最終話 私、異世界で退魔師になりました
ルミナが目覚めてからはすごく慌ただしかった。
なにせ、訳もわからないまま眠らされていた国中の人たちが一斉に目を覚ましたのだ。そりゃあ、混乱もするよね。
急ぎ足で戻ってきたエクスさんから、国の人たちに事情を説明しないといけないことや、それによって混乱が生じる恐れがあることを告げられ、私とお兄ちゃんはひとまずシルヴィーやお父さんたちのところに帰されることになった。
ルミナは事件の当事者としてカイナルディアに残ることを決めた。
大変な事態を引き起こしてしまったことへの責任を取らなければならないというルミナに、一瞬頭の中を処刑って言葉がよぎったけど、エクスさんは命を取るようなことはさせないと約束してくれた。
本当に時間がなかったようで、別れを惜しむ時間すらなかった。
イーニスに作ってもらった空間の割れ目に飛び込む直前、後ろ髪を引かれる思いで振り返った私に、ルミナは「必ず会いに行く」と約束してくれた。
寂しいけどしょうがない。
今はちょっと離れるだけ――そう自分に言い聞かせて、私は空間の割れ目に飛び込んでシルヴィーやお父さんたちの待つオルト村へと戻った。
ルミナが会いに来てくれたのは、それから半年後のことだった。
私はお母さんが切り盛りする定食屋の手伝いをするかたわら、退魔師としてお父さんやシルヴィーの仕事に同行させてもらうようになった。
退魔師は戦闘タイプと非戦闘タイプにわけられるらしく、悪霊を消滅させることができるシルヴィーは戦闘タイプ、会話を通して穏便に成仏へ導くお父さんは非戦闘タイプというスタンスで、それぞれに見合った仕事を斡旋してもらえる。
風の加護のおかげで悪霊とも渡り合える私は戦闘タイプになるんだけど、いかんせんどんくさいせいか、その中間っていう中途半端な位置づけになっているらしい。
なんにせよ、いつかルミナと再会した時に一人前の退魔師になって彼の隣に立ちたいと思っていた。
――思っていたんだけど、いくらなんでもルミナが来るのが早すぎた。一人前どころか、まだ見習いに毛が生えた程度なのに。
ラティスの案内で家までやってきたというルミナは、思ったよりも早い再会に目を白黒させる私に、国家魔導士としての地位をはく奪されてカイナルディアを追放されたことを話してくれた。
命をもって償わなくて済んだのは、エクスさんが宰相に口添えをしてくれたおかげらしい。
やはりエクスさんはただ者ではなかった。
それまで献身的に国のために研究をしてきたことや、その身をもって事態を収束させようとしたこと、責任を取ろうとした姿勢を評価され、その程度の罰で済んだそうだ。
私的にはルミナは全然悪いことしてないのにあんまりじゃないかって思ったんだけど、ルミナが言うには誰かが何らかの形で罰を受けなければ国民は納得しないだろうということだった。大人の事情って難しい。
納得できずに憤慨する私に、ルミナは一通の手紙を差し出した。
受け取って封筒をひっくり返すと差出人はエクスさんだった。
先の戦いではお世話になりましたという感謝の言葉から始まったその手紙には、カイナルディアの現状やルミナの処遇についてのいきさつが書いてあった。
エクスさんはカイナルディアが眠っていた百五十年の間のブランクを埋めるため、イーニス教の神官を辞めて宰相である父親のサポートに日々いそしんでいるらしい。
ルミナの処遇については相当揉めたみたいだけど、国の上層部を黙らせて国家魔導士であるルミナを自由にするには国外追放という形をとるしかなかったのだそうだ。
手紙の最後はルミナを頼みますという言葉で締めくくられていた。
一通り手紙を読んで顔を上げると、ルミナと目が合った。
ルミナは「これで後腐れなく一緒に旅できるな」と笑うと、遠くカイナルディアに続く空を見上げた。故郷を思って目を細めたルミナの表情がとても印象的だった。
***
あれから一年。
「うそうそうそうそっ! 悪霊が出るなんて聞いてないんだけどっ!」
うっそうとした森の中を全力で走りながら大声を張り上げる。
ちらりと後方を振り返れば、真っ黒な影に覆われた山姥みたいな人影がスライドするみたいに追いかけてきているのが見えた。
ヒィッ! やっぱりついてきてる!
