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第29話「笑い声と心の距離」

 駅前の居酒屋は、外からでも分かるほどの活気に包まれていた。

 引き戸を開けた瞬間、焼き鳥と揚げ物の匂いが押し寄せる。

 予約していた個室に通され、靴を脱いで座る。

「とりあえず生ビールでいいか?」榊原がメニューを見ながら言う。

「はい、それで」

「私はウーロン茶で。飲んだら帰りが面倒になりますから」水無瀬は笑いながらメニューをめくる。


 乾杯の音が響き、グラスが軽くぶつかる。

 最初に運ばれてきたのは、皿いっぱいの唐揚げと、山盛りのポテトフライ。

「お前ら、これ絶対食い切れないだろ」榊原が呆れつつも箸を伸ばす。

「榊原さん、揚げ物ばっかり食べてますよ」水無瀬が笑う。

「戦闘で消費したカロリーを取り戻してるんだ」

「そういう計算の仕方します?」

「お前だってポテト山盛りにしてるじゃないか」

「これは別腹です」


 俺は串焼きを口に運びながら、こういうやり取りをしている二人を眺めた。

 戦場では絶対に見られない、柔らかな表情。

 思えば、この数か月で随分と気心が知れた。


「そういえば真さん」水無瀬が俺の方に箸を向ける。

「この前の親玉戦、面からの小手、あれ格好良かったです」

「たまたまですよ」

「いやいや、あれは狙ってやっただろ」榊原が笑う。

「まあ……あの場面では師匠の言葉が浮かびました」

「面に始まり、面に終わるってやつか?」

「はい」


「剣道って、そんなに面が大事なんですか?」水無瀬が首をかしげる。

「大事どころか、基礎であり終着点でもあります。面を打つための技が、全部の基礎になるんです」

「へえ……じゃあ面で倒せるのにわざわざ小手に行ったのは?」

「面を守らせたら、次は小手が空くんですよ」

「……あー、だからか。あの怪物が腕を上げた瞬間に切り替えたんだな」榊原が納得したように頷く。


 焼き鳥の皿が空になり、次は刺身が運ばれる。

 水無瀬はわさびを多めにつけて一口で食べ、涙目になった。

「なにやってんだお前」榊原が呆れ、俺は笑いをこらえる。

「ちょっと挑戦してみたかったんです……」

「戦闘より危険な挑戦やめてください」


 話題は自然と昔の話に移った。

 榊原が串を置き、俺をちらりと見た。

「真、お前って道場でも警察でも、失敗とかしなさそうだよな」

「そうそう、なんか全部完璧にこなしそう」水無瀬も頷く。

「いやいや、ありますよ。恥ずかしいのが」

「えっ、あるんですか?」

 俺はビールを一口飲み、軽く笑ってから言った。

「中学生の試合で面を外したら、前髪が真ん中でぺたんと割れてて、そのまま部員に写真撮られました」

「それは……想像できる」榊原が笑いをこらえきれずに吹き出す。

「しかも、その写真いまだに道場に貼ってあるんです」

「やだ、それ見たい!」水無瀬が身を乗り出す。

「絶対持ってこないです」


 飲み物をおかわりし、揚げ出し豆腐や出汁巻き卵をつまみながら、時間はあっという間に過ぎていく。

 任務の緊張感も、ここでは薄れていた。


 やがて榊原が、ふと真面目な声になった。

「こうやって飲んで笑ってられるのも、無事に帰ってこれたからだ。次も、全員で戻る」

「もちろんです」水無瀬が即座に答える。

「ええ、全員で」俺も頷いた。


 閉店時間が近づき、店を出ると夜風が少し冷たかった。

 駅前のネオンの下、三人で並んで歩く。

「次の任務、また面倒なやつが来そうだ」榊原が小さく呟く。

 その予感は、後で現実になる。

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