第八話:赤砂の谷へ
西へと進み続けて三日が過ぎた頃、セイとリィナはついに“赤砂の谷”の外縁部へと辿り着いた。遠くの地平線が淡い橙に染まり、乾いた風が大地を撫でていく。その景色は、それまでの森林とはまるで別世界だった。
「……すごいね。まるで誰かが描いた絵みたい」
リィナが呟いた声は、谷の広がりに飲み込まれるように消えていった。
赤い砂岩が複雑に入り組み、無数の裂け目や崖が広がるその風景は、確かに“谷”と呼ぶにはあまりにも異質で、どこか現実味を欠いていた。
「この先に、父さんたちが最後にいた場所があるかもしれない」
セイは短剣に触れる。刃の感触は変わらない。だが、確かに空気が張り詰めていた。記憶に触れる前兆――あの独特の感覚。
ふたりは崖沿いの細道を慎重に進んでいった。風が吹き抜けるたび、砂が巻き上がり、足元が不安定になる。
「ねえセイ。……もし、ここで全部の真実がわかっちゃったら、私たちの旅って、終わるのかな?」
突然の問いに、セイは少し歩みを緩めた。
「……終わらないと思う。たぶん、わかってからが始まりだよ」
「そっか」
リィナは笑った。寂しそうで、どこか嬉しそうでもあった。
崖の先端にぽつんと立つ、小さな祠が見えた。扉は外れ、壁の一部は崩れかけている。けれど、中央に残された祭壇だけは不思議と手つかずのままだった。
セイは祭壇に近づき、短剣をそっとかざす。
リィナも隣に立ち、肩を並べる。
「行こう。……これが、父たちの最期の記憶かもしれない」
刃を石に触れた瞬間、世界が反転した。
目の前に広がったのは、荒れ果てた赤砂の大地。そこには数人の影がいた。
「――やはり裏切ったのか」
「俺たちは、ただ記憶を守りたかっただけだ」
男たちの声がぶつかり合い、剣が抜かれ、短い戦が始まった。
その中心にいたのは、セイの父。そして、リィナの父と思しき男。
ふたりは背中合わせに戦い、やがて――
「お前だけでも、生きて……」
記憶の終わりには、血に染まった短剣と、崩れ落ちた祠の屋根。
セイとリィナは、同時に現実へと引き戻された。
言葉を失ったまま、しばらく祭壇を見つめる。
「……父さん」
「私の……父も……」
涙は出なかった。ただ、確かに何かが終わった感覚が胸を満たしていた。
そして、そこからまた新しい風が吹き始めた。
ふたりの旅は、いま、別の意味を持ちはじめていた。