怒りを感じるのは理解できる。しかし枕木たちをあそこまで罵倒する必要はなかったはずだ。
それに盾二は、今まで自分の名声のために枕木たちを利用していたと言っていたが、それをバラしてしまえばアイツの評判はかえって悪くなる。行動と言動が一致していない。盾二が何をしたかったのかは未だに謎のままだ。
だけど俺の心を悩ませる最大の謎は――
「俺が……盾二の兄じゃない?」
やはりそのことだった。
「この戸籍謄本……たぶん本物だよな」
俺は盾二が持っていた戸籍謄本を改めて見る。隅々まで見たが、これは確かに役所などでもらえる戸籍謄本の写しで間違いないようだ。そしてそこにははっきりと書かれている。
鵠沼剣一は、俺が父親だと思っていた人物、鵠沼武雄とは血の繋がりの無い養子であると。
『赤の他人なんだよ』
あの時盾二が言った言葉。俺はアイツとは血の繋がりのない、赤の他人だった。それが何を意味するのか。
今まで俺は、盾二に勝ちたいと思っていた。その理由は、兄として盾二と対等になりたいという側面もある。しかし最大の理由は、同じ親から生まれたはずの弟にあらゆる面で負けていたのが悔しかったからだ。
だけど俺は盾二の兄ではなかった。よくよく考えてみれば、その方が腑に落ちるとは思う。俺と盾二は、能力も外見も違いすぎるからだ。
だけど、まだそれを受け入れることが出来なかった。当たり前だ。十年以上共に過ごしてきた家族が、実は偽りのものだなんて、素直に信じられるはずがない。
やはりもう一度盾二と話をするべきだ。あいつが俺を嫌っていようと、俺はまだあいつを家族だと……
「あ、しまった。そういえば父さんに連絡してないな……」
携帯電話を町針さんに取り上げられたままだったので、まだ家にも連絡が出来ていない。父さんの連絡先は携帯電話に登録しているが、番号までは覚えていないので、現時点では連絡が取れなかった。
そんなことを考えているうちに、手術室のランプが消えた。そしてその数分後に、中から医者と思われる男性が出てくる。
「鵠沼盾二さんのお兄さん、鵠沼剣一さんですか?」
「は、はい」
男性は神妙な面もちで俺を見ていたが、すぐに表情を柔らかくした。
「結論から申し上げますが、弟さんは命に別状はありません。まだ意識は戻らないでしょうが、今日中には目を覚ますと思います。内蔵も傷ついていませんので、食事も大丈夫です。一週間もあれば退院は出来るでしょう」
「そ、そうですか! よかった……」
盾二の無事を知り、緊張の糸が切れたために両足から力が抜けてその場にへたりこむ。とりあえずは一安心と言ったところだろう。
しかし、盾二はまだ意識が戻らない。そうなると、『養子』の件を問いただすのもしばらく後にするべきだろう。まずは盾二をゆっくり休ませるのが先決だ。
俺は医者にお礼を言って、病院のロビーで公衆電話を探した。
「とりあえず勝呂さんに連絡を取るか。それに、町針さんにも携帯電話を返してもらわないと……」
だが俺が公衆電話を見つけて、受話器を手に取ろうとした時だった。
「ふむ、おおよそ予定通りには進んだが、少し不測の事態が起こったようだな」
この独特の堅い口調。これは――
「それとも、あのイレギュラーはこのために用意されたものだった。そう考えるべきか」
「ま、町針さん!?」
病院のロビーで俺の隣に立っていたのは、俺から携帯電話を奪い、盾二の行動を予見していた人物、町針楓その人であった。
「何でアンタがここにいるんだ!?」
「不思議なことを言うな剣一。主人ある所に、下僕あり。この町針楓がそのような基本を疎かにするとでも思っているのか?」
なんだその基本は。聞いたことがないぞ。
いや待て。そういえばさっき、気になる発言をしていたな。
「さっき、『予定通り』って言ったよな? それにアンタは『盾二が行動を起こす』とも言っていた。もしかして、それは今回のことを言っていたのか?」
「……」
「アンタは今回の事件が起こることを予測していた。いや、まさかアンタは全て知っていたのか!? 盾二と何らかの形で関わっているのか!?」
よくよく考えてみれば、町針さんは俺を盾二と、そして勝呂さんとも接触させないようにしていた。もし彼女が今回の事件が起こることを知っていたのであれば、俺を自分の家に招いたのも、事件に関わらせないようにするためだと辻褄が合う。
「答えろ! アンタの目的は何なんだ!? アンタは何を知っているんだ!?」
大声を出した俺を来院者たちが眉をひそめながら見るが、そんなことに構ってはいられなかった。
「目的か……それは前に話したが、私の目的は『私の隣に剣一がいる』という状態を作ることだ」
「はぐらかすな! それと今回の事件に、何の関係があるんだ!」
「ふむ……」
町針さんは少し考える素振りを見せた後、こう言った。
「鵠沼盾二は、お前との血の繋がりは無い」
「……!」
「そう、言っていたな?」
「……聞いていたのか」
そうだ。あの時盾二はマイクを持って話していた。だから俺が盾二の実の兄ではないことは、外にいる人たちにも聞こえていたはずだ。もしあの場に町針さんがいたのなら、それを知っていてもおかしくはない。
「だけど、それが何だよ。アンタに関係あるのか?」
「大いにある。なぜなら……」
町針さんは手のひらを上に向けて俺を指さす。
「お前は『兄』ではなく、『弟』だからだ」
「……え?」
『兄』ではなく、『弟』?