なんでこうなったと思っていると、同じように横を走るルミナから声が飛んできた。
「依頼書には書いてなかったのか!?」
「書いてなかったよ! 村に出るようになった幽霊をどうにかしてほしいってだけだったもんっ!」
走りながら大声で答える。
おかしい。依頼書には悪霊が出るなんて一言もかいてなかったのに。
村を徘徊していた幽霊のおじさんに、森の奥に住む母に自身の遺品であるブローチを渡してほしいと言われたのがきっかけだった。
お母さんに会いに行けずに亡くなってしまったおじさんの無念を晴らすべく、森へとやってきた私たちを迎えたのは、悪霊化したお母さんの姿だった。
もともとブローチを託してくれたおじさんは結構歳を取っているように見えたので、そのお母さんともなればかなりのお歳だったに違いない。おそらくおじさんよりも先に亡くなっていたんだと思う。
出会い頭に山姥のごとき勢いで襲いかかってきたので、びっくりして逃げ出すほかなかったというわけだ。
先ほどから何度か風を繰り出しているものの、走りながらだと上手く狙いが定まらない上、元が老婆とは思えないほど素早いせいで、なかなかピンポイントで悪霊を捉えることができない。
悪霊の影を祓うには強めの風が必要なんだけど、広範囲に吹かせようとしても森の中だと木々に遮られて風の勢いが弱まってしまう。
「あんな早いの、どうやって当てればいいわけ!?」
狙いを定めるのに苦戦している私に、隣を走るルミナが提案してくる。
「おい、リン! あれの足を止められればいいか?」
「え!?」
「あれの足を止められれば当てられるのかと聞いてる!」
「う、うん!」
「よし!」
ルミナは踵を返して悪霊に向かってタックルをかました。本当に国家魔導士だったの!? っていうツッコミはこの際飲み込んでおく。
本来であればすり抜けるはずの霊体が、走ってきた勢いのままルミナにぶつかって転倒する。
いまだっ!
私は手を前に突き出して、悪霊に向かって強力な風を繰り出した。
悪霊の体を覆っていた黒い影が空へと舞い上がり、もとの年老いた女性の姿があらわになる。
私はすかさず駆け寄っておばあさんの手を掴んだ。
その瞬間、手を伝って記憶が流れ込んできた。
子供たちが巣立っていき、森に一人残されたおばあさんは、ずっと寂しさを抱えて生きていたようだ。そんな中、おばあさんは病にかかってしまう。
熱に苦しみながら思い浮かべたのは、家を出ていった家族のことだった。
最後に一目だけでも会いたい。
けれど、深い森の中だ。家を訪ねてくる人はおらず、おばあさんはとうとう誰にも会えないまま一人息を引き取ってしまった。
寂しい。寂しい。どうして会いに来てくれないの。もう私のことなんか忘れてしまったんだわ。
膨れ上がった寂しいという思いが黒い影の正体だった。
何が起こったのかと呆気にとられたような表情のおばあさんに、おじさんから預かったブローチを差し出した。
「おばあさんの息子さんに会いました。つい先日流行り病で亡くなったそうです。会いに行けなくてごめんなさい。これを自分の代わりだと思って持っていてほしいと託されました」
『そう……そうだったの……』
おばあさんは私の手の上に乗せたブローチを指でなぞってポロリと涙を零した。
『これ、あの子が家を出ていく時にあげたものなの……ずっと持っていてくれたのね……』
おばあさん体が淡い黄色の光に包まれる。
『もう誰も私のことなんて覚えてないのだと思っていたわ……でも、違ったのね……』
ふわりふわりと、光の粒子が少しずつ空へと消えていく。
次第に薄くなっていくおばあさんを見つめていると、ふとおばあさんがブローチから顔を上げて穏やかに微笑んだ。
『お嬢さん、そちらのお兄さんも――ありがとう』
最後にそれだけを言い残して、おばあさんの姿が完全に見えなくなった。
よかった。ちゃんと成仏できたみたい。
おばあさんが消えていった空を見上げて、手元に残ったブローチを握りしめた。あとはこれをおばあさんに届けないと。
それから私たちはおばあさんの家に行って、ベッドの上で白骨化した遺体にブローチを添えてあげた。
村におじさんの家族がいると言っていたので、おばあさんを弔うのはその人たちに任せることにした。
村への帰り道、少し開けた場所を見つけたので休憩することになった。
芝生みたいにふかふかに生えそろった草の上にごろりと寝転がって青空を見上げる。
雲一つないいいお天気だ。
んーと大きく伸びをする横で、ルミナも同じように草の上に寝転がる。
再会して一年――ルミナは今、退魔師になった私の仕事を手伝ってくれている。
退魔師の仕事をするようになってフィールドワークが増えたといえ、今日みたいに全力疾走するのはなかなかに疲れる。
