その22 リーゼ、魔女に会う
「失礼しちゃうわ、いきなり帰れだなんて」
リーゼは悔しそうに爪を噛んだ。
「ナンシーが解雇されました、スパイさせていたことがバレたようです」
帰路についた馬車の中、向かい座る侍女のユリアが深刻そうに言ったが、リーゼは気にしていない様子。
「スパイだなんて大袈裟だわ、少し情報を漏らしてくれていただけじゃない」
一時の金に目が眩んだナンシーの自業自得だが、解雇され、紹介状も書いてもらえなかったようなので、次の就職先を見つけるのには苦労するだろうとユリアは同情した。
「そうでもしなきゃ、ショーン様が帰省されたことも知らせてもらえないんだから」
リーゼのほうは使い捨てたナンシーのことなど一切気にしていなかった。
「お祖母様の邸へ行くなんて、無理やり予定を入れたようね、エリンおば様は私が嫌いだから早く帰らせたかったのでしょうね。私はレイフおじ様が本当に愛していらっしゃるナタリアの娘ですもの、顔も見たくないのでしょう、だからショーン様との仲を邪魔なさるのよ」
リーゼに付き添い度々マッカーシー家を訪れているユリアは、マッカーシー夫妻が羨むほど仲が良いのを見ている。しかしリーゼが母親から嘘を刷り込まれていることも知っているので、ここは頷いておくしかなかった。
彼女の思い違いはいつもまで続くのだろう? 母親のように精神を病んでしまうのではないかとユリアは心配だった。それはリーゼが心配なのではなく、自分の先行きが不安だったのだが……。
「結局、ショーン様はフィラとかいう女を追って行ってしまわれたわ、一人で発ったのだから放って置けばいいのに」
「ショーン様はお優しいから、女性一人で砂漠へは行かせられなかったのでしょう」
「優しくなんかありません、私に恥をかかせて」
「恥?」
「昨日の夜、意を決してお部屋を訪ねたのよ」
「まあ、なんて大胆なことを!」
「それくらい思い詰めていたのに追い返されてしまったわ、これ、ちっとも効かなかったわ」
リーゼは香水の小瓶を取り出し、目の前に掲げてマジマジと見た。
「苦労して手に入れたのに」
* * *
「やっと見つけましたわ、あなたが魔女ジューレ様ですね」
リーゼはマクスウェル領都の安宿に、侍女ユリアと護衛騎士一人を伴い、身分を隠して訪れた。
室内のテーブルにはフード付きの黒いローブに身を包んだ女が座っていた。口元をスカーフで覆っていたので容貌はわからないし、手袋をしているので年齢も不詳だったが、銀色の髪と紫水晶の瞳が怪しい光を放っていた。
「そう、運命を変える魔女よ」
「あれ? 恋の媚薬を売ってらっしゃるのではありませんの?」
「まあ、ロマンチストだこと、恋の媚薬だなんてそんな生易しい薬じゃないわよ」
リーゼは勧められていないのに、向かいの椅子に座った。
ジューレはそれをジロリと見ながら、テーブルに紫色の小瓶を出した。
「探しているのはコレね、瞬時に男を虜にする劇薬よ、意中の男に嗅がせるとたちまち意のままになる、あなたの運命も変わるのよ」
「それです! それが欲しいですわ」
リーゼは思わず身を乗り出した。
「お高いわよ」
リーゼは金貨が入った袋をドーンと置いた。
袋の大きさを見てジューレは頷いた。
「いいだろう」
二人は怪しい媚薬の瓶と金貨の袋を交換した。
「分量には気を付けるのよ、多すぎると理性を失い、本能剥き出しで襲われるから」
「望むところですわ」
紫の小瓶を手にして、リーゼは満足そうに笑みを浮かべた。
* * *
「魔女の媚薬だなんて、きっと乙女の恋心に付け入る詐欺だったんですよ」
ユリアは胡散臭そうに小瓶を一瞥した。
「あの人は魔女よ、そう信じられる不思議な力を持っていたわ、私が来るのを予見していたし、すでに媚薬を用意していたわ。もしかしたら魔族が人間に化けていたのかも知れない」
「そんな! 恐ろしい」
「彼女言ってたのよ、効き目は保証するけど自分と同じように魔力を持っているものには通じないと、もしかしたら、ショーン様は聖剣を顕現させた聖なる力の持ち主、聖剣は魔族を討伐する力でしょ、魔女の力も効かなかったのかも知れないわ」
リーゼは小瓶をゆらゆらと揺らしながら、
「確かめるために、ロジャーで試そうとしたのよ、ショーン様に通用しないなら、この際ロジャーでもいいかなと思って」
「まあ、見境ないですね」
「おじ様とお母様の約束は、子供同士なのだから、ロジャーやティモシーでもいいわけよ、年下だけど気にしないわ、でも、エリンおば様に邪魔されちゃったけど」
「エリン様は鋭いお方です、魔女の媚薬の噂を耳にされていたのかも知れませんよ、その香水、かなり独特の香りですから」
「分量を間違えれば、襲われる危険もある強力な媚薬だと言ってたでしょ、ショーン様とならそうなっても良かったのよ、既成事実が出来れば責任を取ってもらうことも出来るでしょ」
リーゼは香りを確認しようと小瓶のふたを開けた。
「昨夜は量が少なかったのかも知れないわ、今度はたっぷりとつけて」
その時、馬車が急停止して酷く揺れた。
「きゃっ!」
瓶を落として、中身が全部ドレスに染み込んでしまう。
「やだ! 零しちゃった、高かったのにぃ!」
充満する媚薬の臭いにユリアは顔を歪めた。
「酷い臭いですお嬢様、こんな悪臭で殿方を虜になど出来ませんよ、やはり詐欺だったのですよ」
馬車が止まり、御者がノックして窓から覗いた。
「申し訳ありません、車輪が溝に嵌ってしまって、恐れ入りますが一旦降りて頂けませんか」
とドアを開けた。
次の瞬間、御者の目つきが変わった。
急に血走り、突然、リーゼに襲いかかった。
「キャアァァ!」
リーゼの悲鳴に護衛騎士が駆け付けた。
「貴様! なにをするんだ!」
半身を馬車に突っ込んでいた御者をつまみ出して、地面に放り投げた。
「大丈夫ですか、お嬢様」
しかし、開いたドアから漂う香りに毒されて、護衛騎士の目つきも変わった。目が血走り、今度は護衛騎士が馬車に乗り込んだ。
「キャアァァ!」
ユリアは反対側のドアから脱出した。
そして、地面に打ち付けられて倒れていた御者に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
まだボーっとしている。
「え、ええ、私はなにを……」
頭を振って思い出そうとするが、記憶が飛んでいるようだ。
「媚薬にやられたんだわ」
ユリアは茫然と呟いた。
「本物だったのね」
「媚薬?」
御者が聞き直した。
「中でお嬢様が魔女の媚薬を零したんです」
「なんですかそれは」
「殿方が正気でいられなく媚薬だそうです」
二人は生唾を飲みながら揺れる馬車をただ見ていた。