「……そろそろ頃合いだな。少し、『昔話』をしようか」
「い、いきなりなんだよ」
「『注意』する。お前の疑問に答えるために必要なのだ。黙って聞け」
「む……」
そう言われたら、話を進めるためにも黙らざるを得ない。
「あるところに、実業家の男がいました。男はその卓越した頭脳と行動力、そして何より必要なくなったと判断した者は容赦なく切り捨てる冷酷さで、自分の会社をどんどん大きくしていきました」
「……?」
「しかし男は考えました。自分もいずれ歳を取り、今までのような活力に溢れた自分ではいられなくなる時が必ず来る。それが最大の悩みでした」
……なんだこれは。町針さんは何の話をしているんだ?
「男はさらに考えました。例え自分がいなくなっても、自分の意志を継いで自分の名声を不動の物にする後継者が絶対に必要だと。なので男は自分の妻に、何としても男子を産むようにと詰め寄りました」
「え……」
「男の妻はその甲斐あったのか、男子を産むことに成功しました。しかし心労と出産のダメージからか、男子を産んですぐに亡くなってしまいました」
「……!」
男の子を産んで、すぐに亡くなった? それってまさか……
「しかし男にとって、無事に男子を産んだ後では妻はもう用済みであり、その死を悲しむことはありませんでした。ですが、更なる問題が起こってしまいました」
「お、おい町針さん……」
「男の息子が、今度は生後半年ほどで重い病気にかかってしまったのです。これには男も困り果てました。『代え』の子供を産もうにも、妻がもういません」
「町針さん、待ってくれ! それってまさか……」
ダメだ。もしこの『昔話』が俺の予想通りだとしたら、これ以上は聞きたくない。
だがそれでも町針さんは、話を続けた。
「男は考えました。今からまた二人目の妻を見つけて子供を産ませるには時間がかかりすぎる。かと言って、このまま息子が死ねば、後継者がいなくなってしまう。どうすればいいか。そこで男は、ある夫婦に目をつけたのです」
「町針さん!」
「その夫婦は、男の事業の下請けの一部をしている会社を経営していました。しかし男に用済みと判断されかかっていたので、生活が困窮していました。ところが夫婦には息子が一人いたのです。男はそこに目をつけました」
「やめてくれ……もうやめてくれ!」
聞きたくない。聞きたくない。
「そして男は言いました」
聞きたくない!
『お前らの息子を私に差し出せば、当面の生活は保障してやる』
「あ、ああ、ああ……」
もう、わかってしまった。その夫婦の『息子』というのが……
「こうして男は夫婦から息子を取り上げ、自分の後継者の『予備』としたのです」
それが……俺だ。
「しかし皮肉にも、男の実の息子はその後病気が治り、『予備』の息子は用済みとなってしまいました……そして、現在に至ります」
そうだ……そうだったんだ。
父さんは俺を誉めることをしなかった。いつも盾二のことばかりを見ていた。今ならそれが当たり前だとわかる。
父さんにとって、俺は必要のなくなった『予備』に過ぎなかったんだ。
「う、あああああ……」
あまりにひどい現実に、目の前が暗くなり、平衡感覚が無くなる。まさか俺が、そんな人身売買のような形で養子になっていたなんて……
そうだったんだ。俺は初めからそうだったんだ。
俺は鵠沼家に来た瞬間から、盾二に負け続けていたんだ。
「辛いか? 剣一」
「……何故だ」
「……」
「それを俺に言って、知りたくもない現実を突きつけて! アンタは何がしたい! それ以前に何でアンタがそんなことを知っているんだ!」
俺の詰問に対して、町針さんは目を固く閉じて深呼吸をした後、まっすぐ俺を見た。
「その理由は、ただ一つ。私はお前の本来の姿を取り戻すために動いているからだ」
「本来の、姿だと……?」
「さて、ここでもう一つの『昔話』をします」
町針さんは再び口調を変える。
「息子を差し出した罪深い夫婦にはもう一人、子供がいました」
「もう一人の、子供……?」
「生活が安定した夫婦は、罪滅ぼしのようにその子供を大切に育てました。しかしもう一人の子供は、保身のために自分たちの息子を差し出した両親を決して許しませんでした。更には自分の大切な弟を奪った実業家の男も、そして何より自分と弟を引き裂く原因となった男の息子も決して許しませんでした」
「え……?」
もう一人の子供? 自分と弟を引き裂いた?
「もう一人の子供は誓いました。必ず実業家の男とその息子を排除し、弟を取り戻してみせると。そのためなら、自分の人生の全てを捧げてもいいと。弟の下僕にでも何にでもなろうと」
「……!!」
そんな……まさか!
「そしてもう一人の子供は、弟を取り戻すための計画を長きに渡って考えてきました。そして、最近になってようやく準備が整ったのです」
「そんな、待ってくれ。嘘だ。そんなことが」
「そうだ。今こそ真実を言おう」
そして町針さんは、俺の正体を言う。
「町針剣一」
「……!!!!」
「それが……お前の本当の名前だ」
その名前を言われた時……
「う、ああああああああああああああ!!!」
あまりの事実に、俺は今度こそ立っていられなかった。