でも、なんだかすごくしんどいって感じじゃなくて、やりきったって感じのさわやかな疲労感だった。
隣に寝転がったルミナに顔だけ向けて話しかける。
「なんとかなってよかったね」
「ああ」
「そういえば! さっき怪我とかしなかった?」
「ああ、してない」
「よかった……ルミナのおかげで助かったけどさ、もう生身なんだから前みたいに無茶しちゃだめだからね」
「なんだ、心配してくれるのか?」
楽しげな笑みを浮かべたルミナがごろりと体をこちらに向けてきた。
「っっ! それは……っ!」
どうなんだ? という顔でその先を促される。
ぐ……わかってるくせに答えを求めてくるのはずるい。
視線に耐えかねて「心配に決まってるでしょ」ともごもご答えると、ルミナは一層笑みを深めた。
ああ、もう! なんてこと言わせるのよ、恥ずかしい。
だめだ、話を変えよう。
何を話そうかと話のネタを考えて、出かけにお母さんから言われたことを思い出す。
「あ。そういえば、お母さんが今日の晩ごはん家で食べてってって言ってたよ」
「今日か?」
「うん。なんかね、試作してたパンがようやくできたから、ルミナに食べてみてほしいんだって。来れそう?」
「ああ。リンの家の飯は美味いから楽しみだ」
ルミナはこの一年ですっかりお母さんに胃袋を掴まれてしまっていた。
お母さんもルミナのことが気に入ってるみたいで、一人暮らしは大変でしょう? と近くに住んでいるルミナを誘いだして、みんなで一緒にご飯を食べることが多い。
仕事柄お父さんとも話が合うようで、気づけばすっかり家族の一員に迎えられている。
おかず何だろうねーと話していると、唐突に可愛らしい声が割り込んできた。
『ちょっとちょっと! ルミナリスだけズルイんだけど!』
ふわりと風が舞って、ラティスが姿をあらわした。
ぷくーっと頬を膨らませた姿が微笑ましい。
「ふふ、じゃあラティスも来る? こないだお母さんが作ったべっこう飴がまだ残ってるよ」
『ベッコウアメ! いくいくー!』
やったーと宙返りしてご機嫌の様子だ。
精霊だから人間と同じものを食べるわけではないんだけど、綺麗なものが好きみたいで、前にお母さんが作ったべっこう飴を試しにあげてみたら気に入っちゃったんだよね。
『そうと決まれば、早く行こー!』
ラティスが私を立ち上がらせようと袖口をぐいぐいと引っ張ってくる。
だけど長くは続かない。
ラティスの首根っこをひょいっとつまんで、ルミナが盛大に顔を顰めた。
「村に戻るのが先だ。あと教会に報告」
『えー……すごい時間かかるじゃん。明日でいいでしょ?』
「だめだ」
『リン、明日でいいよね?』
ぐりんと顔を向けた二人の視線が私に集まる。
キラキラしたラティスの視線と断れというルミナの視線が痛い。
えーと……。
「うーん……さすがに明日じゃまずいかな」
『むー……しょうがないなぁ。じゃあ、ボクはその辺で遊んでるから報告が終わったら呼んでよね』
ラティスはむぅと頬を膨らませたまま、来た時と同様に忽然と姿を消した。
やれやれといった様子で息をついたルミナが、私に向かって手を差し出してくる。
「さて、あのこうるさしい精霊がしびれを切らす前に仕事を片付けるぞ」
「そうだね」
思わず苦笑しながらルミナの手を取って立ち上がる。
村に戻って幽霊のおじさんにおばあさんのことを伝えて、それが終わったら教会に行って報告。
残っている仕事を思い出しながら茂った森の中を歩き出す。
日本にいた頃じゃありえないようなことが当たり前になったなぁと、ふとあちらの世界のことを思い出す時がある。
でも、それは帰りたいって気持ちじゃなくて。なんか、こう……アルバムを見てるような懐かしい気持ちっていえばいいのかな。きっと私の中ではもうあっちの世界は過去のことになったんだと思う。
大切な家族と、初めてできた友達と、賑やかな精霊と、大好きになった人がいるこの世界で生きていきたいって思えるようになったから。
じんわりと温かい気持ちで、そのきっかけをくれたルミナをちらりと見たら、ちょうどこちらを向いた彼と目が合った。
正直、退魔師としての仕事は悲しい思いをすることが多いし、今日みたいに怖い思いをするときもあるけど、ルミナと一緒の毎日はハラハラしてドキドキしてまるで冒険の旅をしているみたいで、これからもずっとルミナと一緒にそんな毎日を送っていけたらいいなって思ってる。恥ずかしいから面と向かって本人には言えないけどね。
「どうした?」と不思議そうに首を傾げるルミナに、私は「なんでもない」って笑ってみせた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
面白かったと思ってくださった方は、ポイントボタンを押して応援いただけると嬉しいです。