20 生きてる
いっそ意識を失えたらどんなによかっただろう。
私はバンジージャンプさながらな垂直落下の末に、ザボンという激しい衝撃と共に水中にダイブした。
滝つぼが深かったおかげで岩とかに激突することはなかったけど、上手く息を止めることができなくて、開いた口からがぼがぼと水が入ってきた。
パニックになって手と足を無茶苦茶に動かしたけど、体はどんどん水底へと沈んでいく。
くるし……たすけて。
そう思った時、私の周囲を空気の層が包んだ。
水を飲んだ時に気管に入ってしまったのか、苦しさにげほげほと咳き込む。
水中なのに、ヒュッと息を吸い込んでも水は入ってこない。
何度か咳き込むと、苦しさが和らいできた。
一体何が起こったのかとわが身を見れば、手首のリストバンドが青白く光っていた。
どうやらまたラティスに助けられたようだ。
冷静さを取り戻した私は、ひとまず滝つぼから離れたところで水面から顔を出して、近くの岩場に這い上がった。
もうこれ以上動けないと、体をごろりと転がし仰向けになって肩で荒い息をつく。
木々の間から見える青い空が眩しい。
「…………生きてる」
どうやら簡単には死なせてもらえないらしい。
やっと死ねると思ったのに。
溢れ出した涙がまばたきと共に目じりから流れ落ちるのを堪えることができなかった。
木々の葉っぱも空の青もすべてが涙で歪んで見える。
一度堰を切って流れ出した涙は簡単に止めることはできなくて、私は手の甲に目を押し当てて嗚咽を漏らしながら泣いた。
『大丈夫か?』
不意に頭上から声がかけられた。
私は目元を隠したまま、ルミナリスさんに涙声で答える。
「……いきてるの……もう絶対ダメだと思ったのに……」
『…………』
「……らい……つらいよぉ……」
『…………』
「もうやだぁ……しんじゃいたいよぉ……」
『…………………………だが、お前は生きてる』
滝の水が落ちる音が響き渡る中、それまで私の話に黙って耳を傾けてくれていたルミナリスさんがぽつりと呟いた。
やけにはっきり頭の中に聞こえた声に、私は自分の失言に気づいて勢いよく起き上がった。
しまった! ルミナリスさんはもう既に死んだ人だった。そんな人を前に死んじゃいたいとか言うべきじゃなかった。
「ごめんなさい! 私……ルミナリスさんのことも考えないで……!」
起きた拍子に勢い余ってルミナリスさんの体をすり抜けてしまい、意図せずにルミナリスさんの感情が流れ込んでくる。
彼の心はとても穏やかで、私の発言に怒っている訳でないことがわかった。
ルミナリスさんは身をかがめて私の目元をぬぐうと、眉尻を下げて続けた。
『いや……急にこんな山の中に放り出されれば誰だって不安にもなるし、あんな目に遭ったら辛くもなるだろう――――既に死んだ自分には言う資格はないかもしれないが……どうか生きるのを諦めないでほしい』
幽霊のルミナリスさんからの諦めないでほしいという真摯な想いが、私の胸を打った。
何が何だかわからなまま異世界に飛ばされて、せっかく助けてもらえたと思った村から遠い山の中に飛ばされて、山の中を歩き回って、滝から落ちて。
ここ数日で辛いことをたくさん経験してきた。
本当はすぐにでも死んで楽になりたいと願ってる自分がいる――――だけど。
私は無意識に首から下げたネックレスを握りしめて、ルミナリスさんと正面から向き合った。
ルミナリスさんの深い紫色の瞳と私の黒い瞳が交差する。
この人はもっと生きていたかったのかな。
悪霊になるほどの強い思いから解放されたのに、どういう訳か自分の成仏よりも、私の山下りを優先して手を貸してくれた優しいルミナリスさん。
今度は私がルミナリスさんのために、どうしたら成仏できるか一緒に考えよう。
それはルミナリスさんのためだけじゃない。生きていくのに理由が必要な私にとっても、生にしがみつく理由になる。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん……私、もう少しだけ頑張ってみるよ。
私はルミナリスさんにへらりとした笑みを向けた。
「…………私、お腹すいちゃった」
私の唐突な言葉に、ルミナリスさんはきょとんとした後にくくっと楽しげに笑い声をあげた。
なんだとうと思って、はっと自分がため口だったことに気づいて慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい! ついため口で……」
『気にするな。むしろ、気安くて俺はこっちの方がいい』
「そう……なの?」
『ああ――――で、お腹がすいたって?』
話の続きを促されて、私は「うん」と頷き返す。
『じゃあ、何か探しに行くか』
「できれば、お肉かお魚も食べたい」
不遠慮に無茶なことを言ってみたけど、ルミナリスさんは変わらず楽しげなままだ。
『それならいい方法がある。必要なものがあるから木の実を拾いに行くついでに探してみよう。まずはその濡れた服をなんとかしてからだ』
***
ローブを脱いで力いっぱい絞ると、吸い込んでいた水が大量に絞り出された。
スイムタオルのように水を絞り出すとすぐに乾くという高性能なローブに関心していると、ルミナリスさんが何やら言いたげな顔でこちらを見ているのに気づいた。
なんだろうと首を傾げると、頬を赤らめたルミナリスさんは私を指さしながら気まずげに目をそらした。
『その……透けてるぞ』
指を辿って自分を見下ろすと、濡れた白いブラウスから水色のブラが透けて見えていた。
「ひゃああああああ! だめっ、こっち見ないで!!」
慌てて両手を胸の前で交差させてしゃがみこむ。
ああああああ、恥ずかしい。
そうだよね、ブラウス白かったら透けるよね。
そこまで思い至らなかった自分を呪いつつ、ちらりとルミナリスさんを盗み見れば、彼はこちらを見ないように背中を向けて直立していた。耳まで赤く見えるのは気のせいだろうか。
「ごめんなさい、ルミナリスさん。変なの見せて……」
『い、いや……それより、濡れたままだと風邪をひくから早く着替えたほうがいい』
着替えたほうがいいと言われたけど、替えの服なんて持っているわけがない。
持っているものといえば、速乾性のローブだけ。
素材的に透けないとは思うけど、これはもう裸コートならぬ裸ローブをするしかないのか。
両手でローブを広げてじっと見つめる。
濡れた服にどんどん体温が奪われていくのがわかる。確かにこのままだと風邪を引きかねない。
背に腹は代えられないか。
さすがの私でも後ろを向いただけの男の人を前に着替えることは憚られたので、ルミナリスさんには着替えるまでの間少し大きめの木の向こうに行っててもらうことにした。
せめてもの抵抗に下着だたけは身に着けたまま、濡れた服を脱いで白いローブをかぶる。
びちゃびちゃに濡れたブラウスとスカートを順に絞って、ちょうどいい感じに木と木の間を電線のように張っていた蔓に引っかけて干した。
お天気もいいし、ほどよく風も吹いているからそのうち乾くだろう。
ローブの下がすかすかして落ち着かないのは仕方がない。
私はおかしなところがないか確認してから、ルミナリスさんに「もういいよ」と声をかけた。
ルミナリスさんはひょいっと木陰から顔をのぞかせて私の姿を確認すると、満足げに頷いた。
『それなら大丈夫そうだな。体は大丈夫か? 休んでからでもいいんだぞ』
気遣ってくれるルミナリスさんに、私は首を振って大丈夫と答える。
疲れてはいるけれど、お肉とかお魚が食べられるなら頑張れそうだ。
「それで? これから何を探しに行くの?」
私の問いに、ルミナリスさんはにっと笑みを浮かべて答えた。
『毒だ』




